異母妹と涙
僕は重い足取りで自室に向かう。自室には怪我をした時のための薬や包帯を常備してあるのだ。普通怪我をした場合は治癒魔法を使って即完治させるものだが僕には魔法が効かない。治癒魔法は使う側も受ける側も魔力がなければ魔法は成立しないのだ。ゼロに何をかけてもゼロ、魔法にもこの法則は適用される。魔力ゼロというのはこういった弊害もあるのだ。
「我ながらイヤな体質だよなあ……」
溜息をついている間に自室の前に着いた。ドアを開けると日が落ち薄暗くなっているはずの部屋が少し明るい。ベット横のチェストに置いてあるランタンに火が灯っているからだ。いつもだったら通りかかったメイドや執事に火を入れてもらうのだが今日はまだ誰とも会ってない。誰がが親切にもやってくれたのだろうか。それを知っているのは僕のベットを占領しすやすやと寝息を立てて眠っている少女で間違いないだろう。僕はベットで眠っている少女の肩を揺さぶりながら声をかける。
「アンナ……起きてよ、アンナ」
リゼルが異母妹アンナ・アングリフの名を呼びかけるとそれに反応して眩しそうに眼を開いた。
「ウウン……ウルサイですわ、お兄様……もう少し寝かせて下さいまし」
「寝るんだったら自分の部屋、ここは僕の部屋だから」
「ウルサイですわ……お兄様のくせに生意気ですわよ」
「……生意気な相手を様っておかしくない?」
アンナは不満そうに身を起こすと僕をギッと睨む。
「人の揚足を取るなんてお兄様のクセに生意気な……ってお兄様どうしたの、その首!? 怪我なさってるじゃありませんの!?」
アンナの表情が痛まし気なものになる。
「ああ……これはちょっとね」
どうやって誤魔化そうかと僕は言い淀む。言い訳が思いつかず後退り逃げようと思ったけど僕のそんな行動よりアンナの方が何倍も速かった。アンナは僕のベットから飛び降り傷を抑えていた僕の手どかす。
「ちょっとじゃありません。見せて下さい」
一瞬にして僕の懐に入り込むその速さ、流石は『剣姫』―――齢12にして神聖ヴァリス王国で屈強な者が名乗る事を許される二つ名を持つ僕の異母妹。僕はそんな風に感心していたがすぐに別の事に気を取られてしまう。
(こう見るとアンナってやっぱり美少女……いや美女だよね。金色の長い髪に深い藍色の瞳、育つところは育っているし……これはお義母さん―――ベアトリスさんの遺伝だろうな。口を開けば年相応だけど黙っていると何とも言えない色気がある。それに……こうも接近されるといやでも体温やらいい匂いやら色々な感触が直にくるし……って何でそんなにペタペタ触わってるの!? えっ!? そんなトコロまでっ!? ダメだよ、腹違いとはいえ僕たち兄妹何だよ……)
僕はドギマギしているがアンナは真剣な表情で傷を見ている。その視線は職人のそれだ。
「……首以外は怪我はないようですね」
アンナは他に傷がないのが分かり少し安心したようだ。
「……それでその首の傷……誰にやられたんですか?」
僕はアンナに改めて睨まれる。
「お兄様を傷つける事……お兄様の苦痛に歪むその表情を見て悦に浸るのは私だけの特権だというのに……そんな命知らずには死んだ方がマシと言えるほどの地獄を見せてあげなければ……さあお兄様、答えてもらいますわよ……誰にやられてんですのっ!!」
異母妹の性癖は置いておくとして僕は言うのを迷った。だが言った方が相手に対する凶行を止められると判断し誰にやられたのか言う事にした。
「えっと……父さんです」
「そうですか、父さんでしたか。どうしてやろうかしら……ってお父様っ!?」
アンナは驚きに目を向いた。アンナには武力、魔力、知力どれをとっても勝てない人物が一人だけがいる。それが現国王マティアス・アングリフその人なのだ。そんな相手に牙をむくなど出来る訳がなく……。
