表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/37

《黒鉄庵の姫君》 その八


 祟りの証拠を見つけられなかった自分達は、とぼとぼと芥川屋敷に戻った。

 離れの土間で、帰りに買った川魚を七輪で焼いていると、ついつい、ぼやきが口を突いて出てしまう。


「やっぱりさ、証拠はないけど、もう呪いってことにして帰ろうよ。祟りでもいい」

「御曹司、それはあまりにも……」


 あおばの諫める言葉も、わかる。けれども。


「黒葛黒勝様は、来栖国で一番の嫌われ者だった。それこそ、生者も死者も問わず、誰から殺意を向けられてもおかしくないくらいに、だ。それが、自分でもわかっていたから、あんな鉄の箱に閉じこもったんだろ?」


 誰に殺されてもおかしくないから、誰にも会わないよう、冷たい鉄の箱の中に入って、かんぬきを閉めたのだ。

 けれど、殺されてしまった挙句、そのことを来栖国の人々は喜んでいる。家老さえも、黒葛家の断絶を悲しみながらも「天領になるほうが民には良き事」と言う始末だ。


「下手人を探して、首を河原に晒して、それでどうなるんだよ。もう改易も決まっているんだ。今さら下手人が晒し首になって、だれが喜ぶ? むしろ、みんながっかりするんじゃないか。悪政を正した人間が、殺されちゃあ、さ」


 下手人は、いわば義賊と呼べる人間だ。それを裁くのは、どうだろうか。


「ですが御曹司、それでは世の理が通じますまい。下手人が野放しなどと……」

「わかる、わかるよ? でも、それなら、そもそも黒勝様が野放しになっていた理由って、なんなんだろうって思わない? だって、どう聞いても人間の屑じゃないか」


 自分は愚物だが、愚物なりに他者を思う気持ちはある。


「九公一民を目指していたような、無茶苦茶な大名だぞ。この国の民じゃない拙者ですら、死んでよかったと思う――」


 そのとき、がた、と音がした。はっとして振り向くと、土間の引き戸が開いている。

 涙目の童女が、自分を強く、強く、睨みつけていた。


「行燈男、いまなんと申した? 死んでよかった、じゃと? わたくしの、父上が……!」


 しまった、と唇を噛む。聞かれていたのだ。黒姫様は、ずんずんと――今回ばかりは正しくずんずんと歩いて近づいてくる。割って入るそぶりを見せたあおばを、手で制する。なにをされても、仕方がない。自分が悪い、これは。七輪の前で居住まいを正し、待つ。

 黒姫様が、自分の胸元を掴んだ。


「よいわけがあるかっ! あんな、あんな死にざまがっ、呪いや祟りなどであるものか! あほ! うつけ! たわけ! この、このっ!」


 小さな拳が、何度も自分の胸を叩く。童女の拳なんて、痛くもかゆくもない。けれど、次第にすがりつくようになって、背中を丸めて、嗚咽で肩を震わせる姿は、どうにも……、胸の内が、激しく痛む。

 どうして、自分はこうも愚かなのだろう。愚物なりに、他者を思う気持ちがあるだって?

 あるなら、こんな風にはなっていないだろう。


「……申し訳ありません、黒姫様。ご無礼を申しました」


 ぐすぐすと鼻を鳴らして、童女は自分の胸元に顔を押し付けたまま呟く。


「わかっておるわ、行燈男。父上は、良き大名ではなかったと。民にとっての良き為政者でもなければ、公方様にとっての良き家臣でもなかった。俗物で、あくどい男で……。じゃが、それでも。わたくしにとっては――」


 ――ただひとり、たったひとりの、家族だったのじゃ。


 黒姫様はそう言って、また、泣いた。声を上げて、泣き続けた。



 泣き疲れて眠ってしまわれた黒姫様を、芥川様が言うところの一番良い布団に、そっと寝かせる。

 ……せめて、寝ているあいだは安らかであってほしいな、と思う。だって、この姫にはもう、出家するくらいしか道がないだろうから。お家再興の芽がないわけではないが、黒葛は外様大名だ。長年、外様を冷遇してきた徳川将軍家が、たやすく再興を許すとは思えなかった。


 父親を失い、家族も親族もなく、すでに改易が決まっている家の、ひとり残った姫。その生涯を、世を恨みながら、寺に押し込められて終える可能性が高い。齢七歳かそこらの、童女が。本当なら、恵まれた生まれを満喫して生きるはずの姫が。


「……あおば」


 名を呼ぶと、それまで黙って控えていた忍びは、いつも通りのすまし顔で首をかしげた。


「先ほどの話に戻りますが、力原様へのご報告の内容は『祟り』でお決まりでございますか。それとも『呪い』にいたしましょうか。言っていらした通り、遠回りで京に寄り、遊んで帰るのも一興かと存じます。せっかくです、羽目を外して豪遊いたしましょう」


 こういうとき、あおばは意地悪ばかり言う。……わかってるよ。最初から、自分が大真面目に取り組んでいればよかったのだって、言いたいんだろう。


「あおば。前言を翻してばかりで、不甲斐ないこと、この上ないけどさ」

「はい、なんでございましょうか、不甲斐ない行燈男であらせられる御曹司」

「まだ帰らない」


 断言する。


「やっぱり、黒葛黒勝様を殺したのが呪いや祟りだったなんて報告、したくない。すべきじゃないんだ」

「おや。では、誰がやったと?」

「これから調べる。よしんば、本当に呪いや祟りだったとしても……、どんな呪いだったか、誰の祟りだったかくらい、きちんと報告できるようにしておきたい」


 自分には、謎解きなんてできない。謎時なんて名前でも。だけど。


「だから、手伝ってくれ、あおば。徹底的に調べ尽くそう」


 そうしなければ、黒姫様に叩かれた胸が、じくじくと痛んだままだろうから。

 あおばはすまし顔を崩して優しく微笑み、頭を下げた。


「無論、御曹司のご命令のままに」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