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裏切り

「奇跡と言うには言葉が足りないですね。この程度の負傷で済んだのは」


 担当した若い医師は耕介に振り返りながら、驚嘆混じりに語った。

 運の良い奴ですよと言って、耕介はベッドの上に横たわるアンナを見下ろしていた。白い腕に点滴の管が繋がっている。


「ちょっと気になったのが、彼女の腹部にあった古い傷痕。背中にまで達していたようですが、これは……?」


「昔、戦闘に巻き込まれた傷です。俺がイーグル・ファイブだった頃に、誤って俺が彼女を刺してしまった傷痕なんです。幸い一命を取りとめましたが」


「……そうですか」


 まずいことを聞いたという顔をして、医師は沈痛な面持ちで顔をそらした。

 実際は二年前、当時〝ナイトメア″であったアンナと〝ブラックイーグル・デッドマン″であった耕介が、最後の闘いで互いに刃を交えた結果、アンナが負った傷痕なのだが、それは医師に伝えることはできない。

 そうとは知らない医師が慰めるように耕介の肩を叩いた。


「多少のやけどや擦り傷はありますが、脳波に異常もないし骨折もありません。今は鎮静剤で眠ってますが、見た目ほど深刻な負傷は認められませんから、数日あれば退院できます」


「……ありがとうございます、先生。あなたも大変なのに」


 顔をアンナに向けたまま礼を述べた。医師は口の端だけ歪めて病室を後にした。彼にはまだ仕事がある。これからジ・アークによる無差別攻撃でここに運び込まれた十数名の死体の面倒を見なければならないはずだ。

 医師が病室を去って静寂に戻ると、耕介は椅子に座り込み、アンナの寝顔を見つめていた。絆創膏やガーゼが貼られている以外、穏やかな眠りについているように見える。


 ――あの時みたいだな。

 二年前、ナイトメアだったアンナを運び込んだ病院の部屋も、こんな造りをしていた。

 あの時もアンナの枕もとに耕介は座り、同じ様にじっと見守っていた。

 アンナとはこれまでに三度刃を交えている。

 一度目は生死をさまようほどの重傷を負い、今の機械仕掛けの身体となった。二度目の東京では辛くも勝利し、三度目の最後の決闘はジ・アークの本部だった。


 ――三度目は戦ったとも言えんか。

 二度目の戦闘で思考を拘束していた装置が破壊されたことで自我に目覚め、自分の過去や正体を知ったアンナにかつての戦意は無く、耕介の前では敵では無かった。耕介のガン・ソードがナイトメアの腹部を貫き、それで決着がついたはずだった。耕介もアンナを放置してその場から仲間たちの元へと戻るつもりだった。

 だが、そうしなかった。

アンナを助けたのは、去り際にアンナが漏らした一言だった。

〝ごめんなさい″。

 その一言が、今まで耕介の中で燃えていた復讐心や殺意を消し、気がつくとアンナの小さな身体を抱えて仲間たちの元へと走っていた。この子を助けなければと悲痛な想いが耕介の胸を占めていたのだった。


 ――なんで俺についてきたんだろうな。

 今でも耕介にはわからないことがある。

二年前、アンナがようやく目覚めた時に思わず俺と一緒に来るかと尋ねると、アンナは無言のまま、じっと耕介を凝視していたが、やがて小さく「うん」とうなずいた。

 上層部にはジ・アークにさらわれ、過去の記憶を失った女の子として報告している。

 上層部も耕介の報告を信用し、耕介がイーグル・ファイブを去る際にアンナを引きとると申告した時も、仲間内から多少揶揄された程度で、大して疑われることなく了解を得ている。

