アップデートを拒んだ街
数ある作品の中から、本作を見つけていただきありがとうございます。
「神様が作った完璧な世界?
いいえ、これは人間が認識を放棄した
結果の『残骸』に過ぎないわ」
茜
これは、あまりにも「正解」が押し付けられる世界で、たった一人の少女が「NO」を突きつける物語です。 管理された幸福か、それとも不確かな自由か。 あかねの選択と、その先にある「世界の真実」を、共に見届けていただければ幸いです。
横浜中央斎場の空気は、ミントの香りがする消毒液と、微かなオゾンの匂いに満ちていた。
おじさんの棺が自動コンベアに乗せられ、防音ガラスの向こう側へ滑り込んでいく。焼却炉の扉が開く重低音すら、厚い吸音材によって遮断されていた。「死」というバグを、生者に悟らせないための完璧な隔離。
私のスマホが小さく震えた。
『お悔やみ申し上げます。故・佐藤氏の火葬プロセスが正常に開始されました。完了まで残り180秒です。待ち時間に、あなたに最適なリラックス・コンテンツを再生しますか?』
画面には、おじさんの顔写真の横に「広告:墓石サブスクリプション初月無料」のバナーが躍っている。
「……いらない」
私は画面を伏せた。
おじさんは、この街の「美しさ」を嫌っていた。
「あかね、いいか。この街の空が綺麗なのは、汚染物質をすべて隣の区画に押し付けて、自分たちの目には見えないように『処理』しているからだ。この完璧な調和は、誰かの犠牲の上に成り立つ、ただの帳尻合わせなんだよ」
病室でそう吐き捨てたおじさんの唇は、乾燥してひび割れていた。システムが供給する「最適化された栄養剤」を拒み続け、自らの肉体をデバッグ(消去)される側に置くことで、彼は最期まで抵抗していたのだ。
斎場を一歩出ると、横浜の街は残酷なほど「正しい」色彩で溢れていた。
歩道のLEDパネルは、通行人の表情筋をスキャンし、幸福度が低い者にはパステルカラーの光を照射して「脳の補正」を試みる。
『警告:個体識別番号104-あかね。心拍数が正常値から12%乖離。社会不安指数の上昇を検知。300メートル先の「感情調整ブース」へのチェックインを推奨します。これは強制ではありませんが、拒否した場合は市民評価ポイントが減少します』
街中の監視カメラが一斉に、音もなくこちらへ向く。
周囲を歩く人々が、一瞬だけ足を止め、私を「不具合のあるパーツ」を見るような、無機質な視線で刺した。
私はポケットの中でメモを握りしめた。
指先に、おじさんの手の脂で汚れた紙の感触が伝わる。
(システムの裏側へ行け。そこには、まだデバッグされていない混沌がある)
私の頭上で、警備ドローンが羽音を立てて降下してきた。
拡声器から、優しく、しかし有無を言わせない合成音声が響く。
「個体104、あかねさん。落ち着いてください。私たちは、あなたを『修正』したいだけなのです。再フォーマットを受け入れれば、明日にはまた、この美しい街で幸福に暮らせます」
ドローンから伸びた拘束用の電磁アームが、私の肩を掠めた。
「……修正なんて、お断り(NEIN)だよ」
私は、おじさんのメモに書かれた「禁断の文字列」を、呪いのように口にした。
「――ログイン! IX-U-LOGIN:09-NEIN-ROOT!!」
刹那。
横浜のスカイラインが、激しいフラッシュとともに「反転」した。
空の色が紫色のノイズに染まり、高層ビルのテクスチャが、剥がれた壁紙のように空中で四散する。
警備ドローンの音声が、電子的な悲鳴へと変わった。
『エラー:致命的なアクセス権限違反……ルート権限の強制奪取を検知……全システムを停止――』
地面が消失し、私は暗黒の海へと投げ出された。
背後で、かつて私が「日常」と呼んでいた、完璧すぎて歪なシミュレーターが、ガラガラと崩れ落ちる音が聞こえた。
第1話、いかがでしたでしょうか。 身近な「死」さえも効率化され、広告のネタにされる横浜の描写。私自身も書き進めながら、胸が締め付けられるような閉塞感を感じました。
あかねが叫んだ**「NEIN(お断りだ)」**という拒絶。 それはシステムの崩壊であると同時に、彼女が「個」として産声を上げた瞬間でもあります。
次回、暗黒の海へ投げ出された彼女が辿り着く「異世界」は、果たして彼女にどのような「予定調和」を突きつけてくるのか。
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