隠れた瞳
森かと思うような呆れるほど広い庭を抜けると、個人の家と思えない大きさの豪邸に圧倒された。視界に入りきらない。
ミッドフォード家は代々赤茶色の髪の色の方々が多いためか、外壁は赤茶色を基調としたレンガが使われていた。窓枠や柱が真っ白でアクセントになっている。
迎えに来た地味な方だという馬車も色とりどりの装飾が施されていて、公爵家の御威光を感じた。
――ああ、なぜ来てしまったのか……。
完全に場違い。公爵家を訪問するため一番良い緑色のドレスを着たけど、髪の毛もボサボサのままで、かえってみすぼらしい身なりに感じた。
――制服のがマシだったかも。
馬車から降りる時はレイナ様が手を貸してくださった。レイナ様の赤茶色の髪がふわりと私の手にかかる。普段着から凝ったレースのドレスを着ているらしい。薄ピンク色の生地に白のレースが重ねてられて可愛い。
邸の入り口に立っていた執事や使用人とおぼしき方々も丁寧にお辞儀をしてくれるが、冷ややかな雰囲気を感じた。
本につられて訪れた事を心の底から後悔した。
これなら舞踏会で壁の花になってる方がマシだった。
「お母様、アメリアです」
「まあ、いらっしゃい!母のマーガレット=ミッドフォードです」
公爵夫人とは思えない砕けた応対と使用人たちとの温度差に驚いた。
レイナ様が明るくて華やかなのは、お母様譲りなのだろうか。公爵夫人の顔立ちはレイナ様とは似ていないが、オメガらしい可憐さと整った顔立ちに加え、輝く金髪と碧眼が若々しい印象を与える。
「初めまして。アメリア=コーツと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
学校のマナー講座で学んだカーテシーという膝を曲げた最敬礼をした。
慣れない動作がぎこちなかったのか、庶民のくせに貴族ぶるなと思ったのか、使用人たちの白けた空気を感じた。
「あらあら、やめてちょうだい。私はそんな事をされなくても構わないの」
「奥様、そういうわけにはいきません。不慣れなカーテシーでもなさらないなんて有り得ません!」
おそらく執事のトップであろう白髪の老紳士が厳しくたしなめた。
――ん?ついでに私のことも軽くディスった??
「……そうね!それでは後でレイナの部屋でお会いしましょう。民間で流行っている事とか教えてほしいのよ」
「奥様、本日は友人同士との語らいと伺っております。公爵夫人の奥様がお越しになる必要はありません」
――はいはい。私の身分でも身なりでも親しくなさらないでってことね。
「そういうことよ、お母様」
ミッドフォード公爵夫人はみるみる肩を落とされてガッカリしていた。
「庶民のオメガが……」
聞こえるか聞こえないかの声がした。
それは私に言ったのか?夫人に言ったのか?
私は慣れているから構わないが、公爵家の使用人にあるまじき発言では??
「わざわざお越しいただいたのに申し訳ありません」
何事もなかったかのように振る舞うのが最適解よね。ここで感情的になっては相手の思うツボだ。蔑まれるのなんて日常だから知ってる。
「行きましょう、アメリア。私の部屋まで案内するわ」
「レイナ様が?」
執事長が鋭く聞いた。
「そうよ、私が招いた客人よ。公爵家に恥じない対応をしてちょうだい」
レイナ様はさっきの言葉が聞こえていたに違いない。声音も態度も落ち着いているものの、うっすらと怒りを抑えている様子だった。執事はそれでも不満げなままだった。
最近気付いたが、レイナ様は私やユーマン様に見せる顔と周囲に見せる顔は全く違う。
レイナ様は周囲には基本的に感情を表に出さない。きっとそれが貴族らしい振る舞いなのだろう。
しかし、レイナ様のたしなめなどお構いなしに「庶民風情のために?!」と使用人たちも怒りにも似た雰囲気だった。
「お母様、これで失礼します」
レイナ様の声音は落ち着いた暗いものだった。
「ええ。後でお茶を持っていかせましょう。ダンスの練習で喉が渇いた頃を狙おうかしら」
夫人は明らかに気が付かない振りをしてにこにこと答えた。あえて明るく振る舞ってくれているのだと感じた。
「ごめんなさい、変な所をお見せしたわね」
部屋に入ってから、ひっそりとレイナ様が謝ってきた。
いつもの自信に満ちた表情ではなく、心の底から悲しみ恥じている様子だった。
いつもは強引で他人のことなんてお構いなしのくせに、調子が狂ってしまうではないか。
「明るくて素敵なお母様ですよね。伯爵家のご夫人に失礼ですが、面白いです」
レイナ様の顔が驚いた後、みるみる高揚していくのがわかった。
「何も気にならないの?面白い?変だと思わない?それに使用人たちの態度も恥ずかしいわ」
「夫人にはお可愛らしい印象を持ちましたし、使用人の方々はあれでも親切ですよ。私は悪口なんて慣れっこです。貧乏な庶民オメガが大切な公爵令嬢といたら、私がたぶらかしているって思うはずです」
――絶対に泥棒猫ポジション。門前払いしないだけマシですよ。私に気なんか遣わないで下さいよ。
みるみるレイナ様の顔が紅潮していった。
「あなたって凄いわ」
――??なにが?
