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父が下宿先に来た

作者: なんとなく

 オレが父さんと同じ年齢になったときにまたこの場所に来てこの景色を見たい。その時はあのときは自分も二十だったとか思いながら今とは全く違った景色が見れる、そんなことを父に話した。そうだと思う。気持ちもだいぶ変わっていると思う。父はそう言っていた。満足そうな表情で外の景色を見ていた。ケーキセットについていたコーヒーを飲みながらゆっくりした。いい時間が流れていた。多くは話さなかったが居心地のいい時間だった。下宿先に父が来て一緒にクジラを食べに行った。食堂のテーブルに座っていろいろ注文した。クジラ活定食、クジラ的、刺し、貝の入ったキムチどれもおいしかった。クジラが牛肉みたいだと感じた。小学生の頃に食べたクジラの味は鉄分を多く含んだ赤身と豚肉を足して半分にしたものを固くしたイメージがあった。ここで食べたクジラは癖の少ない牛肉のようだった。父は小学生の時に食べたクジラ肉とそっくりだと言ってうまいと言いながら食べていたが、僕がきいた話では父は鯨肉がそんなに好きではないとかそんなことをいつかの頃に言っていた記憶が書いている今になって思い出した。普通においしそうに食べていた。近頃はコロナでマラソン大会が軒並み中止になったからマラソン大会のためのトレーニングも全くやっていないから肉がついてきた。五キロ太ったとかそんなことを言っていた。たしかに真っ白いもやしか針金みたいな体から肉付きのいい白いキュウリくらいには肉がついた気がする。内臓脂肪がどうのといっていた。会計は父親が全部出してくれた。ふたりで3600円くらいで案外たくさん食べたものだと思った。運動がてら父は海辺を散歩しようといった。そのまま遠くに見える白い橋まで散歩することになったが途中でフェリー乗り場を見つけて向かい側の港まで行って観光をしようということになった。その港は以前に大学の教授の好意で土日のどっちかに少人数クラスのメンバーで連れて行ってもらったことがあった。そのときはで店が多く立ち並んでいたが今回は閑散としていて出店は一つも出店していなかった。港からしばらく歩いたところにはね橋があって父はその写真を撮っていた。ちょうど橋が上がってその場所に船が通るタイミングだったために橋が上がるのを父は終始首を上に傾けてみていた。僕はその父を写真にとって父と食べた昼食やケーキセットの写真なんかとともに後で母にラインで送りつけた。母は接待かwとラインで言っていた。一緒に楽しんでる笑そう返信した。実際に楽しかった。展望台からコーヒーとケーキを楽しんだ後におりて波止場で何となく海を眺めていた。下関もここから見ると都会に見えるなんてことを父が言っていて確かにそうだと僕も笑って言った。観覧車や水族館の特徴的な建物が何ともいえず都会な感じを出していた。隣の芝になると青くなるというのはどうやら本当らしい。現実とのギャップを父と二人で笑った。バナナのたたき売りや猿つかいの芸なんかを傍目に見たりもした。そうしてすることがなくなったので帰りのフェリーに乗った。バス停まで海沿いを歩いている途中に司が下関にきたいとかそんなことを言っていたと父親が言っていた。遊覧ヘリに乗せてやろうとかそんなことを言いながらバス停まで歩いた。バスを待つまでの時間に日が傾きだした下関駅の歩道橋下から見る景色はなんともいえない趣を感じた。なんかいいな、そう思った。バスやなんかが走っていたり年末で帰省するのかトランクをひいた同年代くらいの人がいたりいろんな人が行きかっていた。新下関域のバスがあったのでとりあえずそのバスに乗ることにした。思いのほか自分の全く知らない道を通りながらにバスが進んでいく道中に父が下関に旅行に来られるのもあと二年しかないと思うと案外さみしくなった。新下関を過ぎてもバスに乗り続けた。どうやら自宅近くまでバスが走りそうだったからだ。途中でバスが安岡のほうに右折したために降車ボタンを押してバスから降りた。秋根西とかいう駅だった。そこから帰る道中にショッピングモールに行って夕飯の鍋の材料を買った。父というメガバンクがいたために籠に好きなものをどんどん詰めた。値札なんか見なかった。僕には父がついているからである。なんだかんだでハマチとヒラマサの粗とたらの切り身を二パック買った。あとでタラの切り身を見ると二切れしか入っていないのに470円もしていて生意気な切り身だと思った。