3. 災害のような女。
「どうか、わたしくをお助け下さい」
馬鹿に連れられて馬車に入ってきたご令嬢が俺の手を取って哀願します。
ご令嬢は祖母が病気で倒れたので北の城壁市まで向かっていると言います。
一件、まともそうな話です。
が、街道に魔物が徘徊するこの世界でちょっとお見舞いに行ってきますという訳にいきません。あの御者は相当な腕を持っているようですから、それを頼ったとするなら……。
「お急ぎになるのなら、次の町で馬車を購入されて急がれて如何ですか。もし手元が足りないというなら僭越ながらお金はお貸いたしましょう」
「ありがとうございます」
「いえ、いえ」
「わたくし、感動したしました」
ぷよ~ん。
掴んだ手を胸元に当てて強く握りしめるのです。
やわらかい、豊満な胸に手が挟まって喜んでいます。
おい、ご令嬢が目をキラキラさせていますよ。
否、お姉さんらの目が厳しくなります。
「これは運命の出会いです。わたくし、ここを離れたくありません」
「おばあさんはどうするんですか」
「多少は遅くなりますが、旅団で行ってもそう時間は変わりません」
「では、別の馬車を用意しましょう」
「後生です。ここに置いて下さい」
「とりあえず、手を放してくれます」
「そうだ、テメイ。お嬢さんに何、いやらしいことをしてやがる」
馬鹿かこいつ!
見ていたでしょう・
とにかく、この子は危険です。
「隊長さん、馬を用意して下さい」
とにかく、冷静になる為にこの場所を離れましょう。
「それなら、私もです」
「私も」
俺がそう言うと、お茶会のお姉さんと赤毛のお姉さんも続きます。
「あと、よろしくお願います」
俺は窓から飛び出して、隊長さんから馬を受け取るのです。
◇◇◇
今回は最初から先遣隊に参加するつもりで馬を用意しています。
最初の城壁市までは馬車でゆっくりするつもりだったのですが、何かに巻き込まれているようですね。
この感覚は何でしょうか?
そう、中東で鶏肉を販売した時を販売した時の感覚です。
中東で食糧不足で苦しむ小国の会社の依頼を受けて、大量の鶏肉をタンカーに乗せて輸送し、販売することになったのです。そこに鶏肉の販売を3日間、待ってほしいと他社のお願いの電話が舞い込んだのです。
もちろん、契約不履行は会社の名誉に関わると言って断りました。
何らかの嫌がらせがあるかと警戒していましたが、中東で鶏肉を倉庫への荷卸しも終わり、現地の業者に引き渡しが終了します。
翌日にサインをして帰国する所でした。
ここまで来れば、邪魔もできないと鷹をくくっていたのがいけなかったのでしょう。
その夜、綺麗なお姉さんが食事をする俺の横に座って、俺の事が気にいったとか言って来たのです。
それは綺麗なお嬢さんでした。
妖しいと思いつつも女性には飢えていましたから酒場までほいほいと付き合った訳です。
中東でお酒は厳禁。
でも、ホテルやバーならお目溢しなので問題ありません。
いける。いける。いける。
心の中でGoサインに、どこが自制する覚めた自分がブレーキーを掛けていました。
煮え切らない俺の態度に彼女は積極的になり、ホテルのバーを出て裏口から路地に出て俺を誘うのです。
もちろん、NOです。
断ります。
それでも彼女は俺の手を取って来たのです。
そして、俺が路地に1歩だけ出た瞬間、警邏が飛んで来て拘束されます。
ヤラレた。
俺は3日間も拘留所に閉じ込められ、契約は延期されます。
借りていた倉庫も接収されて電源を降ろされます。
あの糞熱い中東の倉庫で3日間も電源を落とされた鶏肉がどうなるか判ります。
保険に入っていたので損害こそ発生しませんでしたが、契約は失敗です。
その3日後、隣国の外務大臣が来国して食糧支援を約束し、翌日に鶏肉が運ばれてくる。
よくできた話です。
美人局、それが駄目なら強行手段に訴えた。
この国の大臣当たりが結託した罠だった訳です。
中東ではよくある話です。
あのときの感覚です。
急にスタイルのいい美女がやって来て、理由もなく好意を抱き、それらしい言い訳をする。
