《密室城》 その十
笹木小四郎は、黙り込んで……、そして、首を横に振った。
「俺が、黒葛黒康だと? どうして、そう思う」
「ひとつ。数日前に流れてきたと仰いますが、来栖の事情に詳しすぎるからでございます。少なくとも二十年前には居ついていたはずのやちよ婆様や、ご家老の人となりまで。こちらの道場主、松井坂様とも旧知だと仰られましたね。来栖国の出身ではございませんか?」
「人から聞いた話を、したり顔でしただけさ。松井坂殿とは旅先で出会って意気投合しただけだとも」
「では、ふたつ。文の件――こちらはすでに、一度、指摘してございますが。直接、声を聞いたことがないはずなのに、黒鉄庵の中からの返事が黒勝様ご本人の声音だったと断定されておりました。よく聞いていた、知っていた声だから、ついごまかし損ねたのでは?」
車座の外で、自分は腕を組んで壁にもたれ、ただ、あおばの推理を聞いていた。
「人相が隠れるほどの髭も、知人が多いこの国で活動するための、変装のおつもりだったのではございませんか?」
「……いいや、違う。俺、実は童顔でな。髭がねえと、舐められるんだよ」
「そうでございますか。お答え、ありがとうございます」
笹木小四郎の返答は、あくまで否定だった。あおばは次に、やちよ婆に視線を移す。
「やちよ婆様。ひとつだけ、教えていただきたいのですが」
「また、いくつも質問する気だろ。わかってんだ、こっちゃ」
「いいえ、今回は本当にひとつだけでございます」
悪態を吐く老婆に、あおばはまっすぐ問いかけた。
「亡くなられたお子様のお名前は、なんと申しますか? 町で記録を調べればわかることでございます、嘘は吐かずにお答えくださいませ」
瞬間、やちよ婆は、ぎょろりとした瞳を最大まで見開いて、猛禽のように頭髪を逆立て、鼻息荒くあおばを睨みつけた。
「てめえ、このくそ性悪女が……!」
「お答えくださいませ、やちよ婆様」
老婆は、ぎりぎりと歯を噛み締め、何度か地団太を踏んでから、観念したように肩を落として「おとよだ」と呟いた。
「おとよ様で、お間違いございませんね?」
「ああ、そうだ。おとよだよ……、おとよなんだ、あたしゃの可愛い娘は」
「ありがとうございます、やちよ婆様」
しゅんとしぼんでしまった老婆を尻目に、次はおみつさんに視線を向ける。
「おみつ様にも、質問がございます」
「でしょうね」
おみつさんは眉を下げ、寂し気に微笑んだ。
「この流れなら、わかっているんでしょう?」
あおばはうなずく。
「おみつ様のご母堂は、おとよ様でございますね?」
「ええ。そう。あたしのおっかあは、おとよ。婆様は、やちよ婆。親子二代で情婦だなんて、あんまり人には言えないけれど、知っている人は知っているわ。ああ、黒勝はおっとうじゃないから、そこは安心してちょうだい」
……つながった。やちよ婆とおみつさんは、祖母と孫の関係だ。その間に挟まるおとよさんは、黒葛黒勝様によって、失われている。
赤龍法師が面白そうに微笑んだ。
「皆様、いろいろあるんですねぇ。次は拙僧への質問ですか? いやあ、楽しみだ」
「いいえ。赤龍法師様への質問は、特には」
「ええ……。それは残念です」
微塵も残念だと思っていなさそうな、うさんくさそうな微笑みでのたまう。
ともあれ、だ。
「赤龍法師様を除いたお三方は、それぞれの恨みを晴らすべく、あの井戸を通ったのでございます。娘の仇、母の仇、叔父と祖父の仇……、仕事や密約など、嘘でございましょう。いえ、情婦であったことは、正しいのでしょうが」
おみつさんは、ふっと微笑んだ。
「そうよ。そも、情婦になったのも、いつか機を見て殺すためだった。とはいえ、あたしがおとよの娘だって知っていたから、あたしを痛めつけるときは必ず側仕えがいて、殺すのは難しかったけれど……」
