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【1・脱獄囚】

   【1・脱獄囚】


 アクティブ国の北に位置する町サルード。その入り口では、順番待ちの馬車が長い列を作っている。

「ちっとも進まないね」

 馬車の屋根でルーラ・レミィ・エルティースは前方に続く馬車の列に諦めの言葉を漏らした。手にした石槍をつかって、上半身だけの柔軟体操をしている。退屈だった。先日の雨が嘘のように晴れ渡り、この季節にしては暖かく、防寒用のマントがいらないぐらいだ。

 護衛として雇われている自分が退屈なのは良いことだとはわかっているが、17才の健康女子としては、時々思いっきり体を動かしたくなる。先日、手に入れた新しい革鎧が何となくもったいないように感じる。

「昼前には入れると思っていたんだがな」

 御者台のザン・ベルダネウスも息をつく。荷車を引く馬・グラッシェも一向に進めない状態に苛立つのか身を震わせた。

 ベルダネウスも町に着くまでは羽織っていたマントを脱いで横に置いている。ちょっと着崩した小綺麗なスーツ姿。艶のない銀髪は微かに浮かぶ皺と合わせて40歳前後に見えるが、先日30歳になったばかりである。

 まっすぐ背筋を伸ばして御者台に座る姿勢、しっかりした体型と凜とした目つき。これで眼鏡をかけていたら誰もがどこかの学園教授と思うだろう。もちろん彼はそんな教授などではない。彼は一介の自由商人である。

 特定の店舗を持たず、商品を馬車に積み、村や小さな町を回っては自由に売り歩く商人達をこの世界では自由商人と呼ぶ。格好つけた名前だが、要は旅の行商人である。

 ベルダネウスもそんな自由商人の1人なのだ。

 ここの東にあるクリルト山は岩塩がよく取れる。岩塩は儲けは少ないが、需要があるので堅く儲けたい商人達には人気なのだ。彼の商品は生地が中心だが、

「荷台を空にするよりは良い」

 と、荷台と時間に余裕がある時は岩塩を仕入れることもある。今回、この町を訪れた理由のひとつだ。

「ダメダメ、衛士の手際が悪すぎる。一台の馬車にどれだけ時間をかけてんだか」

 袋に買った食べ物を入れた通りすがりの男が声をかけてくる。順番待ちの人達を目当てに屋台が並び、簡単につまめる食べ物などを売っているのだ。春先のせいか、茹でた芋や焼き筍も温かいスープの店が多い。それらの匂いが相まって、待っている人達の胃袋を刺激している。

「そんなに時間をかけるほど厳しくなったんですか? 以前はほとんど検問なんか無かったですよ」

「脱獄囚だよ、聞いてないのか?」

 それを耳にしてルーラが屋根から身を乗り出す。ベルダネウスに雇われる前は衛士として働いていたせいか、この手の単語には敏感に反応する。

「この街に逃げ込んだの? どんな奴?」

「こいつさ、やるよ」

 と男が手配書を3枚出した。

「まったく、逃げるんならもっと大きな町にしてくれればいいのによ」

 足下に気をつけながら彼は自分の馬車に戻っていった。昨日一日雨だったせいか、水たまりこそ無くなっているが、地面はぬかるんでいる。

「脱獄囚か」

 ベルダネウスが受け取った似顔絵を広げると、ルーラも屋根からのぞき込む。

「『ソルス・アルトロン』『ボギンズ・イルト』『ナルゲント・レーレン』か……」

 3人とも男でまだ若い。似顔絵の下に簡単な特徴と罪状が書かれている。

 イルトは飛行魔導に精通した魔導師で身長が200㎝近い。長髪を後ろで束ねているが、髪は逃げる際に切っている可能性があるのであまりあてにならない。それより、彼女にはこの世の全てに不満を抱いているような目が気になった。

 衛士時代に「人間、髪型や服装は変えられても、目つきを変えるのは難しい」と教えられた。そのせいか、彼女は人を覚えるのに目から覚える。

 レーレンは画だけ見れば女性と思われるかも知れないほど優しい顔立ちをしていた。しかし、その目は笑っていない。まるで人形のような目だった。

 下の注意書きには「ナイフ使い。その正確冷酷にて残忍。人を殺めるのに心動かさず、無理して生かして捕らえる必要なし」とある。ここまで書くのは珍しい。衛士隊は、彼を生かして捕まえるのは半ば諦めているのかも知れない。 

