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エピローグ〜涙のあとには虹がでる

 事件の中心となったメモリーカードはその後の調査でイーグル・ファイブにより発見され解析が行われた。しかし、その内容は酷く粗雑な代物だったと的場は語った。


 中身のデータは既存のキメラ精製とさほどの差は無く、それまで斎藤優夏が築き上げて来た研究理論と比べれば、ほとんどでたらめに近い内容だったという。

「連中、何をそんなものに必死になっていたんだろうな」


 的場は首を傾げてビールをすすった。


「幻想に取りつかれたんだろ。連中は新世界だの、生まれ変わるだの夢見るように喋っていたよ。それに奴らも自分たちは一枚岩じゃないと言っていた。向こうも主導権争いで必死だったんだろうさ」

「生まれ変わるねえ……」


 的場はジ・アークの内部抗争よりも、その言葉に引っ掛かりを覚えたらしく、何度も繰り返しながら、馬刺しを一切れつまむと口に放り込んだ。


「そんなに自分を大層な存在だと思ってんのが怖いねえ。こっちからしたらいい迷惑だってだけなんだがな」

「大層と思っているから、自分の親しい人間を利用したり、無差別に人を殺すのにためらいもしないんだろ」

「そういや、コウちゃん、あの事件のあと、すぐに仕事再開したんだって?もっと休めば良かったのに」

「じっとしているよりも、仕事している方がまだ気が紛れるからな」


 耕介は煽るようにして、ジョッキの中に残ったビールを飲み干した。


「的場だってこの後始末が大変だろう。テレビや新聞でも随分と叩かれていたが大丈夫か」


 心配するなと、的場は口の端だけ歪めて笑って見せた。

 神林市でのテロ事件は世界各国で報道され国際問題にまで発展している。終始後手にまわっていた政府やイーグル・ファイブの対応を批判する記事や番組を眼にしない日は無い。


「それはこっちの話だ。コウちゃんが心配しなくても大丈夫。俺たちゃ負けねえから」

「負けない?」

「ああ、これで俺たちを委縮させて力を奪おうとする連中がいる。利益を得ようとする連中がいる。



第二、第三のジ・アークみたいな連中がいる。俺たちは省ることがあっても、これで小さくなって立ち止まってはいけないんだよ」


「……」


 退役して自分のことだけを考えていた耕介と、イーグル・ファイブを束ねる現役隊員とでは感想にも差がでたようだった。


 普段飄々としているが、こういうところはやはり的場彰はイーグル・ファイブの隊長なんだと改めて認識せざるをえない。力強く頷く的場を眩しそうに見つめながら、耕介は馬刺しに箸を伸ばした。


 耕介らが今いる場所は新小岩駅近くの大衆居酒屋で、慰労を兼ねてと的場が耕介に持ちかけたものだった。

もっとも、慰労というのは大義名分で、大阪羽田を含めたジ・アークの一連の事件もあらかた整理がついたこともあって的場が単に飲みたいだけだというのはわかっている。


 アンナも席に参加させ、三人は肩を並べてカウンターの隅に陣取った。店内は週末の飲み客で喧騒に溢れていたものの、耕介らの会話を妨げるほどではなく、視界に映る客も耕介らからは少し距離があって自分たちが騒ぐのに夢中になっていた。


 時間は一時間経過し、既に三人の顔は真っ赤になっている。


「……それにしても、殿村拓真が斎藤優夏に執着していたというのがイマイチ理解できないなあ。わかるか、コウちゃん」


「それはお前の方が詳しいだろ。俺に聞くなよ」


 ビールに飽きた耕介は冷酒に変更し、盃に手酌で注ぎ軽く一口つけた。左隣を一瞥すると、アンナは先ほどから無言のまま、両手でジョッキを哺乳瓶のように抱えてビールをすすっている。


「事実はわかっているさ。でも、画龍点睛を欠くというかさ。斎藤優夏はそんな危ない橋を渡ってまで、一緒になりたいと思わせる魅力的な女性だったのかな?」


 事件から一カ月が経過していた。

 その後の捜査で殿村拓真の自宅を捜索した際、斎藤優夏を崇めるような内容の日記や、携帯の履歴やその他の目撃情報からジ・アークとの関係性は事実として判明している。

 的場が口にしているのは、そのもっと奥、殿村拓真が斎藤優夏に異常なまでの愛を向けた理由だった。


 的場に言われて、耕介も考え込むように椅子にもたれかかって宙を見上げた。キメラとなり変わり果てた彩夏を前にして、優夏の名を呼び続けた時の拓真の顔が脳裏に浮かんでいる。


