晴れ渡る空の下で
「予想外。コウスケも危ない目に遭うのね」
アンナは耕介を縛るロープを手刀で切り裂きながら言った。次いで、まだ顔面を抑えている彩夏に目を向けた。
「あれは……新型のキメラ?」
「あれは浦部彩夏らしい」
「……」
無言のままだったが、かなり衝撃を受けているのはわずかに見開いた目の様子で伝わってくる。
「俺にもわからない部分もあるけど、あのメモリーカードを使って、ジ・アークの連中にあんな姿にされたらしい」
馬鹿な連中とアンナは呟いた。
アンナは知っている。
斎藤優夏が遺伝子工学の研究に取り組み、そして死ぬまでの十年間、何体か生みだされた〝斎藤杏奈〟のクローンのなかで、成功したと言える例はアンナ・クローデル一体しかない。
それも奇跡に近い偶然で、優夏自身も把握していない。組織から離れることを恐れたアークによって、アンナの存在を秘匿された。そして、強制培養で成人女性に近い身体にまで成長させ、遺伝子操作によって〝ナイトメア〟という戦士に作り上げた。
優夏は自分の愛娘が傍らにいるにも関わらず研究に没頭し、そして知らないまま死んだ。
結局、優夏が生み出したのは、異形な姿のキメラたちと趣味の悪いタイツを着てしか生きられない戦闘員という失敗作ばかりだ。
彼らはそんな母にどんな幻想を抱いていたのだろう。
「……彩夏に意識はあるの?」
「さっき、殿村拓真が浦部に喰われた」
「殿村拓真?」
「殿村はジ・アークの協力者だった」
耕介が悔しそうに目を伏せた横で、異形の生物に姿を変えた彩夏に目を向けたままわかったとアンナが頷く。
そこまで聞けばもう充分だとアンナは思った。
「あれは私が始末する。コウスケは見学」
「馬鹿なこと言うな。俺と闘ったのが最後で、あれからロクに身体を動かしてねえだろ」
「でも、お願い」
アンナは耕介の言葉を遮り、縋るようにじっと耕介を見つめた。瞳が潤み口元は硬く結ばれていた。
「……わかった。だが、お前が危ないと思ったら、すぐに手助けに入るからな。後で文句言うなよ」
耕介は変身と呟いて強化装甲を身につけた。
少し後方に退き、いつでも加勢できるようにガン・ブレードを形成した。
アンナはキメラの前に立つ。
餌が増えたと認識したのか、キメラは喉の奥から耳障りな鳴き声を鳴らした。
「浦部彩夏……」
アンナは仕事先の相談を受けた際に、他人の介入を嫌い、彩夏を拒否する形になってしまった自分の発言を後悔していた。結果的には何も変わらなかっただろうが、目の前にいる彩夏の変わり果てた姿を見れば、そう思わずにはいられなかった。
憐れみと後悔が入り混じった目で見上げるアンナに、キメラが無造作に右腕を伸ばしてきた。
アンナを非力な餌だと思い込んだのだろう。だが、それはあまりにも不用意な行動でしかなかった。
アンナの瞳が金色に輝き、全身を取り囲む空間が歪みを見せる。
伸ばしたキメラの手のひらを、光が一閃した。アンナの手刀がキメラの手のひらを切り裂き、どす黒い血が大量に流れ落ちる。
キメラは奇声を上げて身を引いたものの、次の瞬間には形相を変えて残った左手で攻撃を仕掛けてきた。身体を圧するほどの凄まじい拳だったが、アンナはそれを軽やかに避けた。
キメラは怒りに自分を見失い、怒りの感情そのままに次々と攻撃を仕掛けてくる。振り回すだけの乱雑な攻撃だったが、工場の壁や床を容易く破壊するほどの威力で、まともに受ければアンナといえども無事では済まないだろう。
しかし、アンナはダンスでも踊るかのように軽やかな身のこなしでかわし続ける。縦横無尽に工場内を跳び廻り、隙があれば手刀でダメージを与えていく。次第にダメージと疲労でキメラの動きは衰え、いつしか身体中は血だらけとなっていた。
「浦部彩夏。もうすぐ終わらせる」
鈍くなるキメラの動きに反比例して、アンナは勘を取り戻し、スピードも鋭さも増していた。
かといって、アンナに余裕があるわけではない。油断を見せれば瞬時に立場が逆転するような危険性を、キメラから常に感じていた。
「もう、この世界であなたは夢をみることさえも出来ない」
アンナの手刀が輝きを増した。
「ここから、あなたを解放させる」
それがせめて彩夏に出来ることだと自分に言い聞かせながら、キメラに向かって猛然と駆けた。影が縫うようにして地面を走り、キメラの懐に潜り込むとその脇腹を手刀で深々と抉った。
キメラの身体が崩れ、苦悶の表情に歪むのを認めると、アンナはキメラの頭上に跳び上がった。アンナの手刀に帯びた光は巨大な光の剣となってガラ空きとなった脳天に狙いを定める。
かつてはグランドクロスと形容された十字型の剣。その一撃でケリをつけるつもりだった。
「浦部彩夏……」
ごめんと言いかけた時だった。
アンナの視界に鈍く光る何かが映った。
花を象った髪留め。彩夏の顔が脳裏に過った。
アンナに一瞬の躊躇が生まれ、それが隙となり、捨て鉢気味に放たれたキメラの拳に対する反応が遅れた。
――やられる……!
