5.聖女、奪還の誓い。(改)
記憶を固定する魔法具は忘れたい記憶で心を抉る悪魔の道具です。
この悪魔の道具はもう1つのデメリットがあったのです。
モノを覚えるというのは大層エネルギーを消化し、起きてお乳を啜ると眠るという作業を繰り返してした俺は1歳児と思えないほど貧弱な体だったのです。
そう生後1歳になれば、『あんよは上手』と言われる程度にヨチヨチ歩きを始めるのですが、四つん這いになる程度の筋力しかない。
それがどんなに危険なことか判りますか!
2歳の姉は元気に走り、甲斐甲斐しく俺の世話をしようとします。
「アーたん、おきなたい」(ഓ、എഴുന്നേൽക്കുക)
ぎゃぁ、腕もひっぱらないで!
抱きかかえるなんて無理だから!
痛い、痛い、痛い、腕が千切れる。
ばたったぁ、ばたん!
姉さんは俺の世話ができないからと言って、籠からだそうとひっぱり出そうとするのです。
もちろん、2歳の幼児に俺を抱きかかえることなどできず、腕だけをひっぱって1本釣り、籠ごとひっくり返って、毎日、俺は頭を打つハメになるのです。
もう何度目ですか、日課ですよ。
世話をしたいという気持ちは判りますが、何をしゃべっているか判らないし、すぐに抱きつくし、ヨダレだらけにされるし、引き摺ってどこかに連れて行こうとするし、何をしたいのか理解不明です。
誰かこの小さな悪魔をどうにかして下さい。
「あら、あら、またお外にでようとしたのね」(ഓ、ഓ、പ്ലേ ചെയ്യുക)
何を言っているのか判りませんが、俺が出ようとしたと思っているんでしょう。
違います。
この小悪魔をなんとかして!
そんなことを思っていますと、オムツを交換しはじめます。
きゃぁ、止めて恥ずかしい。
捲いていた布の端でお尻を拭くと、濡らした布でもう一度拭いてくれます。
幼児って、不便過ぎます。
母さんが新しい布を取りに行っている間に姉さんが葉っぱでお尻を拭き始めるのです。
「ちれい、ちれい」(മനോഹരമായ)
痛い、痛い、痛い、滅茶苦茶痛いです。
それ、布じゃない。葉っぱです。
止めて!
母さんが戻ってきて事なきを得ます。
部屋の中に葉っぱが置いてあるのはティッシュ代わりみたいです。
「アーネちゃん、抱っこしたいの」(ഓൺ、പിടിക്കുക)
「うん」(അതെ)
「はい、どうぞ」(അതെ)
何を言ったか判りません。
ヤバい、ヤバいのは判ります。
母さん駄目ですよ。
姉さんに渡すのは止めて!
必死に抱き付く姉さんです。
無理、無理、無理、絶対に姉さんに抱っこは無理ですよ。
げぼぉ!
糞ぉ、倒れるのなら後に倒れろ。
俺の上にのっかかるな。
1時間くらいおもちゃにされると疲れたのか寝てくれました。
酷い目にあいました。
◇◇◇
去年は疲れ果て頭も回っていませんでしたから意外と平気にお乳を吸っていましたが、頭が冴えてくるとボ~ンとお乳が目の前にあって恥ずかしいのです。
嬉しいけど、めっちゃ気恥ずかしい。
何度か嫌々をすると諦めてくれました。
代わりに離乳食を作ってきてくれた母さんがスプーンもロクに持てない代わりに、『あ~ん』をしてくれるのです。
可愛い母さんが最高の笑顔で『あ~ん』です。
幼児最高!
母さん、愛している。
見ていて飽きないな。
「あたちも」(ചെയ്യൂ)
げぇ、止めて!
ちょっと待て、目とか、鼻へ攻撃するな。
「おとなちく、ちにゃさい」(നീങ്ങരുത്)
できるか!
今、何を言ったか、何となく判ったぞ。
あぁ~疲れました。
とにかく、姉さんがスプーンを持っている間は拒否続け、根気勝ちです。
疲れました。
この体、ホントに体力がないですね。
◇◇◇
目が覚めると当たりは真っ暗です。
月明かりが窓から差して、目が慣れてくると見えてきます。
籠の横のテーブルには食べ残しの離乳食が残されていますが、四つん這いもできない体力ですから自力で食べることもできません。
腹減ったな!
結局、姉さんと戦って体力を消耗して半分くらいしか食べられませんでした。
小悪魔と対峙できる体力を付けないと餓死しますよ。
これは緊急課題です。
まずは体力を付ける。
しかし、体力だけでは危険です。
ここは賢者の記録に掛かれていた魔力循環で魔力量を増やすのが一番です。
賢者がいた世界では、魔力循環で魔力総量と魔力コントロールを付けるのが基本訓練だそうで、魔力コントロールが一番大切と書かれていました。
赤ん坊の体ですが、訓練するのに支障はありません。
まず、魔力を感じる所から始めます。
…………。
…………。
…………。
…………。
なんじゃ、こりゃ!
ほとんど、魔力がない体じゃないですか?