 これまでの資料や、彩夏の自宅で写真や映像など若いころの斎藤優夏を確認しているが、一人の男をあそこまで熱狂させるほどかと思うとそれも疑問だった。


「……そう言われるとわからないな。確かに美人だとは思ったけど」


「あいつには浦部彩夏が傍にいたのに」

 的場は呟きながら残ったビールを飲み干すと、耕介の前に置いてある手羽先へと手を伸ばした。この店の手羽先はタレの辛味が効いていて、それが気に入ったのか、的場は三度も注文している。


「俺なら浦部と一緒になるけどなあ」


 バカな男だよなと的場の言葉に怒りを込めつつも、どこか羨ましそうな響きがあるのは、独身男の本音が滲みでてきたようだった。


「弁護士連中つかって、県警本部に横槍入れさせたのも殿村なんだって?」


 耕介が運ばれてきた卵焼きに箸を伸ばしながら的場に訊ねた。


「まあな。偽名を使っていたらしいが、電話の通話記録から特定できた。キメラや戦闘員が町に入り込む時間稼ぎと、捜査をかく乱させたかったんだろうてのが大方の見方だな」


 よくやるよなと忌々し気に、的場は手羽先の肉をむしった。


 耕介は的場の話を聞きながら卵焼きを頬張っていたが、不意にあることが思い浮かんで、シーザーサラダを持った器に手を伸ばしながら、話を殿村と斎藤優夏に戻した。


「……昔の思い出が、鬱屈した現実で輝くものになっていったというのは何かの小説で読んだことあるけど、殿村のその辺りの関係はどうなんだ?」


 耕介はシーザーサラダを各自の取り皿にわけながら、また隣のアンナを見た。斎藤優夏の話が出たので、アンナの反応を気にしていたのだが、それよりも別のことに気がついた。


 アンナは店に入ってから、ビールばかり口にしていて、ロクに肴を口にしていない。酔いがまわるからもっと喰えよと、耕介は自分の卵焼きとサラダを盛った小皿を渡した。


 アンナは無言で頷いてみせたのだが、小さいのに良く透る声でお姉さんと近くの店員を呼ぶと、注文したのはまたしてもビールだった。


 耕介の隣で、的場は手羽先をあらかた喰い終えてしまい、骨周りに残った肉と脂をキャンディーのように口に咥えて味わっている。


「これといって特に無いな。日記もポエムまがいの意味不明な代物で参考にならん。中高生時代は無口で変わり者、女性陣からは何を考えているかわからんて雰囲気はあったみたいだけど、大きなトラブルもなく暮らしていた。職場でも似た様なもんだな。勤務態度もいたって真面目らしい。会社じゃ訃報を聞いて、酷く驚いていたよ。葬儀じゃ涙ぐむ人も何人かいたくらいだ」


 家族親類友人等に被害が及ばないよう、他の協力者と同様に殿村拓真がジ・アークの協力者だったという情報は公表されず、両親以外には知らせていない。

 事件に巻き込まれて死亡という扱いになっている。


「そうなると、本心を知っているのは殿村本人だけで、どう考えても憶測になりそうだな」


「やっぱ、コウちゃんでもわからないか」



 的場は幾分がっかりした様子で深くため息をついたが、いいんだと気をとり直し、顔を上げると銚子をとって耕介の盃に一杯ついだ。


「俺個人が気になっただけだからな。国特でも特に問題にしてない」


 ちょうどその時、追加注文したビールを店員が運んできたので、的場は店員にウイスキーをロックでと注文し、奥のアンナにビール八杯もよく飲むねと笑いながら、そのジョッキをアンナに渡した。



 この時の飲み会から二カ月ほどした後、アンナ・クローデルは一人で神林市に再び訪れていた。耕介と的場のやりとりを口も挟まず黙って聞いてはいたものの、アンナも殿村と母の関係に疑問を持っていた。

 季節は紅葉真っ盛りとなる秋となっていた。

 陽の光にはまだ強さが残っていたが、ひんやりとした冷たさが空気のなかに混じり、空高く澄んだ空には、いわし雲がゆるやかに流れている。

 神林市に訪れるまで月日がかなり経過したのは、その間に浮気調査と素行調査の依頼が数件入ったからだ。

依頼も終わりひと息ついたところで、一人で出かけたいとのアンナの申し出に耕介は驚きを示したが、世間を見たいとの言い分に耕介は疑問を抱かなかった。耕介に相談すれば、仕事の合間を縫ってでも協力してくれただろうが、これは自分がやるべきことだと心に決めていた。宿も以前、耕介と止まったホテルに予約を取った。


