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そのおっさんを一言で言い表すなら『さえないおっさん』だ。
まず見た目からしてさえない。
短髪なのは清潔感があるけど、茶色い髪と茶色い目の色はこの国に一番多い配色だし、これといって特徴のない顔は一度では憶えてもらえないだろう。
目が開いているのか、ちゃんと見えているのかと疑いたくなるような糸目は、似顔絵を描いたら間違いなく線一本で完了だ。
それが特徴といえば特徴かもしれない。
高すぎず低すぎない身長、ひょろっとしてる身体つき。騎士だから鍛えられているだろうけど。いうなればひょろマッチョ?脱いだらすごいかもしれない。
雰囲気も温和というか穏やかというか、待ち合わせをしても、人が多い場所ならすぐには見つけられないと思われる。
本当にいてもいなくてもわからない、存在感のないおっさんだ。
という私だって、とくに可愛い訳でも美人という訳でもない普通の女の子だ。
この国では一般的な茶色い髪は、仕事の邪魔にならないようにお下げにしてあるし、目の色は、これはちょっと自慢だけど、我ながら綺麗な緑色だと思っている。
高くもなく低くもない身長に、やや細めだけど、まぁ標準な身体。
年頃の女の子だから、元気な挨拶と笑顔があれば何割り増しかで可愛く見えるというくらいなもので、それも期間限定だし。
十六歳という結婚適齢期のお年頃、選択肢は多いほどいいと、私は誰隔てなく笑顔で挨拶をしていた。
おっさんを意識するまでは。
私の職場は国に二つある騎士団のひとつ、叩き上げの実力で構成されている平民からなる黒騎士団の食堂だ。
ちなみにもうひとつは、お貴族様で構成されている白騎士団。
ふたつの敷地は離れているので、白騎士様は遠目でしか見た事がない。
騎士さんの数は多い。
朝の仕込みから手伝いに入って、お昼は交代で食事に来る騎士のみなさんにご飯を給仕する。
メニューは日替わりがひとつだけで、私たちは厨房側からカウンターの上にご飯をのせたトレーを出す。するとテーブル席側に並んでいる騎士さんたちはそれを受け取って空いている席に着くというシステムだ。
「アリサちゃん、今日も可愛いね〜♪」
「ありがとう♪ ミーシャさんも可愛いよ〜♪」
可愛いと返された三十男が吹き出した。 ふふふ。
「あ〜、疲れた! 腹減ったよ〜!」
「お疲れさま! たくさん食べて、午後もがんばってね!」
ありがと〜、と笑顔になる同じ歳くらいの騎士見習い。 がんばれ!
「アリサちゃん、今夜こそ飯に行こう!」
「もう!いつもそんな事ばかり言って! はい、うちのランチが一番美味しいですよ!」
トレーを渡すと、ちぇ〜! と去っていく妻帯者。 奥さんに言っちゃうぞ!
毎日顔を見合すお馴染みさんとお馴染みの言葉を交わす、忙しいけど楽しい時間だ。
そんな軽口を交わす人ばかりじゃないけどね。
「お疲れさま〜! はい、どうぞ!」
「ありがとう」
たんにご飯の受け渡しだけの人もいる。
おっさんもその一人。
その他大勢の人に埋没しちゃうようなおっさんに、最初に気づいたのは、その声だった。
「ありがとう」とだけ告げる低すぎないテノールボイスは、ストライクど真ん中だった。
カウンターに給仕は何人かいる。毎回おっさんが私の列に並ぶ訳じゃないから、何日かに一回、短い五音を聞けた時は内心うっとりした。
次に気づいたのは、きれいな手だった。
剣を握る騎士という職業柄、ゴツゴツしてる手の人が多い。多いというか、ほとんどそうかと思われる。
それなのにおっさんの手というか指というかは、珍しいくらいきれいだった。
そんな風に気になりだすと、どうも意識してしまう。姿を見られた日は一日嬉しかったり、私の列に並んだおっさんの「ありがとう」が聞けた日は一日幸せだったり。
単純だけど、我ながら乙女だな〜と笑ってしまった。
だから、休日の市場でおっさんにバッタリ会った時は驚いた。
騎士服じゃないおっさん、さらにさえない度数が上がっている。
だけど、恋する目にはすぐにわかったよ! 恋ってすごいね!
