後
その子を可愛いなと思ったのは、誰隔てなく元気に挨拶をしてくれる笑顔からだった。
女の子と知り合う事が少なく結婚率の低い騎士団の救済処置として、未婚の女の子が食堂に雇われるようになったのはだいぶ前からだと聞く。
俺が若い頃からそうだったからその前からだろう。
女の子の方も伴侶を見つけに働きにくるから、だいたい半年から一年でどんどん新しい子に変わっていく。
食堂には一定に三人くらい適齢期の女の子がいて、俺も若い頃はずいぶんソワソワしたもんだ。
だけど行動力のある男前がさっさとさらっていくから、俺たちみたいなさえない男には縁のない世界になっていった。
おっさんといわれる年代になって、俺たちは生涯独身と諦めていた。
可愛い女の子に「お疲れさま!」と笑顔で言ってもらえるだけで癒される。
アリサちゃんはその中でも、おっさんにも区別なく笑顔で挨拶してくれる、おっさん界の天使だった。
結婚できない俺たちは、気の利いた事も言えない自他共に認めるさえないおっさんだ。
手渡される昼飯と一緒にかけられる一言が一日の潤いになる。
伴侶を探しにきてる女の子は相対する扱いが如実だ。結婚相手かそうでないか。
おっさんは対象外だから口数も愛想も少ない。そんな中でアリサちゃんは特別だった。
幸せな結婚ができるように、おっさんたちの間では、アリサちゃんを見守る会ができていた。
「ロータスさん、こんにちは!」
休日の市場で偶然あったアリサちゃんから声をかけられたのには驚いた。
俺の名前知ってくれてたんだ。
もしかしたらおっさんたち全員の名前も憶えてくれてるのかもしれない。
なんていい子なんだろう。本当に天使だ。
それから一言二言話して「じゃあまた明日」と言おうとしたら
「あの!もしお時間大丈夫でしたら、お昼ご飯一緒にどうですか?」
誘われた? 空耳だろうか?
……それとも願望か?
こんなおっさんと飯を食ったって楽しくもないだろうに、と言いかけると
「楽しいです!いや、楽しいは言いすぎました! ロータスさん、話した事がないから話したいです!!」
かぶせるように慌てて言う。
謎の必死さも可愛くて、そんなに言ってくれるならとご一緒する事にした。
ずっと真面目に生きてきたんだ。人生で一度くらいご褒美があってもいいだろう。
「ありがとうございます!」と言う嬉しそうな顔を見て、年甲斐もなく照れてしまった。
アリサちゃん、おっさん転がしだな。
お勧めを頼んで、料理がくるまでの間に話をする。若い女の子らしくキャッキャと弾むような話し方。
可愛いなぁ。娘がいたらこんな感じだろうか?
いや、娘は父親と一緒に飯を食いに行かないらしい。
娘のいる同僚が淋しそうに言っていた。
ふと、アリサちゃんが黙ってボンヤリこちらを見ているのに気づく。
心なしかうっすら顔が赤い。
「アリサちゃん大丈夫?何か顔が赤いような…」
「大丈夫です!今日はちょっと暑いですね!」
暑いかな? 俺は窓の外を見る。
高く澄んだきれいな秋晴れの空だ。
また元気に話し出したから、まぁ大丈夫だろう。
その後も当たり障りのない話をしていると料理がきた。
この辺の店は大雑把な造りで、若い女の子が好みそうではないけど味は悪くない。
せっかくだからと熱々のうちに食っていると
「ロータスさん、食べ方きれいですね」
「…っ! おっさんをからかうんじゃないよ」
思いっきり咽せてしまった。
汚〜い!なんてゴミを見るような目で見られてないだろうか…。
恐る恐る見ると、申し訳なさそうな目と合った。心底安心した。
会計の時にアリサちゃんは自分の分を払うと言う。
そんなに稼ぎがないように見えるんだろうか。
アリサちゃん、見た目と給金は比例しませんよ。思わず自虐してしまう。
騎士の収入はいいから結婚相手には優良で、食堂の給仕の仕事は順番待ちだと聞いていたけど…?
「いいから。こういう時は年配者に甘えるもんだよ」
そう言うと、アリサちゃんは素直にご馳走さまでしたと頭を下げた。
おっさん心臓もたないよ!
店を出て早々に別れを告げると、アリサちゃんはまたボンヤリしていた。
「アリサちゃん、やっぱり具合が悪いんじゃないか? 家まで送るよ。荷物かして」
何も答えないアリサちゃん。
下心はないからね!安心していいよ!!
それは本心だし、本心だし、本心だけど!! ……犯罪になりますかね?
いかがわしい気持ちはありませんと大声で言いたい!
いや、俺の名誉より、アリサちゃんの様子が心配だ。
「ほら」と荷物を受けとって「どっち?」と促す。
ボンヤリとしたまま、アリサちゃんは歩き出した。
アリサちゃんが住んでいるアパートの部屋の前まで送り、荷物を返しながら「じゃあ…」と言いかけると、かぶせるようにアリサちゃんが言う。今日何度目だ?