 彩夏の自宅にも寄ったが、町の雰囲気は様変わりしていた。

 彩夏の自宅やその周辺は、大規模な区画整理が行われるということで、既に更地となっていた。献花台が備えられてはいるものの、そこに家屋があったと窺わせるものはその献花台だけで、ブルドーザーやトラックが忙しげに出入りしている。自衛隊や警察が移動しやすいよう、広い国道ができるらしい。早くも道沿いには、コンビニエンスストアらしき建物が建設されている。

 そして、アンナが訪問先に選んだのは、斎藤優夏が学生時代に親しいクラスメイトで、彩夏とも仲が良かった宍倉知美という三〇半ばになる女性だった。

 抑揚のない平坦な口調に加えて探偵と名乗られ、宍倉も始めは警戒していたが、生前の浦部彩夏から聞かされていた優夏に関わる二、三のエピソードや、宍倉から貰った紅茶の話などをすると、アンナに対する警戒を次第に解いていき、アルバムを持ちだして昔話をするようになり、本題に入る頃になるとアンナに対する警戒心はすっかりなくなっていた。

 

 宍倉が話す斎藤優夏の昔話にも若い女性らしい微笑ましいエピソードが多く、暗い過去といった窺わせるものは無い。杞憂だったかもと、アンナなりに軽い気持ちで殿村拓真の名前を出した時、宍倉の顔にはひどく狼狽し目を伏せてしまった。


「殿村君ねえ」


「……何?」


「優夏もなんで殿村君とあんなことしたのかしらね?」


「あんなこと?」


「警察に優夏のことを聞かれたことはあるけど、ジ・アークの話ばかりだったから、これは警察には話して無いんだけど……。言ってもいいのかな?」


 宍倉の表情には迷いがある。言いたくてもあとひと押しが必要とするように、口をモゴモゴとしきりに動かしている。

 こんな時になんと言うのだったかと、耕介の口調を思い出しながらアンナは口を開いた。


「……探偵には、秘匿義務があり……ます。教えていただいた情報を、他人に、洩らすようなことはない……。いえ、ありません、よ」


 アンナのたどたどしい説明を終えると、以前、優夏から相談を受けたのよと意を決したように宍倉は顔を上げた。


「優夏が大学の研究員だったころね。亡くなった稔さんから告白されたと言ってきたんだけど、その時に優夏……、殿村君と関係があったみたいなのよ」


 アンナは思わず耳を疑った。同時に身体中から血の気が引くのを感じていた。


「殿村拓真は当時、中学生のはず。そんな話、浦部彩夏からは一言も聞かされていない」


「彩夏ちゃんも中学生だから、さすがに言えなかったんじゃないかな?私も凄く驚いたんだから。だって、どう考えてもおかしいでしょ?子ども相手に……。やめなよて注意したのよ。でも、あの時、殿村君も凄く可愛かったからねえ。旦那さんも似た雰囲気があったけど、ああいう〝かわいい系〟が優夏の好みだったんだろうねえ」


「……関係を持ったとは、どれくらいの関係?」


「さすがに具体的には話さなかったけれど、あの口ぶりだと相当、深い感じだったわよ」


「……」


「それに打ち明けた直後に妊娠という話になったから、まさかと思ったんだけど、……まさかよねえ?」


 宍倉の質問に返す言葉がなかった。その代わりに思わずアンナは目が眩み、気も遠くなりかけた。呼吸が乱れ、口の中もからからに乾き、込み上げてくる吐き気に耐えるのがやっとだった。


「まあ、優夏もあんな子どもと火遊びしてたらどうなるか、なんてわかりきった話だから、悩んで私に相談してきたのだろうけど……。優夏も事故のせいであんな不幸なことになっちゃったけど、それまでは本当に幸せそうに暮らしていたから、あの時、注意して良かったと思っている。殿村君も結婚式では大人しくしてたし、ちゃんと別れられたと思うのだけれど」


 そうではないだろうとアンナは心の中で呟いた。

 浦部彩夏は、姉の斎藤優夏が結婚した前後から、殿村は無口になったと語っていた。

 殿村は優夏との間に起きた強烈な体験は、暗く甘い思い出となり、優夏を諦めきれずに暗い情念を燃やし続けていた。それは優夏の不幸、死によって一層強まり、そして歪んで変質していき、ジ・アークとの接触によって溜めこんでいた狂気を爆発させてしまったのかと想像することは出来た。だが、その殿村拓真がアンナの父親かもしれないということが、アンナに新たな疑問や違和感を生じさせていた。