 そして

「ソルス・アルトロン……」

 細い目をした20才の若者の似顔絵を見ながら、ベルダネウスが眉をひそめる。そこに描かれた似顔絵は、彼の知っている男とは明らかに違う雰囲気を持っていた。相手の弱みを見つけようという獲物を狙う目、その中でもかなり下世話な目だった。

 もちろん、似顔絵である以上書く人の主観は入る。だが、手配書の似顔絵は変なイメージを抱かないよう、見た目そのままに描かれる。見た人が悪い印象を持つようわざと悪く描いたりすることはない。

「ザン、どうしたの?」

 食い入るように似顔絵を見る彼の様子にルーラが聞くが、彼は「あ、いや」と言葉を濁すだけだ。

 そうこうしているうちに、列が動き出した。衛士の応援が加わったらしく、1列が2列になり、審査自体も手際が少しずつ良くなっていく。

 ベルダネウスたちの番になった。身分証明書の提示、ここに来た目的などが聞かれ、馬車には人が隠れていないかどうか調べられる。自由商人の馬車は隠し棚のあるものが多く、中には人が隠れられそうな大きさのものもあるからだ。

 事実、ベルダネウスの馬車にも隠し棚がいくつかあるが、それをいちいち教えたりはしない。何しろ彼は生き物と麻薬以外ならば、禁制品だろうと盗品だろうとお構いなく扱う。あまり衛士に見られたくない。

 捜し物が人のせいか、生地や装飾品を入れた箱に衛士達はあまり興味を示さない。それが彼にはありがたかった。汚れた手で商品をベタベタ触られたら売り物にならなくなる。

「一応、馬も調べさせもらうぞ」

 衛視の1人がグラッシェに用心しながら近づく。グラッシェは普通の馬より一回りは大きいボルグル重種だ。この種はあまり早くは走れないが力が強い。通常なら2頭立てでもおかしくないこの荷車を1頭でぐいぐい引っ張っていく。

「気をつけてください」

 ベルダネウスが心配そうにグラッシェの毛に手を突っ込む衛士に声をかける。手だけでは埒があかないのか、上半身を突っ込んだ。ボルグル重種は毛が多く、冬などは馬と言うより巨大な毛の塊が歩いているように見える。そのため、この毛に隠す形で見られたら困る荷物を運ぶ例が多いのだ。小柄な人間ならば毛に埋もれるような形で隠れることも出来る。

「馬の扱いは心得ている。それとも、何かまずいものでも隠しているのか」

「そうじゃなくて」

 言い終わらないうちに、手に続いて頭を突っ込んだ衛士が悲鳴を上げて毛から出てきた。

「何だこりゃ!」

 衛士が服や頭にまとわりつけた毛を懸命に払う。

 ちょうど暦が冬から春に変わったばかりのこの時期、グラッシェは冬毛が抜けはじめる。うっかり毛に体を突っ込もうものなら、全身抜け毛まみれになってしまう。冬毛は夏毛に比べれば柔らかいが、それでも服に入り込んでチクチクするのは不快でしかない。

「今の季節は気をつけないと」

 人の不幸は楽しいもので、周囲から声を殺した笑みが聞こえる。

 その笑いに割り込むように、緊張した声が

「あれって人じゃないか?」

「まさか、でかいゴミだろ」

 後ろの馬車の御者台の2人が川を指さしている。

 川というのは、サルードと並行して流れているミル川の事だ。山の中にしては川幅は広いが、町を下ってすぐ落差の激しい濁流になるため、水路としては使われていない。

 その上流から何か流れてくる。周囲の人達も指さしては「人か?」「人形じゃないのか」と言い合っている。

 ルーラが目をこらした。彼女自慢の目は、その塊が紺を主体にオレンジ色のラインという、この町の衛士の制服を着ている人と捕らえた。動く気配がないので死んでいる可能性が高いが、人形の可能性も否定できない。

 その人は川の中州に引っかかって止まる。

 衛士が何人か走ってきては、遠眼鏡を使って確認する。

「確かに、あれは衛士の服だ」

「どうする?」

 すぐに小船を出すなどして確かめたいところだが、昨日の大雨で水かさが増している。今は少し水位が下がっているが、それでもかなりの濁流だ。

「ルーラ」

 ベルダネウスが衛士隊を軽く親指で差す。彼女は馬車の屋根から飛び降りると衛士に駆け寄る。

「すみません。みなさん足は速いですか?」

「何だお前は?」

「サークラー教会に護衛役として登録しているエルティースと言います。川の水を一時ずらして道を作ります」

「川をずらす?」

 眉をひそめる衛士を横目に、彼女は川辺に駆け寄り、愛用の槍の穂先を川面につける。

「何をしているんだ?」

「まて。彼女は精霊使いだ」

 その言葉に、衛士が彼女を止めようとして伸ばして手を引っ込めた。

 ルーラが手にしている槍、一見したところ粗末な石槍だが、穂先は精霊石と呼ばれる特殊な石で出来ている。精霊使いと呼ばれる人達は、これを通して自然界の精霊たちと意思を通わせることが出来る。

(お願い、道を空けて!)

