何の傷?
今日は剣術サークルの練習日だ。今のところサークルなので活動日は少ない。
このところレイナ様の個人ダンスレッスンで参加できなかったが、自主練習は欠かさなかった。
――ダンスよりは剣術の方が向いているな。
久しぶりに剣術サークルに参加してしみじみ思った。
「アメリア、久しぶりなのによく動けているわ」
一つ上のサークルの先輩の男爵家のイザベル様に褒められた。イザベル様の家は武功で名を上げてきた家系らしい。
『より強い子孫を残せば家も安泰と信じているの。それでうちは女性でも強くあれ!って』
だから女性であっても武術は必須なのだとバカにしたように笑っていたが、イザベル様の実力は相当なものだ。平和な時代が続いて武力より女性としての魅力が求められている昨今には珍しい。
「ありがとうございます」
イザベル様に褒められたのは初めてで嬉しさが込み上げた。
レイナ様とのダンス練習のおかけで体力も付き、体幹が鍛えられたのかもしれない。ダンス練習の後はご褒美の貴重な本を読む手が震えるほどだ。レイナ様は意外と鬼教官なのだ。
「ちょっと実践形式でやってみましょうか?」
いつもは木の棒で型を確認しながらゆっくり動いて寸止めをしている。実践形式だと、剣を使って寸止めせずに実際の速さでやる事になる。
「まだ早いのでは?」
ユーマン様が心配そうに聞いた。
「私なら軽く手合わせしてみるくらい平気ですよ。アメリアに合わせます。剣だって殺傷力のない偽物を使います。ねえ、フェイクの剣を持って来て」
指示された後輩が器具庫から剣を二つ持って来た。渡された剣はいつもの木の棒より重く感じた。
剣の柄には繊細な彫刻が施されていて、フェイクとはいっても高そうだ。私は自分で剣を買う余裕はないので、サークルに寄付されているものを使わせてもらっている。
「アメリア、無理だと思ったらすぐに言いなさい」
「はい!ユーマン様」
渡された剣は磨き上げられて陽に反射してキラリと光っていて、カッコよく美しい。見惚れていたら、開始の号令がかかっていた。
イザベル様が凄い勢いで迫って来た。猛獣のような迫力で、練習とは比較にならないほど早い。
私は慌ててすっかりパニックになってしまった。木剣でできていた事さえもできない。
「わっ!えっ……」
キンッという木剣にはない高い音が耳に響いてうるさい。
イザベル様の剣を受けるだけで精一杯だ。
最初に異変に気付いたのはイザベル様だった。
「待ってちょうだい、中止よ」
イザベル様が手を止めて何か話しているとは思ったがパニックになって、脳に意味が届かない。
イザベル様に隙ができたと思い込んだ私はそのまま打ち込んだ。
チッという舌打ちと共に、もの凄い力で剣で剣を打ち落とされた。私の手から剣が離れくるくると宙を舞った。
――借りた物を粗末にはできない。まして、壊れて弁償になんてなったら困る!
私は剣が地につくのを回避しようと切れないはずの刀身を握った。
「やめなさい!本物の刃よ?!」
イザベル様の声が届いた時には、ガッチリと刀身を握りしめていた。
手には熱い感じだけして、痛みは感じなかった。
それよりもぬるっとした感触と赤色に驚いた。
――あれ?切れた?
「早く離しなさい!やはり真剣だったのね」
イザベル様が私の手を開くと、ガシャッと音を立てて剣は下に落ちた。
他のサークルメンバーも慌てている。
ユーマン様が保険医の先生を呼びに行かせた時、レイナ様が現れた。
「いやに騒がしいけど、どう……」
レイナ様の目は私の両手に釘付けになった。
「アメリア!」
すぐに駆け寄って来て、私の手を取った。ぬるりとした赤い血がレイナ様の白い手を汚していく。制服の袖口まで染みている。
「レイナ様が汚れます」
慌ててレイナ様に握られた手を離そうとした。
「何言ってるの?!あなたの方が大切よ」
ギュッと抱きしめられて、レイナ様の香りを嗅いだ瞬間に気が緩んで、今さらながら震えてきた。
「私の番に何をした……?」
レイナ様の低い声が頭上で響く。
「レイナ!事故よ」
「事故?真剣で怪我をしたのに?ユーマン姉様は何をしていたの?死んでたかもしれないのよ?!」
グワッとレイナ様から何か強い圧のようなものが出たのがわかった。
「レイナ!止しなさい!!」
ユーマン様が険しい顔になっている横でバタバタとサークルの方々が倒れていくのが見えた。ユーマン様やイザベル様でさえかろうじて立てているようだ。
――これ……グレア?他のアルファを威嚇して制圧してるの??
