第九話 「ある日そんな素敵な第二の人生を始められるだなんて、どれだけ前世頑張ったって感じだよね」
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〈エクレールII世〉焼肉なんてどう?
〈安藤ロイド〉陛下の仰せられるままに
〈エクレールII世〉二時間の食べ放題のやつでいいかな? ちょっとお高いから民の税率上げて私腹を肥やしてくる
〈安藤ロイド〉不満などあろうはずもございません
〈エクレールII世〉逆らう人が出てきたらどうしよう
〈安藤ロイド〉一族郎党もろとも打ち首です!
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土曜日、香澄ちゃんチョイスのおしゃれな服装に身を包み、爽やかでフローラルな香りを首元と手首にほんわりと漂わせ、新品の靴を履き、勝負下着をこっそりと(そんなの無いけど)、最後にサングラスとマスクで締めていざ出陣。
「では、出ますね」
橘さんが車を出す。私は後部座席でリラックスしていた。橘タクシーに任せていれば安心だ。
お店も予約してくれたらしい橘さん。私とエクレールII世さんの我儘により、橘さんも店の中まで同行してもらう事にした。うまく喋れなかった時の保険でもある。
「今日は一段とお美しいですね。危うく本能で手がでかけました」
今日も橘さんは、胸を鷲掴みにするような冗談を真顔で言いのける。冗談だよね?
「この度は食べ放題との事でしたが、やはりロイドさんはとても食べられる方なのですか?」
「そうですねぇ、お肉も嫌いではありませんし、この体になってから結構食べる方だと思いますけど、お店の方にご迷惑が掛かるので程々ですね」
「食べ放題でお店に迷惑なんて、身近で初めて聞きましたよ」
私だって食べ放題で遠慮はしたくないけれど、この身体はどうやったってお腹いっぱいになるという事がないのだから、流石の私もお店の方に出入り禁止をくらいたくない。
今とってもえげつない事を考えついたのですが、ゴミ処理場で私を強制的に利用すれば地球のゴミ問題解決です。その代わり私の人権も文字通りゴミ同然に廃棄される前提ですが。
「もう少しで着きますよ」
私の利用価値を国家レベルで考えていると、そうこうしない内に目的地へと近づく。
慣れた手つきで橘さんがとあるマンションの駐車場に車を停めると、すぐに一人の女性が近づいてきて、躊躇いもなく後部座席の扉を開くと乗り込んで来た。
ピピッと私の目が瞬時に女性を分析する。歳は30前半。胸は香澄ちゃん未満橘さん以上。好きな食べ物は……梅干し! 多分! めいびー。
「よーっす橘さんよろしくねー。ってうぇえ!? 想像以上にロイドさんじゃん! エクレールII世こと梶原瞳です初めましてよろしくよろしくー!」
「安藤奈津ですよろしくお願いします」
「声もロイドさん!」
そりゃそうだろう。
初っ端から元気いっぱいの梶原さん。活力が満ち満ちている。短いデニムから見えるおみ足もあってか本当の歳よりも随分と若く見える。まあ、本当に30前半かは知れないけれど。
橘さんが車を出して焼肉屋さんへと向かう中、エクレールII世さんからかなり露骨に視線を向けられる。コミュ力の高い人とは目だけで会話出来そうな眼力があるな。
「私の顔に何か……?」
「いやいや、気にしないで。見てるだけで癒されるから。本当にリアルにこんな美少女がいるだなんて驚きでちょっと興奮してるだけ。歳は幾つだっけ?」
「20ですね」
「若っ! 何でも出来るじゃん! アイドルとかすれば絶対に売れるよ絶対に」
「忙し過ぎるのはあまり得意ではなくて」
「七十二時間配信は!?」
「あれは本当に気付いたらそうなっていただけなんですよ……」
「マジだったんだ」
エクレールII世さんの性格のお陰か、焼肉屋さんまで話が尽きる事はなかった。流石の対人関係能力。
