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【5・対決】

   【5・対決】


 屋上に出るとイルトはそのまま足を緩めず飛行魔導を発動、空中へと飛び上がる。衛士隊の包囲網を確認してそのまま逃げるつもりだった。ぐずぐずしていたら地上から矢や攻撃魔導が飛んでくる。

 ところが

「な?!」

 いくら見回してもマアマア亭の周囲には衛士隊らしき人は1人もいない。それどころか通りすがりの人すらまばらだ。

「どういうことだ?」

 突然風が吹いた。とっさに横に飛んだのは彼の経験から来る勘だろうか。

 今まで彼がいたところを槍の穂先が切り払った。動かなかったら、この一撃で彼は深手を負っただろう。

「残念。さすがね」

 風とともに駆け抜けたルーラが空中で振り返った。手には精霊の槍。体には身につけていると言うより肌に張り付いているかのような灰色っぽい若草色の革鎧を装備していた。短い髪と服の裾や袖が彼女を包む風にたなびいている。

「誰だ?!」

 衛士ではなさそうな女の襲撃に、イルトが戸惑いを見せた。

「ファブリックの刺客か?!」

 彼女はそれに答えず再び風の精霊の力を借りて突撃する。

「精霊使いか」

 言いながら彼は飛行魔導を消した。身体が大地に引かれて落ちていく。

 追おうとしたルーラは肌に熱気を感じ、とっさに自分の体を風で吹き飛ばす。直後、今まで自分がいた空間に巨大な爆炎が広がった。イルトの爆炎魔導だ。

「あいつ!」

 再び飛行魔導で逃げようとするイルトを、風の精霊の力で追跡する。

 個人の精神力を源とする魔導と自然の精霊、単純な力比べなら精霊の方が強い。どんどん距離を縮めていくが油断は禁物だった。先ほどの爆炎魔導は攻撃魔導でもかなりポピュラーであり、使い手も多い。しかし、あれだけ早く、正確に発動できる爆炎魔導は滅多に見ない。しかも空中を落ちながらの発動である。わずかでも隙を見せたら直撃を受けかねない。

 しかし、幸いなことにイルトも他の多くの魔導師同様、同時に複数の魔導を発動させることは出来ないらしい。つまり、飛行魔導を使っている間は攻撃魔導は出来ないということだ。

「まずい!」

 イルトが町に降りていくのに、ルーラが焦る。精霊の力は魔導に比べてずっと強いが大雑把だ。町中に入れば、効果範囲の広い精霊による攻撃はしづらくなる。

 町の人達がいきなり飛んできたイルトに驚き悲鳴を上げる。腰を抜かすもの、逃げ惑うもの、慌てて建物の中に逃げ込むもの。

 その中にイルトは降りた。振り向きざまに突きだした魔玉からルーラめがけて雷が襲う。

 横殴りの風の払われるように横に飛んでそれをかわしたルーラは、地面に降り様、精霊の槍を地面に突き刺す。

 再び空に飛ぼうとしたイルトに、地面から無数の石つぶてが飛びだした。そのいくつかを受けて、イルトが地面に落ちた。

 さらに無数の石つぶてが地から跳ね上がっては彼を乱打する。大地の精霊による攻撃だ。

 ルーラが槍を手に突進、魔導を発動させる間を与えまいと乱打を浴びせる。

 魔導師とはいえイルトも幾度も戦いを経験してきただけあって、動きはなかなか速い。彼女の攻撃を受けるものの、急所は巧みに外して後退する。

 逃がすまいとするルーラの追撃。イルトの魔玉が光る。

 2人の間に小さな爆炎が起こった。自身も傷つくことをも覚悟したイルトの反撃だ。牽制程度の力しかない小さな爆発だが、それだけに素早く発動できる。

 たまらず後ずさった彼女の隙を突いて、イルトが飛ぶ。だが先ほどのようなスピードはない。彼女も後を追う。

 町中を飛行魔導のイルトが飛び、風の精霊に運ばれるルーラがそれを追う。

 建物の隙間を縫い、家の中を通り抜けての追跡が続く。

 食事の支度をしていた台所を通り抜け、食材が飛び去り、驚いた家人がひっくり返り、作る途中のスープの鍋が床に落ちる。

 取り込んだばかりの洗濯物が風に煽られ室内を舞う。

 風の精霊による飛行は魔導に比べて制御が甘いが、ルーラの願いを風の精霊たちは忠実に叶えてくれた。彼女自身も姿勢を正したり、壁を蹴ったりして細かな調整をする。

(あの精霊使い、ただ者じゃない)