 アンナはあのまま自由になれたし、どこへでも逃げ出すこともできたはずだった。

 だが、アンナは耕介に従い、地方でしがない探偵事務所の助手として一緒に暮らしている。いつか聞こうと思っていても、タイミングを逃してしまい現在も聞けないままでいた。


「まあ、無事で良かったよ……」


 耕介は安堵の息が洩らしたのだが、次に現在起きている事件が頭にもたげてくると、奪われた命や責任の重さに、先ほどアンナの無事を喜んだ自分が後ろめたく思え、いつの間にか頭を抱えていた。連日の疲労や極度の緊張感、加えて今回の無差別攻撃によって多数の死傷者を出してしまったショックで、耕介の身体に重い疲労感と無力感が襲っていた。

 ――何が間違っていたんだろう。

 どこをどうやり直せば今回の事態に至らなかったのか、何度反すうしても答えが見いだせないでいた。神林町に到着した段階で浦部彩夏をどこかに隠せば良かったのかもしれない。自分が警察に意見し指揮すれば事態を防げたのかもしれない。周囲の被害など気にせず、バスターランチャーを撃てば良かったのかもしれない。


 だが、明確な答えは出て来ず、浮かんでくるのは後悔と自責の感情だけだった。

 ――とにかく、なんとかしないと。

 自分を叩いてでも動かさなければ、虚無の泥濘にはまりかけている今の状態から抜け出すことも不可能に思えた。

「ゆっくり休みな」

 耕介はアンナの頬を優しく撫でると、病室から廊下へ出た。エレベーターに乗り一階のフロアに出ると、ロビーには真夜中にも関わらず多く人で溢れていた。


 事件に巻き込まれた被害者の家族や友人たちだろうと思われた。皆、一様に無口で、彼らの中で何人ものスーツ姿の屈強な男たちが悄然と俯いて椅子に座っている。彼らは耕介の姿を認めると、非難がましい冷たい視線を送られてくる。耕介は痛烈な視線が矢となって背中を刺してくるのを感じていた。聞えよがしに舌打ちする音が追いかけてきた。

 見覚えのある人間もいる。SPの同僚たちだろう。

 無能。余所者。うすのろ。

 対応が遅れ、後手に回っている国連日本支局やイーグル・ファイブに対する不信や不満がここにきて一気に噴出しているようだった。その矢面に耕介一人が立たされている。

 胸が詰るような息苦しさを感じていたが、それでも今は立ち竦むわけにはいかなかった。

 署に戻ろうと耕介が病院の出入り口から出ると、おいと誰かの呼ぶ声がした。


 振り返ると、殿村拓真が闇に紛れて佇んでいた。

よくわかったなと耕介が言うと、ニュースで知ったんだと拓真は答えた。どんな罵詈雑言も甘んじてうけるしかないと心の中で覚悟をしていたが、開いた口は意外と穏やかだった。


「彩夏がさらわれたんだってな。家の付近にも行ったが、酷い有り様だった。あの辺りの町は何もかもなくなって焼け野原だ」


「ああ。大勢の人間が死なせちまった……」


「これから、どうするんだ?」


「今、自衛隊を中心に救出チームを編成している。準備が済んだら浦部彩夏の救出に向かう」


 耕介は煙草を取り出して火をつけた。それを見ても拓真は何も文句を言わないまま、じっと耕介を見つめている。


「なんだ?」


「彩夏の家に行こうとした時、途中で変なじいさんから手紙を渡された。あんたにだって」


「俺に?」


 耕介は白い封筒を拓真から受け取ると、街灯に照らして透かしてみたり、裏表を指紋がないか確認した。センサーで中味を確認しても毒物の付着や爆発物も感知されない。あるのはセルロースと水素の反応しかない。

