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ミシェル・トラヴァースの憤慨

 ミシェル・トラヴァースは急ぎ足で卒業パーティの会場から抜け出した。

 大ホールの白々しい照明に背中を向けて、物静かで誠実な夜の中に滑り込む。慣れ親しんだ廊下から柱廊を抜けて中庭へと飛び出した。

 丸い月が高い位置で輝いている。明るい夜だ。地面はほんのりと白く染められている。そういえばランプもなにも持っていなかったなと思い至り、月の明るさにほっと息を吐いた。そのまま中庭を横断して北門の馬留めに向かう。


「ジョナサン!」

「あれ、どうしたの、ミシェル?」


 馬留めに到着するのとほぼ同時に、自前の馬の轡を持った友人と行き合った。彼の鋭い目つきが2ミリほど傾いた。

 それが彼なりの驚きの表現なのだとミシェルは理解していた。無表情だが、無感情ではない。むしろ彼自身は自分が感情豊かなほうだと信じている。そういう男なのだ、ジョナサン・ノースエッジという奴は。


「どうしたもこうしたも……」

 駆け寄り、息を整える。

「あのさ、大丈夫なの?」

「大丈夫って、なにが?」


 そう言ってジョナサンは首を傾げた。角度にしておよそ3度。ジョナサンの生態を知っている人間からすれば驚くべきオーバ・リアクションだ。これを目にした時点でミシェルの気持ちは8割方雲散霧消していた。こいつ、心配した自分が損したみたいではないか。


「なにって、そりゃ……うーん、頭痛に目眩、胃の痛みとか?」

「それ、絶対おれだけの症状じゃないでしょ」

「まぁね。あの場に居合わせたほぼ全員が喰らってたと思うよ。すごく瞬間的な流行症だったね」


 ジョナサンが今度は口の端を持ち上げた。多分、1ミリ以下。苦笑の形である。雪国暮らしが長すぎて表情筋が凍りついてしまったに違いない。


「ミシェル、卒業パーティーは? 抜け出してきて良かったの?」

「別に、抜け出したのは僕だけじゃないし。目端の利く子からさっさと離脱してるよ。クロード王子の『お言葉』を各家に伝えないといけないからね。式順もなにもめちゃくちゃになったパーティーにいつまでも関わってる暇なんて無いってさ」

「参加者が歯抜けになったら王子が不機嫌になりそうだけど」

「そこで冷静になって周囲を見渡せるなら、こんなやらかし、実行の前に踏み止まれるでしょ」


 ハッ、とミシェルは笑い飛ばし、デレデレとした締まりのないクロード王子の様子を思い浮かべる。これぞ我が世の春と言わんばかりのニヤケ面を思い出すと腹の奥がまたムカムカしてきた。


「というかさ! ブライトウェル公爵の派閥の子たちなんて、真正面から王子に向かって『殿下の新たな婚約を当主に伝えなくてはなりません。これにてパーティーからは辞させていただきます』なんて宣言した上で堂々と退出していったんだよ!?」

「それはまた……ほぼほぼ敵対宣言みたいなものだね」

「だってのにあの王子ときたら、『おお、それは素晴らしい。各家の当主には是非ともよろしく伝えてくれ』なんて呑気に言ってる始末でさぁ! ああもう、マジか! いくらなんでも頭が花畑過ぎない!?」

「どうどう。ミシェルの家は王子派閥ってわけでもないだろう? 別にそこまでかっかしなくても」


 地団駄を踏んだミシェルをジョナサンが宥める。

 他人事みたいなその態度に、思わず口が動いた。


「そういう問題じゃなくて! 僕の友人が不当な扱いを受けたんだから、僕が怒るのは当然でしょ!」

「え……あ、いや、それは……うん、ありがとう」

「どういたしまして!」


 勢いのまま言ってから気づく。本人を目の前にして言うことではなかったかもしれない。

 ジョナサンは困ったように指で頬を掻いている。照れてるのかも。レアリティの高い反応だ。珍しいものが見られたので、ちょっぴり気分を上方修正。

「はぁ」とわざとらしく溜め息をひとつ。話題の矛先をもうひとりの渦中の人物に向ける。


「それで? シャーロット嬢のことはどうするの?」

「どうするもこうするも、婚約解消はもう決定事項じゃないかな」

「ふぅん、未練とかは無いわけ? 結構かわいい子だったよね?」

「かわいい、ねぇ。甘ったるくて、くどそうで、おれはちょっと苦手な印象だな」

「なんかお菓子みたいな評価……」


 言い回しに呆れたが、同時にホッとした。

 クロード王子とシャーロット嬢、どちらももはや厄ネタだ。迂闊に関わるべきではない。変に尾を引くよりは、綺麗サッパリと関係を断ってしまったほうがジョナサンにとっても良いはずだ。


「そもそもだけど……いくら婚約者といったって、顔を合わせたこともない上、手紙のやり取りも一方通行。そんな相手に義務感以上の感情を覚えるっていうのは、おれにはちょっと難易度が高いよ」