「レイナ様……やめて下さい」
血だらけの手でレイナ様の頬に触れた。見上げたレイナ様の瞳は黒ずんだ杏色だった。
――あ、また汚してしまった。
「アメリア!」
途端に杏色の瞳が緩んだ。澄んだ橙色に戻ってホッとした。
「私は平気です。かすり傷みたいなものです」
「でも!顔にも傷が付いているし、手からは血が出ていてよ?」
「……では、保健室で手当てしてもらえますか?」
とにかくこの場からレイナ様を離れさせた方が良い。
「そうね!アメリア、失礼するわ!!」
そう言うと、レイナ様は素早く私を姫抱っこして走り出した。
――え?まだ初等部女子が私を軽々と運べるの?!
すれ違う生徒や先生方がギョッとして見ていたが、レイナ様の怪力になのか、身分のためたのかはわからなかった。
保健室の先生は出払っていた。先ほどレイナ様がグレアを発し、倒れた生徒が出た対応ですれ違ってしまったらしい。
レイナ様は不在に不満をもらしつつ、私を椅子に腰掛けさせると薬品棚をあさり、手当てに必要なものをテキパキと揃えた。
「慣れてるんですか?」
「私も剣術を習っていて怪我をした時に手当てをしてもらうの。見よう見まねだけど、やれると思うわ」
一瞬で不安になったが、素早く消毒や止血をしてくれ、包帯は私がやるより綺麗に巻いてくれた。さすがアルファ……なのか?
「これで良いかな?痛みが出るようなら後で先生に診てもらいましょう」
私の横に座って、レイナ様は包帯を巻いた手をそっと撫でた。
「ごめんなさい、アメリア。私のせいだわ」
「え?!」
――確かにこれまでの行動全てが原因ですが、今さら?
「公爵令嬢でアルファの私が番だと騒いだら、矛先はあなたに向くのに……出会えた時は嬉しさと誰にも取られたくない独占欲で何も配慮できなかったの」
大人びて見えるレイナ様だが、今年初等部を卒業するという事は、まだ11歳か12歳なんだ。当たり前の事に今更気が付いた。心の中でいろんな悪態を吐いていたのを反省した。
「お母さまにもユーマン姉様にも諭されていたのに……」
「気にしないで下さい。それに一過性のものですよ」
安心させるために言ったのだが、不適切だったと、レイナ様の顔色が変わってから気付いた。
「ねえ……それって私がまだ幼いからそのうち気が変わるという意味?」
周囲のみならず私自身もレイナ様の気持ちはきっと今だけだと思っている。下手に取り繕うよりははっきり言うべき時だと思った。
「私もまだ大人とは言えない。その私よりレイナ様は幼いです」
「大人の基準って何?私は……あなた以外いらない!」
「大人……は、私にとっては自分で自分の生活を成り立たせるのが最低条件ですかね?その時になったらまた聞かせて下さい」
レイナ様を疑るとか、そういう次元じゃない。
私たちはあまりにも違いすぎて、かけ離れていすぎる。
ミッドフォード邸を訪れた時の使用人たちの反応が一般的に正しい。
伯爵令嬢、才色兼備……怒った顔さえ可愛らしいレイナ様の輝やける未来に私は必要だろうか?
平民でオメガ……特に秀でた容姿でもない。頑張ってやっと特待生になれる程度の知能。
レイナ様の未来にはむしろ邪魔な存在だ。
「私とは無かったことにするの?」
「無かったことにはなりません。また会えるかもしれないです」
「嘘つき!会う気なんて無いんだわ」
レイナ様のきれいな瞳が潤んだ。また嘘泣きかもしれないが、こんな顔をさせるのは本意ではない。
「泣かないで……」
思わず差し出した手をそっと払われた。
「私と出会って人生が狂ったと思っているだろうけど、私だって貴女と出会って変わったのよ」
「その変化がレイナ様を損なうものであって欲しくありません。私たちは出会うのが早すぎたし、……出会ってもどうしようもない組み合わせです」
私が諦めを伝えるとレイナ様は黙って立ち上がって、静かに去って行った。いつもの香りがふわりと鼻先をくすぐって、追いすがりたくなる。
――もっと前にはっきり言っておくべきだった。言って良かったのよ。
自分を諭しながら虚しい気持ちで、レイナ様が巻いてくれた綺麗な白い包帯を眺めた。




