《黒鉄庵の姫君》 その七
「本当は謎解きなんて一切できない、ただの昼行燈だなんて」
「そうでございますね。黒姫様のあだ名は的を射ていたわけでございます、行燈男様」
そうなのだ。謎解きが得意だから、謎時と名付けられわけではない。が、この名を聞いた者達はみな、「ああ、榊原の十一番目のせがれは謎解きが得意なのだなぁ」と勘違いしてしまう。父上は、本当に厄介な名を付けてくれたものである。
「うずくまっていても、仕方がございません。御曹司、お次はどうなさいますか」
少し考えてから、「じゃあ、通りで祟りだなんだと叫んでいた、あの面白い婆様に会いに行こうよ」と提案してみる。
「いちおう、昔は本物の巫女だったようだし、祟りの証拠を持っているんじゃないか? 証拠があれば、あおばも超常の仕業だって納得するだろ?」
「御曹司、適当な証拠をでっち上げてお勤めを果たしたふりをし、なんとかごまかそうという魂胆でございますね? 御曹司だって、悪霊なんて信じていなかったでしょうに」
そんなことないよ、と嘯いておく。……黒勝様ほど信心深くないのは、たしかだが。
城を出て、昨日、やちよ婆を見た通りの角まで行くと、今日も人だかりができていた。
「ちょいとごめんよ」
と人混みを掻き分け、やちよ婆の前へ。昨日同様、声を張り上げている。
「つまり、本能寺の変を引き起こした明智光秀公は、悪霊によって操られていたのじゃ! その悪霊とは、そう! かの織田信長様なのであるぞ! いまから証拠を見せよう。カーッ! ――どうも、織田信長です。拙者が光秀公を操っておりました」
そんなわけないだろ。なんで光秀公に殺された信長様本人が、悪霊になって光秀公を操れるんだ。時系列が無茶苦茶じゃないか。
町人達はげらげらと爆笑しているから、そういう虚言を楽しむ見世物なのだろう。死人を笑い話にするとは、巫女とは思えない所業だけれど。
ごほん、と咳を打って、やちよ婆の視線を引く。
「やあやあ、どうも、やちよ婆。拙者は江戸から来た者なんだけれども、ちょっと話を聞かせてもらえないかい」
じろり、とやちよ婆が自分を睨みつけた。髪は総白髪で、ぎょろりとした目が不気味だ。
「……ふん。榊原の十一男、浮気刀の十一郎かえ」
「おや、拙者の名前を知っているのかい」
「小さな町じゃ、噂が回るのも早い。おみつは口が軽いしな。……皆の衆、今日はここまでじゃ! さあ、散った散った! 見物料は置いていけ、ただ見は呪うぞ!」
町人達は、ぶつくさ言いながら去っていく。
地面に散らばった銭を素早く集めたやちよ婆は「こっちゃ来い」とすたすた歩き始めた。仕方なくついていくと、行き先はおみつさんの茶屋だった。
「あら、やちよ婆に、十一郎様とあおばさん。どうしたの?」
やちよ婆は我が物顔でどっかりと長椅子に座って、おみつさんに「茶と団子。山盛りじゃ」と呼びかけた。
「やちよ婆、山盛りなんて駄目よ。あたしだって、何度も食べさせてあげるわけにはいかないの。一人前にしてちょうだい」
「おや。やちよ婆様はツケではないのでございますか」
あおばの問いに、おみつさんは何とも言えない顔で微笑んだ。
「ええ、まあ、ちょっとね」
「おみつ、今日は問題ない。おい浮気刀、茶と団子くらいは食わせてくれるんじゃろ」
それくらいは、仕方あるまい。おみつさんに頼むと、彼女は呆れたように「無駄銭になるわよ、祟りじゃなくて呪いだもの」と言った。だから、どう違うんだよ。
「で、やちよ婆さん。昨日、黒葛黒勝様は祟りに殺されたって演説していたけれど、それは本当かい?」
