《黒鉄庵の姫君》 その二
あまりに自信満々に言うものだから、自分もあおばも、あっけに取られてしまった。
「の……、呪い? つまり、ええと、誰か、陰陽師や呪術師が、一所懸命に祈祷して、お殿様を呪殺したっていうのかい」
団子を片手に聞いているつもりだったけれど、さすがに口を挟んでしまう。
「そんなことある? もう室町の時代じゃないんだよ?」
「ええ。だって、お殿様が殺された十二日前の夜、お城にはお殿様以外、誰もいなかったはずだもの。つまり、人間の仕業ではなくて、超常の力が作用したに違いないわ」
「城に、殿様以外がいなかったのでございますか?」
「そうなの。あの日、お殿様はお城から家来も家族も、みんな追い出したの」
「追い出した?」
みんなを? 城は、殿が居住するだけの場所ではない。国を運営する役所の中心だ。城勤めなんて、何千人もいるだろうに。
首をかしげていると、おみつさんが笑って町の中心を指差した。
「お江戸と一緒にしちゃ駄目よ。来栖城のお侍は、武官、文官あわせてせいぜい二百人ほどだもの。その気になれば、みんな外に追い出せるわ」
なるほど、指差した先にある城は、江戸城とはまるで違う、小さな城だった。小高い丘の上に、ぽつんと本丸が置かれていて、そのてっぺんに、すすけた天守が備えられている。こう言ってはなんだが、やけに物悲しい雰囲気だ。小さい国は、城も小さいんだな。
「おみつ様。黒勝様が、どうして家臣や家族を追い出したのか、ご存知でございますか。なにか、特別な催事があったとか?」
「突然よ。理由を知っているのは、ご家老くらいだと聞いたわ。とうとう乱心したのだと、みんな言っていたけど……、でも、あたしは知ってる。茶屋の娘だもの、噂には耳聡いの」
自称、噂に耳聡い茶屋の娘は、にんまりと笑った。
「あの日ね、お殿様がみんなを追い出したのは、呪いのお告げを夢に見たからよ。以前から、悪夢を見ていたそうだけれど……、ついに呪いとの決戦の日が来たと悟って、家臣達を追い出したの! でも、呪いには勝てなくて、死んじゃったってわけ!」
はあ、悪夢を見て、家臣達を追い出したと。自分は、すでに話半分だった。だって、呪いなんて、今どき誰も信じちゃいないし。
「拙者が呪いと決戦をするなら、むしろ、家臣は近くに居てほしいけどなぁ。怖いし。みんなに弓と刀を持たせて、坊主も巫女もいろんな宗派から百人くらい呼んで、一斉に祈らせるんだ。……ちょっと楽しそうだな、それ」
「かの著名な尾張の寺社奉行、横井也有様も『ばけものの正体見たり枯れ尾花』と詠んでいらっしゃいます。呪いを恐れる気持ちはわからないでもないですが、それだけで家臣をみな追い出すとは考えづらいかと」
けれど、そんな自分達との温度差にかまわず、おみつさんは熱弁を続ける。
「一騎討ちよ、一騎討ち! これぞ、お侍様って感じよね! まあ、呪われて当然なお方ではあったけれど、死に際はお侍様らしかったってわけ……、あ、呪われて当然なんて、あたしが言っていたのは、秘密だからね!」
さっき一番の嫌われ者とか言っていたし、手遅れだと思うが、うなずいておく。
あおばは「そうでございますか。おみつさんは、たいそうな事情通でございますね」なんて笑顔で応じているけれど、あれは微塵も信用していないときの顔だ。
おみつさんもそれを悟ったのか、さらに熱っぽくなにか訴えようと口を開いたところで、「おみっちゃん」と別の席から声がかかる。いつのまにやら、小太りの浪人らしき男が茶屋に来ていた。
「酒と、団子。二人前くれ、ひとりで食うけど」
「小四郎さんったら、こないだのツケも払っていないくせに! ……それじゃ、十一郎様とあおばさん、お殿様を殺したのは呪いだったってことだけは、おぼえておいてね!」
小走りで浪人の元へ駆けて行く。
自分とあおばは顔を見合わせて苦笑し、ひとまず団子を食うことにした。
団子と茶をいくらか楽しんだところで、「おい」と声をかけられた。
顔を上げて見ると、小四郎と呼ばれていた浪人が、こちらにずんずん近づいてきていた。あおばがそっと、右袖を腰の後ろに動かした。
「なんでしょうか。ええと、小四郎殿でしたか」
問いかけると、浪人は赤らめた髭面でにかっと笑った。
「笹木だ。笹木小四郎。あんた、江戸から調査で来たお侍だって?」
絶対、偽名だろう、それ。半目で見るが、小四郎はこらえた様子もなく、言葉を続ける。
「榊原の十一郎といえば、直参旗本榊原家の十一男、謎時殿だろう。つまり、江戸で悪名高い浮気刀だ。違うかい?」
浮気刀――、と呼ばれたことで、あおばの纏う空気が一気に冷えた。この呼び名が嫌いなのだ、あおばは。……あおばが自分を罵るときには使うくせに。
「浮気刀の十一郎と、そう呼ばれることもありますね。なにか、御用で?」
「大した用じゃない。ちょっと、手合わせ願いたいだけだ。悪名高き浮気刀を、俺の剣でぶちのめしたとありゃ、アンタに泣かされた幾人ものおなごの気も晴れるだろう?」
「無礼でございますね」
あおばが、どこかから引き抜いたクナイを、小四郎の首元に突き付けていた。音もなく。お盆を抱えて見ていたおみつさんが「きゃ」と悲鳴をあげる。
「おっと。付き添いの女房か、あるいは浮気相手かと思ったが、護衛の隠密だったか」
小四郎は、しかし、余裕の表情だ。荒事慣れしているらしい。
「あおば。安い挑発に乗るんじゃないよ。茶屋を血で汚しちゃ迷惑だ。小四郎殿、誤解があるようだけど、拙者はおなごを泣かせたことなんて……、ない、と思うよ?」
「言い淀んだってことは、思い当たる節があるんだろ。いかにもおなごを泣かせそうな顔をしているし」
「御曹司、やはり斬ってもよろしいでしょうか」
「やめなさいって」
あおばが渋々といった顔でクナイを袖に引っ込める。
「竹刀や木刀での手合わせくらいなら、拙者はかまわないよ。ただ、今は町に着いたばかりで、用事もある。後日にしてくれないか」
「……ああ、お勤めで来たんだもんな。いきなり悪かった。俺は剣が好きでな」
小四郎は、断りもなく対面の長椅子にどっかりと座り直した。
「だが、こんな辺境じゃ、満足に手合わせもできやしねえ。仕方ねえから、旅人に片っ端から喧嘩売ってるわけよ」
呆れた。悪質な浪人もいたものだ。
「そんな顔で見るなって。詫びに酒でも奢るよ。おみっちゃん、この若武者に酒を――」
「小四郎さん、ツケ」
おみつさんがぴしゃりと言う。小四郎は苦笑して、「奢り以外で、なんか詫びるよ」と言い直した。荒武者ではあるが、性根が悪いわけではなさそうだ。横目であおばを見ると、いつものすまし顔に戻っている。
「じゃあ、ちょっと案内してくれないかい。来栖の家老、芥川三茶様の屋敷に行きたいんだけど」
「お安い御用だ。……が、まずは団子だな」
髭面の浪人は、豪快に笑って団子にかじりついた。