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依頼

 雨は一旦治まったものの重苦しく黒い雲はそのままで、いつ降り始めてもおかしくないような空模様だった。


 稲葉耕介はロビーを出ると、後ろを振り返り、先ほど出てきた巨大な建物を見上げる。〝辰己市民病院〟という看板が目に入ると、思わず小さく吐息が洩れた。


「あの患者さんのことなんですけど……」


 面会を終え、病室から出て来た耕介に病院の担当医が近づき、声を潜めて言った。彼が苦情を申し立てようとしているのは、苦り切った表情からも明らかだった。


 酒を飲むのだと医師は言った。


「大人しく暴れない方ですから、こちらも我慢していますけど、こうも注意を無視されては医者としての面子に関わります。

こうしたことが続くようであれば、国からお金をいただいているとはいえ、面倒を見切れません。改める様子がなければ、退院または転院していただくよう考えてもらいたいのですが……」


 耕介は深いため息をつくと、懐から煙草を取り出した。口にくわえて火をつけようとしたところ、不意に横から白く細い指が伸びて、煙草を取り上げた。


 見ると、いつの間にか隣にアンナが立っている。


「おい、何すんだよ」


「タバコ、身体によくない」


「いいだろ、一本くらい」

「入る前にも、そう言って一箱分吸っていた。既に普段の吸引量を大幅に超えている。……これ以上は、あなたの健康に悪影響を及ぼす」


機械的な口調でアンナが言った。

 普段は気にならないアンナの口調が、どういうわけか癇にさわった。


「ご忠告は有難いけどさ。煙草一本で悪影響つうのに、いまさら関係ないだろ。こんなの」


「……」


 乱暴な口調で耕介はアンナから煙草を奪い返して火をつけた。視線を感じ、ちらりと横を見ると、アンナの瞳と正面からぶつかった。


「なんだよ?俺にも色々としがらみがあるんだからさ。これくらい好きにさせてくれねえか?」


「……でも」


「でもじゃねえよ。こんな身体でも俺の身体だ。お前に関係あるのか?」


 いつもなら耕介はこんな突き放した返しをしない。笑って誤魔化し、おどけてアンナの忠告に従うだけだ。

だが、今日は気分がささくれ立っていた。

仮面を思わせる感情の無いアンナの顔に微かな動揺がはしった。


 細い眉を僅かにひそめ、大きな瞳が揺れている。といっても、ここ数年のつきあいで漸く分かるようになったレベルで、他人が見れば、表情の変化など全く気がつかないほどだったが。

「……ゴメン。でも、心配」


 蚊の鳴くような声で呟くと、アンナは悄然と顔を伏せた。

 そんなアンナの姿を見て、言いすぎだったと耕介は後悔した。


「いや、俺の方が悪かった。ゴメン」


 耕介は煙草を急いでもみ消しながら、アンナに向かって頭を下げた。傷つけるつもりはなかったが、

苛立ちのまま流した言葉の幾つかがアンナの心を傷つけてしまった。


 まだ俯いているアンナの頭を撫でると、アンナはそっと寄り添ってきた。

帰ろうと言って、耕介はアンナを促し、傘を差しながら病院の軒下を出た。


 今日は戦友の見舞いのために病院へと訪れたわけだが、その親しい友人の容体も評判も芳しくない。

 かつてイーグル・ファイブの一員〝ホワイトイーグル〟として活躍していた三枝智明は、戦後となった今では、あわれなアル中患者として病院のベッドで横たわっていた。


 耕介の問いに一応の受け答えはするものの、三枝からは無気力で悲観的な回答しか返ってこない。


 原因は耕介にもわかっている。

 三枝は秘密結社ジ・アークとの闘いの最中、恋人を失っている。

 それでも戦争中は復讐心だけで闘えたのだが、組織が壊滅した今、三枝は目標を失ってしまった。死んだ恋人を嘆き悼んで死ぬ決意もできず、残された方法は酒に逃げることだった。政府が手配して三枝にカウンセリングも受けさせているが、これといった効果が見られないまま時間だけが経過しているのが現状だった。


 迷惑行為までには及んでないから良いようなものの、状況によっては、国が負担している補助金や支援が最悪、打ち切られる可能性もある。どうしたものかと思案していると、突然、ズボンのポケットから騒々しい音楽が流れ始めた。


 普段はマナーモードにしているのだが、携帯の電源を落として解除になっていることをすっかり忘れていたらしい。慌ててポケットから携帯を取り出して、けたたましい音を周囲に撒き散らす着信音を中断した。

