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【3・ファリーは見た】

   【3・ファリーは見た】


 夜、サルードへの道を急ぐ男が2人いた。歩き慣れた道なのか、月明かりはあるものの、決して明るいとは言えない道を、ランプ片手に早足で歩いている。

「夜明けには着きそうだな」

「坊っちゃんにも困った者だ。あの2人のことを知らずに連れてきたのか?」

「だろうな。知った上だとすると、あまりにも間抜けすぎる」

 この2人。塩土団のメンバーである。名をロットとブブカと言う。ソロスが捕まった後、ファブリックに言われてサルードを離れていたのだが、今回の脱走のことを知って帰路についたのだ。

 それも、彼と一緒に脱走したというイルトとレーレンのことを知っていたからだ。2人が捕まる前に所属していたゲド盗賊団は、とにかく仲間内からの評判が悪かった。

 狙った相手は皆殺し、男は殺し、女は犯した上に奴隷として売り飛ばす。お偉方に金をばらまき味方につける。あまりにも手口がひどいので、ついて行けずに飛び出す盗賊も多く、部下を守るという意識も乏しいため、捕まったらすぐに口を割る者も多い。そのため、それほど大きな規模になっていないのが救いだった。

 あの2人も捕まってすぐに口を割ったが、慣れているのか、証言を元に衛士が向かったアジトは空っぽだった。だが、多くの盗賊団にはある決まりがある。

「捕まった時はこうしゃべれ」

 偽情報である。2人はそれに沿った証言をしただけで裏切ったわけではない。だとすると、2人の後ろにはまだゲド盗賊団があると考えて良い。2人が心配しているのは、塩土団が奴らに乗っ取られるのではないかということだ。

 ファブリックを殺してソロスに跡を継がせる。今の彼にゲドと渡り合う力量は無い。飾り物の頭にして実質上塩土団を乗っ取り、後に彼を始末して完全に塩土団を配下に置く。

 急いでファブリックにそのことを告げ、イルトとレーレンを始末しなければならない。自然と2人の足は速くなる。

 東の空が明るくなり始めた時、2人は竹林を抜けようとしていた。竹の間からサルードの町が小さく見える。

 その時だ。2人の背後から大きな影が飛んできて、ロットに抱きつくと、そのまま空高く上っていく。その影の手には輝く魔玉のついた杖が握られていた。

「魔導師!?」

 魔玉は魔導師が魔導を使うための道具で、発動時には淡い光を放つ。それで彼は、ロットが魔導師が飛行魔導で連れ去られたことを知った。

 彼がその行方を追うように空を見たその喉元に、飛んできたナイフが突き刺さった。

 声にならない叫びとともにブブカが倒れた。

 一方、ロットを連れ去った影は、充分な高さまで上がると、そのまま手を放す。

 空を飛ぶ術を持たないロットは、そのまま地面に激突、即死した。

 影の正体はイルト、ブブカの命を奪ったのはレーレンの投げナイフだった。

「あっけなさすぎる」

 ブブカのそばに立つレーレンの前に下りたイルトがつぶやいた。その口調はあまりにも上手くいった物足りなさと己の自信によるものだった。

「うまくいく仕事はみんなそうさ。それが解らないとつまらないしくじりをするよ」

「言われなくてもわかっている。死体を埋めて戻るぞ」

「面倒くさい。この前みたく奥に転がすだけでいいよ」

「そんなだからあっさりと見つかるんだ」

「あれは大雨のせいだ。イルトは神経質すぎる」

 ぼやきながらレーレンは近くの竹を切り、それを道具に地面に穴を掘り始めた。

「それにしても危なかったな。あいつが教えてくれなかったら危なかった」

 浅いながらも穴を掘り、死体を埋めて戻る様子を竹林の奥から見ている者がいるのに、2人は気がつかなかった。

「これでいいだろう。戻って飯にするぞ」

「あそこは飯屋にしてはうまくない。ファブリックも少しは良い料理人を入れれば良いのに」

「文句を言うな。まずいよりはマシだ」

 2人の姿が見えなくなっても、茂みの中の人物は姿を見せなかった。

(あいつら、脱獄犯だよな)

 ファリーが茂みから立ち上がったのは、それからさらに10分ほど経ってからだった。彼の腕には、掘り出されたばかりの筍がある。早朝、まだ暗いうちに来て筍を掘っていたところ、先ほどの襲撃場面に出くわしたのだ。