 彩夏は斎藤杏奈にそっくりだと反応を示したのに、殿村は自分に全く関心を示さなかったではないか。

 わからない。

 わからない。


「あなた顔色が悪いわよ。大丈夫?」


 心配そうに訊ねてくる宍倉の声がやけに遠く聞えた。


「大丈夫、帰れる……」


 アンナはそう言って立ち上がったものの、足元もおぼつかなく、結局はタクシーを呼んでもらう始末となった。

 秋の陽は既に傾き、タクシーの車内に茜色の光が運転席側の窓から差し込んでくる。陽の光がやけに押しつけがましく思え、目を背けるようにアンナは反対側の景色をぼんやり眺めながらシートに身を沈めていた。

ホテルまでの車中、母の新たな醜聞がアンナの心を苛んでいた。ある程度の覚悟で臨んでいたのだが、それでも予想もしなかった新事実を突きつけられると、心身に酷く応え、覚悟とやらも脆く崩れ去っていた。


 やがて、アンナを乗せたタクシーは住宅街を抜け県道に入った。

 県道といっても片側一車線の狭い道路は、帰宅や帰社途中の車が溢れ混雑していた。それでも渋滞というほどでもなく、澱んだ水流のように車はゆっくりと流れていく。

 運動公園の前にタクシーが差しかかると、アンナの目には、芝生の広場で戯れる子どもたちや親子の姿が映った。誰もかれも無邪気な笑顔を浮かべ、夕食までのほんのひとときの間を楽しむのだろう。

 アンナはそんな光景に心ひかれ、タクシーを降りて公園内に入ると、広場に備えられたベンチに腰かけた。頭のどこかが痺れたようにぼんやりと広場の光景を眺めていたが、一度、どこからかゴムボールがアンナの下に転がって来て、小さな男の子が自分の頭ほどもあるボールをぽてぽてと追ってきた。アンナが拾って男の子に渡すと、「ありがとう」と白い歯を見せて母親の下へ戻っていった。遠くから母親が頭を下げるのが見えたので、アンナは軽く会釈して返した。


 そんな親子の様子を眺めるうちに、僅かに残る斎藤杏奈だった頃に起きた幼少期の記憶がアンナのなかでぼんやりと呼び起こされる。

 どこかの似た様な公園の広場で、父と母、そして幼かった頃の自分がいる。アンナがボールを際出すと、母は穏やかな笑みでボールを受け取る。

懐かしく温かな思い出だった。しかし、宍倉の話を聞いた今となっては、その思い出もまがいものとしか思えなくなり、胸が鈍い痛みを伴って締めつけてくる。

 馬鹿だとアンナは自らを罵った。

 開けなくても済んだのに、パンドラの箱を再び開けて、希少な思い出を自分で汚してしまった。真実を知ったところで何の解決にもならないのなら、美しいと感じた思い出は、そのままにしておけば良かった。

 ――私は弱くなった。

 ナイトメアだった頃は何にも捉われず、目の前の敵を倒すだけで良かった。迷いもためらいもなく、頭にあるのは任務の遂行だけだった。

 だけどそれでいいのかと、別の自分が質問を投げかける。浮かんでくる答えはノーだった。


 機械に操られた人生など良いわけがない。それに、戦闘員たちが起した無慈悲な残虐行為を目の当たりにすれば答えは明らかだ。耕介と過ごす日々は灰色だった自分に命を吹き込んでくれた。

 呆然と見つめる空はすっかり薄暗くなり、山の丘陵に沿って僅かに紅い陽が残るものの、いつの間にか空には星が瞬いている。広場に子どもたちの姿は既になく、散歩で訪れた人影が数人、浮かんでいるに過ぎない。

 空気も冷え始め、そろそろホテルに帰ろうかとベンチを離れた。


 表現しがたい虚脱感に襲われ気力が湧かず、そのままふらふらと広場を抜け歩道を重い足取りで歩いた。

 歩くうちに強い孤独感がアンナの身体に再び圧し掛かり、耕介に電話をしようと思い至ったのはその時だった。

急いで携帯電話を取り出すと、何件もの不在着信が残っている。宍倉の家でマナーモードにしていたままで気がつかなかったらしい。確認をすると発信者は耕介からだった。

 傍から見ているだけでは、アンナがぼんやりと携帯の画面を眺めている姿にしか見えなかっただろうが、アンナはかなり慌てて耕介の携帯電話に折り返しの電話をした。数回コール音が鳴った後、電話の向こう側からおうと耕介の声が聞こえてきた。

