誘惑
レイナ様は毎日私に会いに図書室へ通ってくる。
高等部の図書室は歴代の貴族たちの寄付でうっとりするような美しい神々の絵画が並んでいるのに、今はじっとりするような嫌な視線が私の方へ向けられている。
もう完全に公爵令嬢たぶらかし庶民オメガポジ。
――こっちはいつ発情期が起きるか怯えているのに!なんたる理不尽!
「なぜそんなに距離を取るの?」
――身体が強制反応するから!それに周りの黒い視線にきづきませんか?!
と言いたいが、初等部の格上貴族にお下品な事実も言えない……。
「そうですか?これが私の距離感で……」
「ユーマン姉様とはもう少し近くで話していたわ」
「えぇっと……」
「運命の番のアメリアと会う時はマナーとしてアルファの抑制剤は飲んでいてよ?今までよりフェロモンを感じないはずよ」
言葉を選んでいる間にムッとしたように答えられた。
まだ幼いといえる年齢の子にアルファの抑制剤を飲ませるのは気が引けたが、同時に心からホッとした。私も抑制剤を飲んでいるので安心できる。たぶん、大丈夫……よね?!
懸念の一つが無くなってホッとした。
「ありがとうございます」
「まあ、アメリアがやっと笑ってくれた」
レイナ様はピンク色の頬をやや染めて嬉しそうだった。美しく可愛らしい。フェロモンが無くてもドキッとした。
「あの……会いに来た時は、中庭とか……外で話しませんか?」
外の方が匂いもこもらずフェロモンも感じにくい。衆人環視なのは図書室でも中庭でも変わらないなら、より安全な方を取る。
フェロモンの影響を受けにくい状況にしたい一心のお願いだったが、レイナ様は私が積極的に提案したと思ってか声を弾ませた。
「そうね!お昼を一緒にしても良いわね」
学園の中庭は噴水を真ん中にして、そちらこちらに彫像が置いてある。噴水は絡み合うように天使の彫刻が瓶を持ち、そこから水が噴き出している。それらを眺められるような配置でベンチも設置してある。
ここにある彫像もほとんどが寄付されたものらしい。高価な石を削り、今にも動き出しそうな美形ばかりの彫像を学校へ寄付できるなんて、いったい何冊の本が買えるのか。
腹立たしくもなるが、目の前にあるキューピッドの頬の丸みは何とも愛らしい。石で造られていると思えない服の皺は技術の結集だ。表現するための職人の苦心と途方もない労力を感じる。
美は合理性の塊だ。整っていて、美しい。
そして、今日も今日とてそんな美しさを持った少女が期待した顔で私を見ている。
「舞踏会?」
「高校卒業後の社交界デビューに備えて、高等部では定期的に学校で開催されているでしょ。そこでは求愛の印に瞳とか髪の同じ色の花を渡したり、社交界と同じ決まり事があるじゃない?」
レイナ様の頭の中では私との舞踏会の妄想に花が咲いているらしい。
「初等部を卒業する前に学園の舞踏会デビューができるの!その時はアメリアと行きたいわ。私が中等部以上になったら、もちろんずっと一緒に参加するわよね?」
「あ、私は一度も行った事ないし、これからも参加は無理です」
私の参加が大前提だったレイナ様は目を見開いて固まった。
「えっ……どうして?!」
「庶民の私にドレスだの装飾品が用意できると思いますか?誰とも行けませんよ。第一、そんなお金があるなら本を買います」
「ドレスや装飾品はプレゼントするわ!」
「結構です。絶対に受け取りませんよ。それに踊れませんから出られたとしても給仕係です」
お返しもできないプレゼントは、最初からもらわない。
初等部の公爵令嬢にもらった衣装で私が舞踏会に参加なんてしたら……嫌がらせのレベルアップは間違いなしだ。
私の断言に、さすがのレイナ様も肩を落とした。しばらく沈黙が続いた後、私がちらりと目を合わせると、レイナ様は安定の可愛さで考え込んでいた。
「舞踏会はいかないとしても、ダンスは練習しておいた方が良いわ!将来のために」
――そうきたか……しかし、ダンスが必要ってどんな将来?学校の舞踏会さえ招かれてさえいない身分の私が必要になる?