 今まで立ち上がらなかったのは、単純に足が震えて立てなかったからだ。今も思うように動かない。

 衛士隊に知らせようと歩き始めると、少しずつ足取りもしっかりし始め、頭も動き始める。

(ただ見たっていうよりも、あいつらの隠れ家を見つけて教えた方が、衛士隊からたんまり謝礼がもらえる)

 歩くうちに、謝礼の額が頭の中で膨れあがっていく。

(1,000ディルなんてことはないだろう。最低でも10,000ディル……)

 彼には当てがあった。あの2人が口にしていた「ファブリック」そして「うまくない飯屋」。

 この2つのキーワードが、彼の頭の中で激しく動き始めた。

(これがもとで衛士隊に誘われたりして。アクティブ最年少衛士! なんて有名人だな)

 通りすがりの野良猫が、筍を抱えてニタニタ笑いながら歩く彼を見て、気色悪そうに駆けだしていった。


「スリムになったわね」

 昨日、ファリーたちによって手入れされたグラッシェは、抜ける毛を全て抜かれたせいか二回りほど小さくなった。もともと毛が多かっただけに、他の馬の冬毛並になっただけだが、以前のような毛の塊ではなく、ちゃんと馬に見える。

「今日から仕入れる荷物は重いからな。力をつけておけ」

 ベルダネウスが手桶一杯の野菜クズを追加すると、グラッシェが餌台に首を突っ込むようにして食べ始める。

「ところでザン、昨日のこと、本当に受けるの?」

「ああ。出来るだけ早くスターカインに入れば問題ないだろう。それに、あの人にはいろいろ世話になっている。嫌か?」

「嫌って言うより、いざというとき逃げづらいなと思って。今まで違ってちょっと手に持ってってわけにはいかないでしょう」

「この程度のやばさでひっかかるなら、私から離れた方が良い」

 これにルーラもムッとして

「あたしは安全な仕事より、やりたい仕事をするの」

 と言い切った。そして彼女のやりたい仕事とは、彼を助け、守ることなのだ。できれば

(もう少し覚悟しやすくして欲しいけど)

 と思うが口にはしない。彼女にしてみれば、彼に雇われて1年以上経つのに、未だに自分に手を出してこないのが不満だった。世の中には女性の護衛に対し、戦う力よりも夜のベッドで相手をしてくれることを期待して雇う人は多い。女性の護衛はそれに反発するものがほとんどだが、彼女に限っては逆だった。

 ベルダネウスに雇われる時、彼女は護衛と言うよりもそのまま彼の愛人、妻となる流れを望んでいたからだ。夜、彼が自分の体を求めてきたら、そのまま身を任せるつもりだった。

 だが、彼はあくまでも彼女を護衛兼使用人として接した。1度だけ唇を合わせてくれたことはあったが、その時彼は大怪我をしていたためそれ以上にはならなかったし、それ以降、そんなことなど無かったかのように振る舞う。

 そんなベルダネウスを「ずるい」とも思ったが、あえて口にはしなかった。いつのまにかそういう関係に慣れてしまった。

 そこへ

「ベルダネウス様ですね」

 バスケットを手にした少女が歩いてきた。歳はルーラより少し下らしい。体型も小柄で、後ろから見たら子供と間違えそうだ。長い青毛を馬の尻尾のように後ろで簡単に縛っている。ちょっと吊目気味なところはいかにも気が強そうだ。

