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《報告の一》


 楽して生きていきたい。可能な限り、楽をして。


 自分の、つまり榊原十一郎謎時さかきばらのといちろうのなぞときの人生哲学を、あえて言葉にするならば、こうだった。誰だって苦しいのは嫌だし、できれば楽をしたいはずなのだ。ならば、せっかく平和な江戸の世に、旗本の十一男として生を受けた自分は、何一つ為すことなく、何一つ残すこともなく、ただ楽しいだけの人生を送るべきじゃないか。


 こんなことを言うと、「恵まれた生まれだから、そんなことが言えるのだ」などと非難してくる者もいるけれど、反論はない。どころか、自分もまったくの同意見だ。

 恵まれた生まれだから、言っている。

 親の禄だけで食っていけるなら、その立場を十分に生かし、太平の世を満喫するのが、恵まれた生まれならではの生き方だ。苦しいお勤め? 武士の一分? ばかばかしい……、とまでは思わないにしても、しなくても済むことは、わざわざしなくてもいいのである。


 そう、思っていたくらいなのだけれど。

 どうして自分は、江戸城に上がって、汗まみれで平伏しているのだろうか。

 べったりと手に滲む汗を疎ましく思いながら、自分は頭を上げた。


「榊原謎時、ただいま帰参いたしました」


 緊張が、頭から足の先までを支配している。なんせ、ここは江戸城の本丸だ。自分などがいてよい場所ではない。

 加えて、目の前には二名のお偉方が座っていて、じいっと自分を見つめているのだ。緊張するな、といわれても無理な話である。


「やあやあ、ご苦労だったな、謎時。昨日、江戸に帰ってきたばかりのところ悪いが、今日は例の事件についての報告を頼むぞ、うん」


 一人は、しわのない、ぴんと張った裃を着た、恰幅の良い老人。大黒様のような人懐こい笑顔を浮かべた大目付、力原野心(りきはらやしん)


「例の事件……、栗栖の大名が死んだ事件か。死に関して謎が多かったとか」


 もう一人もまた、裃を着た老人。ただし、こちらはしかつめらしい顔で、大樹のようながっしりとした体格。大目付、烏丸与志信(からすまよしのぶ)

 大目付は、旗本が付ける役職の最高位。各国の運営を見張り、口を出せる、官僚の頂点。そして、現在の江戸の政は、様々な事情もあって、この二人が牛耳っている。

 とどのつまり、自分の目の前には今、官僚政治の中枢が座っているのだ。


「ところで、今日は本来が、烏丸殿が同席する予定ではなかったはずだが」


 力原様がちくりと刺すが、烏丸様は眉ひとつ動かさない。


「知っているだろう、十一郎とは同じ道場で鍛える仲でな」

「ああ、もちろん知っているとも。立ち合いでは、何度も接戦を繰り広げたとか?」

「最後は負けた。その道場の師範より『遊び歩いていた弟子がようやく勤めをいただいたようだから、目をかけてやってくれ』と頼まれたゆえ、参った次第よ」


 自分を前に、二人の大目付が剣呑は雰囲気で会話をする。力原様も烏丸様も、決して仲が良いわけではない。……むしろ、仲は悪い。すこぶる、悪い。表立って敵対はしないだけで。力原様と烏丸様が、裏で互いの腹を探りあっているのは、有名な話だ。


「ふん、まあよい。謎時、報告を始めよ」

「は」


 そのお二人を相手に、これから自分は長い話をしなければならない。胃が痛いね。

 ひとつ息を吸って、一緒に緊張も飲み下す。


「では、此度の事件について、調べて参った結果をご報告申し上げます」


 これは自分がやらねばならない仕事である。


「事が起こったのは、二十五日も前、ちょうど桜が咲いていた頃のこと。来栖国、来栖城にて、大名の黒葛黒勝(つづらくろかつ)様が無残にも暗殺されてしまったのです。調査を命じられた拙者は、ちょうど二十日前に来栖国に発ったのでございます」


 烏丸様が、冷たく「待て」と言葉を差し込んだ。


「いきなり話の腰を折って悪いが、十一郎。そもそも、元服してからろくに働こうとしなかった『浮気刀の十一郎』が、どうして、大名殺人事件などという大それた事件の調査に行くことになったのだ」

「ご存知、拙者の名は謎時でございますから。名が示す通り、謎を解くのに適した男ですゆえ、今回の謎多き事件にはもってこいだと、力原様のお目に留まったのです」

「……お前が? 適した男?」


 烏丸様が、うろんな目で自分を見ながら、うろんな声で問うた。まったく信用されていないんだな、とちょっと悲しくなる。

 力原様が「文句がおありかな」と烏丸様を挑発する。


「誰を送るか、拙速に決めねばならんかったのに、烏丸殿は上様と花見に行っておられただろう。城で留守を任されていた儂が、烏丸殿にあとから文句を言われんよう、わざわざ気を遣って知り合いを選んでやっただけのこと。謎時という名前だしな」

「しらじらしい。十一郎の父、朝時は勘定所勤め。わざとらしく、拙者と力原殿の、ちょうど間の人間を選んだだけだろうに。能力で選べばよいものを。そういうところが、気に食わんのだ。……まあよい」

「ちゃんと帰って来たのだから、問題なかっただろう? 謎時は、罪人をひとり、連れて帰って来たと聞いておる」


 ……さすが、力原野心様だ。耳が早い。昨日は帰りがけに道場に顔を出したくらいで、自分と共に江戸に来た男については、見た人しか知らないはずなのだが。

 烏丸様が、探るように自分を見た。


「ほう。では、十一郎。おまえ、武士の勤めを果たしてきたのか」


 しっかりとその眼を見つめ返して、うなずく。


「本日は、罪人を明らかにすべく、参上いたしました」

「ならばよい。遮って悪かった、報告を続けよ」


 は、と頭を下げる。さて、それでは改めて。


「力原様からの命を受けた拙者は、急いで来栖の国へと発ったのでございます。二十日前、急に決まった話でしたから、拙者の供はたった一人だけでした」


 此度の事件は、語るべきことがあまりにも多くて、どこから話すべきか悩んだ。

 嫌われ者の将軍。密室の城。黒鉄庵。融通の利かない家老。情婦の道。うさんくさい似非法師。噂好きの町娘。親子の因縁。偏屈なまじない婆。かたき討ち。復讐。喧嘩好きの浪人。逐電した跡継ぎ。それから、唯一の家族を亡くした姫。


 でも、この事件について、一から十まで語るのならば。

 まずは自分のこと。つまり、冴えない旗本十一男、榊原十一郎謎時のことと。

 そして、その無二の相棒である忍びの者、あおばのことから語るべきだろう。




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