裏切りの代償
耕介が悲鳴や怒号を耳にしたのは、腕を縛るロープにとりかかった時だった。鉄骨の柱まで移動して、柱を利用して目隠しを外したものの、硬く結ばれたロープは容易に緩む様子を見せなかった。続いて激しく物の砕ける音や地響きが鳴り響いた。
〝殺せ!殺せ!〟
工場の奥から聞こえてくる声はキメラのものだ。先ほどの紳士然とした口調は影に潜め、恐怖や焦りの入り混じった怒声が聞こえてくる。それらの音の他に気になるのが獣のような唸り声だった。
「……新手のキメラの声か?」
町を火の海にするとあのキメラは言っていた。
あと何名の戦闘員がいるかはわからないが数では圧倒的に足りない。もう一体のキメラを用意していると耕介は推測していたのだが、その用意としていたキメラが何らかの理由で暴走したらしい。いずれにせよ、敵が混乱しているのは間違いなく、脱出するチャンスなのにと歯痒い気分で身をよじっていた。
突然、戦闘員の一人が室内に駆けこんで来た。耕介の姿をみて、一瞬たじろぐ様子を見せたが、今起きている現在の状況の方がよほど深刻なのか、どこかに隠れようとあちこちとうろつき回っている。
「おい、そこのお前。お前だよ」
声を掛けて来た相手の正体を知っているだろうに、戦闘員はよほど焦っているのか素直に戦闘員は耕介に近づいて来た。強烈な臭いが鼻を刺激し、出来るだけ息をしないように戦闘員に話しかけた。
「このロープ、解いてくれよ」
耕介の言葉に、戦闘員はじっと耕介を見つめていた。やがて言葉の意味を理解したらしく、戦闘員は激しく首を横に振った。
「何が起きているか知らないが、お前らじゃ手に負えない事態が起きたんだろ?」
「……」
「お前らだって、死にたくないだろ?」
戦闘員は動揺し、扉と耕介を交互に見比べながら迷いを見せていたが、建物の振動がますます激しくなり、悲鳴や怒号が部屋に近づいてくるのがわかると、戦闘員は慌てた様子で耕介を拘束していたロープをほどき始めた。
戦闘員は足からロープをほどき終わると、残る腕のロープに手を掛けた。結び目が異常に硬く、人間以上の力を有する戦闘員でも容易に解けないようだった。
そのうちに獣のような唸り声が聞えてくると、戦闘員はますます焦りを見せ始めた。だが、その焦りが手元を狂わしていく。
胃の腑まで響く咆哮とともに、凄まじい衝撃波が扉の向こうから放たれた。鉄製の重い扉は、くの字にひん曲って吹き飛び、数名の男たちも吹き飛ばされるようにして工場内になだれ込んでくる。血だらけとなったキメラと拓真が彼らの中にいた。彼らは扉の向こうに浮かぶ巨大な黒い影をじっと睨んでいる。ここに耕介がいることは知っているはずだが、そこまで気が回す余裕がないらしい。
おのれとキメラが仇敵を見るような形相に対し、拓真は救いを求めるかのような顔つきだった。
「優夏さん!俺、俺だよ!拓真だよ」
「黙れ、小僧!実験は失敗した!あれは斎藤博士でも浦部彩夏でもない。狂ったキメラだ!」
「うるさい!あれは優夏さんなんだ!」
叫ぶ拓真の横を、戦闘員が黒い影に立ち向かっていく。動きも軽やかで勇敢な戦闘員だったが、この場合、彼の選択は無謀でしか無かった。
あっという間に黒い影につかまり、悲鳴とグシャリと胃に応えるような、何かが潰れた音が聞こえた。
地鳴りとともに、黒い影が壁も砕きながら工場内にのっそりと侵入してくる。
「あれが〝浦部彩夏〟……?」
耕介は浦部彩夏だったものの姿を見て息を呑んだ。
トカゲのように茶緑色に変色して硬質化したむき出しの肌。身体は物語に登場するせむし男のように背は丸まり、乳房にあたる部分は、こぶのように硬く膨らんでいる。両腕両足共に丸太のように太く、刃のように鋭い爪が伸びている。口は耳元まで裂け、ぎょろりと見開いた瞳は互いにあらぬ方向を向きながらも、爛々と輝いていた。
僅かに残った髪を挟む花飾りの髪留めだけが、浦部彩夏を思わせる名残りだった。
「くそ……、撤退だ」
キメラは拓真を餌に隙を見て逃れようと考えた。
斎藤優夏の遺品を失い研究結果も失敗に終わった。
組織もほぼ壊滅状態だが、頭脳である自分が生き残ればやがて盛り返すことができるだろう。こいつの処理は人間たちに任せればいい。
キメラは身代わりに拓真の背後にまわろうとした。だが、予想もしない方向からキメラの身体に重い衝撃が走り、彩夏だったもののの前まで弾き飛ばされた。
キメラの視界に黒ずくめの足が通り過ぎていく。
キメラを突き飛ばしたのは、耕介のロープをほどき、ただ一人残っていた戦闘員だった。