「そうですが、様はいりません。どうしても敬称をつけたいというのでしたら、さん付けでお願いします」

「昨日はありがとうございました」

 頭を下げられ、2人とも戸惑ったが

「もしかして、ファリーのお姉さんですか?」

 合点したようにベルダネウスが聞いた。

「はい。ナノと言います」

「やっぱり、バスケットからキッシュの香りがしたのでもしかしたらと思いました。大変美味しいキッシュですね。あれで20ディルは安い」

「ありがとうございます。こちらこそ、弟が図々しい真似をしまして申し訳ありません。どうか気分を害されませんように」

「とんでもない。もともとここで馬の手入れをするつもりでしたから。むしろ彼の申し出はありがたかったぐらいで。

 それに、あれぐらいの子供は小生意気なぐらいでちょうど良い」

 笑う彼にナノはホッとしたようだが、すぐに困った顔になり

「その弟ですが、今朝、こちらに顔を出さなかったでしょうか?」

 はてと顔を見合わせるルーラたちだが、2人とも覚えがなかった。

「彼がどうかしましたか?」

「今朝、筍掘りから帰ると、良いネタを見つけたからって言って飛び出していったんです」

「良いネタと言いますと、お金儲け?」

 ナノは照れくさそうに笑い

「だと思いますけど……あの脱獄犯に出くわしたりしたら」

「そうでした。あの時は大変だったでしょう」

「はい。私、自分は気の強い方だと思っていたんですけど……」

「盗賊に襲われて平気でいられる人などほとんどいませんよ。私だって、襲われるのが怖いから人も雇うし、本当に危ないとなったら荷物を放り出して逃げます。泣いて命乞いをしますよ」

 聞きながらルーラは笑いを堪えた。彼が泣いて命乞いする姿など想像できない。それどころかその盗賊相手に商売をはじめかねない。

「それに、出くわしてもおとなしくすれば命までは取らないでしょう。あなたの時のように」

 途端、ナノは哀しげに目をそらし

「あの盗賊があの時のままなら良いんですけど」

「そんな悪人には見えなかったんですか?」

「はい。なんて言うか、盗賊になりきれていないというか。覆面を取った時も、後から考えればあたしの恐怖を和らげようとしたように思えるんです。衛士に言ったら笑われるでしょうけど」

「盗賊にもいろいろいますよ。物も命も盗むのもいれば、自分のプライドのために命だけは取らないという盗賊もいる。どんな盗賊になるか定まらないまま盗みに加わる盗賊もいる」

「まるであの盗賊を知っているみたい」

 微笑まれたベルダネウスは照れを隠すように肩をすくめ

「盗賊なら何人か知っていますからね。主に私を襲ってくるという形でですが。どんな盗賊かで逃げ方を変えなければなりませんから、必死で考え、相手を観察しますよ。

 そうそう、筍掘りと言いましたが、この辺で勝手に掘っていい竹林があるんですか?」

「はい。町をでて少し歩くところに」

 彼女の説明をにこやかに聞いていたベルダネウスだが、ナノが仕事の邪魔をしたと軽く頭を下げて去った途端、真顔になり

「ルーラ、ファリーが行ったという竹林を見てこい。あいつは何かを見るか聞くか見つけるかしたんだ」

「何かって?」

「わからん。だが、あいつがそのネタを家族にも話さなかったというのが気になる。単に後で驚かすつもりだというのなら良いんだが」

「考えすぎじゃない?」

「だったら良いんだが。あの年頃というのはやたら臆病か、怖いもの知らずかどちらかだからな」

 自分も心当たりがあるかのように頷き

「ファブリックさんからの頼みもあるし、用心に越したことはない。頼む。今日の仕入は私1人でやる」

「了解」

 ルーラは微笑み、立てかけておいた精霊の槍に手を伸ばした。


 町を出たルーラはナノから聞いた竹林へと向かう。町の東南へと延びている道。馬車が通るには狭いが、人が普通に歩く分には問題ない。

「あれね」

 竹林はすぐに見つかった。少し小高くなっている場所を抜けると、道を挟むように竹が伸びている。生い茂った葉が頭上を隠し、天気は悪くないのにうす暗い。むき出しの土が一昨日の雨の残りで黒く光っている。

 道自体は真っ直ぐで見晴らしが良い。

「尾行には不向きね」

 彼女が真っ先に考えたのは、脱獄犯の誰かを見つけたのではということだ。彼らは捕まえなくても、隠れている場所などを通報すれば報奨金がもらえる。だから隠れ家を突き止めるべく後をつけたのかもしれない。

 だが、これだけ見晴らしが良い上に、朝早く子供が1人で歩いていたら目立つ。脱獄犯も周囲の目は気にするはずだから、こっそり後をつけて成功したとは思えない。竹林は身を隠すには良いかもしれないが、歩きやすくはないし、音もする。

「さてと、何かないかな?」

 ルーラが周囲を見回す。ほとんど当てずっぽうに近い調査だが、もともとこの手の調査は「99%無駄足」と言われている。それを恐れていては調査は出来ないと衛士時代に散々教えられた。大事なのは、残りの1%を見逃さないことだ。

