婚約破棄ロボもの短編
「メカーナイト伯爵令嬢メカリーヌ! 君との婚約を破棄させてもらう!」
ゼンマイ王国立「人間はみな社会の歯車」学園。
その卒業式パーティに突如響き渡った第三王子の声に、広間は静まり返った。戸惑ったように遅れて、楽団の演奏が止んだ。
ダンスホールには卒業を迎えた若人たちのみならず、その親族たちも少なからず出席していた。遠方より愛娘の晴れ姿を見に来た貴族。人脈づくりもかねて息子の卒業をねぎらいに来た商人。平民ながら非凡な優秀さで卒業までこぎつけた娘を、場違いと思いながらも暖かく迎えに来た両親。そのすべてがしんと静まり返って次の言葉を待っていた。
『ソ、そんな、なぜ……?』
「わからないとは言わせないぞ」
ぎこちなく疑問の声をあげるメカリーヌ嬢に、王子は苦悶の表情を浮かべながらも毅然とした態度を貫いた。そのそばには一人の少女。平民でありながら聖堂にその才能を見出された現代の聖女ことイオン嬢。
「いままで私は……我々は騙されていた! 聖女イオンが私にそれを、真実を気づかせてくれた!」
『シ、真実?』
「もしも君が、いま、この場で、真実を語ってくれるのならば、私もこれ以上責め立てることなどはしない。しかし……」
『なンのことかわかりませンわ! ワタクシがなにをしたというのデス!』
悲痛な声をあげるメカリーヌ嬢に、ホールに集まった人々もまた徐々にざわめきを広げていった。王子はいったい何を言っているのか。真実とは何なのか。
確かにメカリーヌ嬢は、平民に冷たく当たることもあり、いささか高慢な態度もあった。しかしそれは貴族としてはありふれたものであり、身分階級社会としてはむしろ規律に沿ったものとさえいえた。
そのうえで、メカリーヌ嬢の振る舞いはむしろ慈悲深かった。持てる者として寄付を惜しまなかったし、身分差を学問に持ち込まないという学園の方針に則っただけとはいえ、自他の地位を理由に誰かを不当に責めたこともない。
むしろいじめを見咎めてはっきり告発したこともあり、まっすぐに背筋の伸びた鋼の如き女性であるというのは一般の認識であった。
そのメカリーヌ嬢が、なぜこのような祝いの場で……?
緊迫した空気に合わせて、楽団が不穏な演奏を始める。致命的に空気読めてねえなこいつらという視線を無視して。
「みなもそうだ。騙されていたのだ。我々はずっと、彼女が高貴で誇り高いひとだと思っていた」
「私としては誰一人疑わなかったことがびっくりですけど……」
イオン嬢がぼやくようにつぶやき、メカリーヌ嬢はきらりと輝く瞳でそれをにらみつけた。しかし咄嗟に罵倒の言葉が出ない程度には、彼女は悪口になれていなかった。
「なおも白を切るというのならば、はっきり言おう!」
王子はメカリーヌ嬢を鋭く指差し、まあでも人を指さすのは良くないよなと指先を曖昧に迷わせ、なんかふわっとした謎のジェスチャーで誤魔化した。王子は育ちが良かった。
そしてはっきり言うぞと何度か繰り返しながら、でもこういうのよくないよなあといまさら往生際悪く迷った。王子は育ちが良かった。よくない意味でも。
「ほら王子、言ってやってくださいよ」
「いやでもなあ……身体的特徴とかをあげつらうのは紳士としてどうかと……」
「その身体的特徴とやらが問題なんですから」
聖女イオンの欠片ほども敬意のない発破を受けて、王子は覚悟を決めたようだ。
「よし! 言うぞ! メカリーヌ嬢! 君は、君はその……」
王子は改めて己の婚約者を眺めた。
不当な糾弾を受けていると感じながらも、その背筋は鋼の芯棒のようにまっすぐで、目はハロゲンライトのごとく爛々と輝いていた。その顔貌もまた、磨ぎあげられたステンレスのごとく輝いているように見えた。
淑女としてはいささかスタイルに難があったが、かつての王子はその寸胴鍋の如きシンプルな体型を恥じらう彼女を愛していた。無骨な二本の指で優しく花をつむ姿に見ほれさえした。
「君は……ロボじゃないか……!」
『ロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウ』
「ロボだこれーッ!?!?」
王子の苦悶に満ちた指摘に対して、メカリーヌ嬢は即座に口部から「ロボチガウ」と刻印されたテープを吐き出しながら速やかに否定。欺瞞!