 イルトは焦った。精霊たちにこんな細かな動きをさせられる精霊使いを彼は見たことがなかった。精霊の扱いだけではない、槍の扱いもかなり手慣れている。

 高度を下げて建物の陰に入ると同時に地上に降り、物陰に隠れて別の魔導を発動させる。

 ルーラが彼の通った場所をたどるように通り過ぎた。

「いない?!」

 彼の姿を探そうと高度を上げた時だ

「くらえ!」

 イルトが電撃魔導を彼女に放った。かすりでもすれば、彼女は痺れて落下、地面に激突して終わりだ。

 その狙い通り、彼の杖から伸びた電撃が彼女をなぎ払う!

 しかし、直撃した電撃はそのまま彼女の表面を流れるように拡散した。彼女自身にダメージはほとんど無い。

 愕然とする彼の姿を、電撃の飛んできた方向を探った彼女が見つけた。

 突っ込んでくる彼女からイルトは逃げた。飛行魔導を駆使し、再び空の追いかけっこが始まる。

「まさか、トリケラスの革鎧か?!」

 かつて1度だけ彼は先ほどのように電撃を無効化されたことがあった。たまたまアクティブの王族親衛隊と戦うことになり、その隊長に電撃魔導を浴びせた時だ。魔獣トリケラスの皮で作られた鎧は電撃だけでなく、様々な攻撃魔導を受け流し、ほとんどを無効化、あるいは威力を半減させ、彼を恐怖させた。

「あの女、いったい何者だ?!」

 トリケラスの革鎧は防御力は一流で、値段は超一流だ。希少価値も高く、とても一般の衛士や傭兵が手にできるものではない。

「まさか、親衛隊クラスが出てきたんじゃ?!」

 空中で振り返り様、飛行魔導を止める。慣性で飛びながらルーラに次々と爆炎魔導を浴びせるが、風の精霊を纏った状態の彼女には発散した炎も風で流されほとんどダメージを与えられない。しかし彼女をたじろがせることは出来るし、炎と煙である程度視界も奪える。

 その隙に町の外に逃げようとした途端、彼の身体が激しく払われた。右に左に上に下に前に後ろにかき回される。

 乱気流だ。ルーラが風の精霊に彼の周囲に強烈な乱気流を起こしてもみくちゃにさせているのだ。これでは自分がどちらを向いているかもわからない。

 とにかくイルトは大空に向かって飛んだ。障害物のない大空は精霊使いの方が有利だが、今はそんな場合ではない。まず自分の姿勢を取り戻さなければ。

 乱気流から出た彼の上下感覚が戻り、視界が落ち着く。

 と、目の前にルーラが現れた。

「逃がさないわよ」

 思いっきり蹴りつけてきた。まさか空中で蹴りを食らうとは思っていなかったイルトはたまらず流されるが、こちらも場数では負けていない。決して魔玉の杖は放さず、距離を取ろうとする。

 しかしルーラは執拗にまとわりついてくる。この時彼女は、風の精霊に自分を彼にまとわりつかせるよう頼んでいた。いくら彼が執拗に逃げようとしても、それに合わせて風の精霊が彼女を彼のそばへと運んでくれる。

 何度も戦いを経験してきたイルトも、空中での肉弾戦は初めてだった。何とか距離を取ろうとする彼を執拗に追跡するルーラだが、彼女も空中での格闘はあまり経験が無い。空中での槍裁きは地上ほどではなく、押すことは出来ても、決め手の一撃に欠ける。

(こうなったら)

 上空へと飛ぶイルトをルーラが追う。彼女が近寄るのに合わせて、彼はいきなり飛行魔導を解いた。

 今度はルーラが驚いた。その彼女の背中におんぶするようにしがみついたイルトの魔玉が輝く。電撃魔導だ。これなら外さないし、背中ならば彼女も攻撃できない。

(いくらトリケラスの革鎧でも、密着しての電撃までは防ぎきれまい)

 彼が勝利を確信した時、周囲の風が渦を巻き、強烈な滝巻となった。その中心にいる2人の体が独楽のように強烈な勢いで回る!

