11.パメラの決心
部屋に戻ってくると、エミリアーヌは泣いた。
思いっきり泣いた。
心配したメイドの一人がパメラを呼んでくれて、彼女の前でさらに号泣した。
思えば、人生で涙を流したことなどほとんどなかった。
痛みで涙が滲んだり、小説を読んで涙したことはあったけれど。
自分のことでこれほどまでに泣くのは初めてだと、エミリアーヌはパメラに抱きしめられながら思う。
「お嬢様……そんなにディオン様のことを、好いていらっしゃったのですね」
「ひっく、ううっく……っ」
悲しみの涙が止まらない。喉からはひっくひっくと情けない音しか出てこず、パメラの優しい腕に甘える。
「おいたわしいですわ……ディオン様ったら、昔はあんなにお嬢様のことが好きだったっていうのにっ」
「ひぐ、ひっく……」
「お嬢様、私にお任せくださいませ。私の首をかけてでも、どうにか致しますわ」
「ひっく……え……?」
顔を上げると、パメラは女なのにとても男前で。エミリアーヌはズズッと鼻をすすり上げる。
「私が男なら、今すぐにお嬢様をさらって駆け落ちするところですわ。けれどもそれができないとなると、私のやるべきことは決まっております」
「ぐすっ……パメラ、なにを……?」
「必ず……今度こそ、私がお嬢様の幸せを守ってみせますわ!」
自信満々のパメラの笑みを見ると、ホッとして安心できる。
パメラはエミリアーヌが落ちついて眠るまで、ずっと側にいてくれた。そしてそのあと彼女は、部屋を出ていったようだった。
***
目が覚めると朝だった。
これだけ悲しみに暮れても朝はやってくるのかと、重い体を持ち上げる。
カーテンを開けるも、外はエミリアーヌの気持ちなど素知らぬ顔で、いつもの日常を迎えていた。しかも悔しいくらいにいい天気で、その日射しのきつさにぎゅっと目を瞑る。
「恋したいなんて、思うんじゃなかったわ……」
しかし、もうエミリアーヌは知ってしまった。いまさら感情を巻き戻すことなどできない。
それでも、後悔をするのは少し違うような気がして。
この恋心を否定してしまうのは、あまりに可哀想だ。こんなにも、こんなにも、ディオンが好きだと叫んでいるのに。
「ああ……ディオンの顔が見たいわ……」
昨日、理性を総動員して決別の言葉を言ったつもりだったのに、もうすでにディオンに会いたくなっている。恋心というのは、かなり厄介なもののようだと改めて認識し、エミリアーヌは溜め息を吐いた。
しばらくぼんやりと外を見ていると、一人のメイドが中に入ってきて、エミリアーヌの身支度をしてくれる。
いつもはパメラの仕事なのだが、そのパメラに頼まれたのだとその子は言った。
パメラは一体どうしたのだろうか。少し気になっていると、ディオンの声が聞こえてきた。
「お嬢様、朝早くに申し訳ありません。お話ししたいことがございます」
身支度を整えてくれたメイドは「失礼します」と出ていき、代わりにディオンが入ってくる。
ディオンの顔を見た瞬間、胸が針で突かれたように痛みが走る。と同時に、ドクドクと勝手に心臓が高鳴った。
「ど、どうしたの?」
いつもと同じように……と思っているのに、なぜかどもってしまう。
ディオンの顔はとても真剣で、なにを言われるのかという怖さもあったせいだろう。
そのディオンは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「昨日は、うまく答えられずに申し訳ありませんでした。まさか駆け落ちと言われるとは思わず、少し驚いてしまいまして」
駆け落ちという言葉を聞いて、改めてなんてことを言ってしまったのかと顔が熱くなる。若い娘じゃあるまいし、考えなしだったことは否めない。
「ごめんなさい、本当に先走ったことを言ってしまったと思っているわ。」
「いえ。昨日パメラにガツンと言われまして、私も反省しております」
「パメラが? なんと言ったの?」
そう聞くと、ディオンは苦く笑った。
「甲斐性なしの大バカ者と罵られました。お嬢様を思う気持ちが少しでもあるなら、駆け落ちくらい何度でもしてやれ、とも」
「まぁ、パメラったら……」
メイド長が家令にたてつくなど、本来あってはならないことだ。仕事をクビにさせられてもおかしくはない。
そういえば、彼女は自分の首にかけてとかなんとか言っていたのを思い出して、エミリアーヌはゾッとする。
「あの、パメラは私のためを思ってやったことなの。許してあげてね?」
「ええ、それはもちろんです。パメラの自己犠牲の精神は、私の胸にも刺さりましたから」
「……え?」
『自己犠牲』という言葉に、心臓はどくどくと不穏な音を立て始めた。嫌な予感しかしない。
「実は昨日、エミリアーヌ様の再婚相手が決まりました。ルーベル伯爵が、後妻としてエミリアーヌ様を迎えても構わないと」
「……そう」
とうとうその時が来てしまったのかと、込み上げそうになる涙を必死に飲み込む。
嫌だと泣いて叫びたい。また駆け落ちしてと叫んでしまいそうだ。
しかしもう、そんなみっともない真似はしたくない。四十歳のいい年をした、おばさんなのだから。
「私は、その方の元へと嫁げばいいのね」
諦めなさい、観念しなさいと頭に言い聞かせて、なんとか冷静な言葉を吐く。
が、返ってきた言葉はとても意外なもので。
「いいえ、お嬢様はルーベル伯爵の元へ行く必要はありません」
「……え? 行かなくていいの?」
言っている意味が分からず、キョトンとディオンの顔を見上げた。しかし彼の顔は全く嬉しそうではなく、重く沈んでいる。
「パメラが、旦那様に直訴していました。お嬢様は好きな殿方がおいでだから、どうかその者と結婚させてあげてください、と。自分が代わりにエミリアーヌ様のフリをして嫁ぎますから、と」
「!!」
エミリアーヌの脳に衝撃が走った。
パメラが身代わりとなってルーベル伯爵の後妻に入る。
彼女は本当に身を挺してエミリアーヌの幸せを守ってくれるつもりだ。
しかし、ならばパメラの幸せはどうなるというのだろう。
もちろん、エミリアーヌは幸せになりたい。ルーベル伯爵のところへなんか行きたくない。
だからと言って、パメラを身代わりにするのは違うのだ。エミリアーヌは、パメラも幸せになってほしい。自分の犠牲になるなど、あってはならない。
「パメラ、どうしてそんなことを……っ! 私などのために……っ」
パメラの優しい笑顔。
いつもエミリアーヌの気持ちに寄り添ってくれていた。
妹のようで姉のようで、明るくて優しくて強くて。
そんな大事な人が、自分のために犠牲になる。
「いやよ……そんなのだめよ、パメラ──」
エミリアーヌの目からボロボロと涙が溢れ、その場に崩れ落ちた。