「ロータスさん! こんにちは、お買い物ですか?」
「アリサちゃん、こんにちは。アリサちゃんも買い物?」
名前呼ばれちゃった! じゃない!! こんな偶然滅多にない!
チャンスだ!アリサ、チャンスを逃すんじゃない!!
内心はもうドッキドキ!!でも超特急で考える!
「お買い物はもうすんだので、そろそろお昼ご飯でもって思ってたところです」
誘いやすくふってみた。ダメなら私から誘ってやる!
「あぁ、もうそんな時間だね。引き止めちゃってごめんよ。じゃあ…」
「あの!もしお時間大丈夫でしたら、お昼ご飯一緒にどうですか?」
じゃあまた明日、と続きそうな言葉にかぶせて慌てて言う。ちょっと声が大きくなっちゃった。
おっさんが驚いたように目を丸く… は、ならなかった。通常の糸目。可愛い。
「こんなおっさんと飯を食ったって楽しくも…」
「楽しいです! いや、楽しいは言いすぎました!ロータスさん、話した事がないから話したいです!!」
断られる前に、また慌ててかぶせて言う。焦って意味不明な事を言ってしまった。
おっさんはまたまた驚いたように… 以下略。
「そんなに言ってくれるなら、じゃあご一緒しようか」
「ありがとうございます!」
ふぃっと顔をそらしたおっさん。ほんのり耳が赤くなっている。可愛い。
私たちはすぐ近くの食堂に入った。
よくある造りの大衆食堂で、私たちくらいの女の子には入りづらいけど、美味しいと評判なので一度食べてみたかったお店だ。
思わぬデート♪ デートかな? デートでいいよね?
私の中ではデートと思っておこう♪ えへへ。
どれが美味しいかわからないからお勧めを頼む。
ご飯がくるまでリサーチ開始だ!
「ロータスさん、おうちこの辺なんですか?」
「うん、すぐ近く。ここなら騎士団に近いし、生活するのに便利だしね」
「偶然ですね〜!私もこの近くなんです」
あぁ、いいお声…。 耳福。耳福。
私はうっとり聞き惚れる。
「アリサちゃん大丈夫? 何か顔が赤いような…」
「大丈夫です!今日はちょっと暑いですね!」
暑いかな〜、と窓の外を見るおっさん。
ちょろい。好き。
その後も当たり障りのない話をしていると、ご飯がきた。
せっかく美味しいと評判のお店の料理なのに、イマイチ味がわからない。
わぁ、私緊張してるんだ! 今さら気づいたよ!
見るともなしに向かいのおっさんを見る。
あ、食べ方もきれいだ。好き。
「ロータスさん、食べ方きれいですね」
「…っ! おっさんをからかうんじゃないよ」
思わず言ってしまったら、おっさん咽せてた。すまん。
食べ終わって、お会計で自分の分を払おうとしたらご馳走してくれると言う。
いやいや、そんな訳にはいきませんよ!
私が誘ったんだし!
「いいから。こういう時は年配者に甘えるもんだよ」
そうか。おっさんがそう言うならそうしよう。
私はご馳走さまでしたとお礼を言った。
お店を出て「それじゃあまた明日」と言われたので、私も「また明日」と言おうとしたのに声が出ない。
好きな人と一緒にいられて嬉しかったな…。
別れたくないな…。まだ一緒にいたいな…。
たった一時間くらい一緒にいただけなのに。淋しくて淋しくて、私は泣きそうになった。
「アリサちゃん、やっぱり具合が悪いんじゃないか?家まで送るよ。荷物かして」
何も言えない私を、ジッと見ていたおっさんが優しく言う。
甘えていいのかな…。
もうちょっと一緒にいられるのは嬉しいけど、結局「また明日」はくるし。
「ほら」と荷物をとられて「どっち?」と促される。
どうしていいかわからないまま、私は歩き出した。
私がすんでいるアパートの部屋の前で、私に荷物を返しながら「じゃあ…」と言いかけたおっさんに慌てて言う。
「ありがとうござました! あの、お礼にお茶を淹れます。飲んでいってください!」
「アリサちゃん、親子ほど歳が離れているからって、一人暮らしの女の子の部屋に男を入れるもんじゃないよ」
おっさんはちょっと怖いくらいに真剣な顔で言った。
こんな時だけど、いいお声…。
じゃなくて! アリサ、こんなチャンスはもうないよ!告白するんだ!!
