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『ねぇ、蓮くん。わたし達の関係終わりにしましょう』
この次に続く言葉があった。自分なりに勇気を出して言いたかったこと。それは――彼の激昂によって遮られる。
「別れ話なら聞かないって言っただろうっ!」
ガンッと音を立てて椅子を蹴られ、背後にあった長机にそのまま押し倒される。
逃げる隙間などないくらいに密着した身体に、お互いの吐息すら感じられる顔の近さ。わたしが少しでもみじろぎすれば、両腕の拘束が強まっていく。
「れ、んくん……」
「俺は、たとえどんなに汚い手を使ったとしても一花を繋ぎ止めたい」
ぞっとする程に低い声だった。全ての感情を削ぎ落とした顔に怯んだ隙に、彼は片手だけでわたしの制服のボタンを外そうとしていた。
「ほら、逃げないでよ。一花も可哀想だねぇ。大嫌いな俺に触られて」
「嫌いじゃない……」
「ふーん。まぁ、どっちでもいいけど」
彼の投げやりな態度で言葉通りに受け取って貰えていないことを悟る。
懸命に想いを告げようとするのに彼はこれっぽっちも聞いてはいない。否、聞いてはいるが、わたしの感情なんてどうでもいいから切り捨てているのだ。
(あ、駄目。なんかムカつく)
いやだってそれはそうだろう。学校で好き勝手に嬲られて、お前の気持ちなんかどうでもいいと言われたら。誰だって傷付くし、腹も立つ。
彼の腕に思い切り爪を立て、驚いた一瞬の隙に頭突きをかましてやる。ガツン、と大きな石同士がぶつかったような音が視聴覚室に響き渡る。
もはや自分自身へのダメージすら考えていなかった。わたしのなりふり構わない反撃に二人揃って、文字通り頭を抱えて痛みをやり過ごす。チカチカと目の前が点滅しているような衝撃で、頭の中がぐわんぐわんと回っているような感覚。
わたしは机に乗ったままで、彼はしゃがみ込んで悶絶していたが、復活したのはわたしが先だ。
「聞いて、って、いった」
自分でも驚く程弱々しく小さな声だった。ともすれば、風と共に吹き飛んでしまいそうなくらいの声はちゃんと彼に届いたようでピクリと反応する。
ゆっくりと立ち上がって、わたしと対峙する彼を真っ直ぐに見つめた。本当の事をいえば先程まで襲われていた恐ろしさは確かに残って身体が震えている。
抵抗なんか無意味で、自分なんかすぐにどうにでもなるのだと思い知らされる行為。
あんなことをされた直後に話し合いだなんて今日の朝のわたしまでだったらしなかっただろう。
しかし今ここできちんと話し合わなければ、この先も上手くいくことはない。不思議とそんな予感がして、覚悟を決めることにした。
一方、彼もわたしの出方を伺っているようで再び押し掛かってくることはなかった。
しかし目の奥はギラギラと獰猛な光が宿っていて、下手をしたらこのままパックリと喰われるような兇悪さを秘めていて、彼の威圧ともいえる視線が恐ろしくて逸らしたくなるのをなんとか堪える。わたしの様子を眺めていた彼は溜息を吐き出した。
「別れ話は聞きたくないって言った」
「ちがっ!」
「違わないだろう? ついさっきだって『関係を終わりにしよう』だなんてふざけたこと言ってたじゃないか!!」
彼の剣幕に息を呑む。ガシリと肩を掴まれ、憎々しげに睨まれる。激昂する彼の力は強く、ミシリと骨が軋む音が聞こえた。しかしながら、次に話す内容を考える事に集中していたわたしにはそこまでの意識はいかないことが幸いともいえよう。
「……続きがあるの」
「続き?」
彼の訝しげな声がポツリと部屋に響く。
もしもこの続きが彼が想像する通りであれば、今度こそ容赦なくわたしを喰らい尽くすだろうという想像は容易に出来る。それ程に獰猛な目でこちらを見下ろしているのだ。今の感覚は野生の肉食獣を相手に丸腰で挑むことに対するプレッシャーに近いと思う。
恐らく、これが彼に聞いてもらえる最後のチャンスなのだと本能的に直感した。
ーー彼にとって続く言葉がどれほど大事なものか理解しているからこそ、慎重に言葉を口にしたのだった。




