第三百二十五話 vsメッシ―
教会の中。僅か数メートルを挟んでの睨み合い。
先に仕掛けてきたのは、メッシ―だった。
「〈紙魔法〉、クラフト・シュル・バース!!」
詠唱と同時、奴の上着から大量の折り紙が床にぶちまけられた。
”鳥”や”虎”、”魚”に”犬”に”熊”。丁寧に折り目に沿って折られた色とりどりの動物たち。奴の足首が覆い隠されてしまう程の量。そしてその一つ一つ、折り目が綺麗に揃っている。恐らく全て手作業で、丁寧に心を込めて折ったことが想像できる。奴の言う通り、確かに全て見事な作品だ。
だが、そんな感想を抱いている場合じゃねえ。あの折り紙……間違いなく、さっき戦ったものと同じだ。アレは動き出す。本物の動物と同じように。凄まじい速度と、凶暴性を持って。
「カイン、あいつ何を……!?」
「折り紙に命を吹き込んだ……ってとこか? それがこいつの魔法だろう。現に、ほら……」
ぎこちない動きで、命を自覚し始める動物たち。パラパラと少しずつ歩き出し、キョロキョロと周囲を見回している。
”鳥"は飛べることをまだ知らない。羽を不思議そうに動かしている。
"虎"は自らの牙が獲物を屠るものだと理解していない。首を傾げて、前足を交互に持ち上げ見回している。
"魚"は突然陸にいる事に驚いているようだった。ピチピチと、抵抗するように跳ねている。
「命が発生する瞬間は試練である。卵子と結合できなかった精子は全てその存在意義を失う。胎児は母体の健康状態で、常にその命の可能性が揺るがされている。それらの試練を潜り抜け、奇跡のような確率で生まれたとしても、そこからは環境という試練が待っている」
「き、急に何言ってるべ……?」
「んむ。某が生み出した動物共も、同じということである。形作ったのは某。命を有するきっかけとなったのは貴公ら。貴公らという試練のために、この命は意味を持つのである」
メッシ―が両手を前に合わせる。
その瞬間、動物共は一斉にメッシ―の方を振り向いた。
「んむ、良い子だ。某……いや、あの方の大いなる目的のため、この者達を始末しろ」
動物共には、その一言だけで十分だったらしい。
それだけで、折り紙は"折り紙"になる。動物が"動物"に変わる。
吹き込まれた命は本能を持つ。主からの命令を実行するため、あるいは己の存在意義を証明するために、"動物"として与えられた能力を最大限に生かす。
それを証明するかのように、何百何千もの殺意が一斉に俺達を見た。
「行け。某の芸術よ」
「ッ……!! 来るぞギルバート!!」
「分かってるべ!! 神父様、下がってるべ!!」
ギルバートに警戒を促し、息を呑む。
神父様にホメロスと子供を任せ、臨戦態勢へと移る。
その瞬間、全ての動物たちが俺達の視界を覆った。
「ブラスト!!」
「大地の型、〈金剛厭舞〉!!」
俺は魔法を何度も前方から迫る動物共の群れに撃ち込む。ブラスト一発ごとに十数匹の動物に命中し、紙屑へと変える。
ギルバートは型で肉体の強度を高めて防御。動物共の攻撃に耐えつつ、数匹ずつ捕まえてちぎり捨てている。
何千もの折り紙の群れを裂き、目指すはメッシ―本体。奴さえ倒せば、このふざけた折り紙共もきっと止まる筈だ。
「無駄な事を。んむ、貴公らがどれほど死力を尽くそうと、この数を捌く事は不可能なのである」
「うるせえ……!! 必ず、てめえの元に辿り着いてやる……!!」
「この程度、どうってことないべ……!! オラたちを舐めるんじゃないべ……!!」
奴まではほんの数メートル。
もう少し。もう少し進むだけで、倒せるんだ。
「んむ。それが強がりと見えるのは某だけか? 確かにこの数千の動物の攻撃を捌き、少しづつではあるが貴公らは某に近付けている。……正直言って、見くびっていたのである」
「へ……そうかよ……!!」
