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幸せはだれに

「これで終わり、と……」


 稲葉耕介はA4サイズの紙きれをポストに投函すると、ウンと大きく背伸びをした。耕介は暇があるときにチラシ配りに出掛ける。

 出掛けるといっても、チラシ配りを始めたのは最近のことで、チラシ配りの提案や作成は助手のアンナ・クローデルがしたものだ。

「既存だけに頼らず、顧客の新規獲得は大事」


 提案した当初、営業は得意じゃないと不満と不安混じりに語る耕介に、助手のアンナ・クローデルが“売れるチラシの九つの原則”というビジネス書を手にしながら説明した。


「常に新規を獲得して、収入源の確保に努めないと。お客が離れてからではまずい。それにいつまでも予備役をやっていられるわけではない」


 稲葉耕介探偵事務所は、十件ほどの固定客がある。加えてイーグル・ファイブの予備役としての依頼もあるので、大して仕事のない月があってもほそぼそとなら暮らしていけるため、耕介としてはいかにも探偵らしいじゃないのといういささか余裕な気分があったが、アンナはもう少し将来を見据えて、もう少し現実的だった。


「良いチラシをつくるのも、チラシ配りも一種の営業」

「でも、店や会社に行きゃ、営業トークとかするんだろ?何を話せば良いんだ?」

「無いなら無理して話さなくていい。“よろしくお願いします。チラシ置いていきます”で済ませばいい」

「……」

「頑張って、コウスケ」


 などと言いながら、アンナは千部ほどチラシが入ったカバンを耕介に手渡すと、背中を押すようにして外に向かわせたのだった。


「良いチラシねえ……」


 耕介はくしゃくしゃに折れ曲がって、残った一枚に目を落として言った。


“困りごとなら稲葉耕介探偵事務所!

 イケメン所長稲葉耕介があなたの相談に応じます!”


 ごてごてした装飾された文字に、チラシの右下隅に丸枠で耕介の写真が添付されてある。アンナがデザインしたものだが、“イケメン所長”などと記載されたチラシをその所長が配るというの恥ずかしくて、どこか情けないものがある。

 戻ったら文言を直すように言わなくっちゃなと思いながら、耕介は左目の義眼で時刻を確認した。

 ちょうど午後三時になろうとしている時刻で、小腹も空いてきた。


「アンナはと……」


 耕介とは別の地区でチラシ配りをしているはずである。時間としては、そろそろ終わっているはずだと耕介は思った。

 携帯を取り出してアンナに連絡を取ろうとしたが、ふと思うところがあって携帯を懐にしまい、四街道の駅前の立ち食い蕎麦屋に足を向けた。


「お、いたいた」


 耕介が店内を覗き込むと、果してアンナ・クローデルが店の隅で蕎麦をすすっていた。

 自分の勘が当たった嬉しさに声をあげると、アンナは蕎麦を口にしたまま、目を丸して耕介を見つめている。


「どうしてここに……?」

 ようやく蕎麦を飲み込むと、アンナは驚いた表情そのままに、耕介が食券をカウンターにいるバイトの中年の女に渡してから、隣に座るまでじっと見ていた。


「いや、勘だよ勘。アンナて、出掛けるとよくここ来るだろ。そろそろいるんじゃないかと思ってさ」

「……なんか、行動を把握されているみたいで悔しい」

「大したもんだろ」


 耕介だけにわかる憮然とするアンナに、へへんと耕介は得意気に笑った。そんな耕介の耳に、天ぷらそばが出来上がった旨の声が届いた。

 チラシ広告の効果は時間が掛かる。すぐに結果に繋がるわけではないが、一仕事終えた満足感にふたりは浸りながら、しばらく無言でちゅるちゅると蕎麦をすすっていた。


「ごちそうさま」


 耕介の後ろで女の声がし、若い女が食べ終えた食器をカウンターに運ぶのが視界の端に映った。それだけならどこにでもある日常の光景なのだが、耕介が気にとめたのは女の腹が大きい妊婦であるのと、女をどこかで見覚えがあると思えたからだった。

 どこだろうと気になって女の後ろ姿を追っていると、店の出入り口で女は、バッグに財布をしまう拍子に、ポトリと手帳のようなものを落とした。よく見ると“母子手帳”と記載されとある。しかし、女は自分のお腹の子に夢中で全く気づいた様子がない。