 名前を確認すると、「的場彰」という名前が、無機質な字体で表記されている。

 電話を繋ぐと、電話口の向こうから繋がった繋がったと無邪気を通り越して、間抜けとすら思えるような陽気な男の声が聞こえてくる。


『繋がらないから探したよ、コウちゃん。まだ、病院か?』


「ああ、そうだよ。そっちは用件終わったのか?お前、今どこ?」


 三枝の件は、二人の間で頻繁に交わされる話題の一つなので、〝病院〟と言えばそれだけで通じる。


 昨日の的場からの電話は、急用ができて遅れる旨の連絡だった。詳細は語らなかったが、口ぶりからは深刻な様子が窺えた。


『もうすぐそっちに着くんだけどさ。今、どの辺り?』


「駐車場に向かってるとこ。前に止めたとこと言ったらわかるか?」


『わかった。そっち行くわ。渡したいものあるし』


「渡したいもの?昨日も言ってたが何だ?」


 だが、耕介の質問に答えないまま、既に的場は電話を切ってしまっていた。

 携帯から漏れる無愛想な不通音を聞きながら、せっかちな奴だと舌打ちして耕介は携帯をポケットにしまい込んだ。

 的場彰もイーグル・ファイブの一員で、かつては〝ブルーイーグル〟と呼ばれていた。


 耕介含めた他のメンバーと違い、彼だけはまだ現役の隊員で、昇格して現在は〝レッドイーグル〟としてチームの隊長を務めている。

 耕介とアンナは病院のロータリーを抜けてそのまま大通りを渡った。向かいに薬局が建っていて、その薬局の左側に駐車場の出入り口がある。歩行者用通路を抜け、一番奥に耕介の使用している軽の乗用車が駐車しているはずだが、その隣には一台の豪奢な外国車が止まっていて、車の脇にスーツ姿の長身の男が立っていた。


 そのシルエットから遠目でも厚みがあり、鍛え上げられた精悍な身体だとはっきりとわかる。

 ようと爽やかに片手を上げて的場彰は耕介に軽く挨拶をすると、隣に立っているアンナに向かってニコリと微笑んだ。


「やあやあ、アンナちゃん」


 大袈裟に声を掛ける的場に対してアンナはそっけなく、無言のまま小さく頷いた。無愛想な挨拶に慣れている的場は大して気にせず、そのまま耕介に顔を戻した。


「サエは相変わらずか?」

「相変わらずだし……、先生から小言を言われた」


 耕介はさきほど医師に言われた内容を的場に話した。聞き終えると、的場の表情は曇りがちになっていた。

 耕介、的場、三枝の三人は同期なだけでなく、自衛隊や警官出身ばかりな他の隊員と異なり、民間人からイーグル・ファイブに直接採用された男たちである。

 的場が最年長で、次に三枝、最年少の耕介とは五つもの年齢差があったが彼らの関係には格別のものがあった。


「あいつ、親戚いたっけ?」


 的場が黒い雲の広がる空を見上げながら言った。


「いや、北海道に遠い親戚がいるだけだ。確認したら、向こうが『そんな親戚がいるのか』と驚いていたよ」


 そうかと言って的場は目を伏せた。天涯孤独なのは的場も耕介も同じで、的場も家庭に飢えて一度は結婚したものの、結局は上手くいかずに去年離婚している。

他人ごとではないといった顔つきだった。


「ところで、お前の渡したいものて何?」


 耕介が尋ねると、的場は夢から覚めたような表情をし、そうそうと呟いて車内からアルミ製のアタッシュケースを持ち出し、ボンネットにケースを置くと、中からA3判サイズの封筒を取り出した。


「ウチの局長からブラックイーグルにご依頼だ。ケースの中に〝国連特別調査官″の手帳とバッジ、他に変身用のチップも入っている。あとで確認してくれ。変身コードは以前のまま音声入力にしてあるから」


「コクレントクベツチョウサカン?と間の抜けた声で耕介が返した。


「何それ。〝コクトク″と何か違うのか?」


「予備役のコウちゃんのために特別に用意した役職なんだよ。ジ・アーク残党の事実確認を調査する、つう名目でウチらが急いで用意した。権限はコクトクに近いけど」


「俺の立場で、そんなこと急に言われても困るんだけど……」


 耕介は的場と封筒を交互に見比べながら怪訝な表情を浮かべた。現役時代でも目の前にいる敵を叩きのめす任務がほとんどであったし、〝コクトク″のような地道で陰気で胡散臭い捜査などしたことがない。それに準備も予備役でしか無い自分に、いちいち大袈裟ではないかと思っていた。