「しかし、貴公らもとっくに気付いているのであろう? 貴公らが某の元に辿り着けることは決してない。その少しの距離を進むため……一体、貴公らの肉体はどれほどの傷を負った?」
突然、右肩に痛みが走った。
掠った程度だが、”鳥"に肉を抉られ、思わず声が漏れる。
いや、右肩だけじゃない。顔も、両腕も、脇腹も、足も。防ぎきれなかった動物共の攻撃で、全身至る所に傷を負っている。その痛みが身体中にぐるぐると回り、思考の余裕すらなくなっていく。
「ッ……ブラストッ!!」
「カイン……!! 数が多すぎて……」
「うるせえ!! 黙って一匹でも多く仕留めるんだ!!」
傷口から、ドロドロと血が流れだす。さっき"虎"に噛まれた左足の脛も、"魚"に食い破られそうになった胸も。治療したとはいえ、まだ回復しきっていない。じわりと包帯に血が滲んでいる。傷口が開きかけている。
痛みと出血で……駄目だ、頭がフラフラとしてきやがった。
ギルバートも同じだ。いくら型で肉体を強化しているとはいえ、攻撃のダメージを完全には抑えられない。銀色の毛並みに、赤黒い箇所が目立ち始めている。
「ぐ……クソが……!!」
「貴公の魔法は威力はあるが、連射はできず隙が大きい。一発で十数匹は倒せても、その隙に残りが貴公に襲い掛かる。その大量の傷も当然である」
「だ、黙れ……!! このくらい、大した傷じゃ……」
「ふむ。まだ強がりをいうか。しかし、貴公はそのブラストとかいう魔法と……あと一つか二つほどしか魔法を使えぬのであろう? しかも、その魔法もこの状況を打破するものではない。もし有効な魔法が使えるのであれば……とっくに使っている筈なのである」
メッシ―の指摘に、心の中で大きく舌打ちを打つ。
奴の言う通り、俺は二つしか魔法を使えない。近距離特化のブラストと、遠距離狙撃のディミット・ブラスト。
そして両方とも、この大量の動物共を蹴散らす力はない。前方に魔力の塊を撃ちだすだけの俺の魔法じゃ、この状況は打開できない。どれだけ魔法を撃っても、次から次へと襲い掛かる動物共の攻撃は完全に防ぐことはできない
と、そう思わせるのが俺の狙いだ。
(あと少し……あと、30センチだけでいい……!!)
このまま、ディミット・ブラストは隠して奴に近付く。
俺がメッシ―に近づいているのは、まだ奴に見せていないディミット・ブラストの命中率を少しでも上げるためだ。
奴は俺の魔法がブラストだけじゃないと勘付いてはいるようだが、その魔法の射程距離までは分かっていない筈。ブラストだけを使っているのを見て、長距離の射程を持つ魔法が無いと思い込んでくれているのならば、勝機はある。
(必ず……ぶち当てる……!!)
ディミット・ブラストは長射程、精密な直線状の攻撃魔法。
だが威力には欠けるし、撃ち抜ける範囲もせいぜい掌に風穴を開けられるくらい。
だから、一発で決めるしかない。もう奴をディミット・ブラストの射程に捉えてはいるが、この距離で撃っても奴に躱されるか、なにかしら防御されてしまう。奴の反応が間に合わず、だが少しでも早く魔法を撃つことが出来るギリギリの距離。そこで、奴の眉間に一撃、正確に狙いをつけて撃つことが出来れば、俺達の勝ちだ。
「あと、少し……!! ブラスト!!」
「んむ。気に食わんな」
「あ?」
「貴公は”諦める”ことが最善の選択であると理解している筈なのである。もしくは逃走すること。この絶望的な数の某の芸術を前に、己の力は圧倒的に足りていない。にも関わらず、貴公は何故某に向かってくる? 何故、その身に何百もの傷を負いながら、その足を止めぬ? 目が死なぬ?」
「さあな……!! てめえがそれを理解する事には、きっとてめえは二度とクソみてえな折り紙が出来なくなっているだろうからな……!!」
「減らず口が、減らぬ、か。んむ、良かろう。であれば……」
なんだ?