「あの……私はたぶん一生そういうものに参加する事は無いと思います」
「まあ?!ドレスを着たくないの?!絶対に可愛いわ」
「可愛いと思うのはレイナ様だけですよ。ドレスなんて私が着ても似合いません」
「私は似合うと思うわ!今から理由を言うわね」
「言わなくていいです。私はドレスを着たいとは思っていません」
レイナ様の口がぐっと結ばれた。何とか私と参加する口実を探している。食い下がるレイナ様をどう説得しよう?
「レイナ、心情を表に出したり、声を荒げるのは淑女にふさわしい振る舞いじゃなくてよ?」
「ユーマン姉様!だってアメリアが舞踏会に出ないし、ドレスも着たくないなんて言うんだもの」
ユーマン様は二人きりで会うのを心配してか、時折三人で過ごすようにしてくれている。すっかりむくれたレイナ様の横からユーマン様が冷静に意見を述べた。
「ねえ、アメリア。貴女はお仕事でパーティーに招かれるかもしれなくてよ?」
「仕事で?」
「実際にホームパーティで父が目をかけている仕事仲間を呼んでいるのよ。優秀な貴方は出世するでしょうから、きっと招かれるわ。レイナの言う通りダンスくらいは踊れた方がよろしいのでは?」
不満げに沈み込んだレイナ様がみるみる浮上していくのがわかった。
「そ、そうよ、舞踏会に行かなくても練習はした方が良いわ!」
レイナ様はここぞとばかりにユーマン様の意見に乗った。
「姉様の剣術サークルと一緒だと思って!未来の貴方が困らないようにするのよ」
「えぇ〜……」
断りの文句を色々考えた。
私は仕送りができる程度の収入と研究ができればいい。出世など望んでない。ホームパーティーなんて機会があっても断れば済む。
加えて練習なんかしてたら親衛隊に殺されそうだ。
しかし、レイナ様とユーマン様を裏切る勇気は私にはなかった。身分階級を考えても、ここまで請われて断れるはずもない。
「……では練習は人がいないところでお願いします」
「じゃあ、私の家で練習しましょう。大きな鏡もあるから上達しやすいわ」
「…………え?」
これが若さゆえの暴挙。暴走。純度の高い善意と好意の瞳。
ユーマン様に助けを求めたが、諦めたように微笑んでいた。
子供のわがままに付き合ってさしあげて?って感じだろうか??
「寮から迎えの馬車に乗って来て」
――寮から?……馬車ぁ??乗れるか!
私は前髪で顔半分隠れているが、淑女では無いので雰囲気に出たらしい。
「あのね、お庭が広いから歩くと時間もかかるし、迷ったら日が暮れてしまうわ?目立たないようにするから馬車で来てくれない?」
――どんだけ広い庭?!いやいやいや、やっぱり断ろう!
「私は馬車に乗るような身分ではございませんから、やはり練習など……」
「ミッドフォード家には図書室には無い高価な本もあるのに、残念だわ」
私の拒絶はぴたりと止んだ。
――ユーマン様の説得の仕方で学習したわね。感情でなく、利と理で説得する術を……!
「アメリアが好きそうだなって思っていたけど、持ってくるには大きくて重くて諦めていたのよ」
確かに彫像をポンと寄付できる貴族の財力なら、図書室にはない貴重な本もあるはず……。学校の図書室は続きを読みたいのに初巻しか置いてなかったり、そもそも私が求めるような専門的な本は置いていない。
これを逃したら、私がお目にかかるチャンスは無い本もあるだろう。頭の中で色んな天秤が揺らいだ。
「アメリアの喜ぶ顔が見たいわ」
可愛らしい残念な顔と声音がダメ押し(推し)の一手になった。
「行きます!」
天秤は見事に、ものすごい勢いで片方に傾いた。
――嫌がらせレベルが上がっても、何があっても、行くに決まってます!……って、チョロすぎかあ!!




