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喰らう闇

 頬に何か濡れた感触があって目を開けると、稲葉耕介の視界は目隠しされ、闇で覆われていた。耕介は思わず立ち上がろうとしたが身動きができない。 

 自分の状態を一つ一つ確認してみると、椅子に身体をロープで括りつけられ、手や足も縛られているようだった。

 耕介は布を通して僅かに感じる光を頼りに周囲を見渡した。

 換気扇らしき物音が気だるげそうに轟音。埃っぽい乾いた空気。その空気に混じった塗料の刺激臭。ここが南雲の自動車工場内だろうと推測するまでそれほど時間はかからなかった。


「……殿村。近くにいるのか?」


 闇に声を掛けても返って来るのは静寂だけだった。だが人の気配と視線を感じる。どこかに隠れて見ているのだと思うと、それまで溜めこんでいた怒りが爆発した。


「トノムラァ!出て来い!」


 怒りがそのまま言葉に出て、静寂な空気を切り裂いた。怒声が工場内に響き渡り、反響が治まると奥からこつこつと靴の音がした。


「君にもそんな一面があるんだな。稲葉耕介」


 厳かな口調が工場内に響き、やがてドスドスと重い足音が近づいてきた。管から空気が漏れた様な音もする。見えなくても誰かは予想がついた。


「あんたは……、あの時に襲ってきたキメラか……?」


「そうだ。だから初めましてではないかな」


「随分と声がやつれているな。ぴーぴー息も荒いけど、どっか怪我でもしたのか」


「君のおかげで立つのもやっとでね。全快までにはしばらく掛かりそうだ。余計な苦労をさせられている分、君には損害賠償でも請求したいね」


「浦部彩夏を解放しろ。お目当てのメモリーカードだって、あんた持ってんだろ」


それは約束通りねとキメラは含み笑いをした。


「だが、厳密には約束通りでは無いな。あの封筒は受付を経由して知らせているんだろ?」


「……殿村から聞いたのか」


「約束を守らないのでは、返すこともできない。君のせいで、町を火の海にするという報復行為を実行しなければならなくなった」


 卑怯だぞと耕介は喚きながら、ロープを振りほどこうと身をよじった。ロープは縄状のものなのに上手く力がはいらなかった。


「その義肢の欠点は、人の感覚に近づけ過ぎて、関節を決められると人と同じ様に上手く稼働できない点だな。おかげで我々も助かっているがね。その状態では変身もできまい」


 耕介の身体に仕組まれた変身装置は、五体が自由な状態だと認識されなければエラーを起して変身できない。余計な誤作動を避けるためにプログラムされたものだが、それが今回、仇となった。


「あんたと殿村、どういう関係だ?メモリーカードの中味は何なんだ。何が狙いなんだ」


「それは君の知るところでは無い。本音を言えば君をすぐに始末したいところだが、君の内蔵された生体反応が、国連支局に通じている場合もある。君の死が分かって、そちらから攻撃を仕掛けられては面白くない。まあ、約束の時刻までは生かしておくがね」


「殿村……。近くにいるんだろ?返事をしろ」


 耕介に近づいてきた時の足音は複数だった。もう一人は当てずっぽうだったが、いるとしたら殿村だろうと確信めいたものがあった。


「……よくわかったな。探偵さん」


 殿村の声が聞こえた。位置から声はキメラの後ろからだ。


「お前、どういうつもりだ?こいつらが何をしてきたのか、知ってんのか」

 知っているよと殿村が言った。


「ここに来る前、『アンタらが嫌い』と言ったばかりだろうが。話を聞いてたか?」


「……お前のそれは答えになってねえんだよ。こいつらは問答無用で浦部をさらい、多くの人が無差別に殺した。何の意味もなく。本当にお前、何をやっているのかわかっているのか?」


「死んだのはお前らが無能だからだろ。俺のせいじゃねえよ」

 

 事もなげに語る拓真の言葉に、耕介は耳を疑った。愕然として言葉も出ない。

 得体の知れない化物と会話しているようで、耕介の総身にぞっと寒気が奔った。


「お前……、人間か?」


「それはお互い様だな。あんただって、国だか家族だかを守る為とか空々しい理由で人殺しのイーグル・ファイブに入ったんだろ。俺には俺なりの理由がある」


「……」


話はそこまでにしたまえとキメラが口を挟んだ。


「稲葉耕介。君は良くやってくれた。お礼に少し教えよう。斎藤博士は生前、とある研究データを遺した。そのデータを何らかの形で博士の妹である浦部彩夏に託したことまでは掴んだのだが、その正体が何かまでは分からなかった。当の浦部本人も何も知らされていない。そのために我々も表だって行動が出来なかったのだ」