 まだ一日も経っていないのに、ひどく懐かしくものに感じた。


『せっかくの休みのところ、何回も電話掛けて悪いな』


 ううんと喜びを堪えてアンナは首を振った。


「それよりも何か用?」


『いや、ちょっと心配になっちゃってさ。今、神林だろ?』


「え?」


アンナは耳を疑った。耕介には神林市に行くとは一言も言っていない。


『お前が遠出で行くとしたら、知っている町に行くだろうと思ったからさ。彩夏の墓参りか?』


「……そう。今日行くつもりだったけれど、予定を変更して明日行く」

 墓。

 あのお墓には〝メリイ〟の松木が、気を利かせて彩夏と拓真の遺品を斎藤家の墓に納めている。もしもあの世というものがあるならば、三人はあの世でどんな顔をして合わせているのだろうと考えると、アンナの身体が思わず震えた。


『言ってくれれば、俺が車で連れて行ったのに』


「うん。でも、どうしても一人で行きたかったから……。それより、コウスケは何してるの?外?」


『……ああ、まあな』


 耕介が言葉を濁して答えた直後、いたいたと嬉しがる様子の声が電話口から聞こえてきた。だが、その声とは別に、どこからか肉声が届いていた。アンナは声がした方へと振り向いた。

 道路の向かい側に稲葉耕介が立っている。


『よっ』


 軽く手を上げる耕介の姿を、アンナは呆然と見つめていた。


「どうして、ここが……?」


『勘だよ、勘。お前が南雲の工場で、俺の位置を一発で当てたようにな』


 携帯で話しながら、耕介は近くの横断歩道から廻り込んで、ゆっくりとした足取りでアンナに近づいていく。ザクザクと芝生を踏む靴音が静かに近づいてきた。


『まあ、恥ずかしい話、ホントは午後一杯使って、お前を探しちゃったんだけど』


「何故、わざわざそんなことを?」


 神林市と的中したから良かったものの、何の手がかりもないのに探しまわったところで無駄足どころの話ではないのではないか。そう思いながらアンナが尋ねると、わからんと耕介の照れ笑いが聞こえた


『わからんけど、アンナが急に気になって電話がつながらなくてさ。不安になっちまってよ。気が付いたら、車のハンドルを握ってた』


「……それは、悪質なつきまとい行為」


『まったくだな。俺にはストーカーの気があるらしい』

「でも、コウスケはやっぱりヒーロー。イーグル・ファイブの一員だっただけはある」

「どういうこと?」


 耕介は携帯をおろし、アンナの前に立ち止まり言った。


 アンナのまっすぐな琥珀色の瞳が耕介を捉える。


「助けを願った時、こうやって来てくれる」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどさ。俺がヒーローなら、浦部彩夏だって助けられるはずだろ」


 耕介が苦笑いを浮かべると、アンナは耕介に駆け寄って胸元に顔を埋め、むしゃぶりつくようにしてしがみついてきた。耕介の身体に手を回し力強く締めつけてくる。


「……わかってる。



そんなことわかっていて、私は言っている」

「……」

「でも、私とって、コウスケはヒーロー。かつて、血で汚れた私に手を差し伸べてくれたのはあなた。そして、今、こうして困っている私の下へきてくれたのもあなた。コウスケから、私は色んな奇跡を貰っている」

「……」

「困った時、あなたはいつも傍にいてくれる。コウスケ、私はとても幸せ」


 今日一日でアンナの身の上に何が起きたのだろうか。

 だが、耕介はそれをアンナに問い質すつもりはなかった。アンナのなかで解決すれば、いつか自ら話す時が来るだろう。それよりも、二年前まで機械人形のようだった彼女が、感情に揺さぶられ、悩み前進しようとする姿は、かけがえの無いもののように思えた。

 耕介のなかで熱いものが込み上げて来た。


 身体が震えるように、それは耕介を強く揺さぶった。何と返したらいいのかわからず言葉に詰り、両手をアンナの背中に回し、せめて優しく抱き寄せることしか思い浮かばなかった。

 浦部彩夏を始めとして、罪の無い多くの人々が死んだ。


 そして判断を誤り、失敗を重ねた自分はこうして生きている。深い悔恨は途方もなく重い荷となって耕介の背中に圧し掛かっている。それを分かち合ってくれるのは、目の前にいるこの女だけだと耕介は思った。

 そのアンナが傷ついている。


俺が今、彼女にしてやれることはなんだろうか?


「……明日、俺も浦部の墓参りについて行って良いか?」


 耕介の言葉に、アンナは耕介の胸からそっと離れ、耕介を見上げた。


「……ありがとう」


 涙を浮かべながら、アンナは笑った。




    完

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