重力が無くなって3年後の午後
私は紙パックの紅茶にストローを刺し、喉を潤した。
時々紙独特の臭いがふんわりと、私にストレスとしてまろやかに口腔内を刺激する。
それと同時に私の五感を心地よく刺激してくれていた優雅なティーカップ。それへの深い想いだけが募っていく。
優雅なティーカップへの深い想いは同時に重力への深い想いに繋がる。
3年前に重力が無くなって以来、もっぱら紙パックの飲み物にストローを刺す生活を営んでいる。
やはり無重力という状況下では、”コップ”という道具が完全に意味を成さない。
コップに水分を注いだとしても、空中を漂うだけで喉を潤すことができないからだ。
実に不便だ。
私が懸念していた”ナイフとフォークが無意味な存在になるだろう”という件は、私が思っていた以上に様々な調理器具を無意味化させてしまった。
鍋料理なんかもできない。
世の中から熱々のおでんが消えた(熱々が空中を漂っていたら危険だ)。
しゃぶしゃぶが消えた(空中に浮かぶ熱湯にしゃぶしゃぶすることは不可能だ)。
ちゃんこ鍋も消えた(力士は何を食べるのか。まぁ、無重力で相撲をとるのも難しいが)。
鍋の後のオジヤなんかは、心を震わすほど食べたいものだ。
ただ単にオジヤを作るだけではなく、”鍋の後”というのがポイントだ。
そもそも調理器具のほとんどが使えなくなってしまった。
レンジ以外は使い物にならないと言っていいだろう。
今では食事のほとんどが冷凍食品だ。
ただ、無重力は我々人類に悪いことばかりをもたらした訳ではない。
世の中から車が消えたのだ。
人間は移動に乗り物を要さなくなった。
自動車の代わりにロケットのようなものを背中に背負って、手元のスイッチを押すと勢いよく空気が噴出される。
この仕組みを利用し、たった一歩でかなりの距離を短時間で移動できるようになった。
あんなに自動車で混雑していた道には、一台も自動車は存在しない。
このままなら地球の温暖化も食い止めてくれるかもしれない。
私が懸念していた”家具が空中に浮遊して、今までとは比べ物にならない確率で足の小指を家具の角でぶつけてしまうだろう”という件だが、無重力になればなったで家具にぶつけないように注意するので、全く問題なかった。
重力があっても無くても、人間の注意力はある程度一定に保たれているようだ。
もし仮に足の小指を家具の角にぶつけたとしても、それは自分自信の不注意でしかない。
以上が私の個人的に思う、重力が無くなって劇的に変化したと思っている事例だ。
本当は世の中が劇的に変化した事例はこんなものではないのだろうが、あくまでも私個人が思う個人的な変化なのでその点は理解していただきたい。
そんな重力の無い部屋の中央を漂うベッドをぼんやりと眺めながら、私は気持ちの良い秋晴れの午後にジャンゴラインハルトを聴いている。
手作りではないケーキと紙パックに入った紅茶を飲みながら。
「臨時ニュースです。本日宇宙科学省から、”あと3時間程で地球の重力は元に戻る”との発表がありました。」
「繰り返します。本日宇宙科学・・・。」
どうせまた水星と金星から発生する”何か”が、地球の重力に強い影響を与えたのだろう。
しかし3時間後とは急な話だ。
私は部屋の収納庫にしまっていた車椅子を取りだし、体と車椅子が離れないように紐でくくりつけた。
そして部屋の中で重力が元に戻っても良いような姿勢をキープして、ジャンゴラインハルトを聴いている。
もちろん、手作りではないケーキと紙パックに入った紅茶を飲みながら。
私は重力が元に戻るその時を待った。
そして私の五感を心地よく刺激してくれる優雅なティーカップやオジヤなどへの深い想いだけを募らしていった。
(おしまい)
最後まで読んでいただきありがとうございました。
パソコンで文字を読むと、目が疲れます。
目を少し休ませてから、次の作品をお読み下さい(笑)。
どうもありがとうございました。