 すでに今朝顔を出した竹は彼女の腰程まで伸び、筍とは言えなくなっている。

「筍を探しにってことは、足下を見ていたわけよね」

 今朝のファリーの動きをなぞるように、視線を下に向けたまま竹林を進む。

「何かを見た、聞いたとして、その何かは竹林の中にあったのか、それとも」

 町と繋がる道を見る。

 そちらに進もうとして彼女は足が沈むような感じがした。見ると、そこだけ土が軟らかい。いや、何かほじくった跡なのだ。

 試しに精霊の槍をそこへ突き刺し、力を込めると思いのほか簡単に沈む。さらに力を込めると、何かに突き当たった。

 眉をひそめた。人を刺した時の感触に似ている。

 辺りを見回し、人がいないのを確かめてから、精霊の槍に気持ちを向ける。穂先の精霊石を通して、大地の精霊にお願いする。

 それを受けた大地の精霊が、彼女のいる場所の土を下から持ち上げた。隆起した土が周囲に崩れ、下にあった物をさらけ出す。

 男の死体が2つ。ロットとブブカである。もちろん、彼女はそんな名前など知らない。しかし、2人が殺されてそんなに時間が経っていないことは解る。

 ブブカの喉はぱっくりと切り裂かれていた。昨日見つけた衛士と同じ傷。レーレンの仕業とみて良いだろう。ロットの方はよくわからなかった。何かで殴り殺されたようだが

「イルトって魔導師よね。そんなに力持ちとは思えないけど」

 棒や剣で殴ったような跡はない。

「なんて言うか……板で殴った感じ。そんな凶器あるかな?」

 2人の懐を探ると、旅券を見つけた。旅をする時に住んでいる町から発行してもらう身分証明書だ。2人とも偽名ではなく、本名で発行されていた。さらに財布を見つける。中には2人あわせて3万ディルほど入っていた。

「変ね。脱獄犯なら逃げるためにもお金は取っていきそうだけど。

 最初からこの2人を殺すつもりだった。何のため? この2人は衛士じゃないわよね。

 ファリーが見たのはこの2人が殺されるところ?

 だとしたら……」

 自分で言って真っ青になった。

「まさか、犯人を恐喝するつもりじゃ。逆に殺されるわよ」

 身分証明書をじっと見る。

 時間切れとばかりに、大地の精霊が地面を戻し、2人の死体も地中に消えた。ルーラが手にする旅券をのぞいて。


「マアマア亭……マアマア亭……あった。ここか」

 ファリーは繁華街の隅にある食堂を見上げて満足げに頷いた。「ファブリック」「うまくない飯屋」このふたつのキーワードを元にサークラー教会で食堂リストを調べた彼は、割と簡単にここまでたどり着いた。

 とはいえ、ここからどうするかとなると……。

「何とかして脱獄犯がここにかくまわれている証拠をつかまないと」

 自分に疑いを向けられた時、大人達はいつも決まって「証拠があるのか」と声を荒らげる※。ファリーに言わせれば、そんな態度自体、疑いが事実だという証拠なのだが、周囲はそう見ない。

 窓からのぞいて見ても、7割ほど席を埋めている客に脱獄犯の顔はない。中に入ろうにも金がない。

 誰かを探しているふりをして、ぐるっと回ってみようかとも考えたが、脱獄犯が目立つ食堂内で堂々と食事しているとも思えない。いるとしたら、どこか人の来ない部屋だろうと上を見るが、窓から人影は見えない。

「脱獄犯が昼間、窓から顔を出すはずないよなぁ」

 中に入れないかと裏に回ってみる。食材などの搬入に使うのだろう。馬車が止められる広さの裏庭があったが、倉庫に通じる扉には鍵がかかっている。

 彼は近くの公園に行くと、空いていたベンチに腰掛け、鞄の中から弁当のパンを取りだした。

「いい手はないかな」

 考えながら、少し固くなった、ジャムを塗っただけのパンにかぶりつく。マアマア亭から離れている間に何が起こったかなど、彼には当然、知る由もない。


「ごめんなさい。忙しいのに」

「いえ、ナノさんも関係者と言えなくもないですから。もしかして、自分のことを話したあなたを襲いに来るかも知れない」

 顔を真っ赤にして苦しい言い訳をするコロラッドと一緒に、ナノは繁華街を歩いていた。目指しているのはマアマア亭。

 ベルダネウスと別れて仕事をしている時、ファリーが教会に登録してある飲食店名簿を「ファブリック、ファブリック……」と呟きながらめくっているのを見た同じ職場の人が知らせてくれたのだ。