ホールに集まった人々もその衝撃の事実に驚愕の声を隠せなかった。
「ば、バカな! 歴史あるメカーナイト伯爵家の娘がロボだというのか!?」
「し、しかし確かに、言われてみれば人間としては不自然な体型では?」
「シツレイな! しかし言われてみればどことなく、ガンダムに似ておられる……」
「ガンダムではないだろうガンダムでは。ロボと言えば全部ガンダムかね」
「これはいったいどういうことだ!?」
聖女イオンは困惑の渦の中、ひとり呆れのため息をこぼした。
あまつさえオーバーに肩をすくめさえして見せた。
「いやあ……寸胴みたいな身体にロボットハンド、ランプの目、こんな古典的なロボ、逆に今日日は見かけませんよ……なんで今まで気づかなかったんですか?」
「人の身体的特徴をあげつらうのはよくない」
「お育ちがよろしいことで」
そう!
育ちが良かったのである!
第三王子だけでなく、学園に通うものは、通えるようなものはみな、基本的に育ちが良かったのである!
入学式で「ろ、ロボじゃねーか!?」と飛び出しかけた暴言はそっと飲み下され、誰もが「誰かが言うだろ……」と後回しにした結果、そういうのよくないよねっていう優しい空気が欺瞞を許してしまったのであった!
そして今やだれもが見慣れてしまってそういうものだとおもってしまっていたのであった!
そうはならんやろ。
しかし空気の読めない聖女によって第三王子の曇り切った目が晴らされたことで、その欺瞞も明らかになったのだ。
ぎこちなくぎっちょぎっちょとメカニカルな音を立てるロボ令嬢から、一同がそっと距離を取ったことでできたエアポケットめいた空白地帯。
そこに踏み込んだものがあった。
「メカーナイト伯爵……申し開きがあるか」
「申し開きなど、いやはや、なにか誤解があるようで」
メカーナイト伯爵令嬢メカリーヌ。その父親である伯爵当人であった。
王位継承権は遠く、政治的派閥も弱い第三王子とはいえ、王族の婚約者としてロボをあてがったことは、伯爵の地位にあれど、伯爵の地位にあるからこそ、決して軽い罪ではなかった。まあ王国法に婚約者としてロボをあてがうことを罰する法はないが。
婚約者としてロボをあてがうことを罰する法とは?
「殿下、あなたは我が娘をロボとおっしゃるが、そもそもロボが学園に生徒として入学できるわけがないではありませんか。Q.E.D.」
「そ、そうだ! 伝統ある学園にロボが入学できるはずがない! 誰か気づくだろ!」
反射的に叫んだ貴族の一人。しかし、お前が言うな、とは誰も言わなかった。全員が全員に対してお前が言うなであったからだ。
しかし空気の読めない聖女イオンは書類束を提示して見せた。
「メカーナイト伯爵。ここ数年、他の追随を許さない多額の寄付をされてるようですね」
「娘の通う学園だ。親としては惜しむところではあるまい?」
「らしいですよ公爵侯爵伯爵のみなさーんッ!!」
「怪しいナッ! 実に怪しい!」
「全くですゾ! これは裏金と見るのが正しいゾ!」
「金の力で不正を働こうなどと全く嘆かわしいッ!」
よき親として宣言する伯爵。
そして高位貴族をあおる聖女イオン。
爵位が全てではないが、爵位は面子である。
第三王子の婚約者を擁するとはいえ、伯爵が積み上げた寄付金からするとはるかに少額しか寄付していないという事実は高位貴族には認めがたい事実である。親としても、貴族としても。
ならばその金は汚いものであったことにしたい。そうであるべきだ。いや、そうだったのだ。メカーナイト伯爵は多額の献金の裏でロボを学園に潜り込ませたのである。Q.E.D.