 彼女の思いが精霊石を通して川を作る水の精霊たちに響く。

 それは傍目からみたら異様な光景だった。彼女と中州を結ぶ線のすぐ上流で、川の流れが急に変わった。まるで川の中に透明な壁が突然出来たかのように水の流れが全て中州の向こう側に移動した。

「すげぇ」

 それを見ていた周囲がどよめいた。

「早く! あまり長い間はどいていくれません」

 ルーラに促されたが、さすがに衛士達も駆け出すのに躊躇した。途中で川の流れが戻ったら、自分も流されてしまう。

 それを見たベルダネウスが御者台から下り

「馬車を見ていてください」

 水のなくなった川に飛び降りた。そのまま泥を跳ね飛ばしながら中州まで駆けていく。さすがに衛士達もそれに続く。

 やはり中州に引っかかっていたのは衛士の死体だった。

「お願いします」

 ベルダネウスに促され、衛士達は死体を担ぎ上げると、元の道に戻っていく。彼らが川から上がるのに合わせて、ルーラは水の精霊に感謝の念を送った。

 川の水が一気に本来の流れに戻っていき、周囲の人達から歓声が上がった。

「やっぱり死んでいたの?」

 戻ってきたベルダネウスにルーラが聞いた。

「ああ、喉の所に切り傷があった。かなり鋭利な刃物で切り裂いたんだな」

 軽く指先で自分の喉をかっ切る真似をしてみせる。そこへ衛視の1人がやってきてかるく頭を下げる。

「先ほどはありがとう」

 大柄だがその顔には子供っぽさが残り、あまり威圧感はない。むしろそのアンバランスがどこか愛くるしい。見た感じは20才ぐらいだが、実年齢はもう少し上のようにルーラには見えた。

「いえ。お礼はいりません。それより、やっぱりこの人の仕業でしょうか」

 ルーラが御者台から手配書をとり、その1人を指さした。ナイフ使いレーレン。

「まだ決まったわけじゃないが、その可能性は高いですね」

「でしょうね。あの衛士がどれほどの腕か知りませんが、喉元を一振りで切り裂くなんてそうそう出来ませんよ」

「自由商人ですか」

 衛士がベルダネウスと馬車とを見た。

「相手が脱獄囚ならば、荷物よりも馬車を目当てに襲う可能性がありますからね。町を出る時には気をつけた方がいいですよ」

「肝に銘じておきます」

「せっかくです。何か礼がわりに驕りますよ。何が良いですか?」

 軽く指先で屋台を示すと

「小腹が減ったんなら、焼きたてのキッシュがあるよ」

 いつの間に来ていたのか、薄汚れた服を着た10才ぐらいの男の子が、埃よけに薄紙を被せたキッシュのトレーを構えて立っていた。頭には「1個2ディル」の札をつけた帽子をかぶり、腰には釣り銭用の小袋をぶら下げている。

