鶴のしつこい恩返し 2
『鶴のしつこい恩返し』の続編。語り手は鑑識官として働く妻です。
警察の鑑識と言えば、地味な仕事だ。
唯一、女らしいと褒められる長いストレートヘアをひっつめて、着るものはドラマでおなじみの制服。
ひたすらに這いつくばったり、重箱の隅をつつきまくって、あるかもしれない何かを探すのだ。
暗いこと、この上ない。
だが……
「一致しました!」
県警本部の鑑識課、科捜研から送られたデータの中に探し物が見つかった。
「よくやった!」
「早速、刑事課に報告する」
課長が足早に部屋を出ていく。
完全犯罪かと思われた密室殺人事件。
だが、天は我々に味方した。
通常なら、その証拠は乾燥し空気中に散ってしまい、痕跡が消えていた可能性が大きい。
ところが、事件のあった日、天候の急変で湿度が上昇したため、証拠は定着されたごとく残ったのだ。
ありがとう! 天気の神様!
残念ながら毎回とはいかないが、うまく行ったときの達成感は堪らない!
散らかしっぱなしだった部屋を同僚たちと片付けていると、課長が戻って来た。
「皆、ご苦労さん。
ここのところ、いろいろ無理してもらって悪かったな。
必要な書類を片付けたら、今日は帰っていい。
有休が残ってる奴は、明日も休んでいいぞ。
届けは出してってくれよ」
「課長が神!」
「いやあ、おだてても何も出ないぞ。
それに、また何かあれば、すぐに呼び出すからな」
「課長が悪魔」
「いや、死神じゃね?」
長丁場の後で気が抜けて、皆好き勝手言っている。
「殺されないように、連絡先は確保しといてくれ。
以上だ」
一番先に片付けの終わった私は、明日の有給届を課長に提出した。
「おお、新婚なのにいつも悪いな。
旦那さんによろしく」
「新婚なんて、もう三年も経ってますってば!」
「そうだっけ? まあ、とにかくご苦労さん」
「課長もお疲れさまでした。お先に失礼します」
手を振る同僚たちにも軽く頭を下げて、職場を後にした。
そうだ、せっかく半休になったんだから、と夫に電話する。
「もしもし、私だけど。
ねえ、夕飯の用意しちゃった?」
『いや、下準備だけ。
冷蔵庫で寝かせとけば、明後日ぐらいまで大丈夫』
「そっか。あのね、仕事一段落したから、今日の午後と明日、休みになったんだ。久しぶりに夕飯、外で食べない?」
『うーん、それだったら温泉に行かないか?
平日だし空いてるんじゃないかな。
あんまり遠くないとこで一泊できるか探してみる』
「あ、いいねえ。
じゃあ、とりあえず家に戻るわ」
『おお、待ってる。気をつけてな』
「ありがとう」
夫はフリーの仕事人で、主に家でパソコン作業。
おまけに情報通だ。そして気が利く!
明るい時間に帰り方向の電車に乗ると、なんだか学生時代に戻ったみたい。
家に着くと午後二時ごろだった。
「サンドイッチ冷蔵庫にあるぞ」
「サンキュ、サンキュ!」
「それと温玉温泉一泊とれた。固茹旅館な。
明日もゆっくり出来るんならと思って、駅前のレンタカー予約した。
片道二時間強だし、腹ごしらえしたら出かけよう」
「はーい。何から何までありがとね」
「ふふ、俺にかかれば簡単なことだ」
ドヤ顔する夫が可愛い。
「ねえ、温玉温泉ならスッポン鍋かな?」
「あー、夕飯に出るかも」
温玉温泉の近くには、有名なスッポンの養殖場がある。
それで、温泉宿でもスッポン鍋は名物だ。
「いや、しかしスッポンかぁ」
「ん? 嫌いだったっけ?」
うちの夫はいつから草食系に?
「いや、ほら、去年だっけ?