「すみません。すみませーん!」


 耕介はとっさに立ち上がると、手帳を拾い上げて表に飛び出していった。耕介が追いつくと女は怪訝な表情で振り返ったが、手にした手帳を見て、驚く表情に変化し慌ててバッグを探り始めた。


「落としましたよ」

「す、すみません。うっかりしてて」


 女は何度も深々と頭を下げて、耕介から手帳を受け取った。渡した際に手帳の表紙に、“山本さやか”という名前が耕介の目に飛び込んできた。

 やはり聞いたことがある名前だと、耕介は内心、首を傾げた。だが、目の前にいる女は歌手でも女優というほど美人やオーラは感じない。どこにでもいる一般の女性といった雰囲気である。


「すみません。ありがとうございました」


 山本さやかの声に我に返ると、耕介は軽く手を挙げて山本を見送った。大きくなった腹を撫でて歩く姿は妊婦にしか思えない。

 遠ざかる山本を見送っている耕介の横をふたり連れの背広姿の男が山本の後をついていく。自然な動きではあったが、耕介の目には明らかに尾行とわかる。

 何気ない仕草で、影のように足早に去っていったが、キラリと襟にイーグルを型どったバッジが光っているのを、耕介は見逃さなかった。


 ――イーグル・ファイブ情報部局国連特殊調査課。


「“コクトク”が、なんであの女を」


  ※


『ほら、山本さやか。“キメラの子を産む”て主張してる女。半年前に話題になったろう。覚えてない?』「そういえば、そんなことあったな」


 機密事項に等しいが、的場と耕介との間柄や、予備役とはいえ、イーグル・ファイブでも一目置かれる耕介には、比較的緩やかに情報が伝わる。

 事務所兼自宅に戻ってから、アンナが夕食の準備に取りかかっている間、戦友の的場彰に、電話で今日出会った女と“コクトク”の話をすると、答えはあっさりと知れた。それとともに耕介は当時のことも思い出した。

“新たなる未来”と新聞やテレビのニュースで報じられ、確かに話題になっていたのである。キメラと恋に落ち、身籠ったというものだ。


 身籠っただけならここまで取り上げられなかったろうが、問題はその子どもが検査の結果、キメラだと判明しても産むと決めたことだ。

 しかも、自分の感情を制御できない暴走型であることと、市議会議員の「災厄とわかっているキメラを産んで欲しくない」という発言が物議をかもし、話題になったのである。

 人権団体が産む権利と差別発言だと主張し、著名人も市議会議員を批判するコメントをして、市議会議員は辞職をしたし、議員からの批判に山本もますます産む決意をかためたという報道である。


「山本てこの辺りに住んでたのか」

『いや、最近四街道に引っ越して来たみたいよ。支援者がいる病院が近くてさ。便利で静かてとこを選んだらしいよ』

「そうか……。わかった、急に悪かったな。ありがと」


 いいってと言った的場の声は暗く、その後に起きた沈黙に、耕介はただごとでない事態を察した。


「どうした?」

『いや、話が早いかなと思ってな』

「なんだ」

『その山本さやか。出産予定日が再来週なんだ』

「それで?」

『出産と同時に、キメラが暴走する可能性が充分高い。だけど山本側はイーグル・ファイブ、警察や機動隊の配備を拒否している。影でも見えたら、訴訟に持ち込むらしい』

「……」

『だから、コウちゃんに病院近くに待機してもらって、緊急事態が起きたらすぐに対処できるようにしてもらえないか。報酬ははずむ』

「それ、確実なのか」


 耕介の質問に対し、的場は緊張した声で確実だと断言した。


「世に出れば、確実に暴れて人を襲う」

「……わかった。じゃあ、日が近づいたら連絡頼むな」


 耕介は携帯を切ると、携帯にぼんやりと目を落としたままでいた。依頼を受けてみたものの、気が重くすでにかなりの疲労感がある。耕介はゆっくりと視線をあげ、鍋の前で調理中のアンナの背中を眺めた。

 耕介の愛しい女。

 かつて剣を交え、“ナイトメア”と恐れられた女。

 遺伝子操作された肉体を持つ、愛する女がそこにいる。

 生まれてくる子がどうなるかわからない。それを怖れて一歩踏み出す勇気が持てない耕介には、山本に羨望を抱く一方で、これがその結果なんだと噛み締める思いでアンナの背中を見続けていた。