 教会には、訪れる自由商人達のため、町の様々な店を業種ごとに分けた登録名簿を自由に見られるようにしてある。ある人は仕入れ先、販売先を見つけるため、ある人はいい食べ物屋、宿屋を見つけるためにそれをめくる。

 ファブリックという名前がある飲食店はマアマア亭だけだった。店主の名前がファブリックなのだ。

 この店とファリーに何のつながりがあるのか解らない。普段だったら危ないことしてなきゃ良いけれど程度の心配で終わるが、やはり今回は脱獄犯のことがあるので気になった。

 それで、今日が半日勤務なのを幸い、そのマアマア亭とやらをのぞいてみる気になったのだ。

 もっとも、脱獄犯がらみで言えば、ソルス逮捕のきっかけを作った彼女の方が危ない。彼女の姿を見かけたコロラッドが同行を望んだのも当然と言えないこともない。

「目撃者を襲うなら、まだ誰にも言っていない時でしょう。衛視に話して、当人が捕まった後に襲っても意味ないんじゃないですか」

「恨みを晴らすためとか」

 自分で言っても無理があると思うのか、コロラッドは気まずそうに目をそらす。その姿に彼女は微笑んだ。

(やっぱり。この人、あたしのことが好きみたい)

 昨年、盗賊団に襲われた後、自分に対応したのが彼だった。まだ衛士になって日の浅い彼に襲撃で怯えている女性の相手は酷だったかも知れないが、その不器用ながら一生懸命自分を慰め、癒そうとする姿勢に彼女は救われたものだ。

 ソロスが捕まった後も、度々彼女を気にかけてくれたし、休みの日に手作り菓子などを売っている時は常連になっていたものだ。それは明らかに衛士が被害者を気にかけるレベルを超えていた。

 彼女自身も好かれて悪い気はしない。ただ、まだ彼から正式に交際を申し込まれてもいないので知り合い以上友達未満という関係だ。

「ここだ。マアマア亭」

 まあまあの作りの店に2人が入ると

「いらっしゃい!」

 給仕姿のグワが年に似合わぬ元気な声で出迎えるが、1人が衛士の制服を着ているのを見ると途端にその笑顔が引きつる。

「お仕事ご苦労様です。お仕事でのご来店でしょうか? それとも単なるお食事で?」

「仕事です。この店に今日、10才ぐらいの少年が来ませんでしたか」

「あたしの弟なんです」

 ナノがファリーの特徴を説明するが、店員の方は考えるまでもないとばかりに

「今日は来ませんでしたよ。見ての通り、うちは大繁盛しているわけじゃないし、客と言えば懐が寂しいが飯は食いたいって言う連中ばかりだ。子供がいればすぐにわかります」

 その言葉通り、昼時というのに客の入りは8割程度。その誰もが懐が温かいとは縁遠い顔をして飯をかっ込んでいる。

「あの、ひとつお聞きしますけど、ここ主の名前はファブリックでよろしいんですよね」

 グワの目の光が一瞬変わったが、2人ともそれには気がつかなかった。

「ええ。その通りですが。それが何か?」

「いや、何でも無い。仕事の邪魔をして済まなかった」

 2人が出て行くと、グワは仕事を他の人に任せて3階に駆け上がった。

「頭、衛士が来ました」

 ファブリックは帳簿を前に、昼飯を食べていた。歳と悩み事のせいで胃が重いとかで、トウモロコシのお粥を食べている。

「そうか、いつものように、愚痴を聞いてやれ。口の軽い衛士だと良いが」

 先述したように、ここで食事をするのは懐の寂しい人が多い。そういう人間は、愚痴に混じって本来なら黙っていなければならない情報をつい口にしてしまうことがある。相手によっては買収して味方につけることもある。ここの値段を安くしているのには、そういう金に弱く、口の軽い奴を探すためでもある。