「ファリーか。何だ、今日はここで物売りか」

「貧乏暇なしだからね。コロラッドさんもどう。姉ちゃん手作りのキッシュ。今し方焼き上がったばかりだよ」

 どうやら2人は顔見知りらしい。

「ナノさんの手作りか」

「どう。姉ちゃんの味がするよ」

 コロラッドと呼ばれた衛士が照れくさそうに頬を染めた。その様子にイタズラっぽい笑顔を浮かべたファリーは、今度はベルダネウスに

「おじさんもどう。姉ちゃんのキッシュは最高だよ。ここに来てこれを食べなきゃ、男と生まれて女を抱かないようなもんだよ」

「お前、意味わかって言っているのか?」

 軽くファリーを小突くコロラッドを尻目にベルダネウスは軽い笑みを浮かべ

「確かに美味しそうだ。2つもらおうか。代金はその衛士からもらってくれ」

「え?」

「驕ってくれるんじゃないんですか」

 仕方ないというように財布を取り出すコロラッドを尻目に

「おじさん。だったら2つじゃなくて4つ買いなよ」

「いや、昼までの間に合わせだし、2つもいらない」

「でも、おいらは2つ食べるぜ」

「お前が食うのか?!」

 呆れたコロラッドに、少年の腹が返事がわりに鳴り、ベルダネウスが大きく笑った。

 しぶしぶ代金を払うコロラッドを横目に、暖かいキッシュにかぶりついたベルダネウスは感心したように

「うまいな、なかなか楽しい」

「楽しい?」

 ルーラも口にすると、キッシュらしからぬ面白い歯ごたえが返ってくる。千切りにした筍が入っていた。

「塩茸の加減もいいし、自慢するだけはある」

「だろ」

 勝ち誇った顔でファリーもひとつかぶりつく。塩茸というのは岩塩に生える茸で、ここではよく使われる食材だ。このキッシュにも使われ、程よい塩加減を生み出している。

「ところでおじさん、これからサークラー教会に行くのかい? 案内してやろうか」

 ベルダネウスはまだ29才だが、40前後に見える。おじさんと呼ばれるのも無理がなかった。

 サークラー教会。この世界で八大神と呼ばれる神のひとつサークラーを崇拝する教会である。サークラーの基本的な教えは「人間は他者との交流によって幸せとなる」というもので、交流神とも呼ばれる。

 各地を回り商売をする自由商人たちやそれに関わる護衛や使用人を支援しており、彼らは教会の援助を得るためにとりあえず信者になっているものが多い。ベルダネウスもルーラもそういう「とりあえず信者」の1人である。

「ありがとう。しかし、おじさんは自由商人だから教会の場所は知っている」

「でも、こいつの事は知らないだろう」

 言いながら出したのは、あの手配書。それもソルトのものだった。

「自由商人だったら、いろいろ情報を仕入れておいた方がいいと思うぜ。こういう物騒な奴らのことは特に」

「君はそいつのことを知っているのか?」

「もちろん。自慢じゃないが、こいつを捕まえたのは姉ちゃんのお手柄なんだぜ」

「ほぉ」

 感心したように声を漏らすと、

「よし、教会に着くまでに君の知っていることを教えてくれるか」

「いくらだす?」

 してやったりとばかりに笑みを浮かべたファリーが手を出した。

 彼はお世辞にも裕福とは言えない家の家計を助けるため、サークラー教会の使いっ走りのような仕事をしている。今日は休みだったのだが、検問がもたついて行列が出来ていることを知り、急遽、やはり休みだった姉の焼いたキッシュを売っていたのだ。

 馬車の御者台、ベルダネウスの横に座りながら彼は「姉ちゃんのお手柄」をしゃべりはじめた。とはいえ、やたら脱線が多いのでそのまま記すと大変だ。

 そこで簡単に彼の話をまとめると……


 1年前、少年の姉・ナノはサークラー教会の使いとして乗合馬車に乗っていた。

 その馬車が盗賊・塩土団に襲われた。この周辺を20年にもわたって荒らす筋金入りの盗賊で、衛士の中には彼を捕まえることを生き甲斐にしているものもいるほどだ。

 彼らがこの馬車を襲ったのは、すぐ後ろにサークラー教会のならしの馬車があったからだ。

 その性格上、多くの金が集まる教会は1ヶ所に金が集まりすぎないよう、定期的に金が多く集まった教会から減った教会に金を移動させる「ならし」を行う。

もちろん、協会側も対策をしている。多くの護衛で台車を囲み物々しい雰囲気で運ぶ事が多いが、嫌でも目につくため、盗賊達も事前に仕掛けや待ち伏せなどがしやすい。また、護衛の規模で襲撃者を諦めさせる目的上、どうしても護衛の人数確保など経費がかかる。

 もうひとつの方法として、輸送に関する情報を伏せ、自由商人などに扮してこっそり運ぶという手だ。小さな馬車一台で済む場合、この方法をとることがある。だが、この方法ではどうしても少人数での輸送となるため、万が一、情報が漏れていた場合は襲撃された時に守り切れない。

 この時にサルードのサークラー教会が取った手段がこれだった。しかも、牽制のためか同じ方向の乗合馬車にピッタリくっついていた。だが、塩土団はそれで諦めはしなかった。乗合馬車ごと襲撃したのだ。

