酔人たち
稲葉耕介が子猫とアンナ・クローデルの話を終えると、カウンター席の隣では的場彰が仲良いんだな、とジョッキを傾けた。
「四六時中、ずっと構ってんだもん。仕事はちゃんとこなしてるから、いいんだけどさ」
耕介は赤ん坊をあやすように、なにかと子猫に気を配るアンナの様子を思い出すと、可笑しそうに笑って自分のジョッキに手を伸ばした。
「仲良いてのは子猫の話じゃないよ」
「じゃあ、何よ」
「アンナちゃんとお前が仲良いなと言ってんの」
「俺たちが?」
「ウチの場合、意見が対立することあったら大喧嘩で、2、3日は口もきかなかったから。店晒しの状態で放置。やっと話すと思ったら、問題ぶり返してまた喧嘩だ」
「……」
「俺らと違って、お前らはそこんとこ上手くやってんな、と思ってさ」
的場はジョッキを煽って残ったビールを飲み干すと、近くを通りかかった店員にビールを注文した。
入店してから一時間。的場と耕介の顔は、既に酔いで真っ赤になっていた。
耕介は的場に用件があると、錦糸町駅前の居酒屋チェーン“鳥善”まで呼び出されていた。
呼び出されたといっても、電話でいつもの気さくなノリのまま誘われただけなのだが、的場の用件がジ・アーク残党狩りのため、予備役の耕介に出動要請しにきたことは、耕介にも察しがついている。
的場は耕介に依頼するような事案があると、打ち合わせと称して酒場に繰り出す。電話で済むことなのだが、的場から言わせれば、こうでも名目をつくらないと、心おきなく酒を飲む機会がないらしい。
耕介にしても、戦友と久しぶりに飲む酒である。本題はまだ口にしたくない気分で、よもやま話を楽しんでいたい。
だが、今夜は少し湿った話になりそうだと耕介は思った。
「俺はあいつに、妥協することができなかった」
的場はマグロの刺身をひときれ、口に放り込んだ。 先ほどから口にしているあいつとは、的場と別れた元妻のことである。
「あそこが俺の帰る場所だったのに、俺は自分の理想を押しつけてばかりいたし、あいつも自分の理想があって、決して許そうとしなかった」
「……」
「同質の硬いもの同士がぶつかれば、片方は壊れるし、もうひとつだって無事じゃすまない。どこかで避けたり退いたりすれば互いに傷つくことなんてしなかっただろうが……」
的場は注文したビールが届くと、息をつく間もなく、一気に半分は飲んだ。
「奥さんに未練があるのか」
「いや、あいつには未練はない。俺が不安なのは今後のことだ」
「今後?」
「次の嫁さんが欲しくても、同じことを繰り返してしまう。わかるんだ。俺には自分の世界があって、どうしても入り込んでもらいたくないし、そこに関わることは妥協できない」
「……」
「だから、折り合いつけて、のろけ話にできるコウちゃんとアンナちゃんが羨ましいよ」
的場はジョッキを煽って飲み干すと、また近くの店員にお姉さんウィスキーと声を張った。離婚した妻の話になってから、的場の感情に火がついたらしく、いつもより酔いがまわるのが早いようだった。
「なあ、コウちゃん。こうなったらこの後、久しぶりに風俗行かねえ?良い店知ってんだよ」
「それより的場。依頼の件はなんだ」
ばれたらアンナが怖いし、酔いつぶれて忘れないうちに話を聞いておいた方がよさそうだと思い、耕介が本題に入ると、的場は酔眼を耕介に向けたまま、きょとんとしている。
「ほら、今日呼び出したのはイーグル・ファイブの件だと言ってただろ」
「ああ、あれか。訓練だ訓練」
的場は手を振りながら、店員が持ってきたウィスキーをさっそくすすり始めた。
「来週の月曜に、羽田空港に米軍のリブ・フライヤー国防長官が来日してうちのイーグル・ファイブの基地も訪問して訓練を視察する予定なんだけど、リブ国防長官て、覚えてるか」
「どっかで耳にした気がする」
そう言いながらも、耕介は首をひねった。
直接は会ったことないはずだよと、的場は苦笑いした。
「アメリカ軍の鬼大将。やかまし屋。昔、軍の会見でイーグル・ファイブを“ビーグル・ファイブ”て揶揄して、ニュースになった海軍大将がいたろう」
「ああ、あの偏屈そうなおやじ」
耕介の脳裏には、赤ら顔に気難しい白髪の男が浮かんでいる。固く結んだ口元と鋭い目元は、いかにも頑固そうだったことを覚えている。
耕介はリブ・フライヤーなる人物をニュース映像でしか知らない。見たのは四年前。
まだ耕介が現役隊員だった頃で、リブは海軍大将だった。当時、イーグル・ファイブアメリカ支局は対ジ・アークに戦果を挙げられず予算を食い潰している状況だった。