何の変哲もない普通の封筒だと判断し封を掛けた。


「変なじいさんて、どんな奴だ」


「変ていうか、不自然ていうのかな。スーツ着て、良い身なりしてんだけど……。この夜更けに変じゃねえ?」


 耕介の手がぴたりと止まった。脳裏にはある老人の顔が浮かんでいる。


「そのじいさん、胸にバラの花をさしてなかったか?」


「ん?ああ、たしか胸のポケットにあったな。そのじいさんだよ」


 耕介の総身に寒気が走り、いつしか脂汗が滲んでいた。急いで手紙を広げ、一通り読み終わると、放心したままゆっくりと顔をあげた。


「何だ?なにが書いてあった」


「……」


 口にするのも気が重く、代わりに深いため息をつくしかなかった。


〝メモリーカードと引き換えに娘を渡す。

 本日、午前十時までに神林町六丁目、南雲自動車の廃工場まで一人で来い。約束に遅れるか、仲間に知らせれば浦部彩夏を殺し、町を『浄化』する〟


 問答無用で襲撃を掛け、関係の無い人間まで無差別に殺す連中だ。脅しでは済まないだろう。


「南雲自動車の廃工場て、知っているか?」


 手紙を折りたたみながら耕介が尋ねた。廃工場や廃屋といった潜伏しやすい場所は、ほとんど捜索を済ませているはずだった。捜査の際にはジ・アーク戦闘員を感知する特殊なセンサーを使っているから、例え逃げられた後だとしても何らかの反応はあるはずだ。


「南雲はウチの工場だけど、ウチには廃工場なんて……」


と考え込むように拓真は腕を組んでいたが何かに思い当たって顔を上げた。


「奥の建屋が空いている。他はまだ機材や車両が残って稼働している建屋もまだあって、人もいるから正確には廃工場てわけじゃない」


「それで捜査対象から漏れたか……」


 耕介の体に再び重いものがのしかかってきたが、堪えるようにして手紙を封筒にしまうと、耕介は背を向けて病院のロビーに向かった。


「おい。どこへ行くんだよ」


 待ってろと言い捨てて、耕介はフロアに入って受付のカウンターへと向かった。手帳を下敷き代わりにして、ペンで手紙に何かしたため、その後、封筒の裏に自分の名を記載し、前の来客の応対が終わるのを待って、受付の若い女性係員に声を掛けた。彼女も徹夜らしく幾分目が腫れぼったい。

セロハンテープはあるかと尋ねて、女性係員からテープの切れはしを受け取ると、封の口を貼り直しながら耕介が言った。


「こんな夜更けに大変だね」


「ええ。昨日の朝に視たテレビの占いだと絶好調だったんですけどね。日が変わって、今日は最悪みたい」


 皮肉めいた微笑を浮かべた。えくぼに愛嬌がある女性だと耕介は思った。


「ところでどういったご用件ですか?」


「あと一時間後したら神林警察署に連絡してくれないかな。そこの会議室に後藤という職員がいる。俺の名前を言って彼をここに呼び出してこの封筒を渡してくれないか。事務的な手続きの話だから、その時間になってからじゃないとダメなんだ。頼めるかな?」


 言い終えると、耕介はニコリと微笑んだ。

 耕介から気弱さそうなくらいに人の良い笑顔で頼まれると女性係員も悪い気はせず、頬を赤らめながら、良いですよと快く封筒を受け取った。


「ありがとう。助かったよ」


 この手紙が国特か警察に伝われば、手紙に記されている約束の時間までには態勢が整うはずだった。それまでにはケリをつける。

 いえと女性係員は照れ臭そうに笑った。神林市に振りかかろうとする災厄や耕介の気も知らず、女性係員はイケメンゲットだぜと心の内で気合を入れながら咆哮していた。


「それよりも、この後、非番なんですか?良かったら……」

 

 封筒をカウンター下のレタ―ケースに納めながら女性係員が顔を上げると、耕介の姿は既にそこにはなく、出入り口ロビーから出て行くところだった。


「ちぇ……。せっかくの出会いを逃したかな……」


 せっかちな人だなと少しの間、ふくれっ面で女性係員は耕介の背中を見送っていたが、新たな来客が声を掛けてくると、慌ててぎこちない愛想笑いを浮かべて来客の応対をし始めた。

