7.町の靴屋さん。(改)
はじめての冒険です。
といっても通用口を出てお店を見るだけです。
1歳9ヶ月の体では大冒険です。
文官さんの話では、この城壁市は人口3万人だそうです。
東南から北西に延びるメイン通りを中心に、中央に大聖堂がある中央区、最も奥に伯爵邸があり、東側が農業地区と演習地区、西側が貴族区、商業区、歓楽区、居住区、工房区に分かれています。
どうでもいい話ですが、居住区の周りには手付かずの空き地が多く、そこが子供達の遊び場になっています。
家の通用口を開けて、外に出ると井戸が見えます。
井戸と言っても地下水ではなく、上流の川から取った上水を地下に流して町中に張り巡らされているから驚きです。桶で掬った水は横の側溝を流れて、家の裏にある下水路に流すようになっています。
下水路も川から引いた水を流していますが、要するに小さな川です。
川に上に橋を掛けて、その上に共同厠が作られています。
上下水道が完備されているとは中々に文化的だと感心します。
でも、でもね!
厠の上流に洗い場を作っているのは間違っている気がします。
トイレの上流なら綺麗だろう?
居住区の上流に貴族区と商業区とかあるでしょう。
その汚物が流れて来ているでしょう。
えっ、水路には上水路と下水路に分かれているって!
そりゃ、凄い。
でも、水路を掃除する時は水門で経路が変わって、上流の汚物が流れる時もある。
やっぱり、流れてくるんじゃないですか。
この下水路の下流にも家があり、その人達はここの汚物入りの水で洗濯している訳ですよね。
金持ちが住む1番区、7番区、13番区では下水路で洗濯をせずに井戸の水で洗濯をするそうです。
そうだよね。
◇◇◇
家を出ると家の全体像が見えてきました。
所謂、4軒長屋という奴です。
土間、居間、台所の縦長構造の家が4軒でひとつの家になっているのです。
台所の裏に薪置き場があり、下水路に共同洗い場と厠が設置されているのです。
おそらく、この下水路が火事を想定した防火水路を兼ねているんですね。
4軒長屋は1番通りと2番通りの間に2つ造られており、下水路と下水路に挟まれた4軒長屋の8棟が1つ単位になっています。
ウチは2軒借りて、1番通りに面した家を靴屋にしています。
1軒目は土間を店に改造し、居間を仕切って父の作業場と父と母の寝室とし、台所を資材置き場にしています。
1番通りに出ると、長屋横に30軒並んでいるのが判ります。
靴屋の看板の下に扉があり、その奥が店です。
父は上開き窓を開けて、作業場で靴の修理をしています。
俺が履いている木の靴も父が作り、兄たちが使っていたお下がりです。
ぶかぶかの木靴をスリッパ替わりに履いているのです。
◇◇◇
文官さんの話では居住区は縦に延びる3本の道と横に区分けされた6つ区画で構成され、1番区から18番区に分かれています。
1番区、7番区、13番区と裕福層が住み、2、3、4、5、6と下がるほど貧乏になってゆきます。
ウチは1番道の6区画で『6番区』と呼ばれ、貧乏な区画の中で一番マシな分類です。
貧乏の子沢山と言われるように、6、12、18番区には子供が沢山いるようで、俺と同じくらいの子供達が鼻を垂らして見ています。
「おい、おまえだれだ」
「ある」
「アルというのか、おれのこぶんにしてやる」
「なぁ~」
「いやだと、なまいきだ」
上兄くらいの背丈のある奴が殴ってきます。
短慮というか、短絡的です。
もちろん、俺はまだ自由の体を動かせる訳もなく、力もありません。
でも、この1年で魔力の量も少し増えました。
魔力循環から体に魔力を与えて、肉体強化も少しできます。
一瞬です。
ホンの一瞬だけ肉体強化をして、散々やった柔術の動きを模範します。
俺は小さいので体を半身に躱し、相手の手を取って下に引っ張ってやると、バランスを崩してひっくり返ってくれるのです。
ずた~ん!