化け鶴の電撃訪問騒動があったから」
「あー、スッポン鍋で寿命を延ばす妖怪おつう婆さん!」
「なぁ、もはや妖怪だよな。
あれから来ないけどさ、スッポン鍋を食べに人里に来るみたいだから、鉢合わせないといいな、と思って」
「いや、あの話、信じてないわけじゃないけどさ、そう簡単に遭遇しないと思う」
「だよな。うんうん。夫婦円満のためにも、スッポン鍋を楽しもう!」
良かった。夫はちゃんと肉食だった。
それから、簡単に一泊旅行の準備をして出かけた。
少し気温は高めだが、緑が綺麗な季節で和む~。
宿について、別々に大浴場に向かう。
上がったら合流して夕食だ。
この旅館は、一階に食事用の個室が並んでいるタイプ。
浴衣でエレベーターに乗り、一階で降りたところで、夫が固まった。
「え? どうしたの?」
「いたよ」
「何が?」
「妖怪おつう婆さん……」
夫の視線の先には、エレベーターのすぐ前にある土産物コーナーでうろうろする老女と若い男の三人連れがいた。
じっと見ていると、向こうも気が付いて会釈する。
おつう婆さん、話の通り美人。
若い男子二人も、まあまあイケメン。
「あ。どうも、その節はご迷惑をおかけしまして」
男子たちがペコリと頭を下げる。
「あれからは、そちらのお家には近づいておりませんよ。
安心なさってください」
上品な話し方のおつうさん。
あんまり妖怪っぽくはない。
だがしかし、対する夫は無言。
口も利きたくないらしいので、かわりに訊いてみる。
「待ち合わせ場所は要らなくなりました?」
「ええ。この子たちが、一緒に来てくれるようになったので」
「スッポン鍋に嵌っちゃいまして」
「人間界って面白いですね。おつう婆さんの気持ちがわかりましたよ」
若いのはすっかり人間の世界を楽しんでいるようだ。
いやしかし、夫の話しぶりだと、それほど荒稼ぎしているわけではなさそうだった。
そこそこの旅館に泊まるとなると、お金は足りているんだろうか?
「俺たちもね、一緒に明るい街に行ってみたんですよ。
そしたら、ホストにスカウトされて。
なんか、ノリが天然で昔っぽいのが面白いとか言われて」
「三人で稼いだら、結構いいお金になったんです。
鶴の里に持って帰っても役に立たないんで、帰る前に温泉浸かってスッポンでカンパーイ!」
……なかなか羽振りがいいようだ。
妖怪おつう婆さんは益々寿命が延びそう。
「そうだ、よかったら、一緒に飲みません?」
若いのの片方が誘ってきた。
しかし、温泉から上がったばかりの夫が冷たい空気を出している。
もう、しょうがないなあ。
「私たち、そろそろ子供のこと真剣に考えてて。
それで、今日は二人きりで盛り上がりたいんです」
わざとらしく夫の腕にしがみつき、恥ずかし気に視線を下げてみる。
「まあ、それは大事な一泊ですね。
絶対に、お邪魔しません! 頑張ってくださいね」
おつう婆さんという人、いや鶴は上品ながら大胆に応援してくれた。
「はー、羨ましい。俺も嫁さん欲しい」
「まあ、おつうさんのお供してるうちは、難しいかもな……」
鶴の里の事情はどうでもいいので「では、ごきげんよう!」と、夫の背中を押して、自分たちの食事部屋に入った。
まずは山菜などつつきながら日本酒を飲んでいると、向かいの夫が真面目な顔で言う。
「本気?」
「え?」
「子供」
「ああ、そろそろ欲しいよね」
「前向きに検討していいんだな?」
「うん、いいよ」
「わかった」
えらい鼻息荒らそうだな、と思った私はぼんやりさん。
その夜は、ご想像に任せ……いや、想像しないで!
頼むから。
そして、十か月後のこと。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ!」
出産後、部屋に入って来た夫は少しだけ顔を顰めた。
「女の子がよかった?」
「いや、元気ならどっちでも」
「ああ、もしかして、おつう婆さんの電撃訪問を心配してるの?」
「うん」
「大丈夫だよ。ほら、お供が二人もいたから」
「だといいんだけどな。
とりあえず、家訓の巻物の虫干し忘れないようにする」
「うん。あれ、普通にいいことも書いてあるから、しっかり見せないと」
「そうだな」
夫はやっと安心したように、子供を覗き込んだ。
「我が子はまだ、お猿だが可愛い。
ありがとうな。お疲れ様」
「うん。いろいろ助けてもらってありがとう。
これからも一緒に頑張ろうね!」
「ああ、もちろんだ」
本当は、おつうさんが幸運の鶴かも、って言いたかったけれど、それは黙っとくことにした。
めでたしめでたし。