《浮気刀と忍法帖》
江戸は日本橋。長屋に住むその日暮らしの町人が、ものを盗まれたと同心に訴え出た。
田舎から出てきた町人が、大事に保管していた、母の遺灰だ。
同心はいぶかしんだ。どうして、そんなものを盗むのだ、と。だが、調べてみると、どうやら近隣の家々で、灰が盗まれているようだった。遺灰だけでなく、七輪に残った炭や、かまどに積もった灰が。そして、皆一様に、こう言うのだ。曰く――。
「――化け猫がやったのだそうでございます」
「よし。じゃあ、化け猫がやったということにして、家に帰ろう」
「御曹司」
じっとりとした目で、あおばが自分を見た。
「せっかく、烏丸様直属の同心として奉公を許していただいたのです。精一杯働こうと思わないのでございますか」
蒸し暑い。夏の日差しを手傘で避けながら、自分はぼやく。
「奉公を許していただいたわけじゃなくて、奉公を強要されているんだよ、拙者は」
あの事件から、もう三月が経過した。
で、いろいろと面倒な後処理や説明があって、なぜか自分は同心という役に付いた。
「損な役回りだよ、まったく。大目付の直属同心だから、三廻にも火付盗賊改にも、縄張り荒らしだと白い目で見られるし」
「よいではございませんか。それだけ、特別なお役目なのでございます」
なるほど、特別といえば聞こえはいい。だが、内実は面倒この上ない役目だ。化け猫退治をしなければならないのだから。……化け猫ってなんだ?
より正確に言えば、自分の務めは大目付烏丸与志信様の命に従って、謎を解くこと。
持ち込まれる謎が、化け猫だったり、大入道だったりするので困っているわけだ。
「……案の定、父上が縁談を持ってくるしさ。冗談じゃないよ、まったく」
「よいではございませんか。黒姫様からも、そういうお話があったとか?」
「げ。どこで聞いたの、それ」
「ご本人が、やつがれに堂々と教えてくださいました。お受けにならないので? 悪い縁ではないと存じ上げますが」
冗談だろ。黒姫様はまだ七つだぞ? ……もう八つだっけ?
「どっちにせよ、早すぎるって」
「徳川秀忠様のご息女、千姫様が豊臣秀頼様と契られたのは七歳の頃でございます。早すぎるというほどではないかと」
「……そのとき、秀頼様はおいくつだったのさ」
「十一でございます。御曹司と同じく」
自分の十一は名だ。年齢ではない。
「ちなみに黒姫様は『わたくしとの縁談を受け、年を取るまで許嫁という形にしておけばよい』とおっしゃいました。そうすれば、あと五年ほどは御曹司のお好きなように活動できるから、いいんじゃないか……、とのことでございましたが」
「だから断りたいんだよ。最初から別れるつもりで婚約するなんて、不誠実だ」
黒姫様は、烏丸様の温情で、江戸に住む内藤家に引き取られた。どこぞの寺で尼になるしかないと思われていたけれど、元気いっぱい、江戸の暮らしを満喫されている。
もちろん、その忠臣たる芥川様も一緒だ。帳簿の改竄や虚偽の証言の罪はあるが、すべて黒葛家への忠心ゆえと見なされ、遠縁から呼んだ養子に家督を譲る形での隠居で許された。これもまた、烏丸様の温情である。黒葛家復興への道は、しっかりと残されたわけだ。
黒葛家復興と言えば、まさに正統な世継ぎであるはずの笹木小四郎だけれど、黒葛の家系には戻らなかった。駕籠の護衛として江戸に来ていた彼は、そのまま今度は北へ旅に出た。いつか来栖に戻る日のため、人脈を作っておく……、とのことだ。黒姫様とは兄妹として、密な文通で交流されているとか。おそらく、文面でも叱られてばかりだろうが。
あの国の民、おみつさんにやちよ婆、正念は元気にやっているだろうか。天領となり、無体な御用金の徴収がなくなれば、暮らし向きも良くなると思うけれど。
そうそう、来栖城へ侵入した三人の罪は、罪を裁くべき来栖の町奉行が機能停止していることに加え、仇討ちが認められたことで、完全に不問とされた。これも烏丸様の温情。
……そう、温情なのである。すべて。元はすべて、もう少し厳しい罰があったのだ。
三か月前、百両箱を気安く受け取ってしまった自分が憎らしい。沙汰が出たあと、彼らの処分を軽減するよう烏丸様の元へ嘆願しに行くと、これら複数の温情と引き換えに、同心になれと迫られたのだ。
