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プロローグ〜降りしきる雨

 束の間の晴れ間を見せていた青空も、急にどんよりとした暗い雲に覆われたかと思うと、急に大粒の重たい雨が降ってきて、町をあっという間に灰色の世界へと変えていった。


「雨ばかりでホントに嫌になるねえ」


 このところ常連となった眼鏡を掛けた老紳士が、いつものようにバラの花を一本購入し、彼を見送った後、花屋〝メリイ〟の女店主である松木はうんざりとした様子で空を見上げた。


 そして、店先に並べて置いていた鉢やタンブラーを店内に片付け始め、でっぷりとした巨体にふさしいパワーで重量感のある鉢を軽々と持ち上げる。


「アヤちゃん。こうなったら、今日はもう店を閉めちゃいましょうよ」


 松木は店の奥で慌ただしく商品を片づけている、従業員の浦部彩夏に向かって言った。小さなコスモスの花が装飾された髪留めが、電灯の光に照らされキラリと反射する。


「でも、ちょっと早くないですか?」


 彩夏はチラリと店内の時計に目を向けた。

 まだ午後四時をまわったばかりだった。店じまいというにはまだ早すぎる。


「いいのよ。今日はお客もいないし」


 松木は重い身体を揺すって軒下まで歩いた。

 どしゃ降りの雨が降りしきる町の通りは人影もなく閑散としている。時折、派手な水しぶきを立てながら車が通過していくばかりである。

 いつもはもっと賑やかなのにねえと、松木は溜息をついた。「梅雨の時期になると、いつもこんな調子だから参っちゃうわね」


 松木は店の不景気に嘆く様な素振りを見せたが、どうやらそれは彼女の方便だったらしい。すぐに明るい表情に戻り、今日はみまつ屋で美味しいケーキ買ったのよと言い、奥で一緒に食べようと彩夏を誘った。


「じゃあ……。お言葉に甘えていただきます」


 彩夏が答えると、用意しにいくと言い残し、松木はいそいそと奥の居間へと入っていった。彩夏は店のシャッターを閉じるため、入口へ向かった。


「凄い雨……」


 雨は降り始めよりも次第に勢いを増している。

昨日までの降りよりも激しく、あの傘だとずぶ濡れになりそうだと、自分が持ってきた使い古したビニール傘を思い出して後悔した。幾つか骨が折れていて、水がビニールの隙間から洩れてくる。以前から買い換えようと考えていたのだが、このくらいならと思って先延ばしにしていたのだ。


 彩夏は店の軒下に立ち、空を見上げた。

 梅雨入りしてから雨が降ったりやんだりの日々が続いているが、ここ五日間はわずかに晴れ間をみせるだけで、あとはじんめりとした雨が神林市を濡らしていた。


 そんな折、一人の中年女性が彩夏の前を通り過ぎようとしていた。近所に住む田代という女性である。目が合ったので彩夏は挨拶しようとすると、田代は目をついと背け、いそいそと足早に通り過ぎてしまう。

こんなことは何度も体験していることだが、やはり慣れるものではなく、胸がチクリと疼いた。


 そんな彩夏の視界の端に、鮮やかな輝きが目に映った。

 視線を向けると、隣家の柵からアジサイの花が顔を出している。彩夏の重く暗い気持ちが少しだけ軽く、和んでいくのを感じた。


 彩夏は松木のように梅雨を疎んじてはいない。

 雨は町に暗く憂鬱な空気をもたらしてくるが、そこに生まれる静寂な空間が彩夏は好きだった。何もかもが静かで平和で、雨は全てを洗い流してくれるのではないか、つらいことも哀しいこともこの世では何も起きていないのではないか。そんな錯覚をしてしまう。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、彩夏は空を見上げていたが、ふと人が近づいてくる気配を感じ、隣家と反対側、田代が去って行った方向を見ると、誰かが彩夏へと近づいて来る。

 俯き加減に黒い傘を傾けているため、顔までは見えなかったが、油と煤で汚れた灰色の作業着や、見慣れたその体格からすぐに誰だかわかる。


「タッくん。そっちももう仕事は終わりなんだ?」


 彩夏に声を掛けられ、タッくんと呼ばれた人物は足を止めた。

 おもむろに傘を上げその呼び方はやめろよと不機嫌そうに呟く。


「中学生の頃じゃあるまいし、俺には殿村拓真て名前があるんだぜ。いい加減やめろよ」


「いいじゃない。タッくんはタッくんなんだから」


 無邪気に微笑む彩夏に、拓真はちぇと舌打ちするだけで顔を背けてしまった。

 二人は小学校中学校時代は家を行き来するほどの仲だった。

 高校では別々となってしまったが、卒業後、お互い働き始めてからは職場が近いこともあって顔を合わせる機会も増えていた。


「彩夏。明日は何時に家を出るの?」


「十時ころに家を出る予定だけど……。でもタッくん、明日、仕事があるんじゃないの?」


 殿村拓真は〝南雲自動車工場〟で整備士として働いている。

 二二歳という若さながら上の良い技工士として社内では評価されて指導責任者でもあるという。



 拓真はしばしの思い出に浸る彩夏の横顔を無言で見つめていた。拓真は口を真一文字に結び、傍から見れば思いつめた表情に見えたかもしれない。


「じゃあ、明日な」


 拓真はおもむろに口を開くと、背を向けて帰っていった。背を丸め気味にして遠ざかっていく拓真の後ろ姿は寂しげで、重いリュックでも背負っているかのように足取りも重いように思えた。


(いつから……)


 いつからあんな歩き方になったのだろうと訝しむ気持ちで彩夏は拓真を見送っていた。


「ちょっと、彩夏ちゃーん。準備出来たわよお」


 店の奥から松木のドラ声が響き渡った。

 ケーキのおあずけを喰らって待ちきれない様子が、その声からも伝わってきた。 松木も夫をジ・アークとの戦争で失っている。

 子も無く、一人で店を守っている。その孤独やつらさだってあるだろう。しかし、微塵も感じさせることなく店を切りもりしている。


 強い人だなと感心しながら、彩夏は奥に向かってはあいと大声で返すと、シャッターに手を掛けた。


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