「ありがとうございました!あの、お礼にお茶を淹れます。飲んでいってください」
一人暮らしの女の子の部屋に男を入れるもんじゃない。
若い子の軽率さに年配者の責任感で注意すると、明後日の方向から返事をされた。
「ロータスさん、お伝えしたい事があります。ここでもいいですけど、できれば中の方が落ち着きます」
アリサちゃん、おっさんの言う事聞いてました? 脱力しかけて気づいた。
アリサちゃんの顔は蒼白で手は震えている。やっぱり具合が悪かったんだ。
気づかなかった迂闊さに自分を叱りつつ、とりあえず中に入れて座らせた。
「あぁ、お茶はいいから。とりあえず座って。っていっても、アリサちゃんちだけど。本当に大丈夫?やっぱり具合が悪かったんじゃないの?」
薬を買いに行こうにも、どんな症状かわからない。どんな感じか聞こうとしたら、アリサちゃんは勢いよく立ち上がった。
そんなに勢いよく立ち上がって大丈夫?!
どうしたのかと呆然として見ると、アリサちゃんも俺を見た。真剣な目。
いや、何も下心ないよ!何なら今すぐ帰るよ!!
内心ビクビクしていると
アリサちゃんは目を閉じて、ふぅ… とひとつ深呼吸した。
それから俺の胸辺りを見て一気に言った。
「ロータスさん好きです。お昼にちょっと顔を見合わせるくらいで何を言うかと思われるかもしれませんが、春ころからずっとロータスさんが好きです。 ……結婚してください!!」
……は?
「あの…」
アリサちゃんの声に我に返る。
いや〜、意識がどっかいってたよ。
だけど…
言われた意味がわかると
えっと…。
アリサちゃんの顔は真剣だった。
けど、そんなありえない言葉に
「アリサちゃん…。おっさんをからかってる?」
「そんな!それはないです!本気で告白してます!返事がノーでも… いやだけど、仕方ありません。あきらめるかわかりませんけど」
幻聴じゃなかった。
なんだ?! どうした俺!!
さえない団の団員のままおっさんになって、今になっていきなりの展開!!
どうしていいかわからない!!
告白されるなんて生涯で一度も考えた事もなかった!!
しかもこんなに若くて可愛い子!!
若くて…。
年齢差を思い出して、一気に落ち着いた。
「アリサちゃんいくつ?」
「十六です」
「はあぁぁぁ…。 二十も違うよ。本当に親子だよ」
思わず大きくため息をついた。
「知ってます。食堂でちょっとずつ話を拾って情報を合わせました!二十歳違うのも、独身なのも、たぶん恋人がいないのも… 合ってます?」
「……合ってる」
どんな情報だよ! 個人情報ダダ漏れか?!
じゃなくて、今はそれはいい!!
恋人がいない事を喜んでくれているアリサちゃん、可愛いなぁ。
異性に好意を持たれる事がこんなに嬉しいものだなんて。こんな気持ちを知れただけでもいい思い出だ。
おっさんは心で涙を流しつつ、若い子の未来のために言葉を続けた。
「俺の何をそう思ってくれたのかわからないけど、俺はあと十年もしたら墓の下かもしれない。アリサちゃんは十六だ。可愛いし、いくらでも同じ歳くらいのいい奴がいるよ」
「私がロータスさんに釣り合う年の女だったらありでした? そんな、努力でどうにもできない事より、私自身を知って考えてもらえませんか?」
強い意志を待った言葉と、熱を帯びた真っ直ぐな瞳に射抜かれる。
「ぐっ…」
ダメだ。 負けそう。 目をそらす。
いやいや、十六の女の子の未来を考えたら…
「ロータスさんが好きです」
負けた。 あっさりと。 あっけなく。
「はあぁぁぁ…。 俺、ロリコンの気があったのかな。落ち込むよ…」
二回目の大きなため息。
「いつも食堂で元気で可愛い子だと思ってたんだ。アリサちゃんの元気な挨拶がおっさんたちの癒しだったんだよ。俺、あいつらに恨まれるな〜」
可愛いとは思っていたけど、まさかこんな気持ちになるとは…。
我ながら単純だと思うけど、恋かぃな。
おっさんのくせに気持ち悪っ!!
恥ずかしさと、身の置き所のない何ともいえない心持ちで捲し立てた。
「言っとくけど、絶対俺の方が先に死ぬからね!もしかしたらそんなに長い間一緒にいられないかもしれないよ?それでもいいの?」
「嬉しい…。 安心してください!ロータスさんは私がしっかり看取りますからね!十年後でも私はまだ二十六です。元気に余生を送りますから、ロータスさん死後も心配いりませんよ!なんて夫思いの妻!」
アリサちゃんのあまりの言葉に吹き出した。
まいったね! 完敗だ!
身悶えするような恥ずかしさより、天晴れなアリサちゃんとのこれからの生活を思って愉快になった。
若い頃から悪い遊びもせず蓄えは結構ある。
先に死んでもアリサちゃんには残せるものもあるし、俺は覚悟を決めた。
二十も年下の可愛い嫁さんをもらった俺。
『さえないおっさんの希望の星』と語り継がれるようになったのは……
まぁ名誉と思っておこう。