なりふり構わない貴族たちの糾弾に、メカーナイト伯爵はわずかに鼻白んだようだった。
「そもそもロボではない。人の娘をロボだなんだと……なあメカリーヌ」
『ロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウ』
「ほら、娘もこういっている。人の身体的特徴をあげつらうのが帝国貴族、帝国市民のやることかね?」
「身体的特徴では無理があるだろう! サイボーグならともかくロボだぞ!」
「ばか、余計なことを言うとサイボーグだった可能性が出てくるだろ」
「脳を観たいわ! その子の脳をみせてちょうだい!!」
「ほーらへんなのが湧いてきたッ!」
メカーナイト伯爵は肩をすくめた。
全く以てばかばかしい茶番であり、気分を害するような道化であり、名誉を汚されたと感じている……そのように仕草でもって示していた。
「確かに娘は特徴的な見た目をしているかもしれない。しかし私の大事な娘だ。ほら、写真をごらんなさい。母親です。よく似ているでしょう」
そう言って伯爵が堂々と見せつけたのは一葉の写真だった。
穏やかに微笑む伯爵と、ピカピカの新品のメカリーヌ嬢。そしてベルトコンベアとロボットアーム。控えめに言って工場見学であった。
「ロボじゃねーかッ!!」
「工場を母親っていうタイプ!!」
「伯爵じゃなくて工場長じゃねーか!」
工場長もといメカーナイト伯爵はやれやれと被りを振って、騒ぎ立てる周囲を完全に無視した。もとより相手にしているのはただ一人。第三王子である。
「殿下……思い出してください。メカリーヌは、私の娘は、あなたの婚約者は、幼少のころよりあなたと仲良くさせてもらっていた。そうでしょう?」
「そ、それは、確かに……そうだが……」
「思い出してください。その交遊は偽物などではないでしょう。宮殿の庭を二人で眺めた話を、私などは何度も聞かされたものですよ」
「そうだ……私は彼女とよく庭を歩いた。彼女は、メカリーヌは花が好きだった……私は彼女にバラをあげようと思って、指を傷つけた。彼女は優しく手当てしてくれた……」
第三王子は薄れかけていた子供のころの思い出を振り返った。
子供のころは迷路のように広いと感じていたあの薔薇園。美しく咲き誇る花々。鮮やかな赤い花弁に、彼女は見惚れていた。子供ながらに格好いいところを見せようと、彼はバラの花を摘もうとして、棘で指を切ったのだ。その痛みを、彼は思い出せる。ちくりとした刺激に驚いて、それからじわじわと広がる痛み。熱にも似たそれに、ジワリと溢れそうになった涙を必死でこらえたのを思い出せる。彼女は、メカリーヌはステンレスの二本指でやさしく手を取り、レーザー焼灼で傷口をふさいでくれた。彼女からはオイルのにおいがした……。
「ロボだよそれはッ!!」
「ちいっ、絆されんか」
「ええい! これ以上の問答はいらない! 衛兵、ひったてよ!」
かくして機械伯爵は手錠をかけられ、メカリーヌ嬢もまた手錠をかけるかどうかそもそもどうすれば拘束したことになるのかちょっともめて、背中の主電源スイッチを落としたうえで台車で運ぶことになった。
「王子、なぜわからないのです。メカリーヌはあなたの婚約者として素晴らしい働きを見せてきたはずだ。あなたによく従い、あなたをよく支え、気立ては良くて力持ち、周囲との関係もよく築けていたはず。そんな素敵なロボなのに!」
「ロボだからだが……?」
「反革命主義的機械差別者め……!」
「終わり際になって属性を増やすのはやめ給え」
衛兵に引き立てられながら、しかしメカーナイト伯爵は笑った。ギイギイと笑った。
「ロボだから、ロボでなければ……あなたはなにもわかっていない」
「大事なことだと思うが……?」
「いままでなにも困らなかったじゃあないですか」
「いま困ってるんだよなあ」
台車でゴロゴロ運ばれていくメカリーヌ令嬢は冷蔵庫に似ていた。
しかし、伯爵の目は憐れみを通り越して、いっそ慈悲深い色さえ帯びていた。
「いいえ、いいえ。いままで、なにも困らなかったんですよ。殿下」
伯爵はそのまま連行されていった。
かくしてゼンマイ王国立「人間はみな社会の歯車」学園卒業式パーティは、波乱のままに幕を引いたのであった。
王子はため息を吐く。
これでようやく騒動は終わりだ。静かな日々が戻る。
人々の安堵の歓談と、歯車の音だけがどこか遠くさざなみのように響いていた。
いままでなにも困らなかった。
そしてこれからも。