舞踏会
今日はただでさえ静かな図書室がもっと静かだと思ったら、舞踏会の日だと気付いた。
怪我をしてからレイナ様とも気まずいまま、ダンス練習も無くなった。昼食も別々だ。
手の怪我はもうかさぶたが剥がれかけている。いらなくなった包帯は洗って、常に制服のポケットにしのばせている。
レイナ様が図書室でお待ちになっているという伝言を鵜呑みにして来てしまったが、今日が舞踏会なら準備で忙しいはずなのに妙だ。
嫌な予感がして、扉へ向かおうとした時、扉の外からくすくすと嫌な笑い声がした。
「図書室にこもるのがお好きでしょう?」
ジャラジャラ、ガチャリ。
――やられた!
図書室から出られないよう閉じ込められた。
レイナ様と会わなくなって、嫌がらせが止んでいたので油断していた。
「舞踏会に行けるような身分でないとよーくわきまえなさい」
――だから!行けないし、行きませんから!
何人かのクスクスと笑う声とヒールの足音が遠ざかった。心当たりがありすぎて、誰が犯人かもわからないが、わかったところでろどうしようもない。
扉のわずかな隙間から確認したら、内側から開かないように扉の取手に鎖を巻きつけて南京錠までかけたらしい。
舞踏会が終わるまでは……いや、そもそも舞踏会に参加予定でない私がいなくても気付く人間はいないだろう。明日まで誰も来ない。
図書室の窓からは、ダンスホールに明かりが灯り、ドレスを着た少女達がぞくぞくと入って行くのが見えた。
――レイナ様のドレス姿はさぞ綺麗だろうな。
舞踏会に興味は無いが、レイナ様の晴れ姿を見られないのは残念だ。
瞳の色のドレスだろうが、パステルカラーにしたのか、シックな色味にしたのか、想像すると楽しい。
ダンス練習の時でも、いつでも背筋がピンと張ったレイナ様はきっと他の誰より気品が溢れているだろうな。
公爵家らしくきらびやかな宝石も身に付けるのだろうか?何でも似合いそうだ。
――見てみたかったな。
私ときたら、この学園の制服さえも一張羅だ。
レイナ様は私がオメガだから気に入っているのであって、私自身を好いているわけではない。好かれる要素がない。
手入れがされていない黒髪で顔の半分を覆い、分厚い眼鏡をかけて本ばかり読んでいる変なオメガだ。普通のオメガなら容姿に特化している人が多いが、私は違う。
ちゃんと自分に言い聞かせている。どこをどうとっても見合わない。諦めてる。
それでも……ダンスの練習や昼休みのレイナ様を思い出すと、嬉しくなってしまう。
他の誰かの手を取って踊るのを想像すると胸がキリッと痛んだ。
――気になっていた本を読んて切り替えよう。
今日は月明かりのおかげで本が読めるから、天文学の本を読もう。落ち込んだりした時は本の世界に浸るに限る。
私は図書室の常連なのでどの本棚にどんな分野の本が収められているか覚えている。
天文学の本棚の上の方から一冊ずつ取り出そうとしたが、なかなか取れず無理に引っ張ったら上からバサバサと本が落ちてきた。
しんとした図書室に響き渡ったが、その音さえも吸収する静けさだった。
「あーあ……」
ぽつりと吐いた言葉さえも虚しく消える。
「何やってんだか」
外から歓声と楽しげな音楽が聞こえる。
ダンスが始まったようだ。
――ああ、レイナ様はきっと相応しい方と踊っている頃だ。
このアルファの貴族だらけの学園に来て、初めて惨めな気持ちになった。
身分はどうにもならないので仕方ないのだと諦めてしまえば、見下される事も憐れまれる事もさして苦では無い。むしろただの生まれだけを拠り所に人を差別するしかない貴族を憐れんでいた。
学園に入学する前もオメガという性別に加えて奇妙な色の瞳の色で不気味がられた。
本という殻に閉じこもれば何も聞こえないし、感じない。何も感じなければ無いのと同じ。
そうやって生きてきた。
レイナ様は身分差など関係なく、私の前に現れて対等に接してくれた。オメガだから相手にしてもらえている。でも、オメガだからと言って、私の人間性を否定はしない。
ポロリと本の上に水滴が落ちた。
――え?私……泣いてる?
口では離れなきゃいけないとか、ふさわしくないとか言って諦めようとしても、私はレイナ様の側に居たいのだ。
だから、いま、寂しいんだ。
大切なものを失って、ぽっかり穴が開いたようだ。
「レイナ様……」
言葉にすれば側にいるような気がしたが、また図書室こ静寂に吸い込まれ、また寂しさが増した。
ドンッ!
ジャラッ、ドン、ガンッ、バキバキ
不穏な物音に涙が引っ込んだ。まさかと思いつつ、入り口へ行くとドレス姿のレイナ様が立っていた。
――は?え?なんでここに?ていうか、ドアを蹴破った??!