父と酒を飲みたかったために取りにたたきとタン塩、トースターで焼くピザ、極めつけにおはぎも購入した。最後に白菜も買った。帰る途中に父がお前も全く運動していないだろうと言われて図星を突かれたことにムカついたのであの坂を上りきるまで走ろうといった。父は了承した。僕は走り始めて3歩で後悔した。鍋の材料が思いのほか重かった。走るたびにリュックの上下動で体が一緒に上下にぶれる。こんなことは走りなれていたころならなかったのにとか思いながら坂を走った。70メートルくらいの緩やかな坂だったがえらい息が上がった。しかし父が横のいる手前平静を装った。父はケロッとしていた。50の爺の癖に生意気だと思った。辺りは暗くなってきて車の往来もあったので父はここからは歩こうといった。僕はそれに了承した。帰る途中にまたスーパーによってうどんを7玉かった。明日の朝食の分も買っておこうと思ったからだ。アパートに帰ると僕はそうそうに父に風呂に入るように促した。さっさと鍋の用意をしたかったのと僕が最初に風呂に入った場合、父に僕の不摂生がばれる危険性が非常に高かったからだ。2日前に風呂に入ったからとはいえ相手は父だ。油断はできない。父は案の定長いこと風呂に使っていたので。鍋もあらかた出来上がった。僕がやったことといえばカバンから商品をすべて出して。鍋に水を張り沸かしている最中に魚の切り身やあらに塩と胡椒を振り白菜を切ってまとめて鍋にぶち込んだだけだ。そのくらいに父が風呂から上がったのでオーブンにピザを6等分にしたうちの3つを突っ込んで風呂に入った。温かかった。父はふろをきれいに使ってくれた。僕は遠慮なく自分の体で風呂を汚した。湯舟は一瞬で灰色になった。僕は黒色にならないだけ自分の日頃の生活の質の高さを自分自身で称賛した。頭をシャワーで洗い流してその水滴が風呂に入ると風呂が黒くなった。僕は気づかないことにしてさっさと風呂の栓を抜いた。着替えて靴下以外の寝間着を身にまとったあとに風呂を洗った。普段の3倍くらい風呂を洗うのが楽だった。二人の体がきれいだったおかげである。そのあとトースターのタイマーを回して鍋の火を強めた。白菜はいい感じに体積を減らして鍋に収まってくれた。部屋にはテーブルがないので畳に座って酒を注いで鍋と塩辛い肉の総菜で乾杯した。粗のだしが積み込まれまくった鍋のしると煮詰めた白菜がよく合った。父もがっついていた。僕もがっついた。うまいしか会話がなかった。酒を塩辛くてしつこいほどに主張の強い牛タンと一緒に流し込んでさらにまた酒を口に中に流し込んだ。僕は酔っていた。父も酔っていた。そして僕は2杯目を注いだ。2杯目を飲み干しかかったところで脳が僕に辞めろといった。杯をからにして僕は父が先程までがっついていた鳥のたたきと牛タンを食べた。父が半分ほど先にもらったからあとは全部食べていいといったので取り皿に分けずに器のまま肉を口に中に掻き込んだ。塩辛いはずの味は酔った僕の舌にはちょうどいい塩気を感じさせた。父も鍋をつつく手が止まってきたので棚から牡丹餅を出して父とひとつずつ食べた。うん、これは別腹でいける。あんなにおいしいおはぎだと説明したのにもかかわらず父に口から出た第一声はそれだった。味わって食え。本当にいいものなんだぞ、心の中でそう思った。父はおはぎをたべたあとの皿にのこったあんこを箸でつついていた。おいしかったらしい。僕もそれを見て満足した。おいしかった、ありがとう、ごちそうさま。それを言い終えた後に皿を片付けた。父は酒と満腹感のために畳の上で壁にもたれかかっていた。こういう父が見たかった。楽しんでくれて何よりだと思った。このために僕は頑張って酒を控えてこの時間を最高のものにするために1週間くらい前からあれこれ考えていたのだ。皿を片し終えると父は布団に横になりたいといったので押し入れから布団を出した。父は布団を出し終えると敷布団の上に自前の寝袋をしいて横になった。5分もたたずに父は寝息を立て始めた。仕方がないので部屋の照明をいくばくか暗くして僕はスマホをいじってようつべを見た。ひでよしとかライバロリが配信をしていたのでそれを流し見ていた。父の寝顔を見ると真上を向いて熟睡していた。僕はまた照明を少し暗くした。7時半くらいだった。一年間の仕事納めを終えた次の日の土曜に新幹線に乗って遠路はるばる来た父の寝入りの良さに一年間の苦労を感じた。この一年間僕もいろいろあったが大体は昼間から寝てゲームばかりしていたので父には頭が上がらなかった。