私は当たって砕ける覚悟を決めた。
「ロータスさん、お伝えしたい事があります。ここでもいいですけど、できれば中の方が落ち着きます」
極度の緊張で震えているのがわかる。何だか指先も冷たいし、血の気が引いていて顔色も悪いだろう。
明らかに様子のおかしい私を心配してか、おっさんは荷物を持ち直して中に入ってくれた。
「あぁ、お茶はいいから。とりあえず座って。っていっても、アリサちゃんちだけど。本当に大丈夫?やっぱり具合が悪かったんじゃないの?」
私は椅子に座らされて… いや! 立っているおっさんに座ったまま告白できないよ!!
立ち上がっておっさんを見つめる。
ふぅ… とひとつ深呼吸。
それから、おっさんの胸のあたりを見て一気に言った。
「ロータスさん好きです。お昼にちょっと顔を見合わせるくらいで何を言うかと思われるかもしれませんが、春ころからずっとロータスさんが好きです。 ……結婚してください!!」
あ、付き合ってくださいを飛ばしちゃった!
さっきまでと別の意味で血の気が引く。
恐る恐るおっさんを見ると、ポカンとした何ともいえない顔。糸目だけど。
「あの…」
それからだんだん赤く染まっていく顔。
可愛い。
「アリサちゃん…。おっさんをからかってる?」
「そんな!それはないです!本気で告白してます! 返事がノーでも… いやだけど、仕方ありません。あきらめるかわかりませんけど」
おっさんは手で目を覆った。
それ意味あるのかな? 糸目なのに。
「アリサちゃんいくつ?」
「十六です」
「はあぁぁぁ…。 二十も違うよ。本当に親子だよ」
おっさんは大きくため息をついた。
「知ってます。食堂でちょっとずつ話を拾って情報を合わせました! 二十歳違うのも、独身なのも、たぶん恋人がいないのも… 合ってます?」
「……合ってる」
よかった!!
恋人の存在はちょっと定かではなかったんだよね。ほら、奥さんと違って、恋人って言わなきゃわからないから。
恋人がいない事を喜んでいる私を見て、おっさんは真面目な顔になって言った。
「俺の何をそう思ってくれたのかわからないけど、俺はあと十年もしたら墓の下かもしれない。アリサちゃんは十六だ。可愛いし、いくらでも同じ歳くらいのいい奴がいるよ」
言われた事は想定内だ。
わかりきってる年の差くらいじゃ諦めないよ!
「私がロータスさんに釣り合う年の女だったらありでした?そんな、努力でどうにもできない事より、私自身を知って考えてもらえませんか?」
誠心誠意、思いを込めておっさんを見上げる。
「ぐっ…」
見つめ合えてたかわからないけど、おっさんはふぃっと顔をそらした。
顔が赤くなっていく。可愛い。好き。
「ロータスさんが好きです」
ダメ押ししてみた。
「はあぁぁぁ…。 俺、ロリコンの気があったのかな。落ち込むよ…」
二回目の大きなため息。
だけど声に出した内容は、私にとっても都合のいいように聞こえた。
「いつも食堂で元気で可愛い子だと思ってたんだ。アリサちゃんの元気な挨拶がおっさんたちの癒しだったんだよ。俺、あいつらに恨まれるな〜」
という事は!
私は期待を込めておっさんを見つめる。
「言っとくけど、絶対俺の方が先に死ぬからね!もしかしたらそんなに長い間一緒にいられないかもしれないよ?それでもいいの?」
「嬉しい… 安心してください!ロータスさんは私がしっかり看取りますからね! 十年後でも私はまだ二十六です。元気に余生を送りますから、ロータスさん死後も心配いりませんよ!なんて夫思いの妻!」
おっさんは、ぶはっと吹き出した。
あれ?おかしな事いったかな?
まいったと大笑いするおっさんを見ていたら、何だか私もおかしくなってきた。
好きな人と一緒にいられて、その人が隣で笑ってくれている。こんな幸せな事ってないんじゃないかな。
その後、十年たってもロータスさんは私の隣にいてくれている。
心の中でおっさん呼びをしていた失礼な小娘は、三人の子供の母になって変わらず幸せに暮らしているよ。