レイナ様のドレスは瞳の色に合わせた綺麗な杏色だった。生地の織り方は計算されて柔らかくなっている。着心地も良さそう。そこへレースが立体的に組み合わされて、色はシンプルながらも見る人が見ればわかる豪華なドレスだ。
髪は立体的なレースを邪魔しないように結い上げられているが、編み方も凝っていて、こちらも立体感がある。
レイナ様は素足で扉を蹴破ったのか、ドレスと同じ配色のヒール靴を優雅に履き直していた。
「離れても嫌がらせをされているなら側にいても宜しいのではありません?アメリア姉様」
「……レイナ様、なぜ」
「何故も何も、私が初めて踊る相手は貴女と決めているからよ!譲れないわ!!」
扉を壊した怪力や堂々とした物言いに呆れつつ、それより喜びが勝って思わず笑ってしまった。
「いつもの中庭の噴水に灯りがついているから、そこで踊ってくださらない?アメリア=コーツ」
「音楽がないのでは?」
「私たちのカウントでも充分でなくて?練習してきたでしょう」
ローブをつけた手をスッと差し出した。
私は吸い寄せられるように、練習の時と同じように、レイナ様の手に手を重ねた。
今日は香水をふっていらっしゃるのか、フェロモンの匂いは薄れているけれど、鼻の奥で感じる本能に訴えるような重い甘さは消えていなかった。
中庭に出ると、噴水の周辺には舞踏会のために灯りがついていた。
噴水の前でいつものように一、二、三とカウントしながら踊る。レイナ様のドレスのレースは動くたびに空気をはらんでふわりと広がり、うっすらとした明かりを受けて、美しい生き物のようだ。
「アメリアの怪我が治っているようで良かったわ。剣術の練習を頑張っているのね。手がデコボコしているわ」
「ダメですか?」
「あなたの努力が素晴らしいって話よ。怪我をしても練習をしていたのね。おかげで体の中心がぶれていなくて綺麗に踊れているわ」
踊っているうちに、ドレスに合わせたようなオレンジ色の混じった不思議なネックレスが目についた。
「素敵な宝石ですね。私は見たことがありません」
「特別に作らせたの。間に合って良かったわ。この石はファイアオパールと言うのよ。オパールだから光の当たり具合で虹色にも見えない?」
レイナ様は私の瞳をじっと見つめて得意げに応えた。
私は顔が熱くなっていくのがわかった。
――この時間が永遠に続いてほしいな。
永遠なんてないと色んな本で読んで知っているけれど、永遠を願う気持ちになれる事はとても幸せだ。
抑制剤を飲んでくれているおかげか、レイナ様からはふわりと良い香りだけする。この香りに包まれていたいと思った瞬間にレイナ様のドレスの裾を踏んだ。
「きゃっ」
気づくとレイナ様のドレスの上にいた。レイナ様はとっさに私を引き寄せ、一緒に転んでくれたらしい。
「お召し物が!」
すぐに確認すると凝ったレース刺繍の裾が破けてしまっていた。
「そんなのいいのよ……ねえ!星が綺麗」
寝転んだまま見上げると、美しい彫刻が縁となって星が降ってくるように見えた。
「星は素晴らしいものです。規則的に運行するのを観察するのも面白いし、星にまつわる神話があるのはご存知ですか?」
私はレイナ様に星の素晴らしさを語った。レイナ様はキラキラした目で聞いてくれた。
「星空を見てると、全てがバカらしく思えるほど壮大で……家に戻った時は近くの丘から眺めています。凄いんですよ!星の絨毯みたいで」
「なぜそんなに学ぶのが好きなの?」
誰にも問われた事もないし、自分でも考えた事なかった問いをしばらく考えてみると、ポツリと答えが浮かんだ。
「ありきたりに……孤独が慰められるからですかね」
「孤独……」
「私は養子なんですよ。それなのにオメガで申し訳ないから勉強を頑張ったんです。そしたら養父母に喜ばれて、そのうち学ぶ事自体が楽しくなりました。新しい知識を得る喜びは私の孤独を慰めてくれます。学園でも、貴族でなくてオメガの特待生の私は奇異な存在ですし……」
「あなたは一人でも平気かと思ってた」
「……平気になるようになったんですね、きっと」
さっき寂しさで涙したことを思い出した。
「気の遠くなるような年月を一つの星が輝いているんだと思うと、私の孤独など些末なものと思っておりましたが……図書室に閉じ込められて窓からは舞踏会の明かりが見えて、さすがに落ち込みかけました」
「まあ、アメリア……犯人を探しましょう」
ギラリと鋭い光を放ったレイナ様を慌てて止めた。
「いいえ!仕返しなどいりません。レイナ様が来てくれて寂しさがどこかへ行きました」
そう言うとレイナ様はみるみる嬉しそうな顔になった。
「アメリア。私も空を眺めるのが好きだわ。昼は雲がのびのびして自由な形を取るのが羨ましい。私も星の輝きを見ると計り知れない年月を感じるの。空はいつだって空だわ。そう思うと、身分を超えて、全ての人は平等に一人の人間であると思える」
「レイナ様でもそんな事思うのですね」
「まあ!私を何だと?」
「ふふ……同じ空を眺めても感想が違うのも面白いですね」
「そうね、同じように眺めてたのね、私たち」
月明かりで光るレイナ様の瞳こそ永遠に輝く宝石のようだ。
親衛隊たちがレイナ様を探しに来た声がした。
「ここで終わりの方が良さそうね」
並んで横になっていたので、レイナ様は私の方にくるりと方向転換して、横たわったままそっと抱きしめた。
「ああ、このままあなたの香りに包まれていたいわ」
二人のフェロモンが混じり合っているのか、余計に離れがたい香りになっている。
――私もです。
と口走りそうになるのをかろうじて堪えて、渾身の力で立ち上がった。
「さあ、お互いにいるべきところへ戻りましょう」
私の差し伸べた手をレイナ様が握る。
立ち上がるついでにレイナ様は私を引き寄せて、再び抱きしめ耳元で低くささやいた。
「今夜の事は、生涯忘れない」
いきなり低い声でささやかれ動揺した私ににこりと笑顔になった時にはいつもの可愛らしいレイナ様だった。
「では、ごきげんよう、アメリア」
レイナ様はドレスを翻して舞踏会の会場へ向かって行った。遠くなるにつれて、明かりで少しだけ照らされたドレスは暗闇でも咲く花のように見えた。