 ※


 爆音に続き、病院の二階の奥から黒煙があがるのを耕介は目撃した。


「……だめだったか」


 駐車場の車で待機していた耕介は、黒煙を見上げながらため息をつくと、助手席のアンナに「行ってくる」と告げた。


「……コウスケ。気を付けて」


 事案の概要はアンナにも伝えている。耕介を見上げるアンナの瞳は潤み、声は暗く沈んでいた。


「大丈夫だ。ここで待っててくれ」


 耕介はアンナの頭を撫でると、軽く口づけをかわし、病院へと身を翻した。辺りには病院から逃げ惑う人たちに溢れ、消防隊が人々の誘導を行っている。イーグル・ファイブはもちろん、警察や自衛隊よりは風当たりが弱いことを狙って、的場が配備したのだが、当然キメラと戦える力はない。

 的場たちイーグル・ファイブは十数キロ先の公民館の敷地で待機していてかなりの時間がかかる。結局、耕介ひとりでやらなければならない。


「……変身(チェンジ)


 耕介が呟くと金色の光が身を包み、“強化装甲”を身にまとった耕介の姿が現れた。


『対策本部よりデッドマン』


 ヘルメット内に的場の声が満ちる。「どうぞ」と耕介は答えた。


『状況を送る。対象のキメラは出産直前に暴走。山本さやかの腹を喰い破り、山本及び担当医二名は即死』

「……」


 表現しがたい暗い気分が、耕介の頭のなかにもたげてきて、疲れとともに軽い目眩すら感じた。


『現在キメラは、二階から一階のロビーに向かっている。“デッドマン”の現在地なら……』


 ヘルメットのバイザーに病院の見取り図が表示され、“デッドマン”を示す青い点とキメラを示す赤い点。一階ロビーまでの予測パターンが映し出される


『一階に繋がる二階ロビーなら場所も広く、戦いやすい。既に避難は済ませてあるから、存分にやってくれ』

「……デッドマン了解」


 耕介は無線を切ると、二階の窓を見上げた。人型だが樽のように脹れあがった醜い生き物が地響きを立てて歩いている。手には人間の上半身を握っている。首が無くなっていたが、丸見えの乳房と入院用の寝間着から、山本さやかだと思った。


「……どうしようもねえな」


 耕介は身を沈め、じっとキメラを見据えていた。、二階ロビーに差し掛かった時、耕介は一気に跳ねた。

 耕介の身は弾丸のように突進し、次の瞬間には窓を突き破ってキメラとの傍まで迫っていた。


「グモ……?」


 太った醜いキメラは、自分に接近してきたものが味方とも敵とも判別つかなかったらしい。魚のように虚無の目を耕介に向け、無防備に首を傾げているだけだった。

 ヒュン、とキメラの首に閃光が奔った。

 抜き打ちに放ったガンブレードの刃による光だった。耕介は地面に着地すると、静かに佇んだままキメラを見上げている。

 しばらくキメラはきょとんとしていたが、不意にのけぞるような姿勢になると、メキメキと不快な音を立ててキメラの首は落ち、その後に樽のような体が床に倒れていった。


「……」


 耕介はキメラの死体を見下ろしていたが、変身を解いて一階ロビーに降りていった。

 二階に比べて悲鳴と絶叫に満ちていたが、耕介は人垣を掻き分けて、足早に表へと向かって歩いた。消防隊が避難誘導のために耕介に口やかましく怒鳴っていたが、それも無視してアンナが待つ駐車場へ向かった。


「終わったよ」


 耕介は運転席に座り正面を向いたまま言うと、アンナは小さくうなずいて耕介に寄りかかってきた。


「……無事で良かった」

「俺はな」


 早く帰りたい。

 耕介はエンジンをかけると、ラジオからは緊迫した声でニュースが流れてくる。聞いているうちに山本さやかに関わるキメラ事件だとわかった。


『この事件はですね』


 聞き覚えのある声がした。

 山本さやかの出産を奨励し、市議会議員を非難した著名人の声だ。

 アナウンサーに訪ねられると、著名人は深刻そうに、重々しい口調で語り始めた。


『キメラとわかっていたのですから、もっと迅速に対応すべきだったと思いますね。しかし、現場にはキメラに対抗する力のない消防隊しか到着していない。今回の件は、政府やイーグル・ファイブの怠慢と言っても過言ではないでしょうね』


 そこまで聞いて、耕介はふざけんなとラジオを消した。

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