何もかも、唐突で違和感だらけのシチュエーション。
俺が7歳の幼児でなく、相手が15歳のガキじゃなければ、心がトキめいたかもしれません。
でも、どんなにスタイルが可愛い女の子でも15歳の少女じゃね。
◇◇◇
だ、だ、だ、ヘンリーさんの領兵が隊列を組んで歩き始めます。
壊れた馬車を片づけた兵士さんは、馬車に戻らず俺を先頭に進軍するスタイルです。
「何も付き合わなくもいいですよ」
「やらしてやって下さい。王女の騎士様と一緒に進軍するのが彼らへの褒美になります」
「そう言うものですか」
「そう言うものです」
兵士と冒険者では根本的に何かが違うような気がします。
これで喜ぶなら小公女さんも一緒に馬に乗せると、どれくらいのご褒美になるのでしょう。
旅団は遅い馬車に合わせて歩きますから、徒歩で進軍しても問題はありません。
次の休憩所まではそれでいきましょう。
旅団が再出発し、少し馬車と距離が離れた所で俺はお姉さんらに小声で話し掛けます。
「さっきの彼女ですが」
「はぁ、可愛い子ですね」
「胸もおっきし、金髪でスタイルもいいのは卑怯だよ」
「そういうのはいいですから聞いて下さい」
何を言っているのか知りませんが、11歳なら成長期でしょう。
これからでしょう。
この世界の子は感性が早熟過ぎる。
「とにかく、あの子には注意して下さい。かなりの魔法士です」
「えっ、あの子が」
「杖も服装も普通だよ」
「はい、手に触れるまで俺もそう思っていました。理由は知りませんが、自分が魔法士であることを隠しています。絶対にふたりきりになるようなことはないようにして下さい」
「それでは王女に」
「あとにこっそり教えておいて下さい」
「今は大丈夫なの?」
「王女以外はみんな曲者ですから大丈夫でっしょう」
王女はちゃらんぽらんの上に抜けている。
紅蓮さんは軍隊に所属していただけあってソツがない。
急に乱入してきた異物を警戒しない訳がない。
王都で出会った彼女は謎だ。
あの歳でベテラン顔負けの斥候を熟し、注意力や観察力に優れています。
一番、謎の彼女です。
ただ、1ヶ月近く一緒にいたので敵対心がないのは判ります。
どうして付いて来たのかはどこかで問いただしましょう。
◇◇◇
夕方には城壁市に到着です。
何もありませんよ。領軍の長がわざわざ馬に乗ってお出迎えです。
馬上ですが、先導の行政官と握手を交わします。
「ご苦労様です」
「わざわざお迎え、ありがとうございます」
「な~に、さっさと終わらせて一杯やりたいだけです。しかし、今回の総団長は実に可愛らしい子らだな」
「違いますよ」
旅団の団長と言うのは、旅団を率いる貴族の事です。
各城壁市の一番地位の高い人が引き受けることになっています。
我が北の城壁市からも一人選出されています。
そして、総団長は最終到着の城壁市の団長が引き受けるのは慣例であり、今年もそうなっています。
団長も総団長も馬車の中です。
俺が護衛の冒険者を手配したオーナーと聞いて馬車を下げてきます。
「お初にお目に掛かる」
子供相手に丁寧なあいさつをくれました。
中々にいい人のようです。
団長なんかやっている暇がありません。
広場に到着すると急いで商業ギルドに赴き、手配の空き倉庫に荷馬車を移動して、小麦袋を降ろしてゆきます。
髭の領兵さんが手伝ってくれるのでスムーズに進みます。
お茶会のお姉さんと赤毛のお姉さんは商業ギルドで野菜の注文をして貰い、葡萄の苗木を買いに行って貰ったのです。伯爵達が言っていたブドウ園の話も進めてみましょう。売る物を増やさないと旅団の維持は難しそうです。
空いた長荷馬車に保存箱を制作します。
材料は土で作った中空構造のコンテナ箱です。完全な中空は強度に自信がないので縦と横に補強を入れ、中空部分も蜂の巣の構造にしておきます。
発泡スチロールやアルミ泊があると完璧ですがないモノねだりは止しましょう。
最後に2台の長荷馬車に積み込んで完成です。