背中から綺麗に落ちてくれました。
痛そうにしていますが、起き上がると悔しそうな顔で俺を見つめます。
困りました。
肉体強化は速度と力しか強化してくれません。
まだ、体のバランスが巧く取れないので複雑な動きや、複数の相手をするのは無理なのです。
「おまえ、なまいきだ」
「もう、やめよう」
「うるさい、みんな、やれ!」
困りました。
どうしましょう?
殴り掛かってくる子を避けたのはいいですが、勢い余って転がってしまいます。
「とりかこめ」
ヤバいな。
「こらぁ! うちのアルに何するの」
「やばい、あ~ねがきた」
「にがろ」
「まぁっち」
俺と同じ舌足らずの子もいるようですね。
帰ってきた姉さんを見て、みんなが去って行きます。
助かりました。
「アル、一人でおそとに出たらだめ」
「うん、ごめんなさい」
「お家にかえろ」
「はい」
こうして、俺のはじめての冒険は終わったのです。
◇◇◇
母さんに聞きました。
安い木の靴は1組で銀貨2枚するそうです。
1日に売れる靴は1足が売れるか売れないか、ほとんどの仕事は靴の修理です。
木の靴は底が減ると底足しをします。
底足しは銅貨30枚です。
1日で3足から5足の修理を請け負っているそうです。
つまり、1足も売れて、5足を修理したとしても、1日の上がりは銀貨3枚と銅貨50枚にしかなりません。
平均するとその半分です。
月に換算すると、小金貨5枚と銀貨2枚と銅貨50枚です。
商業ギルドに毎月小金貨1枚を納める必要があります。
木の靴の材料費と工具など、1月に掛かる必要経費は小金貨3枚ほどです。
すると、小金貨1枚と銀貨2枚と銅貨50枚しか残りません。
貧しい家の食費は親子4人で銅貨10枚と言われます。
ウチは6人家族なので銅貨15枚です。
食事は朝と夕の2食で、1日銅貨30枚、一月で銀貨9枚が消えます。
家賃が銀貨4枚です。
毎月、銅貨50枚の赤字です。
俺が転生者じゃなければ、銀貨1枚が支給されずに財政破たんしていましたよ。
実際は、俺は離乳食を支給されているので、5人分の食費は銅貨12.5枚になります。
すると、月の食費は銀貨7枚と銅貨50枚で済みます。
つまり、残り銀貨2枚で小物や衣服などの必要経費を算出しなければならない訳です。
オムツ布なども支給されているのに、俺の銀貨1枚にも手を出すほど貧しい家庭なのです。
「おかあさん、らいげつはいる。おれのしょうきんか3まいをすきにつかってください」
「いいの?」
「あげます」
「アル、ありがとう。ありがとう」
どうだ!
父さんの収入は小金貨5枚と銀貨2枚と銅貨50枚ですが、実際は小金貨1枚と銀貨2枚と銅貨50枚しかありません。
それに対して、俺は純粋に小金貨3枚以上が手に入ります。
小金貨3枚ですよ。
ふ、ふ、ふ、父より稼ぐ1歳と9ヶ月児です。
母さんは俺のモノだ。
「どやぁ」
あれ?
その話を聞いた父さんが嬉しそうの頭を撫ぜてくれます。
息子より稼げない自分を卑下して、悔しそうに苦虫を噛み潰したような顔をしてくれません。
「最高の息子だ」
なんて、喜ばれましたよ?
母さんと一緒に「五人目もイケるぞ」とか言い出していますよ。
ぎゃぁぁぁ、それは駄目!