「……」


「そこで計画をしたのが、我々の情報を流し、君らを呼びよせて『何か』を探させることだった。トリュフを探し当てる豚のように。ただ、君らが『何か』までなかなか理解しないため、こっちから行動しなければならなくなったのは予想外だった。できれば、メモリーカードが見つかるまで我々の存在を知られたくなかったのだが」


「……大阪や羽田もあんたらが仕組んだのか」


 まさかとキメラは苦笑した。


「残念ながら、我々も一枚岩でなくてね。組織が幾つも別れていて、自分の組織をPRするために競争しているのが現状だ」


「……」


「大阪羽田のテロ事件は、我々とはグループが異なるからあずかり知らぬことだが、奴らの情報を幾つか入手していたから利用することにした。結果的に戦力が割かれて我々には幸運だった」


「……」


「話はここまでだ。あとはお迎えが来るまでゆっくりとしているがいい」


「待て。もうひとつ。浦部彩夏は無事なのか?」


「無事だよ。彼女も我々には必要な人間だからな。もっとも、もうすぐ浦部彩夏ではなくなるがね」


「なに?どういうことだ」


 耕介の質問にキメラは答えず、残りの時間を楽しみたまえと言った。


「あばよ。無能な働き者」


 拓真の嘲る声が続くと、耕介から足音が遠ざかっていく。そして扉が錆びた金属音を立てて閉まると、再び工場内には静寂の空間が耕介を包んだ。


 浦部彩夏は耕介とは向かいの工場棟で監禁されていた。

 耕介のような目隠しや手足をがんじがらめまではされていなかったが、身体を椅子ごとロープに縛られ身動きがとれない状態だった。

 周囲には放置されたドラム缶や鉄くずが散乱し、耕介と同様に手足も縛られ、加えて見張り役の戦闘員が、ガラス玉のように虚ろ目をして彩夏を取り囲んでいる。


 自分を襲った連中の姿に、彩夏はすっかり怯えきってしまい、頭の中も真っ白になって震えて口も利けないでいた。

 だから、拓真が彩夏の前に現れた時、拓真が救出に来てくれたのだと勘違いして思わず歓喜の涙を浮かべたほどだった。しかし、それも僅かの間で、続いて入って来た化物の姿に彩夏の顔は硬直した。

 以前、耕介が戦ったキメラと呼ばれる怪物だった。

 怪我はないようだなと無表情のまま拓真が呟くと、隣のキメラと目を合わせて頷いた。キメラは近くの戦闘員に指で合図をすると、数名の戦闘員がどこかに消えた。

 その様子を見て、彩夏の表情は次第に強張りを見せていく。


「タっくん……。助けに来てくれたんじゃないの?」


「いや、違うよ。俺、こいつらの仲間だから」


「え?」


 訳がわからず拓真の顔を凝視した。

 冗談を言っている顔付きでもなく、表情も崩さないで真顔のまま拓真が見返してくる。


「こんにちは、浦部彩夏さん。手荒な真似をして申し訳ない。もうすぐ楽になるから。覚えているかなこの声を」


 拓真の隣で、キメラは口元に優しげな微笑みをたたえて柔らかな口調で言った。

 多少かすれているが、胸にバラの花を差していた老紳士の声を思い出していた。


「これが私の本当の姿なんだだ。あの老人の姿は疲れてね」


「……」


「君のお姉さんである斎藤博士は遺伝子工学の権威だ。その研究結果によりキメラや戦闘員といった人間の力を超えた存在を生みだすことに成功した。それは君も良く知っているね?」


「……」


 単に狂った殺戮兵器を生み出しただけで何が成功だと言うのか。しかし反論する勇気も沸かず、彩夏は黙ってキメラの言葉に耳を傾けるしかできなかった。


「我々は昨年、ある資料を手に入れた。斎藤博士は偉大な方だ。常に先を見越した研究をしている」


 そこで扉が開き、戦闘員の一人が銀色のアタッシュケースを提げて戻ってきた。

 ドラム缶の上にケースを置いて開くと、中からおもちゃの光線銃のような形状のものが納められていた。例えによっては電動ドリルにも似ている。先端付近に青色の液体が入った注射器が設置されていた。


