始まりは絶縁と不器用な優しさで
僕は神聖ヴァリス王国王城の執務室のドアを緊張で震える手でノックした。するとドアの向こうから声が聞こえた。
「リゼルか……入れ」
短く簡潔な応答、無駄な事を嫌う父さんらしいなと思いながら僕はドアを開けた。執務室の奥のディスクでは神聖ヴァリス王国国王マティアス・アングリフが書類に目を通し署名し捺印を押す手を止め僕を睨んだ。それだけで冷や汗が噴き出してくる。
(普段、僕に感心なんてないのに呼び出してこの圧力……僕、何かやったかな?)
「……リゼル、お前は今いくつになった?」
「今日が誕生日で……15になりました」
「そうか……今日で15か。15と言えばこの国ではもう成人扱いだ。だがお前は何か出来るようになったのか?」
「ウッ」
僕は思わず呻いてしまった。何が言いたいのかも分かってきた。
神聖ヴァリス王国―――この王国は実力主義国家。武力、魔法、知識どれかひとつでも秀でていれば成り上がる事が出来る。僕は何故かそんな王国の第一王子なのだが秀でたものが何もない凡人なのだ。故に僕は国中から軽んじられている。城下町を変装せずに歩こうものなら侮蔑の視線を向けられるし、遠慮を知らない子供には石を投げつけられた事もある。思い出して悲しくなってきた。
「それは……でも僕も努力はしています」
僕は消え入りそうな声で反論する。
「努力をするのは当たり前だ。努力に結果が伴わなければ何をやっても時間の無駄、無駄な努力など何もしていないのと一緒だ。それに比べてアンナは……」
ここで異母妹の名前が出てきた。異母妹のアンナは僕より3才年下の12才。この年で剣術大会では大人を差し置いて優勝。魔法に感じては上位魔法を容易く操り、国家図書館並みの知識を有する。国王である父の血を色濃く継いでいる、そう思わずにはいられない才能の持ち主なのだ。自慢の異母妹なのだがその異母妹にはおおいに嫌われているんだけど……。
「この国は実力主義の国だ。バカだろうと何だろうが力を示せば成り上がる事が出来る。その国の王子が何も出来ない木偶の棒では困るんだ……いつかきっと何か秀でた能力に目覚めるなどと我ながら情けない考えを持ったものだ」
事情気味に笑った父さんがその笑みを収めると無表情に僕を見つめると冷たい声でこう言い放った。
「……私はもう限界だ。無能はこの国にはいらん。お前を追放処分とする。明日までにこの国から出ていけ」
「そん……!?」
僕は最後まで言う事が出来なかった。何故なら父さんがの姿が目の前から消えたかと思ったら次の瞬間僕の隣りに立っていたからだ。しかも首元にはタガーの刃が押し当てられている。
「……言っておくが追放は恩情だ。出ていくのが嫌ならこのまま殺してやっても構わんのだぞ」
タガーをほんの少し引く。それだけで皮膚が裂け血が流れるのを感じた。傷は深くない、死ぬほどの傷ではないがもし嫌だと言ったらその時僕の首と胴体はくっついているのか分からない。今の僕は屠殺される家畜も同然だった。この状況をどうにかすると方法は一つしかなかった。
「……分かりました」
僕は頷くしかなかった。
「首の傷は自分で治せ。それぐらいは無能でも出来るだろう」
マティアス王にそう言われてもリゼルは何も答えない。答える気力が湧かないのだ。
肩を落として執務室を出ていくリゼルの背をマティアス王は無言で見つめていた。国王としてこの追放処分は正しいと思うが父親としてはすまないと謝りたかった。だが言葉として出す訳にはいかなかった。彼は国王、身内一人を贔屓する訳にはいかないのだ。
マティアス王は執務室から離れていくリゼルの足音、そして気配を探り、何を話しても自分の声が聞こえない程離れた事を確認してから天井を見上げ声をかけた。
「聞いていたな?」
「はい」
抑揚のない声と同時に天井にはめ込まれている板の一部がずれそこから誰かが飛び降りた。天井から床までの距離は6メートル程あるが重力を無視したかのように軽やかに着地しマティアス王の前に膝をつく。
「相変わらず見事な体術だな……黒狼。王の座も狙えるんじゃないか」
神聖ヴァリス王国の密偵組織『黒狼』のリーダーである黒狼が首を横に振る。
「力が物を言うこの国で王を名乗る事が出来るマティアス様に比べればこんな技はただの児戯かと」
力が物を言う神聖ヴァリス王国では国王と戦い倒す事が出来れば国王を退かせ新たな王になる事も許されている。だがマティアス王はその挑戦者を退け20年王という地位を守り続けている猛者なのだ。
「お前を褒めるのはここまでとして……俺が何を言いたいか分かるな」
黒狼は首を縦に振る。
「リゼルを暗殺するのですね」
黒狼の剣呑な単語にマティアス王は無表情、無言だった。更に黒狼は言葉を続ける。
「国から追放し縁を切り、アングリフの姓を名乗る事を許さないとしてもリゼルにはマティアス様の血が流れている。そんな者が野に放たれればこの国にとっての火種になるのは確実。そうなる前に……」
「そうなる前に……じゃねえっ!!」
マティアス王は突然激昂し黒狼の頭にゲンコツを食らわせた。避ける事も敵わずゲンコツを食らった黒狼の眼から火花が出た。両手で頭を押さえ痛みに耐える黒狼にマティアス王は深呼吸して怒りを押し殺して話を続ける。
「誰が暗殺しろなんて言った。俺が言いたいのはリゼルに監視をつけろという事だ」
「? 監視ですか?」
「そうだ。期間は取り合えず1年だ」
「分かりませんね。どうしてそんな事を」
「リゼルは正直言って凡人だ。俺の子供とは思えん程だ。この国でしかも王族として生きていくなど無理だろう。だが他の土地ならどうなるか分からん。一角の人物にならなくても自由に生きていけるだろう」
マティアス王の意外な優しさに黒狼は心底驚く。
「……意外ですね、驚きました。先程のやり取りではリゼル……様を嫌っていると思ったのですが?」
「お前が俺をどう思っているのか問い詰めたいがまあいい……さっきは俺の子供とは思えんと言ったが一つだけ俺から受け継いでいるものがあった」
「受け継いでいるもの?」
マティアス王が愉快そうに微笑む。
「頑固さだ。ただ言葉で追放だなどと言ってもアイツは納得せんだろう。あれぐらいやって心を折って他の事に目を向けさせないと次の行動に移る事は出来ないだろう」
「不器用な事で……ですが後腐れがないよう暗殺した方が……」
「くどいっ!! ともかくリゼルを暗殺するというのならば……分かっているだろうな」
マティアス王から放たれた殺気に黒狼の脳裏には自分のあらゆる死の光景が浮かび上がる。
「わっ分かりましたっ!! リゼル様には部下数名に監視させますっ!!」
黒狼の言葉を聞いてマティアス王は殺気を引っ込め、黒狼の肩を軽く叩く。
「……分かってくればそれでいい。すぐに行動に移してくれ」
「承知」
黒狼は膝をついた状態から一息で天井まで跳躍する。自分で天井の板をずらし開いた天井の穴の縁に手をかけ腕の力だけで天井裏に入る。天井の板を元に戻し穴を塞と足音持てずに天井裏を疾走した。
一人となったマティアス王は誰にともなくこう呟いた。
「父はお前に対して酷い事をしてしまったが……お前の幸せを祈っている。リゼル……息災でな」