 イルトの悲鳴が迸る!

 必死で彼女にしがみつく中、集中が途切れた。魔玉の輝きと共に生まれかけた電撃が消える。

 そこへルーラが回りながら首に回されている彼の腕に思いっきり噛みついた。

 たまらず彼の腕の力が緩み、竜巻の遠心力がその体を彼女から引き剥がす!

「うわわぁぁぁぁぁっっっ!」

 きりもみしながらイルトが大地に激突! 2度、3度と跳ね上がっては地面を転がり、周囲の人達が慌てて逃げていく。激痛にたまらず彼が手放した魔玉の杖が、彼方に転がっていく。

 そこへルーラが精霊の槍を構えて落下、

「捕縛!」

 大地に精霊の槍を突き刺した。

 瞬間、イルトのいる大地が落とし穴のようにへこみ、彼を飲み込むと周囲の地が蓋をするように彼の身体に覆い被さる。

 ルーラの得意技、大地の精霊の力を借りて相手を半分生き埋めにする捕縛技だ。

「うぁ……うがぁぁ……」

 かろうじて頭と左上半身は出ているものの、他は完全に地面に埋まっている。力なくもがくイルトを、地面はがっちり彼をくわえ込んで逃がさない。もっとも、大地の縛めがなくても今のイルトは目が回っているのと全身の痛みでろくに動けない。骨も何本か折れているだろう。