松の大廊下で、与力や同心に興味はないか……、と言っていたのは、冗談ではなかったらしい。こちらとしても冗談ではない、と断りたかったが……、温情のため、泣く泣く労働を受け入れた。あおばが嬉しそうだから、まあ、良しとしよう。
「……で、なんだっけ。化け猫? てことは、陰陽師か忍者の仕業かね。拙者は謎解きがからきしだから、また、あおばに頼ることになりそうだ」
「いえ、御曹司も、江戸城では見事なご推理でございましたとも。鳥の一党は集めた情報を分析して事実を見つけるばかりでございますが、御曹司は見つけた事実から人々の気持ちを想像し、謎をお解きになられる。やつがれにはできないことでございます」
「へえ。それじゃ、拙者達は良い相棒ってことかい」
「さて、いくつもの仕事を通さねば、良い相棒かどうかはわかりかねますね」
相変わらず手厳しいね、我が竹馬の友は。
「しかし、同心になって、御曹司にとって良いこともございましょう? 流派なしの邪道の剣でも、同心としてならば試合が組めますし、剣豪番付にも載ります。江戸で一番になることも、不可能ではございません」
「そうだな。まあ……」
言いかけて、ふと、気づく。
「あおば、もしかしてあの時、意識が戻っていたのかい」
あおばはいつも通りのすまし顔で、首をかしげた。
「はて。あの時、とは? どの時でございましょうか」
「……まあ、いいさ。拙者が江戸で一番にならなきゃ、わからない話だし」
立ち上がる。長屋に出た怪の正体を、暴かねばならない。化け猫の正体見たり――、さて、なにが出てくるのだろうか。人が死んでいないぶん、気は楽だ。
少し、空を見上げる。やはり、太陽がまぶしい。
……結局、自分はなにを得たのだろうか、と考えるときがある。
やる気なんてひとつもなかったくせに、名前通りの謎解きをやってしまった。挙句、避け続けてきたお勤めに、しかも、同心なんていう現場仕事に就いているわけで。
太平の世を満喫すること、させることと、働くことは、どうもこう、結びついていないような気がして、首をかしげてしまう。
なら、得たものとはなんだ?
百両箱? ただの金だ。
力原野心様を失脚させた? それは得たものではなく、失わせたもの。
ひとりの姫の笑顔? 取り戻したのは、あくまで黒姫様ご自身だ。
ならば、自分が……、榊原謎時が得たものとは、なんだろう。
武士らしさが芽生えたか、といえば、まったくそんなことはない。
武士の一分がどんなものか、自分にはさっぱりわからない。
公方様の元で、世のため人のため、務めを全うすることが大切なのだ……、と頭ではわかっていても、心の臓まで納得が落ちてこない。
だから、自分が本当に得たものはただひとつなのだろうと思う。
ごく短く、けれどいろいろな感情が詰まった、感謝の言葉。
ただ、それだけ。それだけが、自分の得たもので……、そのごく短い感謝の言葉が、自分にとってはなにより誇らしい成果に違いない。
ならば今は、この誇らしさを胸に、太平のため、成すべきことを為すとしよう。
「――さて、江戸を支えて立つ、長屋住まいの町人諸君。拙者が化け猫盗灰事件の捜査を担当することになった、人呼んで――」
「――謎解き同心、榊原十一郎謎時といえば、ご存知かな?」
《終わり》
お読みいただきありがとうございました。
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こちらのお話は、ミステリ・冒険小説系の公募に応募し、あえなく落選したものになります。
やっぱり「ぜんぶ忍者の仕業なんだよ!」はダメだったのか……?
話の説得力や「そういう技術があるよ」の前フリが丁寧ではなかったな、と反省。
個人的にはとても気に入っているお話なので、楽しんでいただけたなら幸いです。
来年もミステリ系の公募に挑戦するつもりなので、今後の参考のために、☆☆☆☆☆での評価や、良かった点、悪かった点を感想コメントで教えていただけると助かります。
重ねてになりますが、お読みいただきありがとうございました。
また別のお話でお会いできれば幸いです。