 そんな耕介を見抜いたように的場は肩をすくめて苦笑いし、とりあえず資料に目を通してくれと押しつけるように封筒を手渡した。


「今回、ちょっと事情があるんだ」


 的場が申し訳なさそうに言うと、耕介は傍らに佇むアンナを振りかえり、お前は車で待っていろと指示すると、アンナは無言で頷いて静かに軽自動車に乗り込んでいった。耕介はそこまで見送ると再び的場に向き直った。


「随分と慌ただしそうだな。何が起きた」


「昨日、うちの支局に三つの情報が入ってね。ジ・アークの残党どもが羽田空港と大阪にテロ攻撃を仕掛けるというのと、神林市にジ・アークの連中が潜んでいて、さっき渡した資料の人物を狙っているという情報だ。何故狙うかはまだわからん」


「……」


 耕介は的場に言われた通り、封を開けると、資料の右上の隅に『部外秘』と大仰な印の押された、ぶ厚い書類の束を取り出した。


「それにしても、今どき、紙の資料かよ」


「パソコンはトラブル起しやすいし、セキュリティが紙以上にデリケートなんだよ。ウチが扱う情報は国家機密レベルばかりなんだから、外部に持ち出すのも大変なの知ってるだろ。それにコウちゃん、パソコンなんて単純な打ち込み作業以外、ロクに扱えねえじゃん。トラブル起きても、警察御用達の業者程度じゃ追いつかねえよ?コウちゃん、対応できるの?」


「まあ……、ねえ……」


 余計な話をしてしまったと、いささか後悔しながら耕介は資料をめくり始めた。ページが進むごとに、耕介の表情が次第に強張っていく。的場に覚られないよう気をつけながら、読み終えると口を真一文字に結んで顔を上げた。


 アンナがこの件を知ればどう思うだろうか。


「これが俺の任務か?」


 任務の概要は、対象者の警護と情報の事実確認の解明となっている。

 地味な仕事は探偵で慣れているし、難しい任務ではないように思えたが、耕介の頭の中には自分の立場も引っ掛かっている。


「今回の情報のなかじゃ、一番緊急性がないからな。他二つは大掛かりな捜査活動になるだろうし、最悪の場合、大規模な戦闘も覚悟しなきゃいかん。そういうわけで、三つ目にはどうしても人員が割けないんだ」


「予備役隊員の役目は本来、隊員のバックアップだろ。こういうのは〝コクトク〟の連中がやるんじゃないの?」


「国特は人数を大阪と羽田に集中させている。それに連中も連中で、子守りみたいな手柄にならない仕事はやりたがらん。だからコウちゃんに特別な役職を設けたんだよ」


「……それ、単に職務怠慢だろ」


 国連特殊調査課。

 通称、『国特コクトク』と呼ばれる国連日本支局にある部署のひとつだが、イーグル・ファイブが実動部隊なのに対して、国特は主に捜査機関としてジ・アークの残党を追っている。どちらも〝ジ・アークせん滅″を目的として、場合によっては警察自衛隊を指揮するほどの強大な権限を有しているのだが、耕介の言葉に否定的な響きが含まれているように、世間のみならず仲間内からもどこか胡散臭く暗い印象を持たれている。


「せめてもう一人欲しいな。東さんは無理なのか?」

「今のところ予備役には組まれている。だけど戦力としては当てにはならん。真田さんが生きていたら、あの人にお願いするところだけど」


 かつて〝イエローイーグル〟を務めた真田信吾はジ・アークとの闘いで死んでいる。

〝レッドイーグル〟としてリーダーを務めた東義久は、田舎の町で喫茶店を経営している。予備役として登録されていたが、戦争で受けた心の傷は大きく、戦後になってからというもの、かつての輝きは失せていた。


「林さんや山本さんは?」

 耕介は、かつて西日本地区を担当していた元『イーグル・ファイブ』大阪支局や博多支局のメンバーの名を挙げた。共に警察官で、現在はそれぞれ警視や警視正といった階級で機動隊の大隊長や管理官といった役職に就いている。本業でしがない探偵をやっている耕介よりは、いろいろと連携がとりやすいはずだ。