「無駄よ。大地の縛めからは逃げられ……」

 ルーラがふらついて尻餅をつく。

「……あたしも……目が回った……」

 頭がふらつき、そのまま地面に大の字になる。揺れる視界の中、数人の衛士が駆け寄ってくるのが見えた。


 置いてけぼりにされた形のレーレンが見上げると、上空でイルトが槍を持った人物と空中戦を始めるのを見た。槍を持った奴は衛士の制服を着ていない。

「衛士じゃない?」

 上空でイルトが爆炎魔導を使うのが見えた。町の人達が空を指さして口々に何か叫んでいる。あっという間に2人の戦いは注目の的だ。

「注目されるのが解っていても攻撃魔導を……相手はかなり厄介ってことか」

 仕方がないと肩をすくめ

「こいつは、自力で逃げなきゃ駄目みたいだね」

 ナイフを手に駆け出そうとした途端、背後からの気配を感じて大きく跳んだ。彼のいた場所を鞭が空振りする。

 鞭を手にしたベルダネウスが扉の影から飛びだし、さらに鞭で追撃する。だがレーレンはそれを巧みにかわし、大きく間合いを取った。

 互いに得物を構え、次の攻撃のタイミングを計りながら対峙する2人人。

「あんたら誰? 衛士じゃなさそうだけど」

「自己紹介は後が怖いからやめておきます。牢獄かあの世か、どっちかに行ってもらえませんか」

 その声がさっきの衛士らしき声と同じなのに気がつくと

「さっきのはあんたか。じゃあ、衛士って言うのも嘘だね」

「的外れでもないですよ。直に本物の衛士達が来るでしょう。それで、先ほどの答えは?」

「あんたが代わりに行ってくれ」

 腕が撓ってナイフを投げる。それを鞭で払い落としたベルダネウスの口元が緩み、

「逃げずに相手をしてくれますか」

「衛士達かこぞってきたら逃げるさ。その前にあんたを何とかしないとやばそうだからね。ファブリックの手のものかい?」

「彼はお得意様でしてね。お客様は大切にしないと」

 2人が対峙する中、塩気混じりの風が吹く。

 レーレンの手が動いた。と思った時には目前に迫っていた細身のナイフをベルダネウスはかわして鞭を振るう。

 その鞭をかわしながらレーレンが2本目のナイフを投じるが、それはベルダネウスの鞭にはたき落とされた。

「……やるね」

 間合いを計りながらレーレンが笑った。楽しそうな笑いだった。

 2人はナイフを、鞭を振るいながら屋根から屋根へ移動する。ベルダネウスは間合いを計りながら鞭で牽制、出来るだけナイフを投げさせて品切れを誘う。

 レーレンは何とか接近戦に持ち込もうとするが、間合いを詰めようとする度に蛇のような鞭に阻まれる。何度か頬や手足をかすめ、そこが時間と共にひりひり痛みを増していく。

(鞭がこんなに厄介だとは思わなかった)

 彼は鞭を相手に戦うのは初めてのため、なかなか間合いをつかめない。

ベルダネウスの鞭は拷問用を改造したものであり、一撃必殺の威力はないが、打たれたところは皮が擦られ、にじみ出る血と激しい痛みが長時間続く。それでナイフ捌きに乱れが出るのも彼を苛立たせた。

 遠くから人々の悲鳴と破壊音が聞こえる。イルトとルーラの戦いが続いているのだ。

(こっちに注意が来ないのは助かるけれど、それも時間の問題だな)

 残り少ないナイフを構え直す。

 じりじりとベルダネウスとレーレンは間合いを保ったまま円を描くように移動する。

 隣の建物は2人がいるのより1階分高い。ベルダネウスが壁を背にした時、レーレンのからナイフが飛んだ。しかしその狙いは甘い。

 鞭で弾くまでもないとベルダネウスが身をそらしたが、甲高い音と共にナイフが背後から飛んで彼の背に当たるマントに突き刺さった。

 得たりとばかりに緩んだレーレンの口元がそのまま凍り付いた。

 マントに刺さったと思ったナイフが、少し払われただけで簡単に抜け落ちたのだ。もちろん、その刃はベルダネウスの背中には届いていない。

(ただのマントじゃないな。厄介なものを着ているよ)

 気を張ったのはベルダネウスも同じだった。ナイフの飛んだのがマントの部分でなかったら、間違いなく傷ついていた。

 レーレンの手からナイフが2本同時に放たれる。それぞれが床に当たって跳ね返り、ベルダネウスの顔と足に飛ぶ。

 それぞれを鞭とマントで払いのけたところに3本目のナイフが! とっさに避けたものの彼の頬をかすめる。痛みに頬を押さえた彼の手が真っ赤に染まる。

 転がったナイフを何本か拾い上げたレーレンがにやりと笑う。

「安心して良いよ、毒は塗ってない」

 それを示すように、彼は手にしたベルダネウスの血に染まったナイフをひと舐めした。

「少し安心しました。毒が塗ってあったら今ので私は終わりでしたから。けれどどうして?」

「毒なんか使っても面白くないからさ」

 彼は鼻で笑い

「ナイフを自在に操って、相手を翻弄して止めを刺す。それが楽しいんじゃないか。毒を使うなんて……僕はそこまで落ちぶれたくはない」

「それがあなたの一線ですか」

 その言葉にレーレンは当たり前のことを言うなとばかりに鼻で笑い、再びナイフを投げた。次々投げた。明らかにベルダネウスとは違う方角に投げ、壁や床に当たり、跳ね返っては彼を襲う。直接狙うのもある。

 前から横から後ろから飛んでくるナイフにベルダネウスの顔から余裕が消えた。飛び道具の相手と戦ったことは何度もあるが、ここまで執拗に跳ね返りを利用した攻撃はなかった。

 レーレンも手持ちのナイフを投げ、跳ね返ってきたナイフを受けては投げ、拾っては投げる。

 ベルダネウスの左腕をナイフがかすめ、鞭が落ちた。右手だけで鞭を操りながら彼は走った。背後が壁のない端まで行けば、逃げ道はなくなるがナイフの反射攻撃も出来なくなる。