「いえ、今回はそうじゃないんで」

 帰り際、2人がファブリックの名前を確かめたことを聞くと、彼は怪訝な顔をして

「わしのことに気がついたなら、いちいち確かめることはなかろう。その少年がここに来たのか?」

「いえ、そんなガキは見ておりません」

「どうもわからん……用心はしておけ。こんな時だ」

「へい」

 この2人はこれで済んだが、済まないものもいた。


「間違いない、俺を売ったあの女だ」

 微かに開けた窓から、店の前でコロラッドと話しているナノの顔を見下ろし、ソルスがつぶやいた。

「なんであの女が衛士と一緒に来たんだ?」

「落ち着け。衛視を連れてきたのは、まだここに我々が隠れていることが知られていない証拠だと考えるべきだ」

 イルトがパンをちぎってスープに浸しては口に運ぶ。眉間に皺が寄っているのは、食事があまり美味くないせいではなさそうだ。

「下手に動くと墓穴を掘る。今はじっとしているべきだ」

「先手を取るのも大事だろう。とにかく、連中がどの程度、俺達のことを知っているのか聞き出した方が良い」

 そこへ扉が開き、レーレンが入ってきた。

「連中、わざわざファブリックの名前を出したってさ」

 ソルスが真っ青になり

「ここに目をつけられたんだ。へたをすると衛士隊が突入してくるぞ」

「いいね。いっぱい殺せる」

 テーブルの林檎を手にすると、レーレンは座って皮を剥き始めた。使っているナイフは彼がブブカの喉を切り裂いた物だ。

「目をつけたにしては、衛士があの娘を連れて堂々と入ってきたのが気になるな。まだ、この辺で聞き込みをするって程度なのだろう。へたに動くべきではない」

「じゃあ、なんでファブリックの名前を出したんだろうね。連中は君が思っているよりずっとたくさんの情報を持っているのかもよ」

「何でもいい!」

 一向に腰を上げようとしないイルトに苛立ち、ソルスが立ち上がる。

「ここでただ言い合っているだけじゃ駄目だ。あいつらを捕まえて知っていることを吐かせれば良い。動く動かないでどっちつかずが1番悪い」

 扉を開けて飛び出していった。

「あの坊や、珍しく良いこと言った」

 林檎をかじりながらレーレンが後に続く。イルトは息をつくと、椅子に座り直して食事の続きをはじめた。

(やはり、早いところケリをつけるべきだ。時間が経てば経つほど俺達に不利になる)

 そうなるとゲドはどう思うか。それを考えると良い気持ちはしなかった。ゲドに限らず、盗みに対して人殺しを厭わない盗賊は多い。その理由のほとんどは「面倒くさい」というものだ。みんな自分の望んだ結果がすぐに出ないことが気に入らないのだ。

 それだけに、ここで慎重になるあまり成果を出すのが遅れたら。

(連中が戻ったらすぐにファブリックを始末すべきか。上手くいけば良し。失敗したらさっさと逃げた方が良いな)

 ゲドにはいろいろ仕事を回してもらったし、今回の脱獄のため、魔玉の杖を用意してもらうなど世話にはなったが、命を差し出すほどとは思ってはいなかった。


 サルードの岩塩市場裏。岩塩を買い付けに来た商人達の馬車が立ち並び、購入した岩塩の積み込みをしている。その中にはベルダネウスの馬車もあった。

「死体だって?」

 仕入れた岩塩の箱を積み終え、昼食の支度をしていたベルダネウスがルーラに聞き直した。

 春と言ってもまだ汗ばむにはほど遠い陽気だが、重い岩塩の積み込み作業をしていた彼は汗ばみ、上半身はシャツ1枚になっている。

 彼のような個人の自由商人は、当然ながら馬車の乗附や荷物の積み下ろしも自分で行う。そのため、自由商人はみながっしりした体格を持っている。彼もシャツからはみ出た腕や肩はへたな戦士に負けないほどしまった筋肉がついている。あちこちに残る傷跡は、彼があまりきれいな生き方をしてこなかった証でもある。

 ルーラが竹林の見つけた死体のことを説明する間、彼は荷馬車の御者台にある簡易コンロに串で刺したチーズを据え付けた。

 彼の使う荷馬車、御者台の端には灰を詰めた凹みがある。普段は蓋をしているが、休息時などはその灰の中に炭を入れ、簡易コンロとして使っている。紫茶を入れるお湯を沸かしたり、周りの小さな穴に様々な食材を刺した串を差し込み、焼いたりする。たいした火力は無いが、軽く炙る程度ならば充分である。