「そっか。キミが納得してるのなら僕から言うことはなにもないよ」

「気になることといえば、彼女があの場で手紙の内容を捏造したことくらいかな。あんなすぐにバレるような嘘、あとになって自分の首を絞めるだけだってわかりきってるのに」

「ああ……それなんだけどさ」


 ジョナサンの言葉にミシェルは腕を組んで唸った。

 シャーロット嬢がクロード王子に告げた、ジョナサンからの手紙の内容。それが真っ赤な嘘であることはミシェルにもわかっている。というか、ミシェルの他にも十数人の友人たちがシャーロット嬢がまったくのデタラメを言っていることに気づいたはずだ。


 なにを隠そうミシェルを含むノースエッジ領への遠征訓練経験者たちは、当のジョナサンから相談を受けて彼の手紙の内容を添削したことがあるのだ。

 婚約者の手紙を他人に見せるなんて! という意見があるかもしれないが、ジョナサンにしてみればごくごく普通の時候の挨拶さえ返事が戻ってこない状況だったのだ。それこそ辺境のノースエッジでは窺い知れないなんらかの事情が王都の御令嬢にはあるのかも、と疑うのも止むなしといったところ。王立学園からやって来たミシェルたちはまさしく相談相手に適任だったというわけだ。


 そういうわけで彼の手紙を見たところ、内容にはまったく問題ないことがわかった。念のため友人たち総出でチェックしたのだから間違いない。まぁ、表現や話題の選び方に王都の流行とは多少のズレが見受けられたが、そのくらいは当然許容範囲内。

 そうして学園メンバーで太鼓判を押し、ジョナサンが意気揚々と発送した手紙なのだが、案の定いつまで経ってもシャーロット嬢から返事が来ることはなかった。というか、律儀なジョナサンが文中にミシェルたちの協力を明記したというのに、それでも完全にスルーされたのである。


「薄々気づいてるかもだけど、彼女、返事どころかキミの手紙を読んでもいないんじゃないかな……」

「やっぱり?」

「僕らの関わりを知った上であの捏造をかますっていうのは、さすがに怖いもの知らずでは済ませられないからね」

「だよな……」


 ジョナサンがミリ単位で表情を動かして困り顔を作る。

『手紙に返事をしない』のも問題なのだが、『手紙を読みもしない』はそれを遥かに上回る大問題だ。貴族として、否、王都に住まう者としての資質が問われるレベルである。そのあたりのことをシャーロット嬢はきちんと理解しているのだろうか。


「怒りとか呆れよりも脱力感が大きいな、これは」

「季節ごとの挨拶に誕生日や新年のお祝いも送ってたんだっけ。それが全部無駄だったって言われれば、そりゃあね」

「返事が来ない時点で半分くらいは無駄と承知ではあったけどね……」


 二人揃って溜め息。なんというか、どっと疲れてしまった。


「……ミシェル、ちょっと頼まれてもらえるかな?」

「なに?」

「手紙の件、添削に関わったメンバーで証言を挙げて欲しい。多分、そのうち国から調査が入るだろうから」

「言われなくてもそのつもり。騎士見習いと軍部配属の連中に声を掛けておくよ」

「ありがとう、助かるよ」

「このくらいはお安い御用。ジョナサンはすぐに領地に戻るの?」

「ああ。あまり長く留守にはできないからな。ミシェルには面倒を掛けるけど……」

「いいっていいって。キミの仕事の重要性はわかってるからさ。早く戻って領地(くに)のみんなを安心させてあげなよ」


 軽い調子でミシェルがそう言うと、ジョナサンが頬をほころばせた。自然な微笑みだった。雪解けの瞬間を見たみたいで、ちょっとドキリとする。

 ジョナサンが馬に飛び乗った。毛が深くて足の太い、北国の品種だ。ぶるりと身体を震わせた愛馬を落ち着かせる彼に、ミシェルは「そうそう」とパーティー会場から持ち出した包みを手渡した。


「これは?」

「茹でシュリンプ。皿に取り分けて包んでもらったんだ。帰り道に食べなよ」

「……さすがだな。ありがとう、旅の楽しみにするよ」

「うん。それじゃ、道中気をつけて」

「ああ、また会おう、友よ」


 互いに手を振り、別れを交わした。

 かっぽかっぽと去っていく背中が夜の闇に溶けていく。それが見えなくなるまで、ミシェルはその場に佇んでいた。


「にしても……学園の生徒じゃないジョナサンが卒業パーティーに出席してるんだから、彼を招待をした人がいるってことくらいすぐにわかりそうなものだけど……」


 クロード王子はそこまで頭が回らなかったのかな。

 そんなことを考えながら、ミシェルはその場を離れて自宅への帰路についた。

 王宮の方も騒がしくなるだろうな、とそんな予感を抱えながら。

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― 新着の感想 ―
[一言] 脳ミソお花畑な輩と関わると人生損をするというお話ですね。
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