賢者の残してくれたハードディスクの記録では、はじめて魔力の訓練をはじめると魔力が体の中から溢れ出したとか書かれていましたけど、米粒くらいしか感じませんよ。
確かに、俺の体にあると感じますけど…………循環とかいうレベルじゃないです。
とにかく、しっかり感じないと…………あれぇ、意識が消えます。
気が付くと少し外が真っ暗になってきています。
月明かりも消えた深淵の闇が広がります。
まさか、あれは魔力が枯渇すると起こるマインドダウンと呼ばれるモノですか?
この体、もしかしてほとんど魔力を持っていないんですか?
もう一度、体の中にある魔力を感じるように意識を集中すると、今度は梅干しくらいの魔力を感じました。
やった、たった1回で倍近い成長ということになります。
って、喜べるか!
この体、魔力量が無さ過ぎだ…………あっ、もう来たよ。
おやすみなさい。
◇◇◇
再度、目が覚めると外が明るくなって来ています。
前世は魔素がなかったので魔法がなかった世界でした。
それに比べれば、一応は成長できるということで納得します。
うん、納得しよう。
納得するべし!
前世よりマシ。
う~ん、納得できん。
ここは転生チートで魔人を討伐できるくらいの魔力が溢れ出すシーンでしょう。
糞ぉ!
それはともかく。
魔素がある世界と魔素がない世界はどう違うのでしょうね?
賢者はオーパーツを世界中から買い漁り、そこに魔素が残されていないか確かめ、聖杯からライト1つ分の魔素を取り出したと残されています。
元の世界でも初めから魔素がなかった訳ではないのです。
それがどうして無くなってしまったのか?
もちろん、今の私に判るハズもありません。
ちらりと移る黒い影、この黒い頭は上の兄です。
上兄はこそこそっとテーブルの上にある離乳食をパクパクと口の中に放り込んで去ってゆきます。
おい、俺の飯だぞ。
困ったものです。
朝食の準備を終えた母さんが戻ってきて、離乳食が無くなっているので苦笑いしています。
誰かを叱る訳もなく、母さんは女神のように優しいです。
もう一度、作り直して来てくれてスプーンで掬ってくれるのです。
あ~ん!
ぱく、味なんて判りませんが幸せです。
母さん、愛している。
幼児最高!
この瞬間の為に俺は生きているんだ。
「あたち、やる」(ചെയ്യൂ)
小悪魔の登場に首を横に振って対抗します。
あら、あら、あら、母さんも困り顔ですが、ここは死守です。
と思ったのですが、妥協案として姉が持ったスプーンの手を母さんが横から添えて、口にちゃんと運んでくれるのです。
仕方ありませんね。
ぱくり、俺がスプーンに食い付くと、姉さんの顔がパッと明るくなって破顔するのです。
ドキっ!
何、トキメイているんだ。
俺はロリコンじゃない。
子供の笑顔がときに凶悪な武器と知りました。
ぱくっと食べると、にぱぁと破顔する。
姉さん、何度も滅茶苦茶に喜んでいます。
何がおもしろいんでしょう。
「はい、おしまし」(അവസാനം)
「えっ~、もっと」(ഒരുപാട്)
空になったお椀を逆さにして終わりをアピールしています。
お腹も満腹でやっとマトモなご飯を食べられた気がします。
満足、満足、満足です。
「おい、資材を買いに行ってくる。金を出せ」(മെറ്റീരിയലുകൾ、എനിക്ക് കുറച്ച് പണം തരൂ)
俺が満足していると、ドス黒い声が母さんを呼びます。
母さんは小走りに走って行くと何かを言い返しています。
「そんな余裕はありませんよ」(പണമില്ല)
「こいつに宛がわれた金があるだろう」(സ്വർണ്ണം അവിടെ)
「それはこの子の為に」(ഉപയോഗമില്ല)
「うるさい、誰が喰わしてやっている」(എനിക്ക് കുറച്ച് പണം തരൂ)
おい、こら母さんになって事するんだ。
父さんが母さんを殴ったのです。
娘くらいの母さんに暴力を奮うなんて、なんて事をしやがる。
あぶぶぶぶぅ!
俺は父さんを指差して一生懸命に訴えますが、俺をちらりと見ただけで金だけを受け取って去ってゆくのです。
この1年間、母さんを俺が独占していた事を憎んでいんでしょう。
いい大人が少女みたいな母さんに手を出して許されると思っているのか!
俺は許さないぞ。
母さんを悲しませる奴は誰でも許さない。
糞ぉ、絶対に体力付けるぞ。
魔力も増やしてやる。
絶対に父さんから母さんを取り戻す。
今に見ていろ!
ずっと後になって思ったのですが、
どうしてこんなに父に敵対心を持ったのでしょうか?
殴ったと言っても頬が軽くです。
頬にアザも残らない程度です。
でも、母さんの悲しそうな顔に俺は反応していたのです。
病弱で寝たきりの少年は誰にも素直で大人しかったのに、健康になると傍若無人に振る舞うようになったという事例がありますが、人の精神はその体に依存が強いような気がします。
とにかく、その日から俺は母さんを救い出すという想いで突き進みます。
無茶な運動。
無茶な魔力消費。
1秒でも強くなろうと思ったのです。
43年の記憶を持っている癖に、どうしてこんな短絡的な行動をしたのでしょうか?
ふり返って思い出すと不思議な話です。
◇◇◇
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作者:牛一/冬星明