全然わからないが、レイナ様のテンションが上がっているようだから良しとしよう。
「アメリア、まずは練習を始めましょう!」
「あの、その前にカーテシーを見せていただいても良いですか?」
「カーテシー?」
何を言い出すのかと不思議そうに、でも軽々と魅せられたレイナ様のカーテシーは、ゆったりとした動作で気品にあふれ自然で優雅だった。
比べると、私のはただの膝の上下運動だった。
――やはり失笑されるわね。カーテシーの方がダンスより必要な動作ではない?
レイナ様は自然にできていたが、本の虫の私が背筋を伸ばしたまま膝を曲げてゆっくり上げるなど至難の技に見えた。
レイナ様に指導され、数回やっただけで足が震えてきた。
「貴族って大変ですね」
「身分や見た目ではわからないことがあるでしょう?でも、誰だって慣れればできるわよ!アメリアは筋が良いわ」
――いや、絶対違うし、絶対ダンスの練習に持ち込もうとしてる。
「今日は基礎練習でステップからやりましょう!お互いに抑制剤を飲んでいるから手を繋ぐくらいは平気よね?」
レイナ様はしれっと言って、手を差し出した。
ここまでされて拒否はできない。ずるい。
差し出された手に恐る恐る私の手を重ねた。
お互いに抑制剤を飲んでいるおかげか、最初に嗅いだフェロモンと違って、今は爽やかで心地の良い香りしかしない。
何度もレイナ様の足を踏んづけたあたりで、公爵夫人からの差し入れのお茶が届けられた。
「最初のドレスは瞳の色と同じと決まっていてよ?アメリアの瞳はメガネと前髪で見えないわね。なぜ隠すの?」
優雅な動作でティーカップを置いて、レイナ様がじっと私の瞳を見つめる。
「私の瞳の色なんか気味悪いだけです」
「どういうこと?」
『気味の悪い魔女』
『オメガでよけいに不気味』
まだ幼い頃に言われた言葉が甦る。もともと本しか読まない私は、子供の輪の中に入れず一人でいた。ある時、突風が吹いて私の目の色をさらした。
見た時の人たちの驚愕の顔は今でも覚えている。
その後でオメガだとわかり、さらに仲間外れにされ、悪意のある言葉を投げつけられた。大人は誰もかばってはくれなかった。
まだ防御すらわからない心にその出来事は容赦なく刺さった。
人との交わりを避けるようになったのもその頃からだ。
「魔女って言われた事あって……きっと不気味がられるので」
隠しておいた方が穏やかに過ごせると学んできた。
「ここなら私とアメリアしかいないわ。誰にも見られないし、私も誰にも言わないわ。というか、言うわけない」
「え?」
「あなたと私だけの秘密みたいで素敵じゃない。だから絶対に誰にも言わない。……でも、アメリアが嫌なら無理はさせないわ」
私がどんな瞳でも構わないのだ。
「本当は見せてくれたら嬉しくてよ?」
レイナ様はちらりと私を見た。見せろと言わんばかりの瞳の強さだ。その幼いワガママと可愛い独占欲になぜか心がほぐれた。
眼鏡を外して、ちょっとだけ前髪を上げた。
「まあぁ!」
レイナ様は再び顔を紅潮させて悶えた。
――そんなに見苦しかったのかな?
「なんて美しい虹色?なの?!黒髪からこんな宝石が出てくるなんて……あなたには本当に驚かされてばかりよ!アメリア!絶対に秘密!決まりよ!」
「隠した方がいいですか?」
――オメガってだけでも隠したいのに、やっぱり目の色までも隠した方がいいのかな。
「アメリアにはいつも誤解させてしまうようね。貴女の美しさに誰も気付いてもらいたくないだけよ?」
「はい?」
落ち込みかけた気持ちが驚きで飛び上がった。
レイナ様はにこりと笑って、私の前髪を直した。
そのまま人差し指を私の唇に当て、ウィンク付きの内緒のサインを送った。
「誰にも見せないでね」
笑顔でありながらも、レイナ様の杏色の瞳が濃くなって有無を言わせない強さを感じた。