 その意図を察したレーレンの投げナイフが激しさを増した。その1本がベルダネウスの右足をかすめた。

「ぐっ」

 足がもつれた彼がそのまま屋根の端から落ちた。

「やったか」

 肩で息をしながらレーレンが屋根の箸まで行くと、ベルダネウスの姿を確認すべく下を見た。

 途端、斜め下から伸びてきた鞭が彼の首に巻き付く。

「!」

 屋上の1階下、わずかな窓枠に手足を突っ張らせてベルダネウスがへばりついていた。落ちたと見せかけ、レーレンが顔を突き出すのを待っていたのだ。

 2人の目が合った。ベルダネウスはにやりと笑い、そのまま窓枠から飛び降りた。鞭でつながったレーレンを道連れにして。

 レーレンが地面に激突するのに対し、ベルダネウスは最初から落ちるつもりだけあって受け身を取る。

 そのまま立ち上がろうとするが片膝をついた。その左肩にはナイフが突き刺さっている。落ちながらレーレンがとっさに投げたものだ。それだけに深くは刺さっていないものの、痛みに思わず右手の鞭を放した。

「やってくれたね!」

 首に鞭を巻き付けたままのレーレンが憤怒の形相で上体を起こした。鞭で擦られた首の傷から流れる血が服の襟を赤く染めていく。

 落下の衝撃で足を折ったのか、不自然な姿勢で片膝をつくと次のナイフを取り出す。それを投げようとした彼の方に拳大の石が当たった。

「おじさん、逃げて!」

 ファリーだ。彼が叫びながら次の石を投げる。

 地面を転がってそれをレーレンが避ける。その隙にベルダネウスは左手で鞭を拾い上げると、思いっきり引いた!

 レーレンの首に巻き付いた鞭が、外れる際に彼の首の皮を更に擦り削る。

「ぐうっ!」

 激痛にたまらず声を上げた彼に、ベルダネウスの鞭が襲いかかる。

 徹底的に腕を打ち据える。地面をうごめき、服が破れ露わになった彼の両腕を鞭で連打する。皮が破れ、肉が裂け、周囲に鮮血が飛び散った。もうこれでナイフは使えないというほどに打ち据える。さらに逃げられないよう、足も打ち付ける。

 大きく肩で息をするベルダネウスの前で、レーレンは抵抗する気も失ったのか首と両手両足を血に染めたまま地面にぐったりしていた。

「おじさん。大丈夫かい?」

 血まみれのレーレンを気持ち悪がるように、大きく避けてファリーがやってきた。

「どうしてここに来た? 衛士はどうした」

「衛士隊に言ったけど、人を集めるとかどうとか言ってなかなか出ないんだよ。そのうち、空で魔導師が戦っているとかでそっちに行っちゃうし。だから、ここの場所だけ言って先に来たんだ。そしたらおじさんがこいつと一緒に落ちてきたから」

 石はここに来る途中、武器がわりに拾ってきたという。

「よし、衛視が来るまでこいつを見張っていろ」

「ええっ。でも」

 倒れているレーレンを気味悪そうに見た。

「変な動きをしたら遠慮無く蹴飛ばすなり石をぶつけるなりしろ。こいつを逃がしたら危険だ」

 肩で息をしながらベルダネウスがマアマア亭に歩いて行く。

「どこに行くんだよ。怪我をしているんだろ」

「いいから見張っていろ!」

 彼には珍しく有無を言わさぬ怒声だった。ファリーも、周囲で恐る恐る2人を見ていた野次馬も思わずびくついた。

「わかったよ……」

「良い子だ。後で私の助け賃を払ってやるからな」

「……たっぷり頼むよ」

 その言葉に笑みを浮かべると、ベルダネウスは右足と左肩の痛みにかまわず足を速めた。


 マアマア亭の2階。ファブリックはナノに猿轡を噛ませ、目隠しをする。

「悪いなお嬢ちゃん。さすがにこの年で監獄暮らしはしたくねえ。わしらはこの町をでていくよ。だから逃げるのに時間を稼がなきゃならん。衛士達が来るまでここでおとなしくしてくれ。なあに、せいぜい1時間かそこらだろう。