 ちなみに、ナノとこのならしの馬車は関係ない。たまたま一緒になっただけだ。

 数人の盗賊が乗合馬車に乗り込み、仲間が輸送馬車を奪う間、彼らをおとなしくさせた。

「おとなしくしていれば危害は加えない」

 乗り込んだ覆面姿の盗賊はそう言った。事実、仲間が輸送馬車を襲う間、彼らは剣を向けてもそれで傷つけることはしなかった。

 しかし、だからといって向けられた方はたまらない。彼女もこんなことは初めてで、顔はこわばり、ただ怯えていた。

「そんなに怖がらないでくれ。本当に抵抗しなければ、俺達は何もしない。仲間が馬車を奪うまでの辛抱だ」

 盗賊の1人が彼女に哀願するように言った。そんな彼に彼女はさらに怯え、隣の人にしがみつく。

 その時、馬車のすぐそばで護衛の1人が盗賊に斬られて乗り合い馬車に飛び込んできた。不運としか言いようがない。すさまじい形相の護衛とナノの目が合った。

 彼女は恐怖し、叫び、逃げようとするが、外には護衛を斬った覆面姿の盗賊がいた。その体や覆面は返り血を浴び、手には細身の剣が血に濡れている。

 逃げるように振り返った彼女の前に、先ほどからなだめようとしていた盗賊がいた。同じ服、同じ覆面。

 声を上げることも出来なくなった彼女が腰を抜かすのを見て

「大丈夫だ。じっとしていれば怖くない」

 なんと、彼は自ら覆面をとり、素顔をさらして「落ち着け、落ち着くんだ」となだめはじめた。

 盗賊が自ら顔をさらすなど馬鹿げた行為だ。

 事実、この襲撃の後、彼は乗合馬車の乗客達を通じて似顔絵が作られ、襲撃の5日後に捕まった。彼の名はソルス・アルトロン。

 アルトロンは塩土団に入ったばかりで襲撃に参加したのはあれが初めてだと証言、自ら覆面を取るという馬鹿げた行動から新顔と思われ、彼の証言も対して役に立たなかった。仲間の似顔絵作りに関しては頑なに拒否した。

 その後、彼はロゴクの監獄に送られた。


 ベルダネウスの横でファリーはアルトロンの似顔絵を見て

「姉ちゃん、似顔絵見て驚いていたぜ。こんな怖い顔じゃなかったって」

「1年というのは、人が変わるには充分すぎる時間だからな」

 サークラー教会では、岩塩や塩茸を仕入れる商人達の馬車が並んでいた。どれも岩塩の重さに耐えるだけのがっしりした作りだけに重量感がある。

「ご苦労様、いろいろ聞かせてもらってありがとう」

 駄賃を握らされたファリーはその額を確かめてにんまり笑い、

「おじさん、せっかくだから馬をつないできてやるよ。ついでに簡単な世話もしてやる」

 教会から渡された馬小屋の番号札を手にする彼に

「世辞はもういい。余計な言い回しはやめてハッキリ言ったらどうだ。馬をつないで飼い葉と水もやる。手入れもするから、グラッシェから抜けた毛をもらうよと」

 ベルダネウスに言われて、ファリーは一瞬唖然としたが、すぐ照れくさそうに

「まいったな。お見通しかよ。で、良い?」

「ああ。ただし、抜け毛がそれの駄賃だぞ。ルーラ、教会で手続をしてくるから、それまで彼と一緒にグラッシェと馬車を見ていてくれ」

「了解」

 彼女の返事も聞かず、ファリーは馬車から飛び降りると教会の入り口に向かって腕で大きく丸を作った。すると、門の所にいた小さな男の子が急いで駆け出す。

 この時期、生え替わりのため抜けた馬の毛はいろいろな素材として売られている。クッションなどの詰め物や刷毛、ブラシの材料に使われることが多いが、良質のものは人形の頭髪や楽器の弓にも使われるし、馬の毛を飾りにした兜もある。一部には馬の毛を使った織物がある。グラッシェの抜け毛はあいにく高品質とは言いにくくブラシの材料側だ。高くは売れないが、量さえ集まればちょっとした小遣いにはなる。

 馬車を任せてベルダネウスは1人教会に入っていく。教会と言うより、役場の受付のようなロビーで窓口に並ぼうとした彼に、1人の男がそっと近づいてきた。彼の胸ほどしかない背丈で50歳前後に見えるその男は、すっかり艶を失った髪を掻き

「検問で手間取ったようですね」

「グワさん。あなたが来るとは珍しい。店の方は良いんですか?」

「ご心配なく。マアマアやっております。それより、手が空いたら夜遅くでも良いから顔を出して欲しいとファブリックさんが。取引とは別に、お願いしたいことがあると」

「わかりました。宿を確保次第お邪魔します。連れが1人いますがかまいませんね」

「結構です。それではお待ちしております」

 グワは一礼して教会を出て行く。その際に、壁に貼られたアルトロンの手配書をちらと見た。


(つづく)


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