恥にも感じていたのだろう業を煮やしたリブ大将は、ある会見の席でイーグル・ファイブを痛烈に批判したのだった。“ビーグル・ファイブ”という揶揄したのもその会見で、リブの発言は瞬く間に世界に伝えられた。その火消しに軍や政府も大慌てというが、リブ本人はどこふく風といった様子だったという。
会見そのものは一方的で、偏った内容に閉口させられたものだが、怪気炎をあげ真っ赤な顔をしてまくし立てる様は、確かに鬼の異名に相応しいと思った記憶はある。
耕介の偏屈おやじという表現に、的場は噴き出しそうになって慌てて周囲を見渡した。耕介たちがいる位置は、店の奥のカウンター席である。行き止まりで後ろには壁があるだけだし、不審な人間を見極めるには絶好の場所だった。店内は酔客で賑わっており、耕介たちの周辺も会社帰りのサラリーマンや学生がそれぞれ騒いでいるだけで、こちらを気にしている様子はない。
的場は耕介に届く程度に声を落として、話を戻した。
「その偏屈な大将、今は国防長官が来週の月曜日に来日する。政府要人に会うのが主な目的だが、うちらの訓練も視察することになっている。その訓練にコウちゃんも出て欲しいんだ」
「別に俺じゃなくても、現役隊員がいるんじゃないの」
「向こうからのご指名なんだよ」
「向こうからのて、国防長官からのか?なんでまた」
「そりゃ、ブラック・イーグル“デッドマン”は我らがイーグル・ファイブに関わる上で、耳にしないやつはいないから。来日ついでに一度は見とこうと思ったんじゃない?」
「……俺は動物園の珍獣じゃねえんだからよ」
「いやあ、動物園よりもコウちゃんは珍しいと思うぜ。動物園には“デッドマン”なんていないから」
「……」
憮然として、耕介はジョッキを煽った。割り勘のつもりでいたが、今の的場の頼み方が癪に触り、全部奢らせてやろうと心に決めている。
「……今回、手当ての他に指名料て出るの?」
「まさか。いつもの訓練義務日と同じ手当てに決まっているじゃん」
予備役は月に2度、国連技術研究所に集まり、体力測定や射撃訓練、義肢の者にはメンテナンス等行っている。訓練は予備役の義務となっているのだが、手当ては日当八千円で昼飯も交通費も出ない。
耕介は忌々しげに、枝豆を次々と口のなかにいれ、リスのように頬を膨らませながら、「お姉さん、ビール!」と口先を器用に使って怒鳴った。
※ ※ ※
自宅兼事務所に戻ったのは日が深夜零時を過ぎてからで、耕介は慎重な手つきで扉をそっと開けた。
「おかえり」
暗闇のなかからアンナの声が聞こえ、目を凝らすと私室から出てくる、アンナらしき影が見えた。ブラインドの隙間から差し込むわずかな光が、おぼろげにアンナのパジャマ姿を浮かびあがらせている。
「ごめん。灯りつけるとあの子、起きちゃうから」
「いいよ。子猫は元気か」
「うん。あの子、とっても甘えん坊」
静寂な闇の中で語るアンナの言葉には、どこか嬉しそうな響きが含まれている。表情が見えにくいだけに、わずかな変化でもありありと伝わってくるようだった。
――あの子か。
子猫をそう呼ぶアンナの心情を想像すると、チクリと胸を刺してくるものがあった。だが、今は酔っている。感情に任せたまま何を口にしてしまうかわからない。考えるのをよそうと、軽く頭を振りながら扉を閉めた。
耕介は事務所に入ると、ソファーに座り大きく息を吐いた。自宅に戻って気が緩んだのか、これまで我慢していた酔いと疲れが一気に出たような感覚に襲われている。
「それで、的場彰の要件、何?」
「来週の月曜、アメリカの偉いさんが訓練視察に来るから、出席しろって」
「そう。危険な任務ではなさそうね」
アンナの安堵した息が暗闇のなかで、ひっそりと聞こえた。興味本位から尋ねたのではなく、耕介の身を案じてのものであるくらいは耕介にもわかっている。
「それと子猫の飼い主、的場にも頼んだ。職場に数人心当たりあるらしいから、意外と早く見つかるかもな」
「……そう」
先程の安堵と声とは打って変わって、アンナの声が沈んでいる。アンナは耕介に近づくと、無言のまま耕介の隣に座った。風呂からあがって間がないのか、シャンプーの香りがした。
「約束だからな」
酔った感情に押し流されまいとするつもりで口にした言葉は、耕介自身でさえも素っ気なく冷たいように感じた。しまったと後悔して、耕介は隣のアンナを見た。
アンナは目を伏せたまま、じっとしている。長い沈黙の後、アンナはウンと一言だけ呟き、頭をそっと耕介の肩に乗せてきた。