「どう見ても殺されて1日と経ってないわ。2人が殺されたのをファリーが見たとしたら、時間的にも合っているわね」

 泥まみれの旅券を渡す。

 近くの露店で買ってきたパンとチーズを交互にかじり、紫茶で流し込みながら彼は彼女から詳しい話を聞く。

 泥まみれの旅券に書かれた名前を見て、ベルダネウスが眉をひそめた。

「ロットという名前は知っている。ファブリックさんのところの1人だ。たぶんもう1人もそうだろう」

「どういう事? 衛士ならともかく、どうしてファブリックさんのところの人が殺されなきゃならないの? ……2人を殺そうとして、返り討ちにあったとか」

「その可能性はあるが、だとしたらファリーの行動と繋がらない。逃亡者がかくまってくれた人達を信用できなくなったら、まずここから逃げ出すだろう」

「そっか。肝心の脱獄犯がいなくなったら、お金儲けにも何にもならないものね。それなのにお姉さんに黙っても動いているとしたら」

「少なくとも、奴らはまだここにいる。問題は、どうしてここにいるかだ」

 串に刺した角張ったチーズが力が抜けたように丸く垂れ下がる。ベルダネウスは溶け落ちる前にそれを取ると、手にした平たい丸パンの中央に布団のように敷いてルーラに手渡した。

 自分の分も同じようにしてチーズを敷いてかぶりつくのを見て、ルーラも続く。岩塩の町だからかは不明だが、ここの食べ物はみなほんのり塩気がする。とは言っても、1度にたくさん食べない限り気にするほどではないが。

 食べ終えた2人が紫茶で口の中の塩気を軽く流し終えた頃

「面倒なことになっているかもしれない」

 唐突にベルダネウスが話の続きをはじめた。

「今、既に十分面倒なことだと思うけど」

「いや、もしかしてこれは単なる脱獄ではないかもしれない」

「え?」

「私は最初、これは脱獄した3人がかくまってくれそうな人を求めてここに逃げ込んだと思った。そもそも2人がソルスを仲間にしたのも、彼のつてを利用したいからだったかもしれない」

 隅にほおっておいた手配書を手に取り、改めて3人の説明を読む。

「イルトの飛行魔導がどれほどかは知らないが、盗賊でなくても腕の良い飛行魔導の使い手を欲しがるところは多い。レーレンだって、目についた奴を片っ端から殺していたわけじゃないだろう。彼のナイフの腕に期待する奴も多いはずだ。

 2人とも、脱獄した後、頼れそうな知り合いがいるはずだ。それなのにそこには行かず、ここに来た」

「とりあえず身を隠す場所が必要だったんじゃない。逃げるにはお金だって」

 ルーラの口が止まった。

「そっか。逃げるなら、少なくともイルトは飛行魔導で遠くまで逃げられる。少なくとも、他の国まで行けば追っ手はかなり減る」

「レーレンも逃げ足はともかく、逃走資金については気にしないだろう。適当な奴を見つけては殺して金を奪えば良い。それに躊躇する奴ではなさそうだ。

 少なくとも私があの2人の立場ならば、手近な人を襲って金を奪い、別の国に行く。落ち着くのはそれからでも遅くはない」

「行こうとしたんじゃない。ここでファブリックさんから息子さんを助けた礼としてお金をもらって、逃げようとした。しかしファブリックさんはそれを許さず、2人に刺客を送ったけれど返り討ちに……あれ?」

 自分で言って彼女は首を傾げた。お金で済んで、2人が出て行くなら殺す必要は無い。

「そうなんだ。どうも私たちが知らないこと、知らない関係者がいるらしい。それでうまく事態がかみ合わない」

「でも、だからってファブリックさんやソルスさんたちに知っていることを全部あたし達に話せとは言えないでしょ」

「そうだな。話さなければならない理由もない」

 神ではないのだから、知らないことがあっても仕方がないが、どうにも気分が悪かった。

「とにかく一区切りついたらファブリックさんのところへ行こう。この2人が殺されたことを知らせないと行けない。それと」

 コンロから炭を取り出し、蓋をする。

「戦う用意をしておけ」

 頷いたルーラは、精霊の槍を持つ手に力を込めた。


(つづく)


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