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接触

 日曜日。午前一〇時三〇分ごろ。


 浦部彩夏と殿村拓真は、神林町の郊外にある正福寺が管理している墓地に向かっていた。二人は喪服姿で傘を差し、無言のまま俯き加減に歩いている。拓真は線香などが入ったビニール袋を、彩夏は紫色の花束を持っていた。


 町は相変わらずの梅雨空で、数分前からしとしとと静かに、霧雨のような小雨が振り始めていた。午前中にも関わらず、夕暮れ時のように暗く、あまりの静けさに足元の砂利の擦れる音がやけに耳障りに聞えた。


「……綺麗だな。その花」


 正門を抜けてしばらくしてから、彩夏が手に提げている紫色に栄える花を一瞥して、ようやく拓真が口を開いた。 待ち合わせの駅前ロータリーで簡単な挨拶を交わした後、むっつりと押し黙って一言も口を利かなかったのだ。


「カトレアていうの。洋ランの一種で人気あるんだよ?」


 へえとと言ったきり拓真は黙り込んでしまう。

 二人の間に重い沈黙の空気が流れる。


 ――黙ってないで、もっと何か話せばいいのに。


 彩夏の胸中に、日ごろ拓真に感じている不満が沸き起こる。口数が少ないのは昔からだが、最近は陰気さが増したせいでその傾向が一層強くなり、滅多に感情を表に出さないようになった。


 何を考えているか分からない。


 これが中学時代、クラスの女子からの拓真評で、見てくれは悪くないのに中学生活三年間、 噂によると高校でもだてそうだが、これといった彼女が出来なかったのは、ジ・アークとの戦いの影響だけでなくその性格にもよるところが大きいと彩夏は思っている。


 そんな変わり者でも、男同士だと登下校や会社の行き帰りを共にする程度の付き合いはあるというのが、彩夏には不思議でならなかった。


 彩夏の姿には気がつかなかったようだが、先週には店の近くで顔なじみとなっている老紳士と熱心に話しこんでいる姿を見かけたこともあるし、男という生き物が、彩夏が成長するにつれ理解しがたいものになっていた。


「……お前がつけているペンダントさ。優夏さんのだろ?」 ああ、これと彩夏はハート型ペンダントをいじった。そのペンダントは、幾つもの星型に象った宝石で装飾されている。


「うん、そうだよ。最後に帰省してきた時に誕生日祝いでお姉ちゃんから貰ったの」


「……よく似合ってるな」

「そう?」


「うん。可愛らしいよ」


 思わぬ一言に彩夏の足が止まった。

 朴念仁。木石。無愛想。

 変人として知られる幼馴染から、こんな人情味のある台詞がでてくるとは思えなかった。現金なもので、さきほど浮かんだ不満もどこかに消え去り、喜悦に似た感情が生まれていた。

 

 どうしたと尋ねる拓真に、彩夏は何でもないよと微笑み、再び足を進めた。嬉しくなって足取りも軽い。

 正福寺の墓地へは門から入って、本堂がある庭を横切って通り抜けなければならない。


 寺には住職とその家族が住んでいるはずで、悪天候のためか、玄関に灯りがついていたが、しんと静まり返っていた。玄関の前に白い軽自動車が一台止まっている。


 どこにでもある軽自動車なのに、何となく目をとめたのは車両ナンバーが、この地域では滅多に見られない『千葉』ナンバーだからだと後で気づいた。


 拓真たちを無言で出迎える墓石たちは、雨でしっとりと濡れていて、一本だけ立てられた街灯から届く僅かな光に控えめな反射をみせていた。


 二人は『浦部家之墓』と刻まれた墓石の前に並んだ。


「お姉ちゃん、来たよ。たしか、去年も雨だったよね。この時期じゃ仕方ないか」


 彩夏は語りかけるように墓石の前にしゃがみこんだ。拓真も彩夏に倣い、袋から線香とライターを取り出した。


「今日はタっくんと一緒なんだ」


「……」


 隣で拓真は黙ってライターで火をつける。


「もう二年になるね。そっちはどう?私達はやっと落ち着いてきたかな?というとこ。まだ、変な目で見る人がいるけど……」


「……」


「お姉ちゃんも、そっちでお父さんやお母さんたちと賑やかにくらしているよね?」


 会いたいなと呟いてから、彩夏はそっと俯いた。太陽のように明るく、名前の通りに優しく美しかった姉。自分の家族を事故で失ってから姉は変わってしまった。


「稔さんや杏奈ちゃんもいるから、とても賑やかなんだろうな。でもさ、こっちはこっちで頑張るからお姉ちゃんも安心しててよ?」

そこまで言った時、不意に拓真が立ち上がった。彩夏たちが歩いて来た方向に鋭い視線を向けている。

 拓真の表情は強張っていて、思わず彩夏も立ち上がり、拓真の向ける視線の先を見つめた。


 なんだあいつらと拓真は呟いた。その声には警戒の色がある。

 左手だけに革手袋をはめたスーツ姿の若い男と、その傍らに男と同様にスーツ姿の女の子を連れている。傘に隠れて顔まではわからないが女の子だと思ったのは、傘の下から金色の髪が両脇から垂れさがっているからだった。


