4-2 棄てられたNPCー喝采の葬送 ―― 期待という名の重力
黒い騎士がせり上がった瞬間、世界の皮膜が完全に剥がれ落ちた。 あかねたちの足元の地面は乾燥した木目の「舞台」へと変貌し、周囲を囲んでいた村人たちは、いつの間にか客席に整然と座る「観客」と化していた。
彼らは一斉に、熱烈な拍手を送り始める。だが、その瞳はあかねを見ていない。彼らはあかねの数センチ横に投影された、彼らにとって都合の良い「勇者の虚像」を凝視し、恍惚とした表情で涙を流している。
「素晴らしい! さあ、もっと私たちを『幸せ』にして!」 「何て完璧な演出だ! 勇者様が、私たちの代わりに『痛み』を演じてくれている!」
舞台の背後の壁、そして空間の至る所に、無数のSNSテロップが発光しながら浮かび上がった。 『あかねちゃん神作画』『自己犠牲尊い』『最高のエンタメをありがとう』。 あかねが絶望に顔を歪めるたび、その「表情」はシステムによって「最高のエモーショナルな演技」へと上書きされ、テロップの輝きが増していく。
「やめて……! 私は、私はここにいる! 私を見て!」
あかねの叫び。しかし、劇場のスピーカーから流れるのは、彼女の意思を無視した、凛々しく清らかな勇者のモノローグだった。
「……九! 飛んで! ここから出して!」
龍がその小さな体を翻し、あかねを掴んで宙を舞おうとする。しかし、舞台の外縁へと跳ぼうとするたび、空間がクリーム色の粘液へと変質し、翼を絡め取った。 龍を引き留めているのは物理的な鎖ではない。観客席から放たれる「行かないで」「舞台にいて」という執着。愛という名の**『期待の重力』**だった。
『……っ! 主よ、奴らは俺たちを見てさえいない! だが、自分たちの「嘘」を維持するために、俺たちを「燃料」として固定しやがった! ……これが人間の「愛」という名の執着だ! 相手を殺すためではなく、自分の夢を壊さないために、自由を奪うのだ!』
舞台の中央、あかねの足元からクリーム色の粉塵が舞い上がり、それは底知れぬ「砂の穴」へと変わる。いや、それは砂ではない。獲物を溶かし、均一化するためのスライムの「胃袋」だ。
舞台は砂の重みに耐えかね、中央に向かって絶望的な傾斜を始める。 あかねの視界の端で、先に砂に飲まれたミューズの指先が、デジタルノイズのようにパラパラと砂粒に変わって消えていく。彼女の恐怖さえもがスライムに中和され、表情は安らかな「無」へと書き換えられていく。
「ミューズ……っ!」
あかねの手から、龍の鱗がすり抜けた。 最後に見たのは、立ち上がり、最後の一人が沈むまで狂ったように手を振り続ける観客たちの笑顔。
あかねは「クリーム色の多幸感」の中へと、真っ逆さまに墜落していった。
(――暗転。不協和音の混じった特殊エンディングが流れ始める。)(……エンディング曲が、レコードを針で引っ掻いたような不快な音と共に途切れる。)
画面に映し出されたのは、ノイズに塗れた、古いビデオカメラの映像だ。 そこは華やかな劇場などではない。天井からクリーム色の粘液が滴り、生臭い熱気がこもる「巨大な肉の空洞」の中だった。
肉の壁には、村人だったモノたちが無数に埋め込まれ、背中に太い管を突き刺されている。彼らは肉壁の一部になりながら、なおも存在しない「舞台」に向かって拍手のポーズで固まっていた。 舞台で響いていた万雷の拍手。その正体は、この巨大な胃袋があかねたちの実存を咀嚼する、「ベチャ、ベチャ」という不快な音だった。
画面の端に、半分だけ実体を持った男「ゼロ」の足元が映る。 彼はスライムの海から突き出た、あかねの右腕を無造作に掴み上げた。その腕は既に境界が曖昧になり、粘液と同化し始めている。
ゼロが、あかねの耳元で、あるいは画面を凝視する視聴者に向かって、独白を落とした。
「……安心しろ。お前の痛みは、今、この世界の『幸福指数』として正しく換金された。お前が溶ければ溶けるほど、この箱庭はあと数日、寿命を延ばせる」
ゼロが、あかねの指からこぼれ落ちた、色のない「聖剣」を拾い上げる。 彼がその剣を振ると、画面全体に「ERROR: INVALID DATA SET」という警告が走り、描画が激しくグリッチを起こす。
「……残り180日。主の筆が止まる前に、この胃袋を引き裂く毒を、お前に教えてやる」
ゼロの歪んだ笑顔を最後に、映像は激しい砂嵐と共に、完全な静寂へと消えていった。
一端小休止です
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