異世界に行きたい少年
転生トラァァァァッッッック!!!
「はぁ…… 異世界行きてぇなぁ……」
街角の交差点でイヤフォンを付け、信号待ちをしていた少年…… 世尾渡太は呟いた。
少年には夢があった。それは異世界に行くこと…… 否、異世界に転生、もしくは転移し、自らが主人公となって物語を繰り広げることだ。
少年はまるで、自分の人生には娯楽が一つもないかのような絶望的な表情で、信号機が青になるのを待っていた。
しばらくして、信号の色が変わらないうちに、後ろからスーツ姿の女性が歩いてきた。
少年は何となく気配を察知し、後ろを向く。気配が何となくわかる俺、超能力とかワンチャンねぇかな? と思いながら。
女性は少年の方に近づいて来ており、肩掛けのカバンの紐を強く握りしめて俯いていた。
まるで辛いことでもあったかのようだ。いや、あったのだろう。世尾渡太は確信した。
もしかしたら俺と一緒で、異世界転生とか望んでるかもなぁ…… と、くだらないことを考えながら、視線を信号機に戻す。
信号の色は、いまだに変わる気配がない。
少年は音楽にも飽きてきて、イヤフォンを取り外した。
少年は信号機に視線を戻す。目を離したのは一瞬…… その一瞬の間に、スーツの女性は自分よりも前に出ていた。そう、青になっていない信号機の横断歩道に。
しかも運の悪いことに、女性にはトラックが近づいてきていた。女性はそれに気がついていない。
気がつけば、世尾渡太は駆け出していた。
転生できるっ! などとは微塵も思っていない。少年も、本当に異世界があると思っているほど馬鹿ではないのだ。
「危ない!!」
「へ?…… きゃっ!」
トラックのブレーキ音が鳴り響く。
女性は少年に強く押し飛ばされ、道の端の茂みにガサガサと音を立てながら倒れた。
しかし少年の方は、道路の中央に腹から墜落した。女性を飛ばすのに、すべての勢いを使い切ったのだ。
トラックは、そんな少年の左足を無慈悲に押し潰した。
「があああっ!!!?」
少年の左足に激痛が走る。
「だ、大丈夫ですか!?」
女性が血の気の引いた顔で少年に声をかけた。
しかし、少年は道路で転げ回り、誰の声も聞こえていない様子だった。
いつしか、誰が通報したのか、救急車のサイレンが聞こえてきた。
✽✽✽✽✽
少年は救急車の車内で止血処理を行われていた。
少年の足には既に感覚はない。通常の触覚も、痛みさえも。
ただぼんやりとした意識の中、うるさいサイレンの音を聞きながら車に揺られる。
救急車は安全な乗り物だ。なにせ、サイレンを付けて通るだけで他の車は脇に避けてくれる。本当なら、最速で近くの大病院まで少年の運ぶ予定であった。
たったひとつの例外…… トラックがそれを邪魔する。
救急車は大きな交差点に入る。周りの車は道路の端に寄せられ、救急車は時速60キロを保ったまま通過するかと思われた。
交差点にいた歩行者から悲鳴が上がる。
救急車の脇に、軽トラックが凄まじいスピードで突撃したのだ。
いくら救急車とはいえ、時速六十キロ以上の鉄の塊がぶつかってきたらひとたまりもない。車体は容易に倒れ、回転しながら道路脇にあった工事中のビルに突っ込んだ。
ビルに衝突した衝撃で救急車の後ろの扉が開き、ひとりの少年が外に投げ出された。
世尾渡太だ。
少年は地面を這って救急車から離れようとした。彼の意識は朦朧としていたが、救急車の近くにいることは危険だと本能的に察したのだ。
一方で工事中のビルは、ギィギィと不気味な音を立てる。
パキッ…… 嫌な音がした。
交差点にいたすべての人は、ビルを見上げる。
そこにあったのは、細長い棒。工事に使われている鉄骨だ。
鉄骨は地球の重力に引かれ、真っ逆さまに落下する。そしてその真下には…… 今日、不運にも事故が続いている少年の姿があった。
鉄骨は残忍に、少年の右足と左腕をへし折り、叩き潰した。
もはや叫び声すら出ない少年。彼は懸命に、ビルから離れようとした。
その先に、さらなる不運があるとは知らずに……
落ちてきた鉄骨はもちろん一つだけではない。数本の鉄骨が、さまざまな軌跡を描いて落下する。
その中の一つに、道路に直接、縦に突き刺さった鉄骨があった。
さらにその車線の一番先頭には、荷台に鉄骨を乗せた大型のトラックが走行していた。
トラックの運転手は突然落ちてきた鉄骨に驚き、ブレーキを踏む。さらにそのあとにハンドルに大きく切った。
トラックの荷台に積み上がっていた鉄骨の紐はブレーキの衝撃によって切れ、慣性により飛び出した…… 少年へ向けて。
しかし、まだ終わらない。
トラックがハンドルを切ったせいで、トラックの荷台の外側が地面に突き刺さった鉄骨に衝突し、鉄骨は回転しながら宙を舞った…… 少年目掛けて。
少年の元へいち早くたどり着いたのは、回転している鉄骨。
鉄骨は右手のみで這っている少年の脇腹の強く叩き、簡単に吹き飛ばした。
歩道を転がり、彼は仰向けに地面に叩きつけられる。
そして、隙だらけな少年目掛けて飛んできたトラックの荷台に乗っていた鉄骨が、少年の腹を貫いた。
もう、世尾渡太に意識はない。
トドメに、鉄骨に衝突しても勢いが収まらず、横滑りしながら道路を滑走していた大型のトラックが少年を押し潰した。
静寂が場を支配する。
交差点にいる誰もが声を失っていた。
ただ、トラックのクラクションだけが鳴り続けている交差点で、ひとりの少年が命を落とした。
✽✽✽✽✽
かの少年が一体渡った世界の果てで何を起こし、何を助け、何を育んだのか…… そもそも、果たして少年は世界を渡れたのか。
その物語を語るのは、また別の機会に。
ご冥福をお祈りします。