 出来れば侘び金を渡したいところだが、そんなことをしたらお嬢ちゃんの立場が悪くなる。勘弁してくれよ」

 彼女を縛っている縄が緩んでいないことを確かめると、彼はソルスを促し廊下に出た。

 遠くから微かに爆炎魔導の音が聞こえている。

「外の連中は……? 衛士じゃないのか」

 青ざめ、肩で息をしながらソルスが聞いた。彼はまだ状況が把握できずにいた。

「わしの知り合いだ。まったく、余計な出しゃばり商人だ」

 静かに息子を見る彼の目は哀しく怒っていた。

「ソルス、儂は盗賊として一線を手下達にも守らせている。だからこそ、儂はとことん守らにゃならん。でないと手下達に示しがつかねえ」

 文鎮を懐に入れると、代わりに短剣を取り出した。

「お前は一線を越えたばかりか、仲間にも迷惑をかけた。このままにするわけにはいかねえ。あいつらに殺されたロットとブブカのためにもな」

 短剣の鞘を抜き、静かにソルスに近づいていく。

「ま、待てよ。親父。まさか、嘘だろ。俺はあんたの息子だぜ」

「息子だからこそ、このままには出来ねえんだ」

 ファブリックがゆっくり近づいてくる。震えた足で後ずさりながらソルスは考える。

 逃げるべきか、反撃するべきか。

 逃げても行く場所がない。イルトもレーレンも、自分が塩土団の頭の息子だから顔を立ててくれていたぐらいのことは彼にも解っている。それが使えなくなったとしたら、あっさり自分を見捨てるだろう。見捨てるだけならまだしも、足手まといと思われたら……。

 父に反撃したとしても、勝てるとは思えない。若いころのキレはなくなっているとは言え、頭になる前は幾多もの修羅場を切り抜けてきたのだ。さきほどレーレンの一撃を弾いたのも伊達ではない。

 一瞬考え、彼は逃げ出した。とにかく目の前の危機から逃げることを考えた。

 その脇腹にファブリックの投げた短剣が突き刺さる。廊下を転げ、苦悶のうめきを上げるとその弾みに刺さった短剣の柄が床に当たり、傷口から血が噴き出した。

「諦めろ。儂だってつらいんだ」

「だったら、見逃してくれよ」

 痛みと恐怖で泣きわめきながら彼が頼んでも、ファブリックは哀しげに首を横に振るだけだった。

「やめられねえほどの大事をやる時は、いつだってつらいもんだ」

 懐から文鎮を取り出し、ゆっくり近づいてくる。

「わしも自分の子供が苦しむのは見たくねえ。苦しまねえよう、一撃で死なせてやる。目を閉じろ」

 嫌だと思っても、ソルスはその通りにした。

 ファブリックがゆっくりと文鎮を振りかざした時、その手を後ろから伸びた鞭が打った。

 たまらず文鎮を取り落とした彼を背後から何者かが羽交い締めにする。

「やめてください。それだけはしちゃいけません」

「ベルダネウスか」

 横を向く彼の視界に、見覚えのある自由商人の顔が入った。

「放せ。こいつだけは、儂自身がけじめをつけなきゃならねえんだ」

「そうはいきません。あなたと約束しましたからね」

「約束?」

「彼をフレックまで無事に届けるという約束です。前金も受け取っちゃいましたしね」

 真顔で言われて、ファブリックは唖然とした。

「お前はバカか」

「たまに言われます。それに衛士隊がこちらに向かっています。あなたがすべきなのはここから逃げることです。今、下でグワさんがいらぬ記録を燃やしています」

「こいつの始末をしたならな」

 もがく彼を、ベルダネウスはさらに締め上げようとするが、その顔が苦悶に歪み力が抜けた。

 その隙にファブリックが彼の腕をつかみ投げ飛ばした。老体のどこにこんな力があるのかと思うほど強烈な投げに、ベルダネウスが床を転がる。その左肩に赤い染みが広がっていく。