「お父様、お父様ですか……ウーン」
アンナの怒りの矛先が向かう先が無くなり心底困っていた。
「……しかし父様がどうしてお兄様を傷つけるのですか?」
「まあ色々言い争いになってその結果……かな?」
「何故疑問形になってるんですの……しかしお父様が相手となると私では手が出せませんわ」
「誰が相手だったとしても手を出さなくてもいいよ。僕の問題は僕が……」
「お兄様がこの国で一番最弱なのですから問題解決なんて出来る訳ありませんわっ!!」
アンナの無遠慮な言い方に僕は少し落ち込んでしまう。僕のそんな表情を見てアンナが恍惚の笑みを浮かべ鼻息を荒くしている。
「お、お兄様……そんな悲し気な切なげな表情してはいけませんわ……それだけでアンナは……アンナは……フォォォォォォォーーーーーーーッ!!!!!!!」
「ヒッ!?」
アンナから迸る殺気とも違う怪しげな衝動に僕は本能的な恐怖を感じ無意識に両手で胸と股間を隠して後退る。そんな僕の態度を見てアンナは身の内から湧き上がる衝動を抑える事が出来た様だ。
「ハッ、私とした事が……」
アンナはヨダレを拭きつつ居ずまいを正した。元に戻ってくれてよかったと僕は心底安堵した。
「……まあ、お父様をどうするかは考えるとして……お兄様の治療を今は優先するべきですわね」
アンナは勝手知ったる僕の部屋、怪我を治療するための薬や道具一式を手早く用意した。ガーゼに軟膏を塗り傷口につけると包帯をグルグルと巻いてくれるのだが首に手を回す体勢、下手をすれば抱き締められるような体勢になるのでドギマギする。
「さてと……治療はこれで終わりですが後もう一手加えましょうか」
アンナは僕の首元に手を当てると魔力を集中し呪文を唱える。
「成長促進」
アンナがそう言った途端ガーゼに塗った軟膏がジワリと熱くなるのを感じた。僕に対して魔法その物が無効になる為治癒魔法も当然効かない。だが僕以外の物、軟膏等にも魔力を流す事は出来る。だから軟膏に成長促進、植物の成長を促進させる魔法をかけ治癒効果の増幅を図ったのだ。
「これで明日には傷跡一つ残らず治りますわ」
「いつも訓練と称して僕をボコボコにしては治療してくれてたからその成果だね」
アンナが顔を赤くして頬を膨らせて僕を睨む。
「素直にお礼は言えませんの」
「分かってる……今まで色々ありがとう。感謝してる」
首の傷だけだはなく、何の才能もなく誰からもそれこそアンナも嫌っているだろうにこうやって僕に話しかけて少し過剰ではあるが色々と構ってくれた事に心の底からの感謝を籠めてそう言った。そんな僕の態度を見てアンナは訝し気な表情になった。
「……どうしましたの、お兄様? なんかお別れを言われているみたいで変な感じ……」
「そ、そんな事はないよ。ただ感謝を述べただけだから」
僕は内心冷や汗をかいた。鋭いと思った。誤魔化す様に僕は引きつった笑みを浮かべる。
「そうですか……では明日はお父様には一言言ってやりましょう。手を出せないとしても口ぐらいは出せますからね」
「しかし明日か……明日……」
「? 明日は何か用事でもありますの?」
「特には……ないよ」
「なら約束ですわ。明日はガツンッと言ってやりましょう」
そう言ってアンナは意気揚々と僕の部屋から出ていった。その背中を見送ると僕はベットに寝っ転がりながら呟いた。
「いつかこうなるとは思っていたけどそれがこんなに早まるとは思わなかったな……無能の僕での何かが出来る、一番になれる……それを証明してから自分の意志でこの国を出ていきたかった……それなのに……悔しい……悔しいよ」
悔しいと言葉に出した途端堰を切ったかの様に感情が溢れ出て抑える事が出来なかった。僕は嗚咽を上げ滂沱の涙を流した。