32.ダグラス事件②
「ウェスパルが気になっている視線の原因は、二人のスピーチだ」
「スピーチ?」
一体何のことだ。左右に首を捻ると、物陰から数人の生徒が現れた。
「説明なら我々が」
魔獣を愛でる会の人達である。
手にはいつものスケッチブックの代わりにメモ帳が握られている。彼らはそのメモを見ながら、何が起きたのかを話してくれた。
今日の一時間目にあった外国語の授業で『憧れの人について発表する』というものがあった。イヴァンカが受講している科目で、レミリアさんとロドリー、それからマーシャル王子とシェリリン様も取っている。
多くの生徒が両親や偉人の名前を挙げたのに対し、レミリアさんとシェリリン様はダグラス=シルヴェスターの名前を挙げた。
レミリアさんがダグラスの弟子という噂は以前から流れていた。
今回の発表で『師匠』という言葉が出たことで噂は真実であったのだと、生徒達は確信した。
そして彼女は特別な力を持っている平民として学園に入学したのではなく、妹とその幼馴染を心配に思ったダグラスが送り込んだ護衛だったのだ! とこれまた変な噂が流れるように。
「まずこちらが一つ」
「な、なるほど……」
「そしてもう一つ。今学園を震わせていることがあります」
問題はスカーレット家のご令嬢、シェリリン様の発表であった。
マーシャル王子が隣にいるにも関わらず他の男の魅力を語るのである。それも頬を紅潮させ、時には拳を固めるほど。
周りはヒヤヒヤものであったそう。だが当のマーシャル王子は発表が終わった後にパチパチと拍手をしていたーーと。
「この時の笑顔に含みがあるのではないか」
「シルヴェスター辺境伯令嬢と第二王子の婚約解消は、シルヴェスター辺境伯令息とスカーレット公爵令嬢の婚姻のためなのではないか」
「マーシャル王子はひどくお怒りである」
「あのダグラス=シルヴェスターを王家が敵に回そうとしているのではないか」
「ーーというのが周りの反応になります」
彼らはそう締めくくった。
なんでも落ち込んでいる私のために調べてくれたらしい。
二時間目からはずっと亀蔵はハウスの中にいたので、デッサンすることが出来なかったからだろう。それにしてもかなりの情報量だ。
事情を知っていたらしいサルガス王子も「よくこの短時間でそこまで集めたな」と感心している。
「えっとつまり、居心地の悪さの原因は憶測だったと」
シェリリン様がお兄様に興味を持っていたのは初耳だが、お兄様と彼女が結婚するという話は出ていない。
マーシャル王子とシェリリン様は上手くいっているという噂で、学園で見かける二人は実際に仲の良い婚約者そのものだった。
それに王家からはサルガス王子の代わりに王弟殿下が派遣されている。
私は彼の姿は見ておらず、度々やってくるお兄様の口から聞いたこともないけれど。
お兄様は興味のないことには本当に興味を持たない人であるのに加えて、王家の建てた屋敷が未だスカビオ領にあるからだろうと踏んでいる。
まぁ私自身も王弟殿下にはあまり興味がなく、自分から聞こうとは思わないのだが。
王弟殿下はともかくとして、スカーレット公爵家とシルヴェスターが縁を結ぶメリットはない。普通の令嬢が愛の力だけでどうにか生活できる土地でもない。
お母様のように元冒険者だとか、元々スカビオやファドゥールで暮らしていたような女性でないとなかなか難しいと思う。
「そういうことだな。信じているのは王都内か、程近い領に暮らしている貴族ばかりだ」
スカビオ領でも魔物は出る。シルヴェスターに比べれば少ないが、王都に比べればかなりの頻度で。
サルガス王子は身を以て知っている。加えて弟とその婚約者の仲も知っているので、くだらない噂だと速攻で切り捨てたのだと。
私も話の中心にいるのはお兄様だと知っていたらここまで気にしなかった。
心配して損した。
「亀蔵、出てきていいよ」
余計な心配がなくなったので亀蔵を呼び出す。
ハウス待機だった亀蔵は外に出られて嬉しそうだ。トコトコと歩いており、魔獣を愛でる会の人達が歓喜の雄叫びをあげ出した。
「これ、亀蔵のおやつなんですが、良かったら少しあげてみますか?」
バッグから取り出したのは亀蔵のおやつ。午前中授業の合間にあげているものだ。今日はあげるタイミングがなくてたくさん残っている。
亀蔵もさぞお腹が減っていることだろう。袋を取り出した途端に私の足元へとやってきた。彼らなら亀蔵が嫌がることをしないし、亀蔵もすっかりと慣れている。
「よ、よろしいのですか!?」
「情報を集めてくださったお礼です。その……不安、だったので」
レミリアさんとシェリリン様の姿を見て、サルガス王子からスピーチが発端だと聞かされても、多分ここまでスッキリすることはできなかったと思う。
もちろんサルガス王子を信じていない訳ではない。彼は友人だ。友人だからこそ私を気遣ってしまう。どこかで彼の優しさが事実を捻じ曲げているのではないかと、マイナス方向に突っ走ってしまいそうだ。
魔獣を愛でる会の人達のことは信用しているが、彼らが私にそこまでする理由はない。情報はあくまで情報。
もちろん亀蔵相手ならまた対応が変わるんだろうけど。事実を捻じ曲げて伝えるどころか改ざんすらしてしまいそうだ。
「ありがたき幸せ」
「生きててよかった」
「うおおおおん」
おやつだけで号泣する彼らにはそのくらいの魔獣愛と勢いとやる気を感じる。
餌やりを眺めていると、レミリアさん達も席につきだした。
「それで四年前の剣術大会の活躍が!」
「ライヒム様と一緒に戦われた大会でしたよね」
「俺もその大会、父上に連れられて見にいった」
「兄上が軽々と吹き飛ばされていて、まさに圧巻だった」
「ライヒム殿の槍は雄々しさがあっていいが、ダグラス殿は熱と冷たさが共存しているところが最高にクールで」
「そうなのよ! 格好良いの!」
彼らはダグラス=シルヴェスタートークでかなり盛り上がっている。クールなお兄様なんて生まれてこの方見た事のない私では到底混ざれそうもない。
マーシャル王子は少し離れた場所からその光景を眺めている。隣にはレミリアさんの恋人がいる。脳筋ズが興奮して距離が近づこうとも、二人揃って菩薩のような笑みを浮かべている。
確かにこれは事情を知らない人から見ると、なかなかに胃が痛くなるような光景だ。
「無の表情もクセになってしまって……」
「分かります! ふとした時になりますよね!」
「ああ、表情が落ちるとさらに剣筋にキレが出てくる」
「素手で戦っていた時も凄かったぞ」
「身体のしなやかさから他とは段違いなのよ……」
ほおっと息を吐くシェリリン様はまるでアイドルを推しているかのよう。かなりのファンなのだろう。レミリアさんも脳筋ズもしきりに頷いている。
乙女ゲームではそんな情報一切なかったが、サルガス王子に遠慮して言えなかったのだろう。今ならともかく、ゲーム版サルガス王子相手にそういう話はしづらそうだ。
それに普通は婚約者のいるご令嬢が歳の近い男性の名前を挙げて、彼が好きだと公言すれば問題になる。今回騒ぎになったのがいい例だ。
サルガス王子が、というよりも懐の広いマーシャル王子相手だからこそ気兼ねなく打ち明けられたのかもしれない。マーシャル王子はゲーム版と現実とで変わったのは健康状態くらいなものだ。今もあまり変わらない。
……それにしても相手がお兄様というのがなんとも微妙だが。