1時間ほどスマホをいじって僕も寝る決心をした。8時40分くらいだった。途中から父はいびきともつかぬ寝息を立てていた。すぐにしてそれは収まった。電気を消して寝入ろうとするが普段は日付けが変わるくらいまでは起きているためになかなか寝付けなかった。しかしなんだかんだ自分も熟睡した。起きると朝6時ちょうどだった。父はまだ眠っていて日も出ていなかったために僕も眠ることにした。7時半くらいになり日も出てきて父はようやく起きだす気配を見せた。僕はそれまでスマホをいじっていたり眠ったりしていた。おはよう、そう声をかけると父はおはようと返してようやく上半身を床からあげた。僕もそれを皮切りにカーテンを勢い良く開けて顔を洗った。顔をふくときに昨日のバスタオルを使ったために自分の赤と油がしみ込んだ布が自分の顔の表面をねばつかせた。急いでまた顔を洗うと半分くらいその粘着きが取れた。僕はそれでよしとした。そうして鍋を沸かしてうどんをぶち込んだ。3玉ほど鍋にぶち込んで冷蔵庫からモツァレラチーズを取り出した。おたまに2つほど塊を銀紙をはがして投入して2、3分ほど湯煎した。父の前に鍋を持っていくとおおー、とうどんが浮かんだ鍋に声を上げた。父に鍋を父さんお分もよそわせてくれ、そう言ってチーズ入りのうどんと魚のあらをよそった。父はその提案を聞いたときになんだ、鍋奉行か、とにやにやしていた。父はったよそったチーズをなんなのかと問うてきた。僕は食べてみてと父を促した。父は感動していた。洋風みたいになるな、こういうものを自分で試せるのはえらいと僕をほめた。そうして食器を片した後に父は職場の心災くんの話をした。職場の環境次第で行詰まることは誰にでもあるし、そういう状況に陥るやつは一定数いる。自分でいる環境を選べるようになることも大切なんだ、そんなことを話していた。本は人類2千年の英知が詰まっているとか、職場でオレが一番学歴がパッとしないけれど本だけは部署で一番読んでいる自信があるとかそんなことを言っていた。職場とか政治の話とか父は自分の話したいことをそのあとつらつらと床の畳とにらめっこしながら僕に話した。父はどこか嬉しそうだった。普段の会話レベルよりも父の話は上だったと見えて父が1時間ほど話すと僕も疲れてきた。父も一通り話し終えて会話がだれてきたので僕は甘いものを食べようと提案した。父の持ってきたバームクーヘンとおばあちゃんの作ったくりの甘露煮があったのでそれをつまんだ。父は生茶を飲んで僕は牛乳を飲んだ。消費期限はおそらく大丈夫だったはずだ。父は家で食べてきたからあとは僕が食べなさいと言った。僕はその言葉に甘えて二切れほどバームクーヘンを食してあとは冷蔵庫に保存した。僕は11時からのシフトに入っていたために10時に20分には家を出る旨を伝えていたが父はそれより早くに家を出た。10時になるかならないかくらいだった。下関で自転車をレンタルしてサイクリングを楽しむらしい。いってらっしゃい、それしか感想がなかった。ロシア人のような帽子をかぶって父は戸を開けて父は笑顔で帰るわ、そう言った。僕も笑顔でありがとう、いってらっしゃい、そう言った。父はそう言って戸を閉めた。

 父のいなくなった部屋は気温が2,3度下がった気がした。父のいた部屋の雰囲気を入れ替えるために僕は部屋の窓を開けた。日差しが温かかった。僕は残りのバームクーヘンと牛乳を飲み干して時計を見た。10時15分、家を出るまであと5分くらいだった。レポートの筋書きを見た後に僕も部屋を出た。バイトのカバンと間違えて父と出かけたときに使ったリュックを持った自分に気が付いてチャリ置き場からまた部屋に戻ってバイト用のカバンを持った。5時間ほど働いて家に帰り上着を脱ぎ棄てた後にこれを書いている。18時50分、今の時間だ。部屋の空気は今や父のいた雰囲気をもうすでに残していない。暖房で部屋が温まってきた。このへんにする。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  親子っていいなぁとしみじみと感じた。 [気になる点]  改行がない!?5千文字の文章で、改行が一つもないのは可笑しいです。あと、改行したら1行空けるとか、文章をビッチリ詰めずに書いた方が…
2021/01/22 00:06 退会済み
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