29.符号。
城壁市スワッグは王の剣が住む領地と呼ばれ、歴代の忠臣が領地を貰った所です。
その領主達の総代がスワッグ領主です。
スワッグ領の領主達の中に髭の侯爵様の領地もあります。
城壁市スワッグは西地区に続く物流の拠点として栄えており、夕方だというのに人が途切れる様子もありません。
広場の一角に馬車を止めて、馬を休めると第3王子は席を立ったのです。
「先生はしばらくお待ち下さい」
俺には付いて来いという素振りなので付いて行きます。
規模こそ違いましが、町の構造は基本的にすべて同じであり、大聖堂のある中央区に宿屋や酒場が集中します。王子はその看板を注意深くみながら、一件の酒場に入っていったのです。
王子がカウンターに座ったので、俺も横に座ります。
「ミルクを一杯、スグワットの実を添えて」
スグワット?
確か、お茶会で聞いた話では南で採れる物凄く酸っぱい果実だったと記憶します。
ミルクに入れるのはないでしょう。
「残念だが、スグワットはない。レモンでいいか」
「では、厚切りで半分にして、切れ目を入れて下さい」
「はいよ。お隣は」
「同じモノで」
「いえ、いえ、ミルクだけで結構です」
「はいよ」
まったくないとはいいませんが、ミルクとレモンもミスマッチです。
俺にそんな変なモノを薦めるなよ。
出て来たミルクのコップにレモンが掛かっています。
そして、レモン置きの小皿を添えて、俺はミルクだけって言いましたよね。
王子はレモンを取って小皿に移し、小指でミルクを掬って、レモンに1滴、そして、皿の淵に3滴を垂らします。
「坊主はアガンダの生まれかい」
「いい、サグルスで生まれたかったですが、残念ならサイの生まれです」
「王都の生まれか、その割には見かけんな」
「学園生だからでしょう」
「はぁ、貴族様か」
そう言うと小さな紙に住所を書いて第3王子に渡します。
王子も小さな銅貨でも包んだお捻りを店主に渡して店を出ます。
因みにサイというのは数字3(サ)、イ(1)で異世界文字の『三と1』で『王』を示し、王都の出身と言う意味だそうです。崩し文字を使うのはグループの仲間だよというジャスチャーであり、それでどうこうする訳ではないそうです。
「今の符号は覚えましたか」
「一応ね」
「スグワットがあった場合でも、厚切りで半分にして、切れ目を入れて下さいです」
「俺に教えていいのかよ」
「全部は教えません。皿に垂らす滴は1滴にして下さい。それで聞きたい情報が聞けます」
「裏の情報を」
「いいえ、表の情報ですが、より詳しく確実にです」
「助かる。使わせて貰う」
「それと情報料は紙に包んで硬貨3枚と決められています。それ以上でも以下でも二度と情報を渡して貰えません」
「必ず銅貨3枚ですか」
「いいえ、銅貨でも、銀貨でも、金貨でも構いませんが、必ず3枚です。私は金貨3枚を入れておきました」
ブルジョアめ!
◇◇◇
役所のたらい回しをご存じだろうか?
こども会の行事で事故について相談に役職?に行った。
受付でこどもの生活課と言われて行くとウチでは………と言われて、保険課に行って下さいと言われ、これは総務課ですねと総務課に廻され、総務課で地域福祉課と言われると、今度は保険課に戻り、結局、こどもの生活課で手続きをする。
互いがここに管轄を持ち、それで情報の共有がない。
しかし、互いに自己の領分に対して敏感で、領分を犯されることを酷く嫌う。
縦割りで厄介な事を押し付け、基、相手の部署に心使いが細やかな組織にありがちな無駄な時間を使わされる。
第3王子と俺は指定された場所に行って、6カ所の繋ぎ役に会って最初の人に戻って来た。
「戻って、最初の串屋ですか」
「仕方ありません。こういう組織なのです」
第3王子は串を買いながら値引き交渉のような合言葉を言って串を買います。
この串は紅蓮さんに持って帰りましょう。
もう、お腹一杯です。
「見つからなかったか、済まなかった。今度はこっちに行ってくれ」
「いえ、気になさらず、心得ています」
「若いのに判っているじゃないか」
何のこっちゃ?