車から出る時は、サングラスとマスクをつけて店内に入る。橘さんがさっと予約の名前を伝えて個室にまで案内された。既に焼いた肉の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
飲み物はエクレールII世さんがビール、橘さんが運転手なのでジンジャエール、私がゆずレモンとそれぞれ注文して、食べ放題に入る。
「お肉はお二人が選んでおいてください。私はサラダを。お二人に合ったチョイスを完璧に選んでみせましょう。マネージャーですので」
橘さんがそう意気込んでサラダバーへと向かった。私とエクレールII世さんが一つのタブレットを覗き込むようにして見る。
「わっ、案外良さそうな肉いっぱいあるね。サイドメニューも興味深い。飲み物なんか紅茶とかもあるよ。なっちゃんは紅茶とか得意?」
私はいつの間にかなっちゃんになっていた。私もここでエクレールさんとは呼べない。
「嗜む程度です。初摘みかそうでないかが感じ取れるくらいですね。秋摘みなんて滅多に飲みませんが、マスカテルフレーバーが抑えられた分、優しい甘みを感じます。偶には夏摘みでないのもいいものだと思います」
「わーお、めっちゃ得意じゃん。そういや橘さんも紅茶得意なんだよ」
「……」
ちょうどその時、図ったように扉が開かれる。
「私がどうかしましたか?」
「実はね、さっきなっちゃんと紅……」
「お肉! お肉が食べたいです! 私ペコペコです!」
「あら、そうなんだ。じゃあ適当に何皿ずつかで頼んどくねー。サラダありがと橘さん」
「マネージャーですので。焼きも私に任せてください。マネージャーですので」
何だか橘さんのテンションがいつもと比べておかしくなくもない。焼肉奉行さんなのだろうか。
「お飲み物お持ちしました〜。こちらビールですねー。こちらがジンジャエールで、こちらがゆずレモンの方ー……うわっ」
私の顔を見て失礼な声をあげる店員さん。そういえばマスクとサングラス外してるんだ。もしかして視聴者の方か!? と警戒したが、店員さんの顔が徐々に赤く染まるのを見て違うなと判断。果たしてその朱は羞恥故か、それとも……
「私ってあんな反応されるくらいですかね?」
「距離近かったからね。破壊力はあったと思うよ」
「飛びついてこなかっただけマシでしょう」
「そっかー。可愛すぎるのも難点ですね」
「「……」」
美少女である事に今更後悔とかはないが、せめてクラスに一人はいる感じくらいに抑えておいてくれよと思う時がある。贅沢な悩みだ。
変な空気になったのを打ち消すように、三人でグラスを握って目の前で持ち上げる。
「乾杯〜!」
久しぶりに食べた誰かとの外食は、何の悩みも苦労も忘れて楽しめた。今度香澄ちゃんとも一緒に行こうと思った。
とても……楽しかった。
こんなに楽しくていいんだろうか? 私にそんな権限があるのだろうか? 流されるままの私の人生を他人が批判している気がする。私の知らない不特定多数の誰かが今も覗き見て、言動一つ一つ地の文すらを見張っている気がする。そう考えると少しだけ怖くなった。
◇◇◇◇◇
「あぅぅ……」
店を出て新鮮な空気を浴びる為に、外の風に当たる橘さんはベンチの上でぐったりと脱力している。
「あちゃー空気酔いだね」
「空気酔いですか?」
「橘さんってお酒強いのにわちゃわちゃした空気には弱かったりするんだよー。はっちゃけるというか、本性が垣間見えるというか、最終的にはご覧の通りダウナーになる」
「うぅ……」
「なるほどですね。代行の方をお呼びしますか?」
「うんにゃ。少しだけ待っててあげようか。橘さ〜ん、私たちそこら辺歩いて時間潰してくるからねー。休んでてよー」
「ぁい……」
返事かどうかも分からないが、今はそっとしておこう。それより私は、突然二人っきりにさせられたこの状況について考えなければいけない。
エクレールII世さんが気を使ったのは橘さんではなくて、私の方なのではないか。
「なっちゃんさぁー、何か悩んでるでしょ?」
