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4-1 棄てられたNPCー安楽死への処方箋

 境界線を越えてから、どれほど歩いただろうか。  色彩を失った森を抜けると、視界の先に、木々に囲まれた小さな村が姿を現した。


「……あかね様、見てください。村があります。……人が、生きています」


 ミューズの声には、祈るような安堵が混じっていた。王都を追われ、世界の裏側という「未定義の虚無」を彷徨ってきた彼女にとって、立ち昇る炊飯の煙や、遠くで聞こえる家畜の鳴き声は、何よりの福音に聞こえたはずだ。


 村の入り口には、手入れの行き届いた花壇があり、色とりどりの――それでいて、王宮の庭園よりも少しだけ彩度が淡いクリーム色の――花が咲き乱れている。あかねもまた、張り詰めていた肩の力を少しだけ抜いた。


「……ようやく、一息つける場所に出られたみたいね」


 だが、村に足を踏み入れるにつれ、あかねの喉の奥に、ざらりとした違和感が張り付いた。  村はあまりに「平和」だった。道ですれ違う村人たちは、皆、穏やかな笑みを浮かべて会釈をしてくる。しかし、あかねのQAエンジニアとしての視力は、その景色の中に潜む、不自然な「空白」を捉え始めていた。


 あかねは立ち止まり、井戸端で洗濯をしている女性を観察した。  布を叩く音。水を絞る動作。そのすべてが、あまりに淀みがない。だが、何より奇妙なのは、その女性の「顔」だった。


(……見えない。いいえ、見ようとしてはいけない感覚?)


 近づけば近づくほど、その女性のかたちは、霧がかったように詳細ディテールを失っていく。それは視力の問題ではなく、この空間を支配する「認識の作法」の問題だった。


「……ミューズ、見て。あの人たちの貌、どう見える?」


 あかねの問いに、ミューズは最初、困惑したように微笑んだ。 「ええ、お優しそうな方々ですが……。……あれ?」


 彼女が目を細めた瞬間だった。あかねという「高解像度な異物」の波動が、ミューズの網膜を震わせ、強制的に認識のフィルターを剥ぎ取る。  それまで聖典の挿絵のように美しく見えていた女性の貌から、ふっと『意味』が剥がれ落ちた。頬の赤みは、ただの「桃色の塗りつぶし」になり、慈愛に満ちた瞳は、光を通さない「黒い点」へと変貌する。


「……、……っ!?」


 ミューズは、手にしていた羽根ペンを落とした。彼女の記録帳の上で、書き込もうとしたインクが、まるで拒絶されるように虚しく弾かれ、滲んでいく。


「あかね様、……何、これ。……あの方の顔、今、……消えました。いいえ、最初から……何も描かれていなかったみたいに……」


 ガタガタと震え出すミューズの肩に、龍が冷たい首を寄せる。


『くくく……。おめでとう、娘よ。お前は今、安楽死の夢から叩き起こされた。……お前が信じていた「愛」も「慈悲」も、その解像度の低さが生んだ幻覚に過ぎぬ。人間が、これ以上の描き込みは安寧を乱すと叫び、あるじの筆を奪い取って固定した場所……。ここは「完成」という名の行き止まりよ』


 あかねは吐き気を覚えた。この村は、人々が「個(実存)」という名の苦痛を捨てることで維持されている、巨大な緩和ケア病棟なのだ。


 女性が動きを止め、こちらを振り返る。その瞳には焦点がなく、あかねという「個」を見ているのではなく、あかねの背後にある「あらかじめ決められた正解」を凝視していた。


「今日は良いお天気ですね。旅の方……。お困りですか? そんなに険しい顔をして。自分エゴなんて持っているから、そうやって疲れてしまうのですよ。さあ、このスープを飲んで。すぐに楽になれますから」


 女性が差し出したクリーム色のスープ。あかねにはそれが、自分を溶かして吸収するための「全肯定の消化液」に見えた。


「……ここでは、誰もそんなに幸せそうなのに、どうして影がないの?」


 あかねが投げた「禁忌」の質問。  その瞬間、村全体の空気が凍りついた。


 微笑んでいた村人全員の動きが、ぴたりと止まる。彼らは一斉に、あかねの方を向いた。  空に、あかねを嘲笑うような「SNSのテロップ」が幻覚のように浮かび上がる。  『勇者様、空気読めないw』『幸せを壊すなよ』『尊い平和を汚すな』。


「「……何故、波を立てるのですか」」


  地面が不快な脈動を始め、のどかな村の色彩が、剥がれ落ちる壁紙のように捲れていく。露出したのは、乾燥した無機質な「木目の舞台」だ。  あかねたちの足首を捉えたのは、影の代わりに溢れ出した、どろりとしたクリーム色の粘着質――巨大なスライムの触手だった。


「――不全個体を検知。領域内の平穏を阻害する「高精細ノイズ」を確認。……浄化クリンナップを開始します」


 沼の底から、鉄を噛むような音を立ててせり上がってきた「黒い騎士」。  だが、その手にあるのは剣ではない。それは、この世界の「解像度」を無理やり固定するための、巨大な**『黒いカチンコ』**のような異形の鈍器だった。


 騎士がそれを振り下ろした瞬間、空間に強烈なフラッシュが焚かれる。


「……ッ、何……!?」


 視界が白濁し、次に目を開けた時、あかねは「舞台のど真ん中」に立たされていた。  村人たちはもはや「生活者」ではない。彼らは整然と客席に座り、あかねという「最高の悲劇」を観劇する準備を終えた、**無機質な共犯者(観客)**へと強制的にジョブチェンジさせられていたのだ。


 黒い騎士は、舞台の袖でじっとあかねを見据えている。  それは、あかねが「勇者という役割」を降りることを許さない、この世界の**『物語OSの番人』**だった。



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