あと少しでディミット・ブラストを撃てるって距離。メッシ―が自分の前で両手を合わせた瞬間、動物共の動きが一斉に止まった。ギルバートの方でも、動物たちが攻撃を止めている。
俺達は互いに困惑して顔を見合わせ、そして同時に、猛烈に嫌な予感を感じていた。
「少々、本気で行くのである。貴公らが無意味に粘り、某の時間を奪うというのであれば……」
「ギルバート!! 走れ!! なんとしても奴の詠唱を止めろ!!」
「了解だべ!! 大地の型、〈金剛厭舞〉!!」
あいつが、動物共を止めた。
その上で、何か別の魔法を使おうとしている。
それだけで、俺達が動き出すのに十分な理由だった。
奴が次の一言でも、一息でも行動を起こす前に、何が何でも息の根を止めなくてはならねえと、本能が叫んでいた。
ギルバートは既に、肉体強化で俺を追い抜き、メッシ―の眼前に迫っている。
「ディミット・ブラス……」
俺も、奴を撃ち抜こうと魔法を詠唱しようとする。
……が、発動する一瞬より先。
俺の目線は、足元の折り紙が急激に膨張していく光景に吸い寄せられた。
「え……」
「ブロウ・クラフティグ」
奴の詠唱と、目の前が一気に白くなるのは同時だった。
鼓膜が破れる程の轟音が一挙に炸裂し、脳が震えて何が起こったのか理解できなかった。
ただ二つ。もの凄い温度と風圧で、俺の身体は教会の壁をぶち破り、外に放り出された事。そうして床に落ちて、自分の左手首を見た時。その先が無くなっていた事、以外には。
「あ……? が……な、なにが……!?」
呆然としていた意識が、自分の左手首を見て覚醒していく。
無くなっている。傷口は完全に焦げて、血もほとんど出ていない。いや、焦げてるのは左手だけじゃねえ。全身だ。全身、所々皮が剥げて肉が見えたり、黒く炭化したりして……痛い。痛い痛い痛い痛いぃ痛いィ痛イ!!
「がああああッッ!?!?!?!?」
「んむ。完璧に決まったと思っていたのであるが……今一つ、爆破が浅かったのである。思ったより、貴公は中々丈夫な体をしているのである」
脳が焼き切れそうな痛み。
それに藻掻いていると、メッシ―が俺の元へと歩いてくるのが目に入った。
「あ……ぐ……て、てめ……え……何を……!?」
「見ての通りである。某の芸術が、ただ子供が戯れに作り出すような紙切れと同じと思っていたのであるか?」
「なん……だと……?」
「某の作品は、全て”魔導紙”を使っているのである。知ってはいるであろう? 魔力を通すことのできる、特殊な紙の事である。それを丁寧に折り、某の魔法の印を一つ、埋め込んでようやく一つの作品が完成するのである」
「魔法の印を……埋め込む……まさか、さっきのは……!!」
「んむ。爆破の印を込めていたのである。それ以外にも補助魔法の印の他の4つ……肉体強化、感覚向上、防御、回復とそれらの印のいずれかを某の作品に付与しているのである」
「それを、今俺達の前で爆発させた……!!」
「その通りである。ただこの印を使うと、芸術の数が多いために某の魔力もそれなりに消耗してしまったり、魔力を込められれば暴発したり、一度決めてしまうと警戒されるという欠点もあるのであるが……まあ、今から死ぬ貴公には関係ないのである」
ま……じい。
身体が痛い。感覚がない。動けねえ。奴の魔法……爆発をモロに食らってしまった。
だ、だがそれより……他の皆はどうなった? 俺は教会の外に吹き飛んで、地面の上で寝転んでいるが……ギルバートやホメロス、神父様と他のガキ共は……
「さて、よく粘ったと褒めてやりたいところではあるが……そろそろ時間があるのであるからな、止めを刺させてもらうのである」
「ッ……!! く、そ……!!」
「流石にもう減らず口は叩けないのであるな。とても満足である。己の力も弁えぬ馬鹿者を始末する瞬間こそ、某の楽しみであるからな」
メッシ―が、俺を見下ろしている。
何か魔法を放とうと、手を俺に向けている。
なんとか魔法を発動しようとするが、手も口ももう動きそうにねえ。もぞもぞと芋虫みたいに這いつくばるだけ。そうして死が確実に俺に近付いていると理解すると感じる度、俺の心が絶望に満たされていく。”諦めない”という決意が、ポキポキと折れていくのを感じる。
「んむ。さらばである。300年前の罪をここで償って……死ね」
来る。
死ぬ。
俺は恐怖のあまり目を閉じる。
一秒、二秒……五秒。それまで待っても、痛みはやってこなかった。
「え……?」
その代わり聞こえてきたのは、鋭く、太い斬撃が俺の頭上を通過する音。
ゆっくりと目を開け、その正体を確かめる。
「諦めるなんて、らしくねーべカイン。オラはまだ、戦えるって信じているべ」
「ギ、ギルバート……!!」
「貴公……あの爆発を食らってまだ動けるのであるか……!!」
「おう。オメエの爆発で吹き飛んだ先が、物置で助かったべ。おかげでようやく、本気で戦えるべ」
灰狼、ギルバート。
さっきまで共に戦っていた仲間が、自らの大剣を手に、メッシ―に戦いを挑もうとしていた。