「怪我しているのか。だったら尚更おとなしくしていな」

「そうはいきません。ファブリックさん、盗賊の一線を守るために人の一線を越えちゃ行けません」

「自分が自分でいるために、絶対に超えるわけにはいかねえ一線って言うのがあるのさ。お前さんだって、生き物と麻薬は扱わないっていう一線がある。あれはお前がお前自身でいるためじゃねえのか」

「じゃあ言い方を変えましょう。彼に許されるチャンスを与えてください。過ちが一度も許されない世界なんて、息苦しいだけです」

「許せる過ちと許せねえ過ちがある」

「それを決めるのは、過ちから学ぶ気持ちが彼にあるかどうかでしょう」

 ちらとソルスを見た。彼は腰が抜けているのか、逃げるのも忘れて2人の言い合いをへたり込んで見ている。

「お前も諦めが悪いな」

「私は諦めの悪いのが好きなんです。自分も他人もね」

「そんなにこいつを守りたいのか?」

 ベルダネウスはソルスをちらと見、苦笑いした。

「とんでもない。私は1、2度会っただけの人を、危険を冒してまで守るほど聖人じゃありませんよ。私が守りたいのは、あなたです。何年もの付き合いで、息子を預けるほど私を信用してくれている人ですよ」

 言いながら見据えてくる彼の視線に、ファブリックが固く唇を結ぶ。

 無言のまま2人は互いを見据え続けた。


 ドアが開き、人が入ってくる気配にナノは緊張する。目隠しと猿轡をされているので誰なのかも解らないし声も上げられない。

 ファブリックが出て行ってから廊下で何かあったらしく、激しい物音や声が聞こえてきたが、目隠しが耳も覆っているため、具体的なことはよくわからなかった。

 入ってきたらしい気配は、ゆっくりと近づいてくる。衛士だったら、自分を助けるため足早に来るはず。

(誰?!)

 声を上げようとするが、猿轡のためくぐもった声にしかならない。

 その人が自分の目の前に立つのが解る。その手が自分の顔に触れて、彼女が身を固くした。もしかして、首を絞められるのではないかと恐怖する。

 だが、その手は彼女の猿轡を外し、目隠しを取った。

「大丈夫ですか?」

 ベルダネウスの顔があった。

「もう大丈夫です。直、衛士隊が来るはずです」

 それだけ言うと、へたり込んだ。見るとあちこち傷つき、服は血で汚れている。

「出来れば縄もほどきたいところですが、勘弁してください……」

「どうしてここに?」

 コロラッドに聞いたことを話すと

「彼、無事なんですか!」

 彼女の顔に安堵が広がった。

「無事とは言いにくいですけど、命は助かりそうです」

「よかった……」

 安心と同時に、涙がこぼれ落ちた。

 彼女の涙が止まり、ようやく落ち着いて他のことを聞く余裕が出来たころ、下が騒がしくなった。

 衛士隊がやっと到着したのだ。


「ファリーを衛士隊事務所に送り出した後、やはり気になってマアマア亭を行きました。あそこは私も何度か利用しましたからね。それに、ナノさんが捕まっていたんだとしたら、どこにいるのかも探ってみたかった。

 衛士隊が来るまで見張っているのがいいとは解っていましたが、彼女は年頃の女性です。辱めを受けてはいないかと心配だったんです。今朝方、1度話しただけでしたが、感じのいいお嬢さんでしたしね。

 中に入ったら誰もお客がいなくて、気になって2階をのぞこうとしたら、店の従業員に見つかったんです。それでとっさに衛士隊を名乗ったんです。相手がナノさんを置いて逃げてくれることを期待して。

 それで逃げた人もいるでしょうが、脱獄囚の2人は襲いかかってきたので迎え撃ったんです。何とか退けた後は、ナノさんの無事を確かめることしか考えていませんでした。私たちが余計なことをしたために彼女にもしもの事があったら、ファリーに合わせる顔がありませんでしたからね。

 店に戻ると、誰もいませんでした。どこかに隠れていたのかも知れませんが、それを調べる余裕なんてありませんでした。ナノさんを見つけたのですっかり安心して力が抜けて……」