買って来て貰った野菜を凍らせて、出来立てのコンテナに氷と一緒に保管して、明日の晩でも開いて性能チェックでいいでしょう。
氷が解けて水浸しにならないように、水桶と簀の子も床に張っていますよ。
◇◇◇
今日も旅団の馬車で明かりが灯っているのは俺の馬車だけです。
宿賃のない人も旅団に参加している人は無料で校舎を貸して貰えるので馬車で寝る必要もありません。
ウチの馬車はソファーにいろいろと工夫をしているので無料ベッドより快適ですが、宿屋のベッドほど広くないので、宿で泊まった方が疲れも取れるでしょう。
例のブツは全部を持っていかれました。
破くと破損しないなら好きにして下さい。
そんな深々とする夜半、私の知らないところでどこかの鼠が動き出したようです。
「あそこにいるのはあいつ一人、ちょうどいいわ。ここで終わらせましょう」
「軽率だな」
「あらぁ、どうして」
「このような町中で騒ぎを起こして逃げられるだけだ」
「逃げるかしら?」
「相当の自信家のようだが、危険と知れれば逃げるのが冒険者の性だ」
「ジーヤ、ここでやりなさい」
「判った」
馬車は10台くらいずつ広場のいくつかの区画に分けて置かれています。
俺が乗っている馬車の周りに念の為に人の出入りが判る結界を張っていますが、その周りは無防備でした。
顔まで隠した黒ずくめの男が十人も現れて、魔石を中心に置いて種を10個ずつ散らばせます。
最後に魔法陣を発動させて、魔法で魔石を暴走させて種を発芽させます。
発芽した植物系の魔物は魔石の魔力を吸収して急成長し、身丈5mほどの食虫植物魔物が誕生するのです。
ぐるるるるるるぅ!
特徴的な奇声を上げて、俺の馬車が止まっている区画の周りに100体の食虫植物魔物が取り囲むのです。
「なんじゃありゃ!」
ほろ酔い気分で店を出てきた領軍長は奇声を上げる食虫植物魔物群を見て叫びます。
「全員に非常呼集」
「はい」
後にいた副官が慌てて兵宿舎に走ります。
町の人も何かと思い、窓や外に出てきます。
もちろん、その中に俺もいます。
「うるさい、仕事が進まんだろう」
そう言って馬車の戸を開いて、周りにいる食虫植物魔物群を見上げるのです。
チューリップのような花を咲かせ、足元から伸びた蔓のような足をにゅるにゅると動かせています。
あの蔓で人を掴んで花壺まで持ってゆき、強力な酸で溶かして栄養にするとか、どこかの魔物図鑑に書かれていたような気がします。
「確か、花のつぼみ部分が弱点とか書かれていたな」
アイススピアー×10、10連射。(5秒間)
消えた?
アイススピアーを喰らった魔物が霧のような靄になって消えたのです。
そう、消えましたのです。
倒した魔物が実態を残さずに消えました。
あっ、ドクさんが以前に言っていたダンジョンの魔物は倒すと、消えて魔石を残すと言っていました。確か……ダンジョンでは魔物を倒しても食糧として現地調達できないので、食糧を如何に確保するのが重要だとか言っていました。
この魔物はダンジョン産か?
拙い、馬車に戻って置きましょう。
「ジーヤ、どういうことしくじった?」
「違う。討伐された」
「いつ、見えなかったわよ」
「氷の矢だ。超近距離に出現させて、そのままぐさりだ。回避の余地もない。ふ、ふ、ふ、この国お得意の大規模系魔法士と思えば、前衛魔法士だ。しかも蒼勲章は伊達ではないらしい」
「それは厄介ね」
「騒ぎ出しだ。消えるぞ」
顔を隠した女と男がその場から姿を消します。
「隊長、連れてきました」
「…………」
「隊長」
「すまん。とにかく、調査だ」
突然、魔物が現れ、突然、魔物が消えた。
酔っていたのかと疑いたくなる光景が目の前で起こったのです。
もし、その付近から小さな魔石の欠片が見つからなかったなら、夢かまぼろしと思っていたでしょう。
もう領軍の隊長は明日からの旅団を中止したくなったのです。
兵士が馬車までやって来て、何か知らないかと煩かったです。
知りませんと言っておきました。
ホントに何も知りませんからね。