アフターアフターその2〜この子どこの子
いつものスーパーからの帰り道。
アンナ・クローデルは車両の通りが多い県道を避けて、人気の少ない住宅地を買い物袋を下げて歩いていた。このルートだと少し遠回りになるが、静かで気分転換にちょうどいい。
どこの家からか、香ばしい匂いが漂ってくる。サンマが焼ける匂いだとアンナは思った。
――考えることはどこも同じ。
今日はサンマが安かったので、買い物袋には購入したサンマ四匹が入っている。他には晩酌用のビールが数本入っていた。サンマは塩焼きにして、惣菜は冷蔵庫に余り物をおかずに使うつもりでいる。
――今夜はどこの家庭も、サンマの塩焼きに余り物のしているかもしれない。
そんな他愛もない想像をしている自分がおかしくて、次第に気分も弾んでくると、ビール缶が入っているのもつい忘れ、表情だけは変えないまま買い物袋を大きく振りながら通りを歩いていた。
「アンナお姉ちゃん」
途中の虻川公園という小さなに差し掛かった時、公園からアンナを呼ぶ声がし、アンナは足を止めた。
声がした方に顔を向けると、公園内から小さな女の子が駆け寄ってくる。
「美月七菜。どうした」
「フルネームはよしてよ」
美月七菜と呼ばれた少女は、恥ずかしそうな表情を浮かべている。
公園の近所に住む小学3年の女の子で、家庭が少し複雑な事情を抱えており、父親と2人で暮らしている。父親が、人探しの依頼をしてきたのをきっかけにアンナと仲良くなり、時折、事務所にも遊びにくる。
「で、何か用?」
「うん。ちょっとね……。一緒に来て」
「なんだ」
「いいから、来てよ」
言葉を濁しながら、意外にも強い力でアンナの腕を引っ張ると、アンナを公園脇に設置してあるベンチに連れていった。ベンチの前では、美月と同い年くらいした女の子2名が背を向けてしゃがみこんでいる。
美月の友達らしい女の子たちは、アンナの姿に気がつくとひどく驚いた顔をし、ひとりは「ガイジンの女の子だ……」と目を丸くしていた。
それを聞き、美月は苦笑いして手を振る。
「いやいや、アンナお姉ちゃんは、これでも大人だから」
「そう。私、ハタチ。20歳。トゥエンティー・イヤーズ・オールド」
言いながら、アンナは素早く免許証を女の子たちに提示する。
生粋の日本人なのだが、金髪でツインテール。日本人離れした顔立ちに名前も横文字だから、外国人と間違われるのは仕方ないとしても、背丈容姿で子どもと見間違われるのは許せないとアンナは思っている。
だからプライベート以外ではスーツ姿だし、免許証も離さない。
「確認したか?大事なことだからもう一度言う。私、ハタチ。子どもではない」
「う、うん……。アンナさん、ごめんなさい」
取り出しやすいよう、いつも内ポケットにしまってあるのだが、見せられた女の子たちとしては戸惑って謝るしかなかった。
「ところで、用件は何?美月七菜」
「うん、あのさあ……」
美月がそこまで言った時、女の子たちの背後から、頼りない鳴き声が聞こえてきた。
「……」
アンナが女の子たちの背後を覗き込むと、色からして三毛猫らしい子猫が、段ボール箱の中でよちよち歩いている。
まだ生まれて間もないのか、足元が覚束ない。
鳴き声に誘われるように、アンナは子猫に近づき、箱の前にしゃがみこんだ。
アンナの姿を見ても、子猫は逃げなかった。反対に段ボールから身を乗り出して、ミーミーとアンナを呼ぶようにして鳴いている。
「捨て猫みたいなんだけど、公園に遊びにきたら見つけちゃって……」
傍で美月が言った。
「ウチもみんなも親に叱られちゃってさ。みんなと相談してたの」
「……」
「ホケンジョなんて可愛そうだし、お姉ちゃん何かいい考えないかな?」
「……」
「お姉ちゃん?」
「……」
美月の問いかけにアンナは黙ったままだった。
子猫の前にしゃがみこみ、じっと見つめている。子猫もビー玉のような瞳でアンナを見返している。どちらかと言えば、アンナはその子猫の瞳にひきこまれていた。
おそるおそる、アンナは手を伸ばしていた。子猫はためらうことなく、アンナの指先に頬を擦り寄せてきた。柔らかな感触が指に触れた瞬間、電流のような衝撃がアンナの身体をはしり抜けた。
「命……」
命。
これは命そのものなんだと、言い様のない衝動がアンナの心を激しく揺れ動かしていた。
※ ※ ※
「ダメ。ウチじゃ飼えないから。元のところに戻して来なさい」
「でも……、かわいそう」
自宅兼職場である、稲葉耕介探偵事務所に戻ったアンナは、稲葉耕介に叱られ、子猫を抱えたままうなだれていた。
ポーカーフェイスを崩さないでいるが、アンナが落ち込んでいるのはわずかにひそめた眉と、影がさす暗い表情でわかる。
「ここは色んなお客さんくるとこなんだから。アレルギーや苦手な人だっているんだよ」
「なら、飼うことが可能なアパートを借りて……」
何を思いついたのか、顔をあげるとアンナは目を輝かせて言った。
「そう。そろそろ事務所とは別に、私たちも一戸建てか部屋を持つことを考えるべき。それなら子猫が飼える」
思わぬ提案に、耕介は無茶言うなと失笑した。
「まだ、この仕事も軌道に乗ったとは言い難いし、事務所と改築費用で、他に部屋借りる余裕はない。お前が一番良くわかっているはずだろ?」
「う……」
「それに、探偵の依頼にしろイーグル・ファイブの依頼にしろ、事務所を空けることだって多いだろ。その間の子猫の世話をどうすんだ」
「……」
耕介の指摘にアンナは一言もなく、再び黙ってうなだれた。そんなアンナを気遣うように、アンナの腕の中で子猫がミーミーと鳴いている。
「アンナの優しい気持ちは大切だけど、ウチでは無理だ。悪いこと言わないから、元のところに戻してきな」
「……」
アンナは黙ったまま動かない。反論も同意もせず、ただ頑なな態度だけを耕介に示している。納得いかないのであれば、いつもの淡々とした口調で反撃してくるのにそれもしない。珍しいことだと耕介は内心、驚いていた。
アンナは腕に抱えている子猫から、よほど大切な何かを感じたのだろう。そうでなければ、普段は冷静なアンナがここまで執着したりはしない。
アンナの気持ちは大切にしたいが、現実は現実として残る。アンナが求める道も、耕介が指示した道も駄目なら別の道を模索するしかない。
「……飼い主が見つかるまでな」
耕介の言葉に、アンナが顔を上げた。表情自体に大きな変化はないが、先ほどとはうって変わって顔色は晴れやかで明るく、瞳には生気が宿っている。
自分でも甘いと思う。
「チラシつくるから、飼い主を探そう。それまではアンナが面倒みろ」
耕介がそう告げた時、アンナは強く大きくうなずいてみせた。