だが、アンナに迫りくる巨大な拳は、その身体に到達する前に突然弾け飛んだ。大木のように太い腕は皮一枚を残し、ドウっと重い音を立てて地面に転がり落ちた。
気がつくとアンナは耕介の腕の中にいた。危険を察した耕介が、瞬時に間合いを詰め、ガンブレードを抜打に放ってキメラの丸太のような腕を斬り落としていた。
「危ないと思ったら、助けると言ったろ」
「……ごめん」
「いや、お前が浦部彩夏を想って攻撃をためらってくれた。それだけで充分だよ」
耕介はアンナを下ろすと、ガンブレードを左手に持ち替えた。さがっていろとアンナに言った。
「あとは俺がやるよ」
バスターランチャーと発した耕介の音声に反応し、左手のガン・ブレードが光の粒子に分解され、バスターランチャーが耕介の左腕に装着される。両足を踏みしめ、砲口をキメラに向け狙いをつけた。
ガン・ブレードで止めを刺すのも可能だったが、死体を残せば研究の材料に使われるのは明らだ。目の前でもがいている生物がもはや彩夏ではないとはいえ、これ以上、彼女に辱めを与えたくはなかった。細胞の一片たりとも残すつもりも無い。
大気中からバスターランチャーへと電子エネルギーが滞留し、増幅していくエネルギーの余波で、砲身から周囲に電磁波が発生し建物を振動させた。振動は十キロ先の神林署まで伝わり、観測所では震度二が計測されたという。
「済まない。浦部彩夏」
耕介が呟き、バスターランチャーの砲口から高熱のエネルギー粒子が吐き出された。青白い高熱の光の柱が轟音とともにキメラに襲いかかり、熱波がその身を焼き尽くしていく。彩夏から僅かに悲鳴に似た咆哮が響いたが、それも一瞬の間だけで、光に飲み込まれた醜い巨体はみるみるうちに小さく溶けていった。
やがて、光が消えさるとキメラの身体は工場の建物や敷地を抉りながら消滅していた。
ほぼ全壊となった建物の上には快晴の青空が広がり、熱いくらいの陽気な日差しが差しこんでくる。静寂を取り戻した周囲からは、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてきた。
雲雀だろうか、と耕介はぼんやり考えていた。
「終わったな」
「……うん。終わった」
耕介の後ろでアンナが言った
「浦部を守れなかった。お前のたった一人の肉親なのに」
「仕方ない。コウスケは出来るだけのことをやった」
「……やったのかな、俺は」
耕介は自嘲気味に笑うと、バスターランチャーを上空に構え、僅かにエネルギーを集めて空に放った。
青白いエネルギー弾が空を駆けのぼると、上空ではじけて飛散した。
現在の時刻は不明だったが、予定していた自衛隊の攻撃がないところからまだ十時前なのだろう。信号弾の光が消え去るのを見届けると、耕介はそこで変身を解いた。
「……無闇に人が死んでいっただけだ。殿村に『無能の働き者』と言われたけど、あいつの言う通りだったよ。結局、俺はあちこちうろついていただけだった。昔からそうだ」
「コウスケが落ち込む必要なんて無い。コウスケは、限られた中で出来る限りのことをやった」
「……」
「コウスケには私がいる」
アンナはそう言って耕介の背に寄り添った。
温かな感触が背中に広がり、アンナの優しさと幸福感に思わず胸が詰った。同時に誰も縋る者がいないまま死んでいった彩夏の薄明さが哀れだと思った。耕介は普段、信心めいたものなど持ち合わせていないが、今回ばかりは、彩夏があの世で幸せになれればと祈らずにはいられなかった。
「なあ、一つ聞いていいか?」
「……何?」
「お前が俺についてきた理由。別に俺についてくる必要なんてなかっただろ。いつでも逃げ出せたのに」
「どうして今、そんなことを聞くの?」