黒勝様は、城から人払いをした。凶兆の夢を見て……、密室の城を、自ら作り上げた。
「……あの日は、殺せた。だから、お城に行ったの。殺したのはあたしよ」
大名殺人の、自白。その自白に、異を唱える者がいた。
「いいや、違う。殺したのはあたしゃだ。娘も孫も通った井戸だ、あたしゃが知らねえわけねえだろ。おとよの仇を取る日を、ずっと待っていたのさ」
やちよ婆だ。二人目の自白者。さらに、小四郎までもが手を挙げる。
「二人は噓を吐いている。殺したのは、俺だよ。黒勝の討伐は、来栖から逃げた俺が、唯一、果たせるお役目だった。子として、為すべきことをしたんだ」
為すべきこと、か。それが親殺しとは、小四郎も難儀な家に生まれたものだ。自分は本当に恵まれている。……物思いにふけっている場合ではない。
三人がこぞって、己の仕業だと言い出した。赤龍法師だけは「いやぁ、拙僧はねぇ、やってないですよ」と目を泳がしているけれど。
「皆様、昨日までは『確かに生きていた』と言い、嘘を暴かれた途端に『自分がやった』とうそぶく。これはおかしな話でございますが、これにて確信が持てました。つまり、皆様は……」
あおばは、手に持っていた紙の右端、まだ折りたたまれていた部分を広げた。
「……誰かを、かばっていらっしゃるのでございます」
そこには一文、こう記されている。
零、芥川三茶様。城を無人にする際、黒勝様に最後に会い、正面から城を出た。
そう。芥川様は、四人よりも先に、ひとりで黒勝様に謁見し、堂々と城を出たのだ。
「なにをどう申されましても、結局、皆様には黒鉄庵のかんぬきを開けてもらうことが、できないはずなのでございます。黒勝様から見れば、殺した情婦の娘、殺した情婦の母、毒を盛って恨まれているはずの息子、得体のしれない法師様でございますから」
得体のしれない法師が「ひどいなぁ」とぼやいた。
「失礼いたしました。ですが、逆に言えば、どれだけ恨みがあっても、皆様には殺せなかったはずなのでございます。では、こう考えるのはいかがでございましょうか。閉じこもってから殺されたのではなく、殺されてから黒鉄庵の中に閉じ込められたのだ――、と」
鳥の一党の隠密が、言葉を続ける。
「皆様が黒鉄庵へ辿り着いたとき、すでに黒勝様は亡くなっていらっしゃったのではございませんか。締め切られた躙り口の向こうからは、物音も返事もなく……、しかし、血の臭いはごまかしようがないでしょう。死んでいると気づいたはず」
気づいて――、そして、考える。
「皆様、確実に無人の城に潜り込むため、城が閉じられる様子を監視していらしたのでは? 最後のひとり、芥川様が出てこられるのを確認し、黒墨寺の井戸に近づく者がいない機を見計らい、城へと忍び込み……」
偶然か、必然か。不寝番の正念だけが、こっそりと見守る中で、彼らは半刻ずつ順番で交代するかのように来栖城へ忍び込み、天守黒鉄庵に忍び寄る。殺意を持って。
「皆様は考えたはずでございます。誰がやったのか、と。すでに死んでいるということは、自分より以前に会ったものが殺したということでございます」
それは、誰か。
「互いに、四人が忍び込んだことは知らないはずでございます。知っていたとしても、おみつ様とやちよ婆様が、事後報告で辻褄をあわせた程度でございましょう。であれば、全員が共通して、その誰かをかばったのだとしか、考えられません」
それほどに慕われる人間は、いったい誰なのか。
「恐れながら献言いたしますれば」
あおばが、暴く。こんがらがった糸を断ち切るように。
「皆様は、黒葛家の忠臣にして来栖国に残った良心、芥川三茶様を守るために、あえて嘘を吐かれているのでございます」
それが、あおばが導き出した答え。
黒葛黒勝様を殺したのは、芥川三茶様だ。




