第五話 橘って名前の人は凛々しいイメージ
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動画配信を終えた直後、マネージャーさんにRINEで怒られた。
『非常に申し訳ありませんが、ロイドさんは非常識な方なので、どんな配信をするのか今後あらかじめ私にお知らせ下さい。切実に』
私だって自分がどんな配信をするのかその時が来るまでよく分かっていないので、それは難しいですとやんわり断ろうとしたが、配信者となった私もいい加減にその程度の管理くらい努力をした方がいいと思ったので、素直に謝罪した。
世間の評価的に、私は二度目の配信でまた騒ぎを起こしてしまったし。
一度目の配信が時間耐久だとすれば、二度目の配信は大食い耐久。ケーキを一個食べ尽くした私はお腹がいっぱいではない事に気付いて、その時ふと自分はどれだけ食べられるのか好奇心が膨らみ、馬鹿みたいに甘味をデリバリーしたのだ。
結果、限界はなかった。私の満腹中枢は常に最適な感覚に留まっていたのだ。自分の体は食事を摂る事が出来るのではなく、摂り続ける事も出来るが正解だった。
ケーキのホールを2個目くらいでコメント欄が二度目の悪夢とか何とか囃し立てて、総重量が二キロを超えた辺りで静かになり、まだ食べようとしたらコメント欄で気分が悪くなったという方が増えたので止めた。
私は自らどれだけ食べているのか宣言したわけではないが、食べる時間と音から常人では済まない量になっているとは察したらしく、最終的には再びマネージャーストップがかけられて配信を終了した。
個人的には、また一つ自分の体の仕組みを知れて嬉しい反面、反省を生かせずに再びのご迷惑をおかけした事を悔やむ私。二十四時間座禅をして自らを戒めた。
気持ちの切り替えがついたのはマネージャーさんからのお電話で、私に多くのファンレターなるものが届いているとの事で、中でもみかん大福さんという方から手紙が届いているが、どうしますか? という内容だった。
もちろん受け取ります、と言うとマネージャーさんから困った感情が伝わってきた。どうやらみかん大福さんの件については問題があるようで。
『実は……みかん大福という名の手紙が3枚届けられているんです。それも、別々の住所から』
つまり、二名が騙っていると。
『時間が空いているので、直接届けに行きますよ。車を停められる場所はありますか? ああ、自宅NGだったりしますか?』
マネージャーさんがそう言って、私としてはみかん大福事件よりそちらの方が問題だった。
自分の部屋を見渡す。ゴミ袋もついに一袋出来て、洗濯物は無駄に広い脱衣所を埋め尽くし、そのおこぼれがこちらまで侵食しようとしている。人様に見せられる状況ではない。
『1時間後で良ければ』
辛うじて私は、そう伝えた。
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「な、なんて広さなの……こんな場所が東京に存在しているだなんて。観光名所の一つにでもなりそうな程の……」
開口一番、私の家の客観的な意見で改めて私は非常識な暮らしを実感する。
しばらく呆けていたマネージャーさんだったが、キリッとした顔に戻り、私に頭を下げた。マネージャーさんは想像通りにスーツの似合うお方で、姿勢も正しく綺麗だった。
「顔を合わせるのは初めてですね。スクエア所属プロジェクトマネージャーの橘です。今後ともロイドさんとはお付き合いが長くなりそうなので、よろしくお願いします」
「ご、ご丁寧にどうもです橘さん。安藤奈津です。こちらこそご迷惑をお掛けするかと思いますが、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします。……その、きっと私の方が歳下ではありますので、私にはもっと砕けた対応の方がよろしいのではないかと」
「性分ですので」
「あぁ、何となく分かります」
私ってあくまでも世間的に見たら20歳の体でして、橘さんはそんな私にも礼節を重んじて対応してくれています。出来る女性、それが橘さんなのです。きっと学校では委員長を務めていたのでしょう。
「では、参りましょう」
そう言って橘さんは、トランクからファンレターのたくさん詰まったダンボールを取り出す。想像以上だった。重そう。慌てて私が運ぼうとするが、首を振られて止められた。
「こんなにも可愛い令嬢に力仕事など任していては、女が廃ります」
「令嬢ではないんですけど。というか十分、橘さんもお美しい方ですし」