「今だからだよ」
「……」
アンナは無言のままだった。迷っているのが伝わったが、それでも返答を待った。
「コウスケが泣いてくれたから」
「俺が?」
「そう。病院で目覚めた時、コウスケは泣いて喜んでくれた。そんなこと、私には経験のないことだった。だから、コウスケが私を誘ってくれた時、本当に嬉しかった。ずっと、ずっとついて行こうと思った」
「……そうか」
思わず涙が出そうになるのを堪え、しばらく晴れあがった空を見上げていたが、空の彼方から、重量感のある飛行音が響いてきた。サイレンも遠方から聞こえてくる。耕介が送った信号を受けて、警察や自衛隊が動き出したのだろう。
黒い点だったものは次第に大きくなり、腹が膨れ上がったような航空機が接近してくる。耕介にはなじみ深いイーグル・ファイブ専用の輸送機だった。
「やっとイーグル・ファイブの到着か」
輸送機から五体の黒い影が放出されるのが見えた。
上空で五つの白い花が咲き、ゆらゆらと地上に舞い降りてくる。
「……パラシュートで降下?」
耕介は訝し気に空を見上げていた。イーグル・ファイブには背嚢型滑空機が用意されている。地上ではバイク、水中では潜水機に変形し、移動手段として主に使用されていたから、パラシュートなどまず使わない。
だが、その理由も、工場から数百メートル離れた位置で降り立ち、強化装甲に身を固めた一人が耕介に近づいてきたところで理解できた。
「大変だったな。コウちゃん」
「いや、お前ほどじゃないよ」
反対にねぎらうような気持ちで、耕介が返答した。
変身を解かなくても、半壊したゴーグルから覗く目元や声で的場彰だと一目瞭然だった。
簡単な応急措置だけ済まして大阪や羽田から飛んできたのだろう。腕や足に巻いた包帯には血が滲み、強化装甲は弾痕やキメラらしき爪あとでボロボロになっていた。修理が間に合わなかったのかガムテープで装甲を補修してある箇所もある。それは的場だけでなく、他の隊員も的場と似た様な姿をしており戦闘の激しさを物語っていた。おそらく滑空機も使用不可能な状態なのだろう。
「向こうは何とか被害僅少で済んだよ」
「済まん。警護対象を守り切れなかった」
耕介は頭を下げた。
自分で口にしてみて、改めて深い後悔とともに、恥と無念さが耕介の身に圧し掛かってくる。
そんな耕介の肩を的場が軽く叩いた。
「コウちゃんは良くやってくれたよ。細かい報告は後で聞く。先に病院で治療を受けてくれ」
「……ああ」
去り際、それからと言って的場が振り向いた。
「今回の報酬を明日にでも振り込ませる。一年くらい暮らせる額はあるから、それでゆっくりと休養してくれ」
「……」
「不満か?」
「不満つうか、それって、いわゆる口止めてやつか?」
「口止めだ」
「……」
「浦部彩夏の件なら、『良くやった』と、さっき言ったばかりだろ?予備役に過剰な負担をさせたのはこっちの不手際だ。コウちゃんが思いつめることじゃない。汚いと思ってくれていい。だけど、ウチらからコウちゃんに出来ることが、金でどうこうするくらいしかないんだ」
悪いけどそれでいいかなと的場は言って、耕介をじっと見つめた。
「……わかった。ありがたく受け取っておくよ」
耕介が見返しながら手を差し出すと、的場はその手を握りしめた。互いに生き延びた喜びと感謝の意はその仕草だけで、充分伝わった。
「じゃあな」
的場は軽く手を上げ、これから事件解決のために長い時間を共にする仲間の下へと戻っていった。
「コウスケ」
と、傍らに佇むアンナが耕介の袖を引いた。何かを訴える瞳が耕介を捉える。
アンナの顔は埃で汚れきっていた。自分もきっとそうなのだろうと耕介は思った。
「……ああ、そうだな。早く家に帰ろう」