「おそらく万が一の事態も考えていたのだろう。確かに新しい世界へ向かうための我々の〝箱舟〟には彼女の存在は絶対的なものだからね」


「……」


「このメモリーカード。これには何のデータが入っていると思うね?」


 キメラはメモリーカードを見せながら彩夏に尋ねた。彩夏は無言で首を振る。キメラの話についていけなかったし、考えたくもない。


「この中には〝斎藤優夏〟が収められている。細胞による遺伝子操作によってクローンを生みだすのではなく、自らをデータ化しそのデータをこの注射器を通して注入することで対象の遺伝子を組み替え、クローンを生みだす。そのデータだ」


「……それが私と何の関係が?」


「博士の残した資料にはね、〝最適な験体は近親者である〟と記されてあった。例として君やご両親の名前も記載されていたよ。文が途中で切れているために、肝心のデータがどのような形で残っているのか掴めず、判明するまで随分と遠回りしてしまった」


「嘘でしょ?お姉ちゃんがそんなことを言うわけないもん……」


「博士は常に新しい世界に向かうために尽力されていた。君には気の毒だが、新世界を築くためにその礎となるのだよ。君は偉大なお姉さんに生まれ変わるんだ。素晴らしいことだとは思わないかね?」


「……」


 信じられなかった。

 優しかった姉。美しかった姉。結婚し、可愛い女の子を産んで幸せに満ち足りた姉。

 狂気にとり付かれた姉の中にも、人としての美しさが残っていると信じていたのに、幻想は打ち砕かれ、肉親さえも自らのエゴのために利用する醜い人間だけが残されていた。


「タっくん……」

 

 絶望に苛まれ彩夏は力なく拓真を見上げた。拓真は先ほどと変わらず、同じ姿勢でじっと彩夏を見つめている。


「タっくん。私、この神林から離れるかどうか悩んでいたのだったの。でもタっくんがいるから、離れたくもなくて……」


「……」


「私、タっくんのこと大好きだったんだよ。無口なところと口が悪いのが玉にきず、と思っていたけど、いつも傍にいて見守ってくれるから心強いと思ってた。ずっと傍にいたいてメール、すごく嬉しかった」


「……」


 二人の傍らで、キメラと戦闘員は淡々と作業を行っている。メモリーカードを注射器に差し込み機械を稼働させると、青い液体が琥珀色に変化した。戦闘員が針から液体を二、三滴出して空気を排除したのを確認すると、ゆっくりとした足取りで彩夏に近づいて来る。


「前も私を心配してくれて送ってくれたよね。私にしてくれたこと、全部、嘘だったの?」


 ごめんなと拓真は優しく微笑んだ。

 昔、三人一緒だった頃、「優夏さんと結婚するんだ」と言った時に見せた表情がそこにあった。

 自信と希望に満ち溢れた笑顔。

 あの時のように力強く拓真が答えた。


「俺は、時々お前に優夏さんと重ね合わせていた。笑顔だとか拗ねた顔だとか、そこに優夏さんを思い出していたから一緒にいた。でも、このキメラの話を聞いて、それは間違いだと気が付いたんだ」


「……」


「お前は優夏さんじゃないんだよな。俺、お前じゃなくて、やっぱり優夏さんが好きなんだ。優夏さんと一緒になりたいんだ。今度こそ、俺が優夏さんを幸せにするからさ。優夏さんに生まれ変わってくれよ」


 絶望が彩夏を襲った。


「……私、いらないの?」


「うん、いらない。優夏さんが欲しいんだ」


 何もかもが真っ白となった彩夏の腕に、注射針が刺される。

琥珀色の液体が体内に流れ込み、瞬間、内側から呼び起こされた別の意思が彩夏の意識を喰らい始めていく。闇が視界や意思を黒く染めてゆく。何かに変わっていく恐怖だけが彩夏のなかに残っていた。


 タスケテ、アンナチャン。

 

 タスケテ、イナバサン。


 だが、彩夏の叫びも言葉にならず、どうにか発せられる言葉も、壊れたテープのようにもったりとした声へと変質していく。そして、闇が完全に彩夏を呑みこんだところで、浦部彩夏の意識はふつりと途絶え、そして消失した。


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