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セキュリティデバッグ

逃走するあかねたちの前に立ちふさがる、最強の壁――騎士団長バルガス。 王への忠誠と、自らの正義を疑わない彼に対し、あかねが放ったのは物理的な攻撃ではありませんでした。


「――ログイン。フレーム・デリート」


それは、彼の魂を支えていた『正解』という名のパッチを強制的に剥ぎ取る、残酷な精神ハック。 絶対的な秩序を失った人間が、初めて「自分」という不具合に直面する瞬間を目撃してください。

 石畳を叩く重々しい鉄靴の音が、狭い路地の壁に反響して不気味に増幅される。


 水路の影から躍り出たのは、あの王宮で私を殺さんばかりに睨みつけていた、大剣を背負う騎士団長バルガスだった。


「そこまでだ、魔女! その不浄な手で、記録者の娘をこれ以上汚すことは許さん!」


 男の咆哮が鼓膜を震わせる。


 私は、肩で荒い息を吐きながら男を睨み返した。全身が冷や汗で濡れ、網膜のログは「緊急避難」を促す真っ赤な警告色で埋め尽くされている。冷静に分析し、相手を論破する余裕などどこにもない。心臓がうるさいほどに打ち鳴らされ、ただ「ここで捕まるわけにはいかない」という生存本能だけが、私の指先をコンソールへ走らせていた。


「……うるさい。どいてよ、……邪魔しないで!!」


 私は、おじさんのメモにあった禁断の文字列を、喉の奥で呪文のように唱え、脳内の決定キーを叩きつけた。


「――ログイン! IX-U-LOGIN:09-FRAME-DELETE!!」


 刹那、脳内で何かがひび割れるような嫌な音が響いた。


「……う、あ……あ、あああああッ!?」


 男の体が、まるで見えない高圧電流に打たれたかのように激しく硬直した。


 振り下ろされるはずだった大剣が、力の抜けた手から滑り落ち、濡れた石畳に甲高い音を立てて跳ねる。


 男は自分のこめかみを狂ったように掻きむしり、その場に崩れ落ちた。白目を剥き、激しく喘ぐ姿は、魂の拠り所を物理的に引き抜かれた亡者のようだ。


「……騎士様!? 大丈夫ですか!?」


 ミューズが悲鳴を上げ、跪く男に歩み寄ろうとする。だが、男はそれに応えることもできず、滴る汗で地面を濡らしながら、焦点の合わない瞳で虚空を彷徨わせていた。


「……王は、王はあの方を殺せと言った。……不浄だと。魔女だと。……だが、なぜだ。あの剣は……。私の目は、あの光を『真実』だと認識している……」


 壊れた蓄音機のように、矛盾した言葉が男の口から溢れ出す。


 王から与えられた「正解」というパッチを剥がされたことで、彼の脳内では、自分が見た「聖剣の輝き」と、王への「忠誠」という二つのOSが激しく衝突し、火花を散らしていた。


「……なぜ、私はあの方を……? 王が、王が言ったことは、……絶対だったはずだ。……しかし、私は……何を信じて……。……あの方は、本当に魔女なのか? ……私は、王を……信じていたのか? それとも、ただ……従わされていただけなのか……? わからない……何も……わからないんだ……」


 男は自分の手を見つめた。そこにあるのは、血肉の通った、震えることしかできない一人の「人間」の手だった。


 絶対的な正義という枠組みを失った彼は、今、生まれて初めて「自分という不確かな実存」に直面し、その頼りなさに耐えきれず嗚咽を漏らしている。


「……何よ、これ。……行くわよ、ミューズ! 早く!」


 私は、崩れ落ちた男の姿に一瞬だけ胸を締め付けられたが、それを無理やり「システムの不具合」として思考の外に追いやった。彼を振り返る余裕なんて、今の私にはない。


 背後からは、松明の光とともに、大勢の追っ手の足音が確実に近づいている。


「……私は、よく……わからない……何も……。王よ……私は……」


 闇の中で独り言を呟き続ける、かつての英雄。


 私たちは、その無様な「正気」の産声を置き去りにして、夜の帳へと駆け出した。


 逃げるあかねたちの背後で、騎士の絶叫に呼応するように、夜空のテクスチャが激しく明滅し、「Error: Logic Conflict」という巨大な警告文字が天蓋に一瞬だけ浮かび上がる。




お読みいただきありがとうございます。


今回は、敵の「物理的無力化」ではなく「精神的崩壊」を描きました。 自分が信じていた正義が、実はただ上書きされた設定パッチに過ぎなかったとしたら……。バルガスの絶叫は、この世界の全住人が抱える潜在的な恐怖の代弁でもあります。


彼を置き去りにして夜の闇へ消えるあかね。 天蓋に浮かび上がった「Logic Conflict」の警告は、世界という名のシステムが、あかねというイレギュラーを排除しきれなくなっている証拠です。



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