「コウちゃんには悪いけど、現地に詳しいから、こっちに加わってもらうことにした。まだ、ジ・アークと闘っているころなら、海外からも応援頼めたんだろうけど、今はそれも難しくなっているし……。まあ、万が一を考えた場合、警護役なら他の予備役よりもコウちゃんほうが良いと思ってさ」


 イーグル・ファイブはかつて全世界で数百名、日本だけでも東京と大阪、博多と各五人編成の部隊が配置されていたが、戦後になってから各国の協定により人員が大幅に削減され、現在、稼働が可能な現役隊員は、的場を含めた五名のみとなる。


 それを東と西に分けるのは的場にしても苦渋の決断だろう。他二つに比べて、緊急性も信憑性も薄そうな三つ目の情報に耕介をあてるのは妥当だと思えた。「情報の真偽はわからんが、放っておくわけにもいかないし、念のためだよ。向こうの県警本部や現地の警察署には協力を依頼してある。主な捜査は向こうがやってくれるから、コウちゃんは警護に専念してくれよ。不安な気持ちはわかるけど、頼めるのはコウちゃんだけなんだ」


 そこまで言われては、これ以上、断れそうな理由が見つからなかった。退役してもこれまでの訓練や任務で培ってきた固い倫理観や責任感が耕介のなかに色濃く残っている。


 わかったよと溜息まじりに答えるしかなかった。


「その代わり、こちらの要望を一つ、聞いてもらえるか?」


「何だ?」

 と的場が聞き返すと、耕介は親指を立てて車で待機しているアンナを指した。


「助手がどうしても必要だ。だから、あいつを連れて行きたい」


「あの子、それこそ民間人だろ?」


「でも、俺には助手が必要なんだ」


 的場は渋い顔をつくってしばらくアンナと耕介を見比べていたが、不意に顔を和ませた。


「わかったよ。許可する。かわいい嫁さんと離れ離れになるのはつらいもんな」


「おい、おまえ……!」

 的場にからかわれて、耕介の顔が、みるみるうちに朱に染まっていく。

 

 稲葉耕介はもう二十五歳になるというのに、幼い頃から剣道一筋だったせいか、女性関係には初心なところがある。からかわれると、どうやって上手く返したらいいか未だによくわかっていなかった。


「まあ、警護だけなら〝デッドマン〟のコウちゃんで大丈夫だろうけど」


「その呼び方て変更出来ないのか」


「無理無理。コウちゃん、それで登録されてあるから」


「……その通称、死ぬほど嫌なんだけど。隊員を区分けするのに必要なのはわかるけど、幾らなんでもデッドマンはねえだろ」


「そうかい?不死身の男て感じがして、コウちゃんにはぴったりだと思うけどなあ」


「……不死身つうか、死んでるじゃん。思うんだけど、その通称て誰が決めたの」


「みんなのイメージじゃないの」

 的場は〝ジェネラル〟という通称を持っている。将軍と死者という言いようのない不公平感に釈然としないものがあったが、これ以上文句を垂れても仕方が無いと思い、ムスッとしたまま持っていた資料を軽く上げた。


「じゃあな。よろしく頼むよ」


 的場は手を振りながら身体を病院へと向けて歩き出した。遠ざかる的場の背中が建物の影に隠れるまで見送った後、耕介は〝デッドマン〟かと小さく呟いた。

 耕介は自分がそう呼ばれる理由をなんとなくわかっている。だが、イメージが定着してしまった公的な通称名となってしまった今、嫌だと声高に叫んでも無意味なことではあった。

耕介はもういちど溜息をついて車に乗り込むと、窓の外を眺めているアンナに目を通しておけと資料を手渡した。


「……」


 アンナは資料を読み終えるまで終始無言だった。だが、資料の内容に驚いている様子は、隣から充分に伝わって来る。


「……浦部彩夏」


「そう。本来なら、お前の叔母さんにあたる人。そして今回、俺達の警護対象者だ」


 何の因果だろうかと、耕介はシートに埋めるようにしてもたれかかった。


「手伝ってくれるか?的場には許可をもらってある」

「……うん。私も、会ってみたい」


 資料の一枚にはある写真が添付されている。

 女児を挟んで左側には制服姿の快活そうな女の子。 〝浦部彩夏〟と資料には記され、赤い丸が彼女の顔を囲んでいる。そして右側には、落着いた雰囲気のある女性の姿。そして真ん中には生後間もないと思われる女の子が映っている。


 髪の色や瞳の色も日本人らしく黒く輝いている。だが、幼い顔付きではあったが、よく見ればアンナ・クローデルと瓜二つの女の子が、そこに映っていた。


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