ほら、やっぱりと。私の心情をある程度は察しているのか、エクレールII世さんが軽い拍子で口にしたのは、紛う事なき後輩を慮る先輩の姿だった。
「……正直、すこし」
「んーコラボをあれだけ避けていた理由みたいな感じ?」
「ですね。私みたいに何の努力もしていない人間が、
棚からぼた餅的に誰かと一緒に配信なんてしていいんだろうかと、自己嫌悪に陥ります」
「えっ! 丸3日も寝ないで配信する人に文句言う人なんて誰もいないと思うけど」
「それは、努力とはまた違いますし」
私にとっては呼吸同然の在り方を、神業みたいに褒められても困る。みんなは勘違いしているのだ。私がとても努力して配信をしていると。そのすれ違いもまた個人的には受け入れ難い。
「例えばの話です。梶原さんが、これまでの記憶を一切無くして別人となり、ある日突然唯一無二の美貌と広すぎる豪邸、理想の肉体、原理も分からぬ便利道具に、概念を超越した人権を与えられて、どう生きますか?」
「なろうっぽいね」
「?」
「いや、何でもない。うーん難しい話だね。今の自分の記憶がないって事でしょ? それってほぼ他人だからね。想像できないけど……多分またばーちゃるちゅーちゅーばーをやると思うよ。きっとね。んでもって、そんな生き方を誰か否定する奴がいても、気にしない気にしない。私は私の好きな事をするんだよ。今と同じように」
そもそも、と続ける梶原さんの顔に、画面に映るエクレールII世さんと姿が重なって見えた。
「なっちゃんは少し勘違いしてると思うよ。私の事さ、努力して努力して頑張り続けてきた全力人間くらいに思ってなーい? 違うよ? 私は初めっから好きな事しかやってないから。好きな事を好きなだけしてきて、今の姿があるわけで。それを誰かが心打たれて褒めてくれるのは嬉しいけどさ、私的には少しの苦労もなかった悔いの無い人生だよ。なっちゃんとコラボを誘ったのだって、私がなっちゃんと一緒に配信したいって純粋に思ったからで、なっちゃんが誰よりも頑張ってるからーとか思ったわけじゃないよ? いや思ってない事もないけどさ、それとこれとは別でして」
最後に梶原さんは、私に聞く。
「配信、楽しくなかった?」
私が忙しくなさそうだからと始めたばーちゃるちゅーちゅーばー。休みも出来て責任も重くなさそうとか、そんな理由で選んだ生き方。
実際に、他の人からすれば責任が軽いとかそんな事は無くて、休みだってそうそう無いだろうけど、やっぱり私のスペックからすれば他と比べて楽である事に変わりはなくて。
ただ配信をするだけで驚かれて、トークをするだけで色々な反応が返ってきて、中にはロイドというキャラを心の底から応援してくれる人もいて、明日も頑張れますとか嬉しい事を言われたりして、中の私はこんなんだけれど、そんな私でも彼らに対してどうすればもっと喜んでくれるか考えたりして。
楽しいかどうか聞かれて、改めて見直した私の心は、思っていたよりも素直だった。
「楽しかったです」
「なら、それでいいじゃん! 楽しけりゃいいんだって。という事で明日はもっと楽しむぞおー!」
「おー!」
何だ、楽しかったらいいんだ。そうだよ。元々私は好きに生きると決めたんだし。
随分と肩が軽くなった。気付かない内に私は、色々なものを背負おうとしていたらしい。そんな器でもないのに。
手紙には賢く生きろとも書いてあったけど、何だか言いなりになるのも癪だし、もうちょっと馬鹿になろうって思った。
「大体さー」
機嫌を良くした私に、梶原さんが掛けてくれた言葉を私は一生忘れない。
完全記憶能力なんてものが本当に私に備わっているかどうかはともかく、忘れる事だけはない。
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ちなみになろうっぽいとは、小説家になろうというコンテンツに、主人公が降って湧いた能力などを我が物顔でエゴイストに過ごしたりする事が多く、又その能力それ自体の事を指す説が主な説とされています。が、真実は定かではありません。