母さんも嬉しそうで滅茶苦茶に複雑です。
とりあえず、食事の改善をしましょう。
「おしょくじをふやしてください」
「そうね、おいしいものを増やしましょう」
「お銚子1本」
「だめぁ」
「アルちゃんが駄目というので駄目です」
「そう言わずに1杯だけでも頼む。なぁ、なぁ、おまえ専用の靴を作ってやるからさ」
「じゃあ、いっぱいだけ」
「よかったね。お父さん」
「いい息子を持った」
凄く複雑です。
食卓にパンと小さな小さな肉と野菜が並びます。
兄さん達や姉さんが大喜びです。
小さな小さな肉は安いミンチ肉です。
贅沢ができるほど改善していません。
ミンチ肉をおいしく頂きました。
◇◇◇
長男が4歳で、次男が3歳、姉が2歳、俺が1歳の子沢山で、親父が47歳で、母さんは16歳…………初産は12歳?
やっぱり犯罪です。
親父死ね。
文官さん、23歳で一児の母です。
少し丸みもあっていい感じと思っていたのに…………ちくしょう騙された。
下兄さんは放心状態で立ち直れないかもしれません。
この世界は結婚年齢が早いな。
あと1ヶ月もすると俺も2歳になります。
俺が1月生まれで、姉さんが2月生まれです。
下兄さんが5月生まれで、上兄さんが4月生まれだそうです。
???
あれ、おかしくね?
地球なら姉が4月、弟が3月に生まれて、年子で同じ学年ということもあります。
十月十日と言われますから、1年で二人の子供を産むこともあります。
地球は12ヶ月もあります。
でも、この世界は1年が10ヶ月です。
「普通ですよ」
「えっ、トツキトオカ(十月十日)では?)
「何ですかそれ? 出産月は丁度7か月ですよ」
文官さんがそう言い切ります。
十月十日と言われるが、実際は40週で280日が妊娠期間になります。
魔素がある世界では成長が早いのか?
否、そんなことはない。
魔素は成長に影響することはあっても成長を早める効果はありません。
人間の成長が違う?
その可能性も低そうです。
俺は大きな勘違いをしているのかもしれません。
俺の姉さんは2歳児であり、自分で起きて食事も自分でする。トイレも自分でできています。
俺は恥ずかしいことですが、自分の意志に反しておむつが必要です。
自分の意志で排泄ができないんだよ。
悪いか!
毎日、何度もある『恥辱タイム』です。
きゃぁ、恥ずかしい。
最近は姉さんにオムツを変えるのを手伝うようになっています。
1日一度の『入浴タイム』は体を隅々まで綺麗にしてくれます。
母さんと姉さんにモテ遊ばれています。
中身は聞かないで下さい。
とにかく、SAN値ピンチ、SAN値ピンチ、SAN値ピンチです。
その話はおいておきましょう。
姉さんは一人で外に遊びに行けるし、母さんの手伝いもしています。
兄さん達はいつもやんちゃで泥んこ遊びなどやっています。
4歳児と3歳児はこんなものでしょう。
成長が少し早いくらいに思えます。
そう、成長が地球と同じなら?
妊娠40週の280日と異世界7か月の210日が同じと過程します。
すると1日は24時間ではなく32時間なのかもしれません。
妙に1日が長い気がした訳です。
すると、一年は365日(8760時間)より長い400日程度(9600時間)となります。逆に1年が1ヶ月ほど長くなってしまうのです。
つまり、地球時間に換算すると、俺もすでに2歳児となる訳です。
うん、何となく納得です。
すっきりした。
◇◇◇
食事がしっかりしてきた為か、姉さんがより元気になっていっています。
「あそぼ」
「あとで」
「いま、あそぼ」
「あとで」
「あそぼ、あそぼ」
休日に子供にせがまれる父親ですか?
全然に違う結果になった気がしますが、みんな元気ですべて良しってことか。
この原稿が書き上がらないとオマンマが食べられなくなるんだよ。
納得いかね!
これも『万事塞翁が馬』という奴ですか。
【普通の城壁市の案内図】
【アルが住む4軒長屋のイメージ】