 そう説明したベルダネウスに対し、衛士隊の向ける目は厳しかった。

 なにしろ、マアマア亭は隅々まで衛士隊によって調べられたが、ファブリックとグワ、ソルスの姿はなかった。店の金庫は空っぽで、あっただろう現金は全て持ち去られていた。

 事務所の暖炉には大量の紙を燃やした跡があった。ファブリックたちが証拠隠滅を図ったのは間違いなかった。

 つまり、脱獄犯の2人を捕まえ、ナノを助けたことをのぞいて何ら成果も上げられなかったのである。

「余計なことをしたおかげで塩土団を逃す羽目になった。ただ外から見張っているだけで良かったんだ」

 というのだ。とはいえ、

「彼らがいたからコロラッドも救われた。イルトとレーレンだって、2人が相手をしなければ衛士隊に犠牲が出ただろう。確かに塩土団のメンバーは捕まえられなかったが、頭の名前や顔が解っただけでも成果だ」

 という意見もあり、結局2人はきついお叱りを受けるだけとなった。ベルダネウスの傷の治療代も衛士隊が持ってくれた。

 この結末で1番むくれたのがファリーだった。

 脱獄犯2人の殺人を目撃した後、すぐに衛士隊に駆け込めばよかったと逆に叱られ、目当ての謝礼がもらえなかったのだ。


「情けねえ話ですねぇ」

 夜の山道を、ファブリックとグワが早足で進んでいた。2人とも厚手のコートを着込み、龕灯ランプを手にリュックサックを背負っている。

「弱音を吐くんじゃねえ。仲間が散り散りになっている時だったのが幸いだ。おちついたらみんなを呼んで仕切り直しだ」

「上手くいけばいいんですが」

「いかせるさ。だが、その前にゲドの奴に一泡吹かせにゃ気が済まねえ」

 1人ずんずん歩く彼の背を、不安げなグワが続く。夜のうちに仲間のいる別の町の隠れ家にたどり着きたかった。

「ところでだ」

 歩きながらファブリックが言いだした。

「儂がずっと気になっていることがあるんだが」

「何でしょう?」

「あの2人。どうしてロットとブブカのことを知ったんだ?」

「え?」

 2人の足が止まる。

「あいつらが今日の朝には戻ると儂が知ったのは昨日、お前さんに言われてだ」

「もしかして、私らが話すのを聞いていたのかも知れません」

「かもしれん。けれど、それでも奴らにゃ2人がどうやって戻るのかはわからねえはずだ。歩きか乗合馬車か、近くまで船で来るのかもしれねえ。どの道から来るのか。

 たまたまヤマをはったら当たったってことかもしれねえ。それでも2人がどんな格好で来るのかまではわからなかったはずだ。いや、そもそもあいつらは2人の顔を知っているのか? 儂らの話を聞いていただけじゃそこまでは解らねえはずだ。

 しかし、あいつらは現に戻ってきた2人を仕留めた」

「たまたま以前見たことがあったのかも知れません」

「かもしれん。でも、儂はそれよりも予め2人のことを教えられた。だから待ち伏せが出来たってことの方を取るな」

 じっと見据えられ、グワは一歩下がると生唾を飲み込んだ。

「グワ……なぜだ?」

 問われて彼は静かに肩を落とした。

「疲れてしまいました。一線を守るのに……。

 頭の言う盗賊の一線。そいつ自体は良いものだと思います。しかし、それを守るために私らは仕事をするのに手間暇をかけ、その分稼ぎは減ります。

 今度の一件では、頭は自分の息子まで突き放すことになってしまいました。

 頭、私らはそこまでしてまで立派な盗賊でいなければならないんでしょうか?」

 ファブリックは静かに懐に手を入れ、短剣を取り出した。

「そうだな。儂のプライドに付き合わせて悪かった。だが、それとロット達を売ったこととは別問題だ」

 グワは黙って、龕灯ランプと短剣を手に近づいてくるファブリックを見ていた。全てを受け入れる気でいるかのように、何もしなかった。


(つづく)


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