12.ルーベル伯爵の元へ
パメラの犠牲を聞いて愕然とし、ただただ涙を流す。
とにかく、パメラと話さなくてはと思い、立ち上がったところをディオンに止められた。
「どこに行かれるのです?」
「離して、パメラにバカなことをさせるわけにはいかないの! 彼女を止めないと……」
「彼女は今、旦那様と共にルーベル伯爵のところへ行っています」
「もう行ってしまったの?!」
あり得ないほどの早さに、またも愕然とする。止める暇すらなかった。
今から追いかけても、もう間に合わないだろう。
どう謝罪していいのかわからない。自分がどうすべきなのかも、頭が回らない。
「しかし、彼女の行動で私の気持ちも固まりました」
流れ落ちていた涙が、なにかに堰き止められたように出なくなった。いつの間にか荒くなっていた呼吸が、ヒュッと音を立てて停止する。
「あなたの……気持ちが?」
「はい。私は……ずっと隠しておりましたが、お嬢様のことが好きなのです」
耳が心臓に変わってしまったのかと思うほど、バクンと大きな音が聞こえた。
ディオンが好きと言った。他でもなく、自分のことを。
エミリアーヌの心は、喜びよりも驚きに支配される。あまりに興奮してしまったためか、肩が息に合わせて大きく上下していた。
「駆け落ちは、最終手段です。旦那様と奥様を、説得いたしましょう。いえ、説得してみせます」
頭が急にぼうっとし始めた。はぁはぁという己の呼吸は聞こえるのに、酸素が脳に回っていない気がする。
嬉しさは、もちろんある。しかしこれがパメラの犠牲の上にあるのかと思うと、どうしてもやりきれない。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「ディオン……嬉しいわ。嬉しいのだけど……私、幸せになってもいいのか、よくわからなくなってしまったの」
一度止まった涙がまたポロポロとこぼれ落ちる。
恋をして、幸せになりたい。
その願いは叶えられそうだというのに。どうしても手放しで喜べない。
ディオンはそんなエミリアーヌを優しく抱きしめてくれる。
「お嬢様は、幸せになっていい。幸せになるべきなんです。私もパメラも、ずっとそう願ってきました」
「でも……」
「十六年もの間、つらい仕打ちに耐えてきたんです。幸せになりましょう。私が幸せにして差し上げます。どんな結果になっても、必ず」
「ディオン……っ!」
幸せになっても構わないと。パメラもディオンもそれを望んでいると。
二人の気持ちが痛いくらいに伝わってきて、エミリアーヌはディオンを抱きしめ返した。
両親を説得し、ディオンと結婚をするのだと。絶対に幸せになるのだと、心に誓って。
「大切にします、お嬢様。私と結婚してください」
「ディオン……お嬢様ではなく、名前で呼んで?」
そうお願いすると、彼は色気のたっぷり含んだ瞳を細めて。
「エミリアーヌ」
優しく、優しくその名を呼んでくれた。
「ディオン!」
エミリアーヌはディオンを再度抱きしめ、キスすることで応える。
ディオンと幸せになるのだと。
たとえ最終的に駆け落ちすることになったとしても。
犠牲になってくれたパメラのためにも。
腕の中にいるディオンが、本当に心から愛おしくて。
自分を愛してくれているのがわかって。
枯れていた心が満ちたりていくのを感じる。
きっとこれもまた、恋する気持ちなのだろう。
温かくて、安心できて、心の底から愛が溢れてくるこの感じが。
恋による幸福感なのだ。
エミリアーヌはその幸せを噛みしめながら、ずっとディオンを抱きしめていた。
***
茜色の光が、窓から長く注ぎ込んでくる。
今頃パメラはなにをしているだろうか。
本意ではない結婚だ。つらくて泣いてはいないだろうかと、胸を痛める。
「ごめんなさい、パメラ……私のせいであなたが犠牲に……」
「お嬢様!」