 その後、耕介が指定した時間になるまで業務に忙殺され、耕介との僅かに交わされたやりとりでさえも彼女は思い出すことが無かった。

 耕介がロビーを出ると、そのまま駐車場へと歩いて行った。拓真が後ろからどうするんだよと追いかけてくる。


「決まっている。浦部彩夏の救出だ」


「場所はわかるのかよ」


「再見分でうんざりするほど市内を引っ張りまわされたからな。ナビを使わなくてもおおよその場所くらい把握している」


 やるせない気分を抱えたまま駐車場に到着し、耕介が車のドアに手を掛けるとその手を別の手が阻んだ。振り返ると拓真がそこにいる。


「俺もさ……、連れてってくれないか?」


「危険だぞ。相手が誰かわかってんのか?」


「わかっているよ。でも、俺もついて行きたいんだ」


「……」


「頼むよ。足は引っ張らない」


 これまでの不遜な態度はどこかにひそめ、むしろ懇願するような態度で耕介を見上げていた。

 本音を言えば、アンナが不在の今、猫の手も借りたいくらいだった。だが、戦闘はまったくの素人でかつ部外者の手を借りるにはためらいがある。

こいつの身に何か起きたらどうする?

 そんな耕介のジレンマを解いたのは拓真の一言だった。


「彩夏の傍にいたいんだ」


 目に強い光が宿っていた。正福寺で最初に会った時と似た光だ。意志の強さを感じる者の、一方で不安も感じる光。

 どこかで見た光だと思いながらも、それが何か思いいたらない自分を歯痒く思った。


「な、連れていってくれよ」


 正体が掴めないまま、何度目かの申し出に耕介は頷かざるをえなかった。

やはり一人くらいは人手が欲しい。

 時間もない。


「わかった。だが、一つ約束しろ」


「……?」


「浦部彩夏を助けたら、この車で脇目も振らず逃げろ。そのまま神林署に駆けこめ」


 拓真が頷くのを見て、耕介は運転席に乗り込んだ。ドアを閉めようとしたのだが、拓真がその場に立ってドアに手を掛けたまま、耕介を見下ろしている。


「……どうした?急げ」


「助手席、ちょっとモノを置かなきゃいけないから乗れないんだ」


 何が?と言って耕介が助手席に目線を向けた時だった。耕介の脇腹から何か鋭い衝撃波が身体を貫いた。何だろうと振り返ろうにも身体に力が入らない。そのまま助手席のシートの上に崩れ落ち身動きが出来なかった。何が起きたのか理解しようにも、意識が飛んで頭のなかが混濁してしまい、目に映る何もかもがフィルター越しで現実味の無い風景に見えた。


「そこの席はアンタが座るんだからよ」


 拓真の声が遠く聞こえた。

 席?

 アンタ?

 僅かに開いた視界の隅に、拓真らしき男の右手に青白い閃光が奔った。それがスタンガンだと認識すると、漸く何が起きたのかおぼろげながらも理解し始めた。

 殿村拓真が裏切った。

 だが、何故?


「ト……ノ、ム……ラ……。キ……サマ……」


 発する声も息が漏れただけようにか細い。

 目と口がほんの少しだけ動かせる程度だった。

無抵抗の耕介の身体を探り、内ポケットからメモリーカードを取り出すと勝ち誇ったように笑みを浮かべて、ひらひらとメモリーカードを耕介に見せつけた。


「必要なのはメモリーカードでさ、あんたなんか要らねえけど、あのじいさんが連れてこいていうからよ。大人しく助手席に座っといてくれよ」


 拓真は耕介の身体を蹴り飛ばすようにして助手席に移動させると、自分のポケットに忍ばせていたロープで、後ろ手にした耕介の親指同士をそれで結わえた。


「ど…う……し…て……だ……?」


「最初に会った時からわかっていたろ?俺はアンタらが嫌いなんだ。イーグル・ファイブだか警察だかしらないが、堂々と人殺して英雄気取りかよ。お前らの何もかも気に入らねえ」


 毒づきながら拓真はスタンガンに電流を奔らせ、耕介の身体に当てると、再び容赦の無い電流が駆け抜けた。

 今度は完全に耕介の意識が飛び、暗闇の底へと沈んでいった。


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