「あいつら、知り合いか?」


「ううん、知らない人」


 男は背が高く、優しげな顔をし、どこかさびしげな雰囲気を醸し出していた。

 男たちはゆっくりとした足取りで近づき、彩夏から数メートル離れた距離で立ち止まった。


「浦部……、彩夏さんかな?」


「……はい」


 男は内側のポケットから手帳用のものを取り出しそれを開いた。すると、ホログラフの画像が浮かび上がり、男の顔写真と所属名、名前等が表記されて映し出される。右上の隅に淡い青地に白い図柄で描かれた世界地図を示す国連の旗があった。「ええと、国連日本支局から派遣された国連特別調査官の稲葉耕介と言います」


と男はたどたどしい口調で名乗った。


「少し君に聞きたいことがあってね。ちょっと調べていたら、今日ここに来くるという話を聞いてね。先に住職さんと話をしたんだけど、長話につきあわされてさ。終わるまでに随分と時間が掛かった」


 最後はぼやきに似た声となり、おどけて苦笑混じりに肩をすくめると、つられて彩夏も微笑んだ。

 悪い人ではないのかなと彩夏の直感がそう告げていた。


「……それで、どういったご用件でしょうか?」


「君のお姉さん。斎藤優夏さんがジ・アークの人体実験に携わっていたのは、君も良く知っているよね?」


「……はい」

 彩夏の中に強い緊張が奔った。


「ジ・アークの残党がこの神林市に潜伏して、君を狙っているという情報が入ったんだ」


「私を、ですか?どうして?」


「こちらもそれが知りたい。君は、優香さんの妹だろ?何か心当りないかな?」


「……いいえ」


 彩夏は大きく首を振った。この二年余り、『ジ・アークの関係者』というだけで犯罪者のレッテルを貼られ、一日を小心翼々と過ごすばかりで、ジ・アークなんて聞きたくも関わりたくもなかった。両親もそのために心労で死んでしまったのに。


「些細なことでもいい。君に対して接触してくる人間とかいないかな?」


「……」「……もういいでしょう。俺達にはもうジ・アークなんて昔の話なんですよ。それにアンタ、今日は家族にとって大切な命日なんです。それわかってます?」


「ええと、君は?」


「こいつ……、浦部彩夏の友人です」


 拓真が耕介に睨みつけるようにして詰め寄った。耕介は拓真の視線を真正面から受け止めていたが、やがて小さく頷き悪かったなと謝った。


「邪魔するつもりはなかったんだが、アークが関わっている以上、きちんと調べないといけないから」


 耕介は懐から煙草を取り出しながら言った。


「……ここ、禁煙すよ」

拓真が示した先に、『禁煙』と書かれた看板が掲げられている。あららと呟いて耕介は咥えた煙草を内ポケットに戻した。


「どこでも禁煙で、喫煙者には肩身が狭いよな?」


「俺、煙草なんて吸わないから」


 突き放すような口調で拓真が言った。

 拓真は先ほどからずっと耕介を睨みつけている。耕介が疑問に思うのは、その眼には行事に外部の人間が割り込んできた不快さではなく、明らかに敵意が含まれていることだった。


 見覚えがあるが何だっただろうかと、泡のように頼りない記憶がぽかりと浮かんだが、思い当たらないまま、泡のように弾けて消えてしまった。


「そういうわけで、これから、俺とこいつが君の警護がつくことになる。ちょっと窮屈に思うかもしれないけど、出来るだけ目立たないようにするから。しばらくの間は我慢して欲しいんだ」


 ほら、挨拶しなと耕介が後方に控えていた金髪の少女を促すと、彼女は静かに彩夏の前に立ち、たどたどしい口調で挨拶をした。


「助手のアンナ・クローデル……です」


 彩夏はアンナという名前を聞いて引っ掛かりを覚え、次に傘を上げて現れた女の顔を見て、思わず声を上げそうになった。


「どうかした?」


 彩夏の仰天した顔を見て、耕介が表向きは怪訝そうに尋ねた。


 「いえ……。名前が姉の子と同じ名前なのもそうですけど……。顔も瓜二つだったからびっくりしちゃって」


 「〝斎藤杏奈〟か。資料を読んで俺も驚いたよ。ここまで似ているなんてそう無いよな」


 耕介はあっけらかんとして言ったが、内心では冷や汗をかいている。アンナが彩夏と接触すればこのような反応が返ってくると予想していたから、機先を制して誤魔化すしかないと考えていた。効き目があったのか、彩夏は自らに起きた現象について、自分を納得させる方向へと考えを向けていた。