「貴様……!」
キメラの声はそこで途切れた。
キメラとなった彩夏の足がキメラの頭部を踏みつけて粉砕した。逃げた戦闘員も今の彩夏からは逃れることも叶わず、爪で引き裂かれて一撃で絶命し、やがてタイツの破れた隙間から白い蒸気を発しながら消滅していった。
「優夏さん!もうやめてくれよ!俺の声、届いているんだろう?」
異常な事態を目の当たりにしながらも、拓真は引きつった笑みを浮かべながら彩夏に向かって叫んでいる。事情を知らない耕介は、拓真が彩夏ではなく優夏と呼ぶのかわからなかったが、キメラが行おうとしていた計画が失敗したのは明白だった。
「おい、殿村!早くそこから離れろ!お前も殺されるぞ!」
「うるせえ!優夏さんはまだ混乱しているだけなんだ。落ち着かなくて暴れているだけなんだよ……!」
「……」
「落ちつけば、身体もいつもの優夏さんに戻って、今度こそ俺と一緒に暮らせるようになるって……」
その後は何を言っているのかわからずぶつぶつ呟きながら、キメラを見上げている。夢をみるような笑みでキメラに向かって両手を差し出した。その姿勢のまま、一歩一歩近づいて行く。
――狂っている。
墓地で会った時の拓真に対する違和感の正体が、ここに来て漸く思い出すことができた。
『浄化の日』を決行した日、テレビの演説で新世界を夢見るように語った時の斎藤優夏の瞳。
ジ・アーク本部に乗り込み、イーグル・ファイブを前に旧人類の浄化や新人類の可能性を堂々と弁じていたたアーク総帥の瞳。それと同一のものだった。
「おい、止せ、逃げろ!」
耕介は叫んだが拓真は歩みを止めない。
後ろ手を縛ったロープを解こうと再び身体をよじったが、軋む音がするだけで、一向に緩む気配を見せなかった。
その間に、拓真はキメラの前に立った。
「優夏さん。俺たち二人だけの世界を築こうよ」
ゆっくりと彩夏の右腕が伸び、巨大な手が拓真の胴をつかんだ。拓真を持ちあげると彩夏は顔の前まで持っていき、蛇が捕食する時のように口を広げた。
「殿村……!」
耕介は息を呑んだ。
殿村拓真はこのまま狂気を保っていれば、拓真は幸せな夢がみられたかもしれない。だが、目の前に広がる洞穴のように闇の広がる口が、拓真の生存本能を刺激し恐怖を呼び起こさせたのか。
恐怖は拓真を正気に戻した。
夢見る表情は恐怖一色に染まり、目の前にいるのは優夏ではなく、彩夏だった化物でしかないと認識した。
助けてと小さな悲鳴が拓真の口からこぼれた。
「助けて……。助けて……!」
小さな呟きは、次第に叫び声へと変わっていった。
「助けて!死にたくねえ!助けてくれよ!いやだ!いやだ!」
「……」
「助けてくれよ!助けて!彩夏ァ!」
キメラは拓真の叫びやもがきなど意にも介さない様子で、ラッパ飲みでもするかのように頭から拓真を身体ごと呑みこんでいく。
喉や腹に拓真らしき人の形が浮かび上がった。
膨れ上がった腹の中で拓真が暴れているのかキメラの腹の皮が揺れ動き、デスマスクのように苦悶する拓真の顔がうかびあがる。だか、その抵抗も空しく、動きが小さくなるにつれて拓真の姿も薄れていき、キメラの腹の中で生きたまま消化されていった。一時は巨大に膨らんだ腹も元通りになって縮んでいく。
見開いた瞳が耕介を捉える。
拓真を喰らって人の味を覚えたのか、唸り声には喜色が混ざっているようにも聞こえた。
次の標的を耕介とし、ドスンと地響きを鳴らしながら、ゆっくりとした足取りで近づいて来る。
「くそ……」
生身でも耕介のスピードは人並み以上にはあるが、最後まで逃げ回れる自信はない。駄目でもともととやってみるしかなかった。
「変身!」
義眼にエラーと赤い表示が浮かぶ。
「変身!」
再度、エラー。
醜いキメラの巨大な手が耕介の身体に伸びてくる。
駄目だと諦めかけた時だった。
軽快なエンジン音が耳の奥に響いた。窓の外からだった。彩夏もエンジン音に気がつき窓を見上げる。次第にエンジン音は大きくなったかと思うと、誰かを乗せたバイクが窓を突き破り、キメラの顔面をバイクのタイヤが捉えた。
キメラは突然の衝撃にもんどりうち、顔面を抑えながらのたうちまわっている。バイクは墜落し、フレームやウィンカーなどを無残な姿で転がっていた。
その傍らに立つのは見慣れた金色のツインテールの女。
今日ほど頼もしいと思ったことはない。
「あれだけの騒音。すぐにわかった」
「アンナ……」
言葉がそれ以上出て来なかった。