コンコンというノックと同時にパメラの声がしてギョッとする。
パメラは、ルーベル伯爵の元へと今日お嫁に行ったのではなかったのか。
「お嬢様、パメラが帰ってきましたよ。入ってもよろしいでしょうか」
ディオンも一緒だ。一体どういうことかと戸惑いながらも、入室を促す。
「お嬢様ぁー!」
パメラが飛び込んできて、エミリアーヌはぎゅっと抱きしめられた。
いつものメイド服。結婚したのではなかったのだろうか。
「ディオン様の求婚をお受けになられたのですわよね?! あああ、ほんっとうにようございましたわ! 今度こそお幸せになってくださいませ!」
「ありがとう……でもパメラも幸せになってくれないと、私はいやよ! 私のためにあなたが犠牲になんて……っ」
「え? ディオン様から聞いてませんの?」
「……なにを?」
エミリアーヌは首を傾げる。特になにかを言っていた覚えはない。
「確かに私は、お嬢様のために身代わりになろうとしましたけれど……あっさり旦那様に棄却されましたわ。顔も髪も身長も違うから、身代わりにはならないと。」
「え?」
知らない情報にエミリアーヌは目を瞬かせた。パメラの顔は、いたって明るい。
「もしバレた時にはメルシエ家の立場が悪くなるから、身代わりを用意するくらいならお断りした方がまだいいと言われたのですわ。ですから、旦那様のお供でルーベル伯爵のところへお断りに行っていたのですが」
「聞いてないわ!」
エミリアーヌが答えると、パメラがキッとディオンを睨んだ。
目で責められたディオンは、少し肩を竦めている。
「言えなかったんですよ。実際どう転ぶかもわからなかったので。パメラはまた自分を犠牲にする案を出しそうな勢いでしたし」
「まぁいいですわ。お嬢様のために犠牲になろうと思ったのは事実ですもの」
そんな風に言ったパメラの両頬を、パシッとエミリアーヌは挟んでやる。そうまでして思ってくれた心は嬉しいが、やはり犠牲になられては嫌だ。
「もう、このようなことは二度とやらないでほしいわ。私は、パメラにも幸せになってもらわなければ、幸せになれないのよ?」
エミリアーヌの心からの言葉を伝えると、パメラは居心地悪そうにもぞもぞとし始めた。
「えーと、それなんですが、お嬢様……」
「なに?」
「私、ルーベル伯爵との結婚が決まってしまいましたの」
「えええ?!」
これにはエミリアーヌだけでなく、ディオンも驚いて顔をしかめている。
「そ、そんな……やっぱり、私の代わりにあなたがお嫁に来いと言われたの?」
「ええ、まぁそんな感じなのですが……」
「あああ、ごめんなさいパメラ……私のために……」
「いえ、私が断りたくなかったのですわ。だって、ルーベル伯爵は、三十五歳のイケメンだったんですもの!」
「え?」
ぽかんとパメラを見ると、その唇はこれ以上ないくらいに口角を上げている。
「お嬢様のことは誠心誠意謝って、お断りしてきましたのよ。お嬢様には好きな殿方と添い遂げてもらいたいからと、一生懸命お伝えしたのですわ。そうしたら主人のためにそこまで尽くせる姿勢がすばらしいと言ってくださって」
ぽっと顔を赤らめるパメラ。
「その場でプロポーズされたのですわ!」
パメラの、人生で一番の『どうだ!』の顔。
嬉しさや驚きよりも先に、可笑しさの方がまさってしまう。
「ふ、うふふふ! まさか、そんなことになっていたなんて、思いもしなかったわ!」
「というわけで、私は引き継ぎを終わらせ次第、結婚する事にいたしますわ!」
嬉しそうなパメラを見ると、エミリアーヌも幸せな気分になる。
彼女とはこれからもきっと、大事な大事な友人だ。
「おめでとう、パメラ!」
「ありがとうございます、お嬢様! お嬢様も、今度こそお幸せになってくださいませ!」
「ええ!」
主従を超えた二人は、またぎゅうっと抱きしめ合う。
そばで見ていたディオンが、やれやれというように息を吐いていた。