「そうですよね。アンナちゃん。生きてもまだ一〇歳にもならないはずだし。彼女、どうみてもじゅうし……」


「……はたち。私、二〇歳」

 突然、アンナが口を挟んだ。表情は変わらないものの、声には珍しく不機嫌な響きがあった。

手には運転免許証をかざしている。


「私の名はアンナ・クローデル。名前は外国人でも一応日本人。住居は千葉県四街道市。二年前から稲葉耕介探偵事務所で助手を務めている。時給八〇〇円賄いつき。名前は被っていても、あなたが考えている斎藤杏奈とは全くの別人」


 先ほどまで人形のように佇んでいた女の子が、人が変わったようにムキになって自己紹介を始めたのには彩夏も面食らってしまった。

 わざわざ運転免許証を見せつけてきたのにも閉口したが、彩夏が慌てて謝るとアンナは憑きものが落ちたように、とたんに無口になって耕介の後ろに下がっていった。

 ――変わった子だな。


 二〇歳とはいっても彩夏より二つ年下だし、何か駄々をこねる妹と接しているようなほほえましい気分になれた。さきほど湧いた妄想にも似た疑念は既に消えさり、自分でも馬鹿な考えをしたものだという淡い後悔と、アンナという女の子に対する親近感だけが残った。


 耕介の左目に内蔵されたセンサーで確認しても、彩夏の心拍数は平常値に戻っている。どうやら落着いたようだと耕介は安堵した。

 アンナが二〇歳かどうかは、実際のところ耕介にもよくわからない。


 ただ、アンナが強制培養によりこの世に生まれた際、担当した研究者からは、一六歳相当の身体年齢という診断結果がでていたという。誕生してから四年経過している。


 アンナ曰く、「そういう設定」と表現した言葉を信じておくしかなかった。 

 どことなく和やかな空気が三人から生まれていたが、ただ一人、近くでじっと耳を傾けていた拓真だけは厳しい目で耕介を睨みつけていた。


「あんた、〝探偵〟なの?確か国連から派遣されたとか言っていたよな?」


「本業は探偵。これはアルバイトみたいなものだよ」

 耕介がそう言うと、何かを察したらしく拓真の眼の奥がキラリと光った。


「あんた予備役……、元イーグル・ファイブか何かか」


「よく知っているな」


 そんなもんネット見りゃ、誰だって知っていると、拓真は吐き捨てるように呟いた。呼吸も荒くなり心拍数、体温がさらに上昇するのを、左目のセンサーが感知していた。もっとも、センサーに頼らなくても拓真の憎悪に満ちた表情を見れば一目でわかる。


「もう帰れよ。俺達に構うな」


「構うなというわけにはいかないけど、君たちの邪魔にならないようにしておくよ。今日は本部で打ち合わせがあってこっちにつけないから、警察の人が警護につくけど、明日からよろしくね」

 そう言って耕介は手を上げると、アンナを促して去っていった。途中、アンナがぬかるみに足をとられて転びそうになり、慌てて耕介が両手で支える光景が映った。


「ち、人殺し野郎が」


「ちょっと、やめなよ」


 拓真のわざと聞えるような声に、彩夏はたしなめるように言った。拓真は昔から体制というものに強い反感を抱いていて、特にイーグル・ファイブに関しては親の敵のように憎んでいる。

 拓真の両親は健在だというのに。

 拓真の口はそのためにとっておいたかのように悪態をつき続けている。


 「国連から派遣されたなんて聞いた時から嫌な予感がしてたんだ。あいつら、戦争を商売にしている人殺しの仲間じゃねえか。ムカつくぜ」


「でも、あの人は悪そうには見えないでしょ?」


 アンナが転びかけた時の耕介の表情が頭に過っていた。慈しむと言うべきか、いたわりと表現したほうが良いのか。二人はかなり親密な間柄なんだろうなと、彩夏は羨ましく思った。


「一緒さ。どいつもこいつも。人殺しの仲間なんてみんなクソさ」


「……それじゃあ。お姉ちゃんの妹の私も、一緒なんだね」


「いや、お前は違うだろ。あいつは……」


「タっくんの目つき。私に白い目を向ける人達に良く似てる。口では誰も言ってこないけど、そんな目をしてる」


「……」


 彩夏の言わんとする意味に気がつき、そこで拓真は漸く口をつぐんだ。


「タっくん。

珍しく喋るのは良いけど、それならもっと前向きで明るい話をしようよ」


 彩夏は溜息をつくと、墓の周りに生えた小さな雑草を抜きはじめた。その後ろで、拓真はうなだれるようにしてしばらく佇んでいたが、やがて漫然とした動作で彩夏の横にしゃがみ込み、無言で雑草を抜き始めた。


 ごめんなと拓真は小さく呟いた。

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