「情報屋のネットワークは存在しますが、それぞれが別の情報を持っていますからたらい回しになる事がよくあります」
「まとめ役はいないのか?」
「非合法の組織ですよ。まとめ役がいれば、役所が目を付けるでしょう」
確かに!
役所も情報が大切と判っているでしょう。何人いるのか判らない情報屋をすべて把握するのは無理です。しかし、まとめ役がいれば、その者からすべての情報を吸い上げ、役所の出先機関のような役割に変わってしまいます。
「情報屋には暗部の情報も出回ります。そう言った情報は高値で売れます。役所が絡むと、そう言った情報が流れて来なくなりますから、情報屋は役所と距離を置きたがります」
「もしかして、前皇太子の暗殺情報もこのルートからか」
「その通りです」
なるほどと思うのですが、しっくりしません。
ここの情報屋が持つ情報を何故、第3王子が知る事ができるのかです。
「この組織の肝は情報屋を育てる事ですが、ネットワークを作っているのは情報を買う常連客の方ですよ」
そういう事ですか。
情報屋がネットワークを形成すれば、役所やその他の組織が情報屋を狙います。しかし、買う顧客の方にネットワークを形成すれば、顔が見えません。
「この情報屋は貧困層の互助会的な役割を持っています。材木屋が今日は何本の木を仕入れたかという情報でも銅貨1枚の情報料が支払われます。それが10件の情報なら銅貨10枚になり、子供が今日を生きる最低限の収入となります。そう言ったどうでもいい情報を買ってくれる慈善事業者を増やすのが、2つ目の目的です」
「貧困対策を兼ねている訳ですか」
「はい、しかも労働に対する意欲を失いません。彼らは情報を売るという仕事をしています」
確かに、無償で受ける施しは人を腐らせる。
救済の手を始めは感謝の心で受け取るが慣れというのは恐ろしく、与えられる事を当たり前のように享受してしまう。
感謝の心が失われて、社会復帰しようという勤労意欲が失われて、社会復帰を阻害するモノになり下がる。
与えるという恵みは人を堕落させます。
仕事を与え、報酬という形で資金を提供しなければ、社会は腐ってゆくのです。
◇◇◇
情報屋に貰った場所はかなり古い住民区で家もぼろぼろで、見た目がスラム化しているような場所でした。
北の城壁市は新しい町なので土地も余っていることもあり、住民区が飛び地になる事はありませんが、1000年も続く町では土地が手狭になり、様々な区が飛び地で存在するようになってゆくのです。
つまり、忘れられた未整備地区という訳です。
古びた長屋の戸を叩き、老婆に案内されて居間に腰かけて待っていると、白髪混じりの初老風の男がやってきます。手足はほっそりとしていますが、その厳しい眼光が只者ではないと言っています。
「鉄と真珠とは、また古い符号でお探しになったようで、ご苦労されたようですな」
「恐縮です」
「今はカマキリの刃と蝋燭を使っております。どんな奇妙な魔道具でも作る錬金術師と言われております」
「承知しました」
「で、今日はどのような御用ですかな」
「とある方を尋問しようと考えております。あなた様のお力をお借りしたいのです」
「まぁ」
初老は小さく言葉を上げて黙り込みます。
そして、第3王子をじっと見つめているのです。
「お名前をお聞かせ頂けるか」
「はい、ラケル・エスク・アルゴと申します」
「王都で組織を立て直そうとする者が現れたと聞くがそなたか」
「おそらく、私の事だと思います」
「マッシュは如何でした」
「相変わらず、太っていました」
「牙はどうされますか」
「あれは駄目ですね。目的を達するには手っ取り早いですが、あの力は危険です。人を疑心暗鬼にして自らを呪います」
初老の顔が少しだけ和らいだと思うと第3王子の手を取って、その甲に口づけをするのです。
「我が魂は常にあなたと共に」
「また、あなたのお力をお借りする事になります」
「助けられた命です。お好きなように」
「感謝します」
一連のやり取りを見て、俺は確信します。
第3王子は見た目の歳ではない。
おそらく、転生者なのだろうと。