「ええそれなりの自負はしておりますが、貴女の前では霞みますね。本当に可愛らしい……ロイドさんが目の前に飛び出してきたみたいですよ」
「はぁ、どうもです」
「くれぐれもそのお姿を、多くの人目にはつかぬようお願いしたいものです。貴女の為ならば犯罪すら厭わない、そんな輩も出てくる事でしょう」
「それは流石に」
「私も危うく、貴女の色香にやられてしまいそうでしたし、過言ではないですよ」
「……」
橘さんの顔を見ても、冗談を言っている風には見えなかった。結局この件については私が折れて、橘さんにリビングまでダンボール箱を運んでもらった。ありがとうございます。
ゆっくりと素早くお話もしたいですし、紅茶を淹れて橘さんを歓迎します。
「ありがとうございます。おや、ダージリンですね。私の好きな部類です」
「あら、お詳しいんですか?」
「嗜む程度です。初摘みかそうでないかが感じ取れるくらいですね。これは……秋摘みですか。滅多に飲みませんが、マスカテルフレーバーが抑えられた分、優しい甘みを感じます。偶には夏摘みでないのもいいものですね」
「……ですねー」
なんちゃって紅茶勢の私は話半分しか分かりませんでしたが、笑顔で頷きました。
お互い一息ついて、例の手紙を橘さんは取り出してくれました。
「こちらです。どれも差出人はみかん大福となっておりますが、一枚は煌びやかで今時の物。一枚は質素ですが誠意の伝わる物。もう一枚は何となく、ふざけた感じの物ですが、念の為お持ちしました」
橘さんがそう評した手紙は、正にその通りの物だった。若者が書いたように顔文字絵文字ふんだんのみかん大福。ボールペンで丁寧に書かれて内容も礼儀正しいみかん大福さん。そして、とってつけたようにみかん大福と殴り書きされたみかん大福もどき。それは内容もお下品なものでした。
私は最後の一枚を候補から捨てる。
「この二枚のどちらかですが、多分こちらの質素なものでしょうね。普通、顔も知らない配信者から家事代行の話をされて信じるのは難しいです。きっと冗談だろう。間に受けてはいけない。そう思うのが普通です。でも冗談でないのなら? だからこれは、最後の方だけやんわりと、恥ずかしくないように保険をかけて家事が得意です、と書き足しているのでしょう」
「……確かに、その点を鑑みるに、こちらの派手な手紙はいささか作り物めいて見えますね。履歴書かと見間違えるような内容ですし」
「まあ、ただの推測です。実際のところはどちらも可能性があるので、そこはこちらで調べておきます。すぐに分かるので大丈夫です」
「貴女が言うと本当に大丈夫そうですね……ですが」
橘さんは若干呆れた目を私に向けて、人差し指を天に向けると心なしか鋭い口調となって私に言う。
「実際に家事代行を雇うとして、その手続きはこちらを通してからにしたいものです。相手は貴女を安藤ロイドと知っているのですから、その辺りシビアな守秘義務が発生するので、この件に関わらず、今後は私共を経由して自宅周りの私事は注意して下さい。貴女は既に、スクエア所属なのですから、自由な真似をされていては対応に困ります」
危うく土下座しそうになるくらい正論だったが、橘さんは手を下ろして私に柔らかくなった目を向ける。
「せめて私に一言くだされば、私がなんとかします。最大限貴女のプライベートが確保されるように私も努めますので……なのでどうか、短慮な事はなさらずに。もっと私を利用してください。それが私の仕事ですので」
橘さんの言葉に、私は自分の自己中心的な考えが見透かされているのではないかと気付いた。
あまりにスクエアへ所属する事によって縛りが増えるのなら、私はいっそ個人で配信をやり直そうかと思っていたのだ。むしろ配信自体を止めて、別の職を探してみてもいいかもしれないと。
無責任かもしれないが、私が私の為に生きるなら、その辺りの折り合いにはけじめをつけなければいけないから。
でも、橘さんの言葉で心に余裕が生まれる。
「橘さんは他にも第一期生の方々も数人担当していますよね? それなのに今日も私の事で時間を使わせてしまい、これ以上迷惑をかけるのは心苦しいと思っていたのですが」
「我儘を言わせてもらうのなら、そういった迷惑をかけられるよりも貴女と関わる機会が少なくなる方が、私はイヤですね」
やはり橘さんは出来る女性だった。それだけではなく、どうやら良い女性だったみたい。
危く惚れてしまうところだった。
「そろそろ私はここで失礼します。紅茶、ありがとうございました。今度はプライベートでお邪魔しますね。一緒にお茶でも行きましょう」
「はい、喜んで」
その日までに紅茶の勉強をしておこう。そう決意した。