第六十七話 逃走劇
「何故……まだ試練が続いているんだ?」
氷藤がそう呟いた直後、地面に落ちた【カナリヤ】の体が動いた。
「!? あの野郎、まだ……」
『《浄罪》』
恐ろしいほどに、穏やかな口調で語られたその二文字の直後、【カナリヤ】の体から一気に光が溢れ出した。
【カナリヤ】を包み込むように出現した光は、徐々にその大きさを増していき、周囲の道路や建物を飲み込んでいった。
「ねえ、あの光……どんどん大きくなっていってるよ。」
「まずい……高崎君! 矢島さん! 急いで離れるぞ!」
「え!? で、でも、まだ久木原君が……!!」
「ああ、置いていけねえ! 待ってろ東悟! 今担いで……」
あの光から逃れなくてはならない。
だが、こんな所に東悟を置き去りにして逃げるわけにはいかない。まだ生きている。俺はそう信じていたからだ。
そして矢島さんも同じ気持ちだったようで、一緒に東悟を肩に担ごうとすると……
「いい加減にしろ。……久木原君は、もう死んでいる。彼の為に君達まで死ぬ気か?」
氷藤が俺の肩を掴み、それを阻んだ。
「見ろ。もうすぐ光が来る。久木原君を連れていたら逃げ切れない」
「高崎君! どうすれば……」
「くそっ……!! だったら、氷藤! 矢島さん! もう一度、【カナリヤ】を撃ち抜く!!」
俺は二人にそう叫ぶと【カナリヤ】に向けてバレット・セカンドを放った。
今の魔力ではこれが限度だったが、心臓部を狙えば……
「ッ!? 嘘だろ……!? 魔法が通らねえ!?」
だが、俺の魔法は【カナリヤ】の周囲の光に防がれてしまい、敵を撃ち抜くことが出来なかった。
刻一刻と、俺達がいる場所へと光が広がってきた。
「アイスランス!!」
「! 氷藤……」
「……駄目だ。僕の魔法も届かない」
氷藤が巨大な氷の槍の魔法を放ったが、結果は変わらなかった。
「……そういう訳だ。二人とも、諦めてくれ。……久木原君は置いていく」
「ぐ……!! だ、だが……」
「でも、氷藤君、久木原君を置いてなんて……」
「だったら、僕が置いて行かせる。……フリーズ」
「!? 氷藤君!? なんで……」
氷藤は徐に東悟に近付くと……東悟の体を凍らせて、地面と接着させた。
「これで……連れていけない。逃げるよ。二人とも」
「ッ……てめえ……!!」
「いいか、もう僕達しか残っていないんだ。……二人とも、そんな風に仲間の手を取って死んでいく事が君達のやりたい事だったのか?」
「!? いきなり何を……」
「君達がここまでの戦いで得たものは、そうやって自分のために死んでいく事だったのかと聞いてるんだ……!! 違うだろ? 自分のために死んでくれた仲間の意思を繋ぐ。それが君達が言っていたことじゃないのか……?」
「……!」
その言葉で、ハッと目が覚める。俺は……何のために戦っていた?
皆で生き残る。それを目指していた。
だが同時に……死んだ皆の意思を受け継ぐためにも戦っていたんじゃないのか?
それなのに、受け入れたくない現実から目を背けて――
――約束、果たせそうにねーや……
「……東悟」
東悟の最期の言葉を思い出した。
あいつが言っていた約束とは、まさにこれなんじゃないのか? 生き残るという意味も勿論だろうが、それ以上に、俺達と一緒になって仲間の意思を引き摺っていこうという意味も含んでいたんじゃないか?
そこまで考えて、俺は……両手で頬を強く叩いた。今までより、ずっと強く。
「……高崎君」
「行こう。俺達は生き残らなければならない。矢島さんも、分かっていたんだろ?」
「……」
矢島さんは俺の質問に、力なく頷いた。
「……それじゃあな、東悟」
俺はそれだけ言って二人と一緒に走り出した。光は更に広がり、俺達が先ほどまでいた位置を完全に飲み込んだ。そして東悟の体は……その中に消えた。
「……久木原君」
「言うな。矢島さん。きっと高崎君が一番辛い」
「うん……。!? ねえ、二人とも!! 【カナリヤ】が……」
矢島さんが驚愕の声を上げていた。
走りながら、俺と氷藤も振り返ると――光に包まれた【カナリヤ】は前方の障害物となるものすべてを飲み込みながら、俺達に迫ってきていた。
「くそっ!! まだ動けるのか!」
「真っすぐに走るんだ! 曲がっても奴は建物を消滅させて進んでくる! 曲がってしまったら距離を詰められるぞ!」
氷藤の言うように、俺達はただひたすら直線で走る。
だが、この戦いで何度も走った事、そしてダメージの蓄積によって俺達の体力は既に限界だった。
一方、【カナリヤ】を包む光はその大きさを増し、奴自身が動いているのも加わってどんどん俺達との間隔を狭めてきていた。
(このままじゃ……)
魔法は効かない。逃げ切れそうもない。
息は上がり、体が悲鳴を上げている。
矢島さんの表情にも、絶望的な色が浮かんでいた。
いくら考えても、この状況を打破できる方法など無かった。俺達は、もう――
「――二人とも」
すると突然、氷藤が息を切らしながら立ち止まった。
「氷……藤……?」
「何しているの……? 走って……」
そしてそうやって立ち止まった氷藤を見たら――とても穏やかに笑っていた。
「おい、何で……」
「すまなかったね。本当の仲間になれなくて」
氷藤の笑顔を見たのはそれが最初で――最後だった。
立ち止まった氷藤は後ろに回り、【カナリヤ】に向かって走り出した。
「!? 氷藤、何を……!?」
「どうしたの!? そっちに行ったら……」
俺達を振り返らずに走った氷藤が光に飲み込まれた時――世界は、氷に包まれた。