「おうとも。本当に祟りじゃよ。あたしゃが言うんだから間違いない」
「証拠はあるのかい」
「は? 祟りに証拠なんぞ、あるわけなかろう」
ないのかよ。困ったな。……どうしよう、ここから何を聞けばいいんだ? ちらりとあおばを見ると、嘆息して、助け舟を出してくれる。
「やちよ婆様、これは誰の祟りなのでございますか? 祟りと言うからには、どなたか、死者の霊の仕業でございましょう? また織田信長様でございますか」
「……黒勝めは、ほうぼうに敵を作っておった。誰に憑り殺されても不思議ではないわい」
「おや、昨日は降霊されておりましたのに、わかりませんか。そうでしょうね、黒勝様に恨みを持って死んでいった者の名など、本当はひとつもご存じないのでしょう?」
あおばは煽るように「ふふん」と鼻で笑った。
「御曹司、行きましょう。ここにいるのは、まともな腕のない、似非巫女でございます。他人の死を利用して銭を稼ぐ、いっとう下劣な者でございます」
言いすぎだろ――、と思ったが、それが目的だったらしい。やちよ婆は長椅子から音を立てて立ち上がった。
「馬鹿にするでない! あたしゃは恐山で鍛えた本物じゃあ!」
「では、誰の祟りか、ご存知だと?」
「ああ、知っておるとも! おとよじゃ!」
やちよ婆が唾を飛ばして叫ぶ。
「黒葛黒勝めに手籠めにされ、辱められた挙句、あっさりと捨てられたかわいそうな娘、おとよの祟りに決まっておるのじゃ!」
あまりの剣幕に、気圧されてしまう。叫び終わったやちよ婆は、苦々しげに椅子に座り直した。
「……嫌なおなごじゃ。わざと怒らせおったな」
「申し訳ございません、やちよ婆様。なにか、隠しているご様子でございましたから」
老婆は舌打ちをしてそっぽを向いた。そこに、お盆を持ったおみつさんがやってくる。呆れ顔だ。
「やちよ婆、あんまり大きな声で叫ばないでよ。迷惑だから。はい、お茶とお団子」
謝罪の意味も込めて、銭をきちんと支払っておく。……山盛りだからか、五人分ほどだった。あおばが、おみつに向き直る。
「ちなみに、呪いは生者も行える技、祟りは死者だけが行える技、と認識しておりますが、おみつ様は誰が呪いをかけたのだとお考えでございますか?」
「誰でもいいわよ、そんなの。やちよ婆も誰に憑り殺されても不思議じゃないって言ってたでしょ、黒勝様に呪いをかけたい人なんて、星の数ほどいたの」
町娘は快活な笑顔を引っ込めて、ひどく妖しい微笑みを浮かべた。
「大切なのは、黒勝様が亡くなったってこと。それで十分なのよ、あたし達には」
「……さようでございますか。そういえば、おみつ様は、黒勝様は凶兆の夢を見たのだと仰っておられましたが、それは誰から聞いたのでございますか?」
「さあ、誰からだったかしら。毎日、たくさんのお客とお話をするものだから、誰から聞いたものか……」
快活な笑顔に戻ったおみつさんは首をかしげた。
「思い出せそうにないわね、ごめんなさい」
思い出す気もなさそうだな、と昼行燈なりに邪推する。
「あんたら、江戸から来て、いろいろ調べにゃならんのかもしれんがね」
やちよ婆が団子をむさぼりながら、吐き捨てるように言う。
「それなら、もっと前に来て、黒勝の悪行を調べてくれりゃあ、よかったんじゃ。あれがどんなだったか、みんな知っておるのに、お上はなにもしてくれなかった。みんな喜んでるんじゃ。水を差すんじゃねえぞ、お役人」
お役人じゃないけれど、今度は訂正せずに茶を飲む。昨日より苦く感じる。というか、確実に苦い。舌を出して顔をしかめると、茶屋の娘がまた怪しく微笑んだ。……